第24話 運命への抵抗
最初に立ち上がったのはクッキーだった。
「そこや! 兄さん! いったれ!」
手を振り上げ聞こえない声援を送る。
「……」
あさまは目を凝らす。
結界内は砂と土の煙に飲み込まれ、見えるのは全先を追いかけているであろう岩倉の三十メートルに達するかの上半身のみ、それでも観客席からは圧倒的な優勢に見えていた。
だが、観客席がどよめいたのは直後。
拳を振り下ろした岩倉の巨体が傾き、茶色い煙の中から赤く染まった白い制服が飛び出した瞬間だった。渦巻く煙を捻り切るように伸ばした脚は巨人の眉間へとまっすぐに突き刺さる。
急所攻撃。
「ウソ」
思わずあさまも立ち上がっていた。
フランクフルトの串が落ちて散らばる。
(一発逆転!?)
そんな言葉が脳裏を過ぎった。
音こそ聞こえなかったが、結界内の淀んだ空気が一気にクリアになる猛烈な衝撃が生じたことはだれの目にも明らかだった。観客は総立ち、巨大な岩倉の身体が浮き上がって仰向けに倒れるのを見つめる。
「決まったぁああッ! 大金星やぁああ!」
クッキーが叫びながら、目のデバイスを外して両手を突き上げた。それに呼応するように感嘆の声が客席を広がっていく。まさかの光景だった。吹き飛んだ岩倉の身体が縮んでいく。
能力の解除。
それは気絶を意味していた。
(脳を揺さぶって夢魔による能力そのものを断つ? すべてが計算通りだとでも言うの?)
あさまには信じられないことだった。
「クッキー、あなたが……」
「ウチはアドバイスなんかしてへんよ」
話しかけられるのはわかっていたという風に言葉を遮り、クッキーは笑うと、その背中のランドセルが腕の形に変形し、機械の指であさまの眉間をつつく。
「次は姉さんのここが危ないな?」
うれしそうに言った。
「……」
気が早い。
あさまは機械の手をどかして視線を戻す。高く打ち上げられた岩倉は人間のサイズに戻って落下すると透明な結界の表面で大きな60秒のカウントダウンがはじまる。
気絶一分でKO勝利。
「兄さん、やっぱり動けへんみたいやな」
「……」
クッキーの声に全先の方を見ると、キックの反動で地面に叩きつけられたところでうずくまっている。どうやらただの急所攻撃ではなく、リスクを負った決死の一撃ではあったようだ。
(けれど、それだけで?)
摩天楼建立の恐ろしさは巨大化することではなく、巨大化するほどのダメージを受けても平然と戦える岩倉のタフネスそのものだ。
それは敵であった宇宙人と地球人のハーフを父に持ち、巨人と地球人のハーフを母に持つという今の地球では希な強靱さを持つ肉体と、その特異な経歴によって育まれた精神力の賜であることはよく知られている。
急所を打たれるぐらいのことは耐えてきた。
(実際、全先の最初の攻撃で顎を殴られたように見えたけど、全然堪えていなかった)
それで勝てた訳ではない。
巨大化すれば人体の急所が大きくなるなどということはだれでも考えることであり、そこを狙われるような戦闘をこの島でいくつも潜り抜けている。巨大化の重量を含めたカウンターであれ、そう簡単に気絶には持ち込めない。
「兄さんのパワーがここまでとは、やろ?」
クッキーが頭の中を読むように言う。
「……」
あさまは無言で応じる。
カウントが30まで減っている。
(潜在能力)
改造されたことによって得た後天的な能力だとすれば破格だ。全先個人の資質もなくはないだろうが、明らかに能力に振り回されている段階でここまでの力を発揮できるとすれば、機関は単純な保護ではなく、本気でヒーローにするつもりで島に連れてきたのかも知れない。
(だとすると、本当にわたしの邪魔に)
観客席がどよめいた。
「あれで立つん?」
クッキーが頭を押さえる。
カウントが16で消滅。
