第42話 明日からのこと

 握りしめたヒロポンに吸い込まれるように降参した五十鈴の姿が消えた。役場のサレンダー部屋とやらへ移動したのだろう。


 すぐに雨は止み、空を覆っていた暗雲が途切れて暖かい光が差し込んでくる。まるでオレたちの勝利を祝福するかのように。


「……降参?」


 だが、オレはクッキーを見て確かめるように言う。


 どうも実感が湧かない。


「いきなり物わかり良過ぎじゃね?」


「そら、鬼同士が食い合ったら今後の戦力ダウンを避けられんやろうから、ここで意地張って粘るより、今日はウチらに負けとくのが順位的にも得策っちゅうことなんやろ」


 びしょ濡れになった頭のお団子をほどいて、クッキーはマーブルの髪を水気を払うように振り回した。天才少女も疲れた表情をしている。


 勝った喜びより、全身に残るだるさ。


「あと十二ヶ月これを繰り返すのか?」


 思わず口走って、晴れていく空を見上げた。


「キツいな」


 ランキングの厳しさ。


 地球を守る重みなんだろうとは思うが、途方もないという実感だけが確かにあった。この感覚はリアルな手応えという気がする。


 ヒーローがひとつの戦いに勝ったところで、侵略宇宙人がいなくなる訳でも、宇宙が平和になる訳でもないというリアルさ。


 現実は徒労との戦いなのだろうか。


「兄さん、今はそれ言わんといて。ホンマ、なんやもうアカン。一位になった途端に気持ちが折れそうや。降参したのに妙に笑顔やったんはそういう意味かな?」


「やっぱ笑顔だった? オレにもそう見えた」


 クッキーの言葉に頷く。


「実際のとこ、鬼の共食いになってなかったら、勝敗もわからんかったし、ウチの作戦ほとんど使えへんかったし、キュイ・ダオ・レーンは使うてしもたし、マタはおかしな進化をはじめたし、予定がくるっくる狂っとる」


 クッキーはふらふらと歩き出す。


 甘根館の方向だ。


「一位にはなった。反省は明日にしよう」


 天才も現実と戦うのだ。


 オレは隣に並び、背中をポンと叩いて励ます。


 世界の秩序にケンカを売ろうというのだから、この島ですら思い通りにならないのは非力を感じるところだろう。頭脳では役に立てないだろうが、気持ちの支えぐらいにはなってやらねば。


「せやな。マタ。キュイ・ダオ・レーンを回収して工場に戻しといて。あと、終わったら着物は脱いで、セルフメンテナンスや」


「リョウカイ」


 クッキーの命令でマタは逆方向へ移動開始。


「ところで、どんな状態だったの?」


 その濡れた銀のうなじを見送りながら、オレは確認事項を思い出した。戦闘中で追求できなかったが、非常に重要な問題である。


「なにが?」


「いや、あの金ぴかの鬼をマタが」


「兄さん。ウチに説明させんの?」


 冷ややかな上目遣いでクッキーは言う。


「え、映像データとかあるんだろ?」


「消しとくわ」


 食い下がったオレを、テヤン手で突き飛ばしてクッキーは駆け出した。まさに痴漢から逃げ出すというような具合の勢いである。


 間違っていない。


「アホ! どっちがヒーロー不適格やねん!」


「……」


 オレだろうな。


 テロリストの息子であるかどうかは別にしても、あまり育ちが良い方ではない。人間としての高潔さを求められても困るのだ。努力はしたいが、生まれ持った性質はそう変わらない。


 午前八時前に一位が陥落。


「よかったー。クッキーちゃん、おめでとー」


「大したことあらへん」


 甘根館に戻ると当照さんに無事を喜ばれる。


「……」


 とりあえず笑顔を曇らせずに済んだ。


 そしてオレはしばらく使っていなかったという男湯まで準備してもらって、温泉にゆっくり浸かって、さっぱりした後に空き部屋で夕方まで眠らせてもらう。布団に入ったらストンと意識が途切れた。思ったより肉体も限界だったらしい。


 その間、島では熾烈な戦闘があったようだ。


 トップの結果が出て、一位を取れないとなれば、もう後はひとつでも順位を上げて、次のボーナス支給額を増やすしかないという明確な目標が出来たというところだろう。データによればかなり上位も入れ替わっているようだ。


