第19話 岩倉宗虎

 どちらかと言えば惚れっぽい方だ。


 カーッと全身が熱くなる。


 図書館に充満する寒々しい気配とは無関係にオレは背中に滲む汗を感じる。意識するとすぐこうだ。緊張するというのとも違って、思考がまともに働かなくなる。そして我慢できずに告白してフられるパターンで生きてきた。


「矢野、さん」


 落ち着け、とオレは自分に言い聞かせる。


 ここで告白しても失敗は確実。


 大事に育てろ。


 出会って二日である。それも事故で知り合っただけ、恋愛感情を勝手に芽生えさせているのはこちらだけ。どこに成功する要素があるというのか。今までの失敗の原因は分析できているのだ。伊達に失恋を重ねてきた訳ではない。


 オレの焦りすぎ。


 相手に興味を持ったらそれがイコール恋愛感情になるのは思い込みの激しいオレだけなのだ。時間をかけなくてはいけない。興味を持たれ、好かれ、大切な人になっていくよう一緒に過ごせる関係を築かなければならない。


 最初は友達から。


「……」


 オレは深呼吸した。


 よし。まずこの指先を気持ちの良い頬から離そう。気付かれないのならもう図書館で会話することは諦めてもいい。下着というきっかけはある。もっと相手に時間と気持ちの余裕があるタイミング、少なくとも本を読んでいないときに話しかければいい。


 それにしても指先が痺れるように気持ちいい。


「矢野さん」


 結局、指は動かせず、オレは彼女の横にしゃがんでその姿をぼーっと眺めていた。ほわっとしている。くっきりはっきりした美人ではないが、雰囲気の可愛らしさにやられる感じ、本を読んで油断した半開きの唇、まばたきでぴょんぴょんと動くまつげ、静かな吐息と、それで動く制服の胸元、おっぱいは小さくない。


 ヤバいな。どんどん好きになる。


「……」


 この島に来た目的を考えれば恋愛のことなど考えている場合ではないのだが、残念ながら恋愛は考えるものではなく感じるものだ。


 こうなってしまってはどうしようもない。


 どうせ一年はある。


 ヒーローになったとき恋愛経験のひとつもないなんてカッコ良いとは間違っても言えないじゃないか。強くなると同時に男として着実なステップを踏むことなにが悪いというのだろう。


 自己正当化を重ねることも忘れない。


「てめぇ、白羽になにしてんだ」


「!」


 背後から飛んできた男の声に、オレは硬直する。なにをしてるかと言われれば、相手が気付かないのをいいことに頬に触りながらじっくり視ていた訳で、後ろめたいことしかない。


 答えようがなかった。


「おれのオンナに触ってんじゃねぇぞ」


 頬に触れていた方の肩を引っ張られ、強引に振り返らされて向き合った相手はかなりの大男だった。ぴったりとしたシャツに筋肉が浮き上がるような仕上がった肉体。捕まれた肩に指がギリギリと食い込んでくる。


「オンナ?」


 そう言いましたか。


「文句あんのか、あ?」


 肩をさらに引っ張って大男が顔を近づけてくる。二メートルはあろうかという身長にふさわしい大きな顔は岩を削ってできたかのような迫力がある。気配もなかなか大きい。


 強そうだが。


「いや」


 ヒーローらしい感じもしないなと思って。


 オレはちらっと振り返った。


「……」


 大男の声はよく通って図書館中に響くのではないかという感じだったが、矢野さんは本から顔を上げていない。この騒ぎもスルーですか。


「よそ見してんじゃねぇぞ」


「う」


 頭を掴まれ強引に顔を向き合う形。


「白羽はおれのオンナだ。おれがヒーローになってこのせめぇ島から連れ出す。てめぇみてぇな最下位野郎は機関に泣きついて見合いでもして子供の才能に期待する負け犬の人生を送れ」


「……」


 チンピラ過ぎない?


