第18話 自己正当化

 決意する。


 長く考えたところでオレの頭が正しい判断をできるとは限らない。先のわからないことは思い切って踏み出すしかないのだ。結局、事態の動きを見て対応していくしかない。ヒーローになるかテロリストになるか、そんなのは世間の評価だ。


 オレの自由になるもんじゃない。


 眠りは浅かった。


 一晩ハンガーに吊しておくだけで本当に元通りになっていた制服でオレは夜明け前に学園に向かい、早朝の散歩をする町の住人数名とすれ違うくらいで、まだ昇降口も開いていない高等科の校舎にたどりつく。


 まずは矢野さんのパンツを返したい。


 実際のところオレが聞いたのは名前だけで学年もクラスもわからない。昨日見た限り、中等科と高等科の制服はデザインが違っていたので、高校生であることは間違いないはずだが、事情が事情であり、できればこっそりと渡したかった。


 予期せぬことが起こりそうで怖い。


 普通の人なら教室に行ってちゃんと畳んでそれとわからぬようにした包みを渡せば終わる。けれども、初対面の一度きりだけしか会ってないのにこういう警戒をするのも失礼ではあるが、矢野さんは違うような気がするのだ。


 オレの想像力の上を行く存在。


「下駄箱に入れちゃうのが早いとは思うんだが」


 ロッカーと違って鍵があるわけではないから、場所さえわかればそれでいいのだが、矢野さんはなんかその場で包みを開けそうな感じがする。


 オレは一度ラブレターを渡したその場で読まれたことがあるのでそういう恐れを抱くのかもしれないが確実に空気を読んではくれないタイプというのがいるのだ。家で開封してくださいとかメモをつけても読んでくれる気がしない。


「確実にその場で開けるよな」


 オレはそう思っている。


 もちろんその場で開けて、周りの人に自分の下着を見られて恥をかくのは彼女の方であり、そこまでオレが関知する事でもないとは思うのだ。だが問題はパンツを後で履けばいいという発想で生きている人間がそれを恥とは感じないだろうということと、その際にオレの名前が飛び出しかねない危険性だ。


 それなに?


 周りの人が常識的であれば確実に矢野さんに尋ねるであろう言葉、それに対して昨日の事故のあらましを語られたら終わりなのである。オレのことを新入りとは認識していたから、転入早々女子のパンツを洗った男という称号をいただいてしまう可能性が高い。


 そんな危険は回避しなければいけなかった。


 事故はオレの不注意で自業自得ではあるのだろうが、だから甘んじて受けるというものでもない。普通の相手ならそんな不名誉は起こりえないのだから。


「どこかで隠れて様子を見て、登校してきたところに自然に合流しつつ、目立たない場所に誘導して、手渡しするのがベスト」


 オレは昨晩から脳内で行ってきたシミュレーションを繰り返す。目立たない場所に誘導、というのが空気を読まない相手には一番の困難ではあるが、ここはクリアするしかない。


 朝か放課後かは悩んだが、昨日遅刻していた矢野さんならば、今日は早めに出てくるだろう。二日連続の遅刻なんて人間性を疑われる。その意味で時間の余裕はあるはずだった。


 そう思ったのだが。


「……遅刻上等タイプだったか」


 始業まで矢野さんは現れなかった。


 昇降口が見える学園内の木の上で二時間以上も待っていたが、想像力の問題の前に相手の生活スタイルというものもあることを忘れていた。


「朝からお疲れの様子、ね」


 席に着こうとすると五十鈴がこちらを見ずに言う。なにやら口元が笑って見えるのはオレの被害妄想ではないだろう。


「穏やかに暮らすための島でもないだろ?」


 オレはバッグを机にぶら下げ着席する。


「心掛け次第でしょう。身の程を知るとか」


「ならオレに一位を譲るといい」


「あなたバカなの、ね」


「どういたしまして、だ」


 刺々しい応酬になる。


 教室最後尾で別に注目は集めなかった。結局、教室全体にそういう空気がある。普通の授業が淡々と進む中、オレはそう思う。野比と高柳さんのカップルが少し異質なだけで、クラスメイトのほとんどはランキングを巡るライバルなのだ。最下位のオレを敵視してる人間がまだ少ないというだけである。


 その点で五十鈴は一位の癖に余裕がない。


 なぜだ?


「マッサキ、ヒルメシ、今日はどうするよ?」


 野比は今日も呼びに来た。


「学食のつもりだけど」


 オレはバッグを掴んで立ち上がる。


「その前に用事がちょっとあって、矢野白羽さんって人に会いたいんだけど、野比、学年とクラスわかるか? 名前しか聞いてなくてさ」


「やの? しらは?」


 野比は大きく首を傾げた。


「だれの話?」


 深大寺がやってくる。


「やのしらは、って芙子知ってる?」


「やのしらは? 聞き覚えないな」


 野比の質問に深大寺も首を傾げた。


 正直、意外である。


 あの奇妙な雰囲気だからもっと目立っているかと思ったのだ。島の暮らしが長そうな二人も知らないとなると、人付き合いをしないタイプなのかも知れない。それはそれでありえそうではある。


 周囲に人を寄せ付けないタイプの天然。


 ランキングを一通り見て名前は見あたらなかったので、だれかとチームを組んでるんだろうから、あんまりいろんな人に聞いて回るのも最下位の立場だと襲撃狙いの情報収集っぽくなるので嫌なんだが。


「え? 二人とも矢野さん知らないの?」


 だが、廊下にでて合流した高柳さんが知っていたのでオレは安堵する。でなければ放課後もどこかで隠れ潜む羽目になるところだった。


「へー、静香ちゃんが知ってるのか」


 野比が意外そうに言った。


「うん。ちょっとね。いまの時間なら図書館にいると思う。矢野さんは読書家なのよ」


「静香、本好きだもんね」


「そっか、ありがとう。行ってみる」


 図書館は学園内にひとつ、大学の方だった。


「マッサキ、メシは?」


「別にオレ待たなくていいから」


 野比の声に答えながら、オレは駆け足気味に移動する。読書家で図書館、周囲の目線など心配事を回避する上でこれ以上の場所はない。


 ラッキーだ。


 昇降口を出て、学園内に溢れる人にぶつからないように注意しながら走ること数分、他の建物から独立した図書館に到着する。


「……」


 学園案内の地図上でイラスト化されていたイメージ通りの形はしているが、実際は蔦の絡みついた怪しい洋館だった。しかもなぜか学園内にも関わらず高い鉄柵に囲まれている。


 ほぼ見た目はお化け屋敷の類。


「幽霊ぐらい出るか」


 そう言って、オレは頭を掻いた。


 高柳さんが雪女で、妖怪だって人間らしいのだから、幽霊なんか元人間で大した問題ではない。ドラキュラとかフランケンシュタインの怪物とかはちょっと勘弁してもらいたいが。


 いや、改造されたオレがその怪物の類か?


 そして実際のところお化け屋敷だった。


 洋館を囲む鉄柵の内側に一歩足を踏み入れた瞬間からオレは身体にまとわりつく気配を感じはじめる。五月の陽気が一気に消し飛ぶ寒々しい気配はコートに積もる大雪を思い出させた。


 館正面の両開きの扉を開けるとさらに冷たい。


「さっぶ」


 唇が震えていた。


 気温は下がっていないはずだ。


 受付もなく係員もいない。


 見渡す限り本棚、壁一面、かなり高い天井までの本棚が人が一人やっと通れる程度の隙間で詰め込まれている。そこに詰め込まれた本の一冊一冊がこの寒々しい気配を作り上げている。


 背表紙からはなにもわからない古びた本ばかりだが、そこに宿っている気配は下手な人間より強い。鋭く攻撃的な力がひしめきあっている。ただの本を並べてある訳ではないのだろう。


「……」


 オレは気になった一冊を手に取ってみる。


 タイトルすら何語かわからない。ページを開いて詰め込まれた文字を見てももちろん意味などわからないが触れた手から伝わってくるものは部屋を支配する気配とは真逆に熱い。内容が気になる。一体これはなにを書いてあるのか。


「読書家の資質があるのかしら」


 本をじっと見つめているといきなり肩に手を乗せられてオレは固まる。横を見るとメガネをかけた背の高い女性が横から本をのぞき込んでいた。


「あら、読めてはいないようね」


「わ、わかるんですか?」


 オレは女性を見上げる。


「ええ、読書家なら本と夢魔で共感しているから、別の能力でその本を選んだとわかる」


 女性はするりとオレの手から本を取ると、大事そうに本棚へと戻した。黒い髪を素っ気なく束ねた化粧の香りもしない、シンプルすぎるファッション。無表情ではない、だが表情に生気も感じない。気配を察知できなかったというより本の気配の中から現れた感じだった。


 矢野さんと似たような。


「ごめんなさい。ここの本はどれも強いから」


 女性はメガネの弦を押さえて言う。


「読書家でない人には猛毒にもなるのよ。上手く本と共感できないと影響だけ受けることになる。本に操られる人生なんて嫌でしょう?」


「それは……そうですね」


 どうやら読書家とは能力の名前らしい。


 操られる?


 呪いみたいなことを言うな。


「あの、オレは全先」


「全先正生くん、さがしものなら奥」


 自己紹介をして、読書家であるらしい矢野さんのことを尋ねようとしたが、女性は先回りをしたかのように言うとくるりと踵を返して歩いていく。そして本棚の陰に消えると、わずかな気配さえもわからなくなった。


 なんだか本当に幽霊っぽいな。


「奥、か」


 さがしもの?


 探している人のことを言っているようにはまったく聞こえなかったが、とりあえずオレは奥に向かう。あの女性も含めて、読書家というのが不思議な人物を指すのなら納得する面もある。


 そして本当に矢野さんを見つける。


「……」


 本棚の前にしゃがんで一心不乱に読み耽る姿を見て、オレは声をかけるのを少しためらった。あいかわらずの寝癖のような頭だったが文字を追っているだろう目の動きは激しく、事故るような気配の薄さは消えて鮮烈な気迫があった。


 邪魔はしたくないけど。


 横で見て待ってるという行動もだいぶ気持ち悪い感じがするのでこれは仕方がない。しゃがんだスカートから太股が見えててちょっと危ないとかそういうこともある。今日はちゃんとパンツを履いててくれるかどうかとか。


「矢野さん」


「……」


 小声じゃ届かないか。


「矢野さーん」


「……」


「矢野さん、矢野さん」


「……」


 肩でも叩くべきか。


「矢野さん」


「………………」


 肩を叩いても反応はなかった。本のページをめくる音だけ、こちらに一切の意識が向いていない。力なんか入れてないから痛くもないはずだけれども、流石に無反応が過ぎるのでは。


「矢野さん、ちょっといいですか?」


 オレは少し押してみる。


「……」


 反応はない。


 読書家という能力は戦闘用ではない、と言われればそれはそうだろうと思うだろうし、学園内で襲撃を受ける訳ではないから集中力のすべてを注ぎ込むのも間違いではないのだろう。


 けれども。


「……」


 オレは本と矢野さんの顔の間に手を入れてみる。読むことを妨害する行為だったが、反応はやはりない。ページを見てもとても文字には見えない線がのたくってるだけなので能力で読んでいるだけなのかもしれない。


 どこまでいけるのだろう。


「矢野さん?」


 脳裏に不埒な考えが過ぎるのを誤魔化すようにオレは声を大きくして呼びかける。すると矢野さんはこめかみから髪を掻き揚げ、耳を露出させる。反応したのだろうか。


「……」


 だが本を読むのを止めない。


「……」


 オレは生唾を飲み込んでいた。なにか悪いことをしている気がする。女子の耳をじっと見つめる経験などなかった。なんだかいやらしいことをしているのではないか。


 ヤバい。


 奇妙な形で音を受け止める器官。しかし今は音が届かない器官。聴覚がだめなら触覚はどうだろう。指先で触ったら流石に気付くはず、音を受け止めて穴の奥へ滑り込ませるように撫でたら。


「だ、ダメだ」


 オレは首を振った。


 ヒーローになろうって人間が欲望に負けてどうする。セルフスペースでもアレなのに、ここは学園内の共有スペースだ。今のオレはダメだ。タガがゆるんでいる。いっそ、もう下着の入った包みを置いて帰ればいい。


 本に集中してる矢野さんが気付くか?


「……」


 望み薄だ。


 本を読み続けるモニュメントのような横顔を見ないようにしながら、オレは思案する。下着の入った包みを置き忘れさせるのはかなりよろしくない。なんとなく責任を感じる。


 いっそ大声を出せばいいのかもしれないが、この特殊な気配の図書館の利用者は当然特殊だろうから余計なトラブルになりそうな気がする。マナーは弁えたい。


 だからと言って肩以外の場所に触れて気付かせるのも困難だ。なんと言ってもオレの理性が危うい。とっくにいやらしいことを考えた。男としてエロいことは否定しないが、欲求のままに行動することを肯定もできない。


「頬……なら」


 思考と身体はバラバラだった。


 オレの指先は矢野さんの白い肌に向けてもう動き始めていた。別にこのくらいはスキンシップの内だろう。イケメンなら許されるのだから、イケメンでなくても許されるかも知れない。自己正当化が背中を猛烈に押す。


 ダメでもほっぺたに触れる訳で。


「矢野さん」


 アリバイとしての呼びかけ。


「聞こえませんか?」


 気付かないんだからしょうがないよ。


 ふにっ。


 指先が弾力に押し返される。寒々しい気配の中で、それはあたたかく。そしてやわらかだった。感動的ですらある。深大寺を小脇に抱えたときはなんとも思わなかったが、目の前の女子に、オレはなにか特別なモノを感じているのだろう。


 惚れたのか?


「……」


 まだ矢野さんは本に没頭している。

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