第6話背く者 正す者

右向け右、そう言われれば我ら善良な生徒はすかさず右を向く。

けれど、それにわざと背き左を向く奴がいる。

それが今、俺の目の前に立つ男、瀬戸晴彦せとはるひこである。

「てめぇ…この俺になんかようか?」

「い、いえ…なにも…」

金色の長髪に全剃りした眉、耳たぶにかかるピアス、制服から漂うヤニの匂い。

絵に描いた不良である瀬戸が、俺を見下ろすように立っている。

いったいどうしてこうなったのか、話は数分前にさかのぼる。


「ヤベ…忘れものだ」

昼休み、ふと俺は思い出した。

先の授業で使用した美術室にペンケースを置きっぱなしにしてしまったのだ。

ペンケースなんて誰も盗らないだろうが、あとで教師に頭下げて取りに行くのも面倒くさい。

というわけで俺は美術室まで取りに行くことにしたのだが、そこで走ってしまったのが運の尽きだ。

階段の踊り場でちょうど降りてくる学年一の札付きの悪、瀬戸にぶつかってしまったのだ。

そして絡まれてしまい、今に至るというわけだ。

「おい…俺にぶつかっておいて、謝りもなしか?あぁ?」

「あの…ごめんなさい…」

「ごめんなさいで済むと思ってるのか?あぁ?」

「…」

本当に面倒くさい。

どうして俺が、こんな奴に絡まれなければいけないのか。

おい、見てる連中、誰か教師呼んで来いよ。

目で訴えても誰も動こうとしない。

ま、そりゃそうだ、面倒ごとには誰だって首突っ込みたくないし、そんな正義感のあるやつなんていないさ。

俺だってあちら側なら見て見ぬふりだろうさ。

「聞いてんのか?おい!てめぇ…殺されてぇか?クズが」

「いや、そんなことは…」

「何口答えしてんだよクズが。殺すぞ?」

こいつは殺すしかボキャブラリーがないのだろうか。

これだからバカは、と思ったがこの瀬戸、案外頭、というか記憶力がいい。

そのため記憶系のテストは毎回満点、数学なんかも方程式の問題であれば難なくパスしてしまう。

それゆえ教師もこいつには強く言えないのだ。

あぁ、めんどくせぇ…

「てめぇ…なんだよその反抗的な目は…死にてぇか?」

「…」

死ねるものなら一回死んで、数分前からリトライするっての。

反論はいくらでも頭に浮かぶが結局口は動かない。

俺はやはりどうしようもないヘタレのようだ。

「ちょっとあなたたち、何やってるのよ」

と、不意に俺たちの間に割り込む声が聞こえてきた。

正義感あふれるその声の方を向くと、案の定俺のクラスの委員長、春風凪はるかぜなぎが腕組して立っていた。

「あたしのクラスの子に何か用なの、瀬戸君?」

「ちっ…口出しすんなよ。こいつと俺の問題だ」

「朝日君は謝ったでしょ?もうそれでおしまいじゃないの」

声音に見合う凛とした顔立ち、校則を守ったちょうどいい長さの黒髪に、ぴっちりときた制服、鋭い視線はまさに校則の番人ともいえた。

委員長のこの正義感はどこから来るのか。

それは彼女の父親が警察官というところにあった。

悪を憎み正義を執行する、そんな性分が娘にも移ったのだろう。

彼女は今こうして、あまり仲良くