第48話 指導教化
降参して一晩が過ぎた。
あまり戦闘する気分でもなかったので、朝食は控えめ十人前程度で済ませて、五十鈴あさまは学園に向かう。青空が広がっていた。気分が少し楽になったように感じるのは気のせいだろう。
呪いという重荷が術者から消えることはない。
兄を殺した相手への復讐。
目的を自ら手放してみたものの、憎しみの気持ちが消えてなくなる訳でもなかった。戦闘中の事故ではある。だが、事故の原因は間違いなく相手にあったのだという気持ちも変わらない。
鎖鬼と兄が結ばれるきっかけを作った男。
兄が親友だと思っていた相手。
(殺さないで勝つことはできたはず)
あさまの確信も揺らいではいなかった。
全先正生との戦いで起こった変化はひとつ。
(手段を選ばなければ、あいつと同じ)
復讐へ至る道筋。
自分が使役する鬼たちまでも共食いをはじめ、かつて兄が陥った敗北要因と同じ状況が生まれたのを目の前にして、あさまはようやく兄が鬼を家族と言った意味を理解できた。呪いは諸刃の剣であり、鬼との間に信頼がなければ、鬼喰によって鬼に食われるのは、術者自身なのだと。
少し光が見えた気がした。
(お兄ちゃん。わたしヒーローになるよ)
あさまは決意を新たにする。
(ヒーローとしてヒーローを断罪する)
復讐であることは変わらない。
憎しみがなくなった訳でもない。
殺したい気持ちもまだある。
だが、なにもかも相手に罪を認めさせてからだ。そのためにヒーローとしての正義が必要になる。それが確かに見えていた。そのために戦っていくのだと思えば迷いはなかった。
一位への再挑戦。
登校中のあさまに向けられる視線は冷ややかなものだった。だれも話かけてこないのはいつも通りであったが、敗北したことで見下されている雰囲気がある。
だれもが勝った気のようだった。
(自業自得、自業自得)
それこそ戦う気の有無さえ無視して呪いを無差別に振りまいてきたのだから仕方がない。あさまはそう思いながら、教室に入り、クラスメイトが嬉しそうに自分を見つめることを受け入れる。
(全先くんは、まだ来てないの、ね)
隣の席を見つめる。
(どんな顔をしてくるのか)
あさまはそれが少し楽しみだった。
勝者と敗者が席を並べて授業を受ける。なかなかない状況だった。そこで気まずいのは圧倒的に勝った方だろう。その態度で人間としての度量が見られる。面白くない訳がない。
勝っても、勝ち方を評価される。
それがヒーローなのだ。
(気を遣うのか、平然を装うのか、露骨に無視するのか、死刑回避が目的の模範的ヒーローを目指す男がどうするのか、見せてもらうわ)
負けたのに精神的優位。
そして、始業十分前に全先が現れた。
「おはよう」
球磨と共に。
「うっ……す」
新たな一位の目が死んでいた。
担任教師と腕を組んで現れた男の姿に教室内がざわめく。二人はぴったりと密着、大柄な球磨が全先の頭に頬を寄せるような恋人風ではあるが、男の方の両足は自立せず、入ってきた形のまま斜めになっている。
(引きずられてる)
あさまは首を傾げた。
昨日、担任教師の襲撃を切り抜けて自分と戦ったはずだ。実際には予想を立てただけなので確認はしていなかったが、なにがあったのか。
「先生と全先はこの度、結婚することになった」
球磨が宣言する。
「!」
思わずあさまは立ち上がった。
だが教室内に広がった歓声と騒ぎの中では目立つほどでもなかった。ほとんど全員がスタンディング状態だった。はやし立てる口笛、なぜか納得しつつの担任への祝福、拍手、クラスの女子は喜んだ顔が多く、反面、男子の表情は暗い。
(結婚?)
あさまは静かに着席する。
様々な思考が吹き飛んでしまった。
「承諾しちゃったのかよーっ!」
野比が半笑いで叫んでいた。
「あーあーあー」
深大寺は複雑な表情を浮かべている。
(あの二人は理由を知ってるの、ね)
知りたい。
すぐにあさまは近寄って幼なじみのどちらかに話しかけたい衝動にかられたが、何年も疎遠になっていることを思うと躊躇してしまう。
(……)
自分自身がじれったかった。
「書類はまだだが、そういうことなので不適切な関係ではない。教師としての職務に影響は出さないようにする。問題があるようなら指摘してくれればいい。その場合はクビになるのも致し方ないだろう。先生は愛に生きることにした」
担任はそれだけ言うと、全先の頬に熱くキスをして教室を出ていく。新たな一位はそのまま床に倒れ、集まってきたクラスメイトに囲まれた。
始業のチャイムが鳴る。
「……」
隣の席に着席した全先は机に突っ伏す。
小さく震えている。
(話ができる状態じゃないみたい)
事情はともかく、心から望んでの結婚ではないらしいということはあさまにもそれでわかる。目を隠し、唇を噛みしめ、耐えている。なんだか見ていて切なくなる横顔だった。
二限は体育。
「よーし、では準備運動」
球磨が号令をかけるのは最初だけだ。
なぜなら学園においてこの授業は基本的に息抜きだからである。ランキングに身をおく者は体調を整え、それ以外の者も軽く身体を動かす。それで十分なのだ。普通にやったところで身体能力に差がありすぎて多くのスポーツが成立しない。
「正生はこっちだ」
だが、球磨の授業はここからはじまる。
「え?」
「呼び捨てはイヤか? マサくん?」
担任教師が女を見せる。
(女教師!)
あさまの背筋が震えた。
「! 正生でいいです。はい」
とても夫婦になる人間のする会話でもない光景にクラスの注目は集まる。相手は違っても、球磨の授業ではいつものことでもあった。気に入った生徒に対して行われる個人指導。
「本気の依怙贔屓ってどうなるんだろ」
だれかが言う。
「手加減するのか、逆に激しくなるのか」
(激しくなるでしょう、ね)
広いグラウンドで十分に距離を取った二人が向かい合うのを見ながら、あさまは思う。ヒーローになってから継承した空気熊ではなく、球磨本来の能力を用いるのならば間違いなく。
「さあ正生! 遠慮せずに本気で来い! ここでは夫でも妻でもない! 教師と生徒だ!」
球磨が叫んだ。
ジャージを脱ぎ捨て、シャツとスパッツ姿になって構えを取っている。クラスメイトたちは注目していた。いつもの依怙贔屓とは雰囲気が違う。明らかに力をセーブする気がない。
「本気って、体育ですよね!?」
全先が戸惑うのも当然だったが。
「来ないならこっちから行くぞ!」
説明して安心させる球磨ではない。
(
「おぐ!」
拳が容赦なく鳩尾を穿つ。
「どうした! その程度でヒーローか!?」
全先の反応はそれほど鈍くなかったが、元ヒーローの最初からの全開には対応できていなかった。そもそも戦う状態になっていない。
あっさりと地面に崩れる。
「さあ! 先生のすべてを教えてやる!」
だが、それを容赦なく蹴り飛ばして、球磨は全先を吹き飛ばす。そこからは一方的だった。体中のありとあらゆる部位を、ありとあらゆる技で攻撃していく。
「ふふふふふ、学べ! 先生から学べ!」
喋りながらも連打はまったく緩まない。
「あが、ぐ、げ」
翻弄される全先。
(夢魔で強化された肉体が相手に与えるダメージを最大化する代償として、使った技が相手に伝授される。自称、愛の鞭)
相変わらず恐ろしい能力だ。
あさまは思う。
敵に技を教え、敵を強くすることで、さらにそれを乗り越える自分も強くなる。体育会系の究極能力とも言われるのが指導教化であった。
あらゆる格闘技術を修め、シンプルに強かった球磨のヒーローとしての引退が早かったのは、敵を強くしてしまうその能力が機関に恐れられたからだとも噂されている。
「そんなことで先生を抱けるか!」
(なに言ってるの、この女教師)
あさまは呆れる。
サディストとは因果な性的嗜好だ。
「ご、ぶご」
全先が抱きたくないと首を振ったようにあさまには見えた。技を伝授されても、精神が持たなければ強くはなれないのがこの能力の欠点だ。
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