 確かに自分のカノジョに知らない男が触ってたらキレるのは無理もないし、キレられても仕方ないとは思うし、いきなり殴ってこないだけ理性的だとは思うけど。


 学園内での襲撃禁止を破るとまずいのか?


「なんとか言えよ、おら」


 大男は凄んでくる。


「やっぱちょっと、頭が悪い感じの方がモテるんすかね? いや、まったく頭が悪い感じでうらやましいな。オレ、頭の悪さには自信があるんだけど、どうすればいいすかね?」


 なにを言ってんだろオレ。


 余計なことを口走ったのは矢野さんがすでにだれかのものという状態にどうしようもなく泣きそうで強がらないと死にたくなるからだ。


「あ?」


 大男の怒りは当然収まらない。


「ど、どこまで?」


「なんだって?」


「どこまでいったんだよ畜生が!}


 逆ギレ。


「オンナオンナって! お前、それはオンナってことか!? オンナなのか! オンナにしたのか!? オンナだったのか!?」


 オレは大男の首を掴んで滅茶苦茶なことを叫んでいた。八つ当たりでもしないと恋愛感情からたたき落とされたやり切れなさに押しつぶされそうだった。惚れっぽさとは心のガードの弱さなのである。繊細なのである。優しくしてほしい。


「なに逆ギレしてんだ。てめぇそれでもヒーローになろうって人間か。恥ずかしくねぇのか」


 くっそ正論で説教された。


「返す言葉もありませんが!?」


 だからと言って冷静にはなれそうにない。


「バカが!」


「バカですが!?」


「図書館ではお静かに」


 ヒートアップする応酬は矢野さんの一言で止まった。ぱたん、と本を閉じ、ゆらっと立ち上がってオレと大男の顔を交互に見る。


「白羽、この男が本に集中してるのをいいことに触ってたんだ。痴漢だ。どうする? 警察に届けるか? おれが個人的にぶちのめすか?」


「ちかん?」


 矢野さんははじっとオレを見た。


「ち、痴漢だなんて。そんなつもりは、き、昨日預かったものを返そうと思って、その、確かに痴漢と言われれば強く否定できないやましい気持ちがなかったとは言えなくなくなくもなく」


 もう行動に後悔しかなかった。


「素直に謝れもしねぇのか、屑が」


 大男はさらに正論。


「……」


 仰る通り。


 オレは絨毯の床に正座して両手をついた。


 落ち度しかない。恋愛感情など言い訳にすぎないのだ。欲望に負けた。そういう心根を見透かされてフられる。それが正しい分析なのだ。


「も、申し訳ありませ……」


「ちかんじゃなくて、わかん」


「なんだって?」


 土下座しかけたところによくわからない言葉が乗っかっていた。言葉は完全に聞き取れたが意味と事実がまったく繋がらない。


「白羽、こんな男を庇うことはないぞ? 幸いされたことを見てたのはおれだけだから、警察が嫌なら、こいつをぶちのめして他言させないようにすりゃあ広まらないんだ」


 大男も戸惑っているようだった。


「心配すんな、恋人のおれが」


「恋人って? だれとだれが?」


「!」


 矢野さんの言葉にオレは頭を上げた。


「なに言ってんだ。おれと白羽は」


「赤の他人」


「……」


 大男が思いっきり言葉を失っていた。


「……」


 もちろんオレも言葉を失う。


 あんなに自信満々にオンナを連呼するからには大男の言ったことが真っ赤なウソとも思えないのだが、なにがどうなっているのだろう。


 ケンカの真っ最中とか?


「ほっぺたを触られて、和やかに感じていたの。和感わかん。気持ちよかったわ。本に集中できたし」


 矢野さんはさらりとつづける。


「逆にあなたにはそれを邪魔をされたし、なにより図書館でうるさい。わかって?」


「……」


 大男の厳つい顔に困惑の皺が刻まれる。


 なんだかよくわからないが同情せずにはいられない光景だった。二人のケンカの延長線上でもりすぎではないだろうか。オレが口を挟むことでもないのは確かだが。それでも。


「わかんねぇよ」


 大男は振り絞るように言葉を発した。


「一ヶ月前だぞ? おれが白羽に告白して、それで読書家の能力を身につけたらってオーケーを貰った。赤の他人じゃねぇだろ?」


「……」


 矢野さんは沈黙した。


 どうなんだろう。


 二人の間で正座したまま様子を見るオレにはその表情が読めない。じっと大男を見つめて、けれどそこに感情が浮かばない。本当なら恋人は言い過ぎだが事実上の予約済みであり、オレに憤るのは正当なことだとは思う。


「まだ読書家というには不安定だけどよ。おれとしちゃ努力したつもりだ。それくらいは認めてくれてもいいんじゃねぇか? 赤の、他人だなんて、ひっでぇ、ありえねぇだろ」


 表情は徐々に苦悶に染まり、唇を固く結んで大男は高い天井を見上げた。本気だ。ウソをついてるとはとても思えない。真面目でちゃんとした態度だ。誠実な男だろう。言葉が荒いだけだ。


 チンピラとか思ってごめん。


「ごめんなさい」


 しばらくの間の後、矢野さんが口を開いた。


「なにがごめんなのか」


「この人に下着を洗ってもらったの」


 言葉を遮って、矢野さんはオレを指さす。場の空気が凍り付く。そして同時に大男の気配が膨れ上がっていくのもわかる。沸騰していたお湯が薬缶からなくなり、カンカンに熱い空焚き。


「違……それは」


 いきなりなにを言っちゃって。


「汚されたから、だから」


「ちょ、ま」


 そんな状況説明を端折った言葉じゃ。


「どういうことだ? 最下位野郎」


 立ち上がりかけたオレの頭を、大男の手がぐっと押さえ込んで座らせる。首が埋まりそうなほどの圧力、見た目でわかっていたがパワータイプに間違いない。


「せ、説明するから落ち着いて聞いてくれ」


 オレは言う。


「いいぜ、言って見ろよ」


「事故なんだ。それはもうオレの完全なる不注意だし、言い訳をするつもりもないけど……」


 必死に言葉を選ぶ。


 落ち着け、誤解をされないように丁寧に。


「血が出て、下着が汚れちゃって」


「矢野さん!」


 だから結果を先に行うと誤解が。


「ああ、わかった。つまり、そういうことか」


 ほら、大男が変な風に理解した。


「わかってない! わかるわけないから! なんの説明にもなってないから! 聞けよ! 矢野さんが喀血してそれがハンカチと間違えた下着についたんだよ!」


「言い訳もよく考えて口にしやがれ。ハンカチと下着を間違える人間がどこにいる!」


 大男の言い分はわかるが。


「事実は事実だ! 洗濯したのは」


「これ?」


 気付くと矢野さんがオレの持ってきたバッグからパンツの入った包みを取り出していた。引っ越しの荷物に紛れていた百貨店の包装紙を再利用して包んでリボンをかけたのは余計だったか。


「これに入ってる?」


「う、うん」


 矢野さん、空気読んでください。


「そういうことなの」


「そうか」


 矢野さんと大男は頷きあった。


「どういうこと!? 百パー伝わってないよ!」


 オレは抗議する。


「そんなことを白羽本人に口にさせる訳にはいかねぇだろうが、この最下位屑野郎が。まだ辱めようってのか、ふざけんなよ」


 大男はぐっと首を押してくる。


「そっちがふざけんな。ありえないだろ、仮にも戦闘能力持ってる人間同士で、襲撃したら島側に筒抜けのシステムがあって」


 オレはそれを押し返しつつ立ち上がる。


 ここは黙って受け流せない。


「読書家、矢野白羽の十八番は変心だ。襲われたとしてもそれを島に知られる恥を避けて、和姦にだって見せかける。てめぇこそ恥を知れ」


「へんしん?」


 なにを言ってるのかさっぱりわからん。


「もういい。わかった。戦えもしねぇ図書館じゃ埒が明かねぇ。てめぇとの決着は決闘でつけてやる。それで文句ねぇだろ」


「決闘? なんで」


 どこに戦う理由があるんだ。


 むしろ。


「白羽ぁ!」


 大男はオレの困惑を無視して矢野さんに言う。


「この屑との間になにがあっても、おれの気持ちは変わらねぇ。白羽が恥じることはなにもねぇ。勝って元通りだ。それでいいな」


「いいわ」


 矢野さんはすんなりと頷いた。


「!」


 やっぱりそういうことか。


 オレは確信した。


「おい」


 大男がオレの詰め襟を掴んでオレを引っ張る。


「てめぇのやったことが事故なら、戦闘中に死ぬのも事故だ。わかってんだろうな?」


「……頭を冷やせよデクノボーが」


 オレはため息を吐いて言った。


「いい度胸だ。降参なんてすんじゃねぇぞ?」


「全先正生だ」


岩倉宗虎いわくらむねとら


 大男が窮屈そうに本棚の間を歩いていくのを見送る。悪いヤツじゃない。むしろまっすぐな男だ。だからこそもう戦うしかないだろう。これは仕組まれた戦いで、ヤツは完全にハマっている。


 魔性の女に。


「こうなると見越して下着を洗わせたの?」


 オレは矢野白羽に言う。


「強い男が好き」


「……」


 悪びれない返答に言葉もない。


 おそらくは能力ではなく、男を手玉に取ることに経験と自信があるのだろう。でなければ術中にハマっていたオレが気付ける訳もない。女を見る目がないのだ。オレもあの大男も。


 自分と上手くいく相手を見極める目が。


「宗虎に勝ったら、誤解を真実にしてもいいわ」


 まだ言いやがる。


「それがエサになるとでも?」


 オレは首を振る。


 いくら童貞でも選ぶ権利はある。


「怖い女は嫌い?」


 そう言うと、矢野はオレが持ってきた包みを破ってパンツを取り出すと、靴を脱いでいきなり脚を通した。右脚、そして左脚、スカートの裾をするすると引き上げながら伸縮性のある生地が移動していく様から目が離せなくなる。なんて白くてすべすべな太股なのだろう。


 それにパンツ、二枚重ねじゃないのか?


「見るの?」


 矢野は股下スレスレで動きを止める。


「!」


 オレは最後のプライドで踵を返した。


「気持ちが変わったら言ってね。正生」


「くっそ」


 寒々しい気配に満ちた図書館から逃げるようにかけだし、オレは自分のバカさ加減を悔やんでいた。気付くべきだった。ヒーローになろうって人間が、あんな風にうっかりぶつかって事故ったりしない。当たられたのだと。


 当たり屋。


「下着を渡されて気を惹かれて」


 まんまと惚れた。


 童貞丸出し。


 そりゃ戦いの武器は能力だけではない。男女が同じ条件で戦うからにはそこに駆け引きも生まれる。女には気をつけよう。注意して注意して注意してやっと惚れっぽいオレには安全なくらいだ。


「……岩倉宗虎と決闘!?」


 学食に行って、食事を終えても待っていてくれた野比たちに恥ずかしい経緯は隠しつつ結果を語るとやたらと驚かれた。


「あんた、なにやったの?」


 信じられないという顔で深大寺が言う。


「今、何位だっけ? 57位?」


 高柳さんはヒロポンをチェックしている。


「もうそこまで戻ってきてるのかよ」


 野比は肩を落とした。


「そんなに強い相手?」


「間違いなく、五十鈴あさまより格上よ」


 深大寺が言う。


「この四月に条件を達成してヒーローになったチームがあったんだけど、その最後の一ヶ月の激戦下でトップ争いをしてた五チームの中の一人。そのチームは解散してランキングも下がってたんだけど、新しい能力の開発をしてるって噂で」


 読書家のことか?


「上位と戦えるのは悪くないか」


 オレは言う。


 考えようによっては。


「悪いことは言わないから降参しなよ」


 野比が言った。


「なんで」


「死ぬわよ。あんた」


 深大寺がきっぱりと言い切った。

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