第50話 金とか遺伝子の話

「結婚を認めるのは当然のことよ」


 正面の野比が言った。


「ヒーローになって一度でも宇宙人の侵略を退ければ一千億からの報酬、それだけでも結婚の動機には十分すぎるって話だよ」


「金……」


 オレはどんよりした。


「わたし、お金目当てじゃないから」


 隣に座る五十鈴が不満げに言う。


「あら、お金は大事よ。だって、久里太くんが一位を取れる強さを持ってたら、反対なんかされず、とっくに結婚できてたもの」


 野比の隣の高柳さんが冷ややかに言う。


「静香ちゃん、その話はちょっと」


 この仲良しカップルにも色々あるようだ。


「ねー、それこそヒーローになって娘さんを貰います、って言ってから何年って話。あたしだったらそろそろ見切りをつけるかな」


 動揺する野比を見つつ、高柳さんと反対隣を確保している深大寺がなにげにカップルに楔を打ち込むかのようなエグいことを口にしている。


 そっちが見切れ。


「深大寺ってまだ野比のことを?」


 そして五十鈴がそれに気づいた。


「は? ちょっと、なに言ってんの?」


 深大寺が過剰反応。


「昔からそんな感じあったけど、まさか、ね?」


「あのね。ビッチぶった処女さんはもうちょっとほとぼりが冷めるまで大人しくしてなさいよ」


「ただの処女さんは一生大人しくしてるつもりなの? 不毛な片想いで溺れ死ぬの?」


「はぁ? 結婚決めても処女でしょうが?」


 五十鈴と深大寺が小競り合いする一方。


「全先くんがサイテー男じゃなければ」


「が、頑張りますから、頑張ってますから、お願いしますよ。マッサキの次ぐらいを狙いますから。見捨てないで静香ちゃん」


「見捨てちゃおっかな? どうしよっかな?」


「ああ、そんな冷たい目で見られるとっ!」


 カップルの方はイチャイチャしてた。


 昼休み、男同士で話がしたいと思って野比を誘った学食だったが、気がつけば妙に人が集まっていた。混雑している学食ではあるが、オレたちの会話を聞こうという野次馬が席を詰めてくるのでさらに狭苦しく感じる。


「……」


 オレはアジフライ定食を食べていく。


「正生、おいしい?」


 五十鈴がこちらを見ていた。


 今日のメニューは彼女のオススメである。


「うん。これはイケる」


 ジューシーな肉厚のアジにサクサクの衣がいい具合なところに、学食のテーブルに備え付けのソースがかなり美味い。さっぱりとしてフルーティなソースは自家製なのだろうか。


「よかった。味の趣味は近いみたい、ね」


「……」


 こんな子だったのか。


 あのプロポーズからの授業中、隣の席からの視線が熱かった。ほとんど黒板を見てないんじゃないかというぐらい見られてた。頭のてっぺんから足の先まで見られてた。昨日までずっと倒すべきライバルとして意識してたこちらとすれば、どう対処すればいいのか戸惑うしかない。


 野比にそれを相談したかったのだ。


 一夫多妻を受け入れる島の常識を踏まえて、結婚相手との適切な距離感を考えていきたい。そもそも女性との交際経験もないのに、多数の妻とどう付き合うかなんて無理難題もいいところなんだが、確実なのはプロポーズを受けてしまった以上、球磨以外にも結婚相手がいることを伝えなければいけないということだ。


 波乱の予感しかしない。


 クッキーがなんというかが心配だ。


 さらに加えて、オレが地球人類ではないということもどう伝えるかもある。問題は山積みを通り越してもう山脈である。その意味ではいっそ金目当てだと言われた方が気楽かもしれない。


「お金より大事なのは遺伝子だろう」


 その声は背後から。


「!」


「僕にも遺伝子を分けてくれないかい?」


 女の両手がオレの首を撫でて通り、するりと肩に体重をかけてくる。その段階まで、向かい合う野比や高柳さんや深大寺も、隣の五十鈴もだれも気づいていなかったようだ。


「どこから聞いてた?」


 オレは言う。


 不自然な行動なのにあまりにも自然だった。学食を移動する人の気配から現れたようだったが、押しつけられる二つの胸の感触を感じるまで意識できなかった。気配を消すタイプとは違う。


 紛れてきた。


「耳が良くてね。正生、君と同じさ」


「? だれだか知らないけど」


「おいで」


 オレがそいつに話しかけようとしたそのとき、五十鈴が鬼魂石を握りしめていた。その目は完全に戦闘モードだった。


「ちーっす。あさま」


 派手なメイクの鬼が現れる。


「追い出して、とりあえずこの町から」


 冷酷な命令。


「うぃーっす」


「え? あ、ちょ、僕は彼に話があって」


「うっせーから、とっとといくぞ」


「ああっ、そんな、無慈悲だ。僕にもチャンスを……正生! ……助けて正生! 僕を助け……っあああああぁぁぁ……」


 そいつはビキニの鬼にズルズルと引きずられていく。周りの学生たちも道を開けた。華奢で、中性的な見た目の女だったが、力はないらしく抵抗はできていなかった。声は遠ざかっていく。


 助けてと言われてもな。


「知り合い?」


 オレは尋ねておく。


「知らない」


 五十鈴は言う。


 自分が命じて追い出した女を見るでもなく、アジフライを食している。特に含みもないすっきりとした表情だった。妻の行動としては夫にちょっかいを出す女を放り出しただけなので、普通ではあると思う。手段と命令は別として。


「知らないんじゃしょうがないな」


 でも口には出さない。


「知らないからしょうがない」


 オレと五十鈴はそう言って食事をつづける。


「遺伝子は理由のひとつだろうよ」


 野比が言う。


「マッサキがこれから一位を一年維持できるかはともかく、島に来てすぐに一位を取れる才能はあった訳だから、その子供はさらにヒーローに近い存在にもなる。だから」


「ごめん、もう金とか遺伝子の話はいい」


 オレは言った。


 子供をヒーローにしたいがための結婚とか、もう夫の立場で聞きたい話ではない。知らないままでいい。もう騙してくれればいい。


「あのさ」


 オレは隣の五十鈴を見て言う。


「実は、あの場では言えなかったんだけど、球磨先生以外に、結婚すること約束をしてる相手が、二人と一機いるんだけど、いい?」


 オレの発言で、正面の三人の顔が強ばる。


「マッサキ、え? いつ?」


「今日」


 野比の質問に答える。


「今日って全先くん。先生の前に?」


「前、朝から」


「あんた、朝からなにやってんの」


「オレにもわからん」


 高柳さんと深大寺に言う。


「……」


 キャベツを口に運んでもぐもぐと噛みながら、五十鈴はなにかを考えているようだった。整っている驚いているのかそうでもないのか表情が読めない。


「でも童貞なの、ね?」


 そして飲み込んで言った。


「それは、ま」


 あまり何度も確認しないで欲しい。


「ならいい。わたしが一番になるからいい」


 五十鈴は頷いた。


「それはどういう意味で」


「正生が言った一人と一機はクッキーとそのロボットでしょう。あの天才はまだ子供だから結婚するとしたら恋愛感情じゃなく計算があってのこと、つまり、もう一人の結婚相手が原因。おそらく正生は弱味を握られた」


「……」


 オレは言葉を失う。


 鋭い分析力だ。当たってる。


 よく当てたもんだが。


「つまり、現時点で五人目だとしても、恋愛感情を持ってるのはわたしと球磨だけ、ね。そして一番可愛いのはわたし。なんの問題もない」


「……」


 オレはさらに言葉を失う。


 恐ろしい自己分析力だ。迷いがない。


 よく自分で言うもんだが。


 自信の矛先が違うし、恋愛感情があるのかどうか正直オレには伝わってない。いつからそんな感情が芽生えたのだろうか。


「マッサキの弱味ってなんだよ?」


 野比が言った。


「ここで言える訳がない、でしょう?」


 先回りして五十鈴がオレに同意を求める。


「うん」


 それを秘密にするための結婚が発端だ。


「夫婦の秘密だもの、ね」


 嬉しそうに五十鈴は言った。


「夫婦の秘密……」


「夫婦の秘密だから」


 五十鈴は繰り返す。


 後で教えろ、という脅迫に聞こえたのはオレの耳がおかしいのではないと思う。なにせ呪術を遣う妻だ。とりあえず、全員の中で押しの強さは一番かもしれない。認めざるを得なかった。


「……え? 二人増えたて、兄さん。友達を家に遊びに誘ってるんちゃうで? 結婚やで?」


 昼食後の報告にクッキーは当然のことながら呆れていた。


「結婚だからオレも困ってるんだよ、はぁ……」


 オレは溜息を聞かせる。


 周囲に気配のない場所までまで移動して電話をしていた。階段など使わず、外から高等科校舎の屋根は飛び乗って、時計塔の上である。見上げるとすっかり空が曇っていた。


「相手は五十鈴と球磨なんだけど」


「!?」


 電話の向こうでガシャガシャと派手な音。


「大丈夫か?」


「つい椅子から転げ落ちたわ」


 クッキーが言う。


「戦ったばかりの二人やないの」


 見えない場所でリアクション取らんでも。


「うん。昨日の敵は今日の妻、って感じなんだが、他にも結婚相手がいると説明したら、早い内に全員揃って会うべきだという話で」


 学食で五十鈴に告げた後、球磨にも説明しにいったらそう言われた。なんか女教師がポキポキと指を鳴らしていたのが不穏ではあったが。


「せやな」


 クッキーも頷いているようだ。


「結婚しても同居になるかはわからんけど、確かに必要ではあるな。兄さん。確認やけど、ロリコンの件はまだ伝えてないな?」


「……宇宙人の件はまだだ」


 なにを言い出したのかと考えてしまった。


「まだか。ほんならまだええわ」


 電話の向こう、クッキーの周囲に人がいることを考えると隠語は必要だろうが、そっちの方が外聞が悪いのはどうかと思う。たぶん地球人のほとんどは現実感のない宇宙人より身近なロリコンを気持ち悪いと感じているはずだ。


「ロリコンのことはとりあえず黙っとく方向で考えといてくれへん? 確定とも言えんし、どこ系統の、つまりペドまで入るかとかの分類や、原因というか、どっち方面からの、犯罪的ロリコンか、思想的ロリコンかという問題が」


「その辺の話はそっちに任せるよ」


 隠語に引っ張られて内容がわかりづらい。


 解読するに、おそらく宇宙人としてオレがどういう種族なのかとか、地球への侵入経路、オヤジとの結婚が侵略目的か、恋愛理由かというような具体的な部分の話についてだろう。


 本気でロリコンの話をしてないよな?


「それで、とりあえず、学園にいるオレらは集まろうと思えば集まれるから別にいいんだが、働いてるあっちの人と連絡を取りたいんだけど。アドレス知ってる?」


 オレは用件を告げる。


 結婚相手の連絡先も知らないとか、どれだけ異常なのかという話だが、なにもかもが異常なのでもう今更でしかない。大体、ピンク髪の名字が覚えられてない。


 おうぼいん? どんな字書くの?


「ウチも知らんわ」


 クッキーが答える。


「すみに聞いてみる。集まる場所も甘根館やと遠い。どっかええ店でもないか予約してもらうわ。個室が必要やろ?」


「あ、ああ。でも、オレ金ないぞ?」


 思わず小声になる。


 一位にはなったが、支給日は二十七日だ。


「心配せんでもウチが出したる。ホンマ、甲斐性のない旦那を持つと幼妻は大変やわ」


 なんか嬉しそうに言う。


 たぶん言いたいだけだろう。


「すまん」


 素直に謝るしかなかった。


 ツッコミを入れようにも完全に事実なのでどうしようもないのがもどかしいところだ。一日で五人と結婚の約束をする男とか甲斐性がないで表現できるレベルを遙かに越えてるが。


 そして放課後になった。


 教師である球磨の退勤時刻までオレは教室でテスト勉強をしていた。成績が悪いと容赦なく留年、そして高校卒業後はほとんどが就職だと野比は説明した。大学部へ行けるのは、学ぶ意欲が学力に反映される者に限られるらしい。日本で言えば最低でも東大合格レベル。かなり厳しい。


 オレには無理だ。


「クッキー、この人バカよ」


「そやな。残念やけど勉強できんバカやな」


 数学の問題集に間違った答えを書き込むたびに横から罵倒が飛んでくる。野比たちが帰って、残った成績が良いらしいクラスメイト妻も、天才大学院生幼妻もオレの勉強を手助けはしてくれず、お喋りに興じている。


「それで、どこやったっけ?」


「エジプト、ね」


「姉さんはあれか、ミイラ化して呪うタイプ?」


「違う。クレオパトラのような」


「絨毯にくるまれてカエサルの元にお届けか」


「……」


「最期は自殺やったっけ? 縁起悪ない?」


 お喋りと言っても、互いに昨日の戦闘についてや、結婚に至るまでの流れなど聞きたいことを我慢する神経戦の様相だったが、主なテーマは新婚旅行はどこに行きたいという妄想話だ。


 オレたちは月暈島から出られない。


 ヒーローにならない限り。


「待たせたな」


 球磨がやってきて、オレたちは要塞のような学園の壁に設けられた入り口へ向かう。マタは研究室で改造中とのことで今回は不参加だが、そこに迎えに来て貰うという話になっていた。


「すみが迎えにくるらしいな、クッキー・コーンフィールド。その、こうして喋るのもはじめましてみたいな感じなんだが。同じ相手と結婚するとなるとさらにこの……困るな」


「なんや変な感じですね。ウチもヒーローとしての活躍は知ってますけど、まさか家族になるやなんて、それも同じ妻として、天才でも想像しませんよ。球磨せんせ」


 球磨とクッキーがぎこちない会話。


「伊佐美でいい」


「伊佐美。ならウチもクッキーで」


「そうしよう。クッキー」


 そしてなんか対等っぽい。


 天才ってスゲェな。


「すみとは付き合い長いんですか?」


「お互いに島生まれだから、長いと言えば長いな。最近は電話で長話するばかりだが、すみが学園の特科にいたころはよく能力の実験台にもなった。最近はどうなんだ?」


「相変わらずみたいです。ウチも協力できることがあればええんやけど、こればっかりは本人の気持ち次第やから。それでなくともデリケートな能力やし、きっかけが必要やろうけど」


「だれの話?」


 五十鈴が小声でオレに聞いてくる。


「オレとクッキーの下宿の管理人さん」


 当照さんが球磨の同級生だとは聞いていたが、能力を持ってたとは知らなかった。なんだか訳ありっぽいので踏み込んで尋ねるのも躊躇われるところだ。その前に、いざ並んで歩いてみると緊張する。全員妻とかやっぱおかしい。


 なんか周囲からの視線が刺さるし。


「一緒の下宿なの、ね」


「昨日からな」


 言ってなかったっけ。


「わたしも引っ越そうかな」


 五十鈴はぼそっと口にする。


「……」


 聞かなかったことにした。


 まだ決まっていないことだが、一夫多妻の生活がどうなるかという問題は大きい。健康な男子としてそっちの期待がないとは言わないが、童貞には荷が重いのも事実。それにこの島での戦いを勝ち抜く上で、そこまで余裕ぶってる余裕はない。オレの安息はオレが守るしかないのだ。


 いや、もう、昨日から寝てなくて辛い。


「わたしも引っ越そうかな、正生」


「……」


「わたしも引っ越すから、ね」


 五十鈴は徐々に顔を近づけてくる。


「管理人さんと話をしてください」


 オレに言わないで。


 入り口につくとほぼ同時に、町の方から猛スピードで近付いてくるマイクロバスが見えた。車体には月暈幼稚園と書かれている。


「すみ?」


 球磨の顔がひきつっていた。


「アカン」


 クッキーが目を装着した。


 動物の絵が描かれたファンシーな車体と、まっすぐにこちらに突っ込んでくるスピードのミスマッチはかなりの違和感だったが、ドリフト気味にオレたちの前に急停車するに至って、本来ならバスなどものともしない四人全員がビビったのは事実だった。


「全先くん!」


 バスから降りてきたエプロン姿の当照さんは、他の三人には目もくれず、オレの学ランの襟首を思いっきり掴んで締め上げた。


「どういうことなのかなー?」


 マジなトーンの追求。


「え?」


 顔の近さに動揺しつつ、剣幕に怯えつつ。


「クッキーちゃんと結婚って本当!? 本当なの!? そんなの、わたしがしたいんだけどーっ!? わたしがクッキーちゃんと結婚っ、結婚っ、結婚して新婚旅行して初夜して、結婚したいよぉー。どういうことなのーぉぉおおお」


 当照さんは怒りのままに叫びながら、泣き出した。言っている内容がオレの一夫多妻よりよほどメチャクチャなのはどうなんだろう。


 ずるずると地面に崩れ。丸まってしまった。


「すみません」


 どういうことなのか聞きたいのはこっちの方ですとは言えなかった。オレの運命の相手はかなりアレなのかもしれない。あくまで外見が弱点ってだけだから仕方ないことかもしれないが。

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