「岩倉宗虎」
あさまは男の名前を口にしていた。
吠えている。
拳を握りしめ、天に向かって。
結界の外に声が聞こえなくても、その悔しさの滲んだ音は観客に響いていた。それは声援へと転化して闘技場を包む。生の死闘だけが伝えることのできる実感がそこにある。
「やっちゃえ」
あさまも応援していた。
ヒーローになれるとだれもが認める力を持ちながら、何年もそこに到達できない男、そこへ向けて努力をつづける男、その戦いぶりは多くの島の住民の感情移入を誘っている。
(同じだから)
参加者はもちろん、かつて参加者だったもの、その家族として島で生まれたもの、そのほとんどがこの月暈島を出ることを許されずに一生を終える。その運命への抵抗には共感する。夢を託してしまう。
特殊な能力を持つが故に。
「なんや、あれ」
目の前で岩倉の身体が変わっていく。
鍛え抜かれた筋肉を、光沢のない金属の色へと変貌を遂げさせながら、立ち上がれずにうずくまる全先の方へと歩いていく。
「潜在能力でしょう、ね」
あさまは言った。
総立ちの観客が息を飲んで、会場が静まり返る。明らかに強くなっている。能力が破られることで変化することはよくある。多くの場合、変質して別のものになってしまうか、弱体化するものだが、岩倉の精神力はやはりタフだった。
あの色がそれをストレートに表している。
おそらくはさらにダメージを受けられる肉体を。
「もっと強固な力を手に入れた」
あさまはつぶやく。
岩倉が駆け出す。
この決闘を終わらせるために。
「兄さん、ようやったよ。ウチは見てた」
クッキーも諦めた。
歓声が会場に戻ってきた。岩倉と全先、両方を応援している。健闘を讃えている。互いに全力を尽くし、力を振り絞った。勝者と敗者、どちらになろうともこれはヒーローを育む戦いだ。強い者同士がぶつかりあってこそ、良い戦いになる。それを認めているのだ。
(わたしは)
あさまはサングラスを外して直にそれを見る。
眩しかった。
(それでも、わたしは…………)
60秒のカウントダウン。
結界にそれが浮かび上がったのは岩倉の拳が全先に届く寸前。観客席にどよめきが起こる。事故だ。気絶した相手への追い打ち。戦いの中ではわかりにくいそれが死者を出す。
「アカン!」
クッキーが悲鳴を上げる。
(本当に死ぬ)
島に来てたった四日で。
あさまも固唾を飲んだ、その瞬間。
「!!」
だれもが目を疑う。
岩倉がうつ伏せに地面に叩きつけられていた。立っているのは全先、だがカウントは消えていない。気絶したまま、反撃している。
「これが兄さんの潜在能力か!」
クッキーがあわててデバイスを装着する。
「間に合わない」
あさまがそう言ったときには、脚を掴まれた鉛色の肉体が結界に投げ飛ばされ、そこに瞬間的に移動した追い打ちのパンチが容赦なく叩き込まれていた。
(見えなかった)
あさまは震える。
高速の戦闘をいくつも見てきているはずの観客たちの視線もその姿を追えていない。これまでの力とはまったく別次元の力になっている。
「結界が!」
だれかが叫んだ。
信じられない光景にあさまは硬直する。
ピシ、ピシピシ。
空気を引き裂くような音と共に、岩倉の体が闘技場の外へ吹き飛んでいったのだ。それは当然、結界が破られたことを意味する。かつて地球を守った月暈の一層を成す強固な壁が。
「ありえへん」
「ありえないのよ、ね」
あさまとクッキーは顔を見合わせ、落下した全先を見つめる。仰向けに倒れた隣席の男はピクリともしない。だが、それでも結果は明らかだった。
決闘史上前代未聞の場外勝利。
それが全先正生の初勝利となった。
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