「これがランキング本来の活気やけど」


 クッキーは言う。


「呪いが解けた、ってことか」


 オレは頷く。


「そんな感じやね。思てたより姉さんの影響力が大きかった。どんだけアホな男が呪われてんねんっちゅう話やけど」


「お待たせしましたー。追加でーす」


 目を覚ましたオレは当照さんの勧めで夕食をご馳走になる。元温泉旅館らしく用意された浴衣に着替えて、指定された二階の大広間に行くと、そこにはすでに立派な船盛りが用意されていたが、料理はどんどん増えていった。


「ありがとうございます」


 オレは遠慮せずどんどん食う。


 落ち着いて当照さんと話をすると緊張しそうだからだ。海の幸、山の幸、料理してくれている気持ち、すべてを無駄にはできない。


「えらいもんや、ホンマ」


 クッキーはもう食事を終えていた。


「すみ、もうええと思うわ」


「でもまだ」


「兄さんの胃袋に合わせてたら終わらん」


「んも、んぐ」


 オレは慌てて飲み込んだ。


「はい。オレの腹具合は気にせず、今日使い切らなきゃいけない食材でなければ、十分に堪能させていただきました。おいしかったです」


「そー? なら、片付けていくよー?」


 当照さんは会釈して空いた皿を持って行く。


 オレは残りを平らげていく。


「兄さん。食べながらでええから聞いてな。明日からのことなんやけど。流石に一位になるとウチはチームの弱点として狙われると思う」


「んむ」


 オレは頷いた。


「結局のところ、現行のスペックのままマタの性能を十全に引き出すには、今日みたいに一体が封じられられても次々に出せる数が必要なんやけど、一位のボーナスを含めても量産は無理や」


「ん、無理なのか?」


 天才の意外な諦めの言葉にオレは尋ねた。


「言うても工業製品やからな。資金が足らん。ウチの計算では一千万機で軽自動車並みの値段まで安価になるんやけど、それでも十二ヶ月で十五機程度、鬼の便利さに比べたら話にならん」


 難しい顔をして、クッキーは言う。


「そうか」


 ロボットはだれでも使えるのが最大の利点だが、それによって地球を守るというのは、個人の特別さを強さに変えるヒーローの概念とは逆の方向性だ。この島のランキングには馴染まないコンセプトということかもしれない。


「なら、どうする?」


「マタ一機を強くする」


 クッキーは次なる目標を定めていた。


 切り替えの柔軟さも天才の証拠だろうか。


「この島で勝ち残るにはやっぱりヒーローにならなアカン。ウチの主義には反するけど、量産仕様は捨ててスペシャルな家政婦オートマタを仕上げることにするわ」


「だな、各家庭一機として売るつもりなら、みんなが認める宣伝用の機体も必要だろう。それがいいんじゃないか?」


 気持ちを盛り上げるようにオレは同意した。


「兄さん、ようわかってる」


 クッキーはにっこりと笑った。


「問題はそれが完成するまで、弱点になるクッキーをどう守るか、ってところか。今日みたいに学園近くから穂流戸市まで走っていつも間に合うとは限らないし、間に合わなきゃ終わり」


 悩ましいところだ。


 設備がある場所でなければマタの強化もできないが、オレと離れれば狙われる。今回の五十鈴は結界を破ったというし、工場も安全とは言えない。だからと言ってオレが学園に通わないという訳にもいかないようだ。


 日常生活を送りながら、戦いもする。


 ヒロポンに記載された細かいルールを読むと、この二重生活の両立はヒーローの義務であるらしい。オレの身分は高校生なので、高校生の責務を最低限果たさなければならない。


 退学はもとより、留年も厳禁となっている。


 ヒーローが進級できないというのは確かにあまり世間に顔向けできるものでもない。人間性の規定はないが、社会性に関しては常識を弁えろということだろうか。罰則はないが、機関にヒーローとして認められるかは微妙なラインだ。


「そこで、ウチも学園に戻ろうと思う」


 クッキーは言った。


「え? 小学生やんの?」


 オレは驚く。


「大学部に籍はあんねん。院生」


「あ、天才でしたか」


 そりゃ当然、飛び級してますね。


「そやから、しばらくは兄さんと一緒に行動することにする。学園への行き帰りも含め。すみに頼んで、甘根館に部屋を用意してもろたから、兄さん、今日中に荷物をあの初期拠点から……」


「……ぶっ!?」


 説明を聞いていたオレは飯粒を吹き出した。


「なんやの。きったない」


 クッキーの顔面に飛ぶ。


「オレ、ここで暮らすの?」


「そうや? 問題ある?」


「い、いいえ? 別にないですけど」


 女性ばかりの下宿に、男ひとり。


 なんの問題があるだろうか? いや、ない!


 ないね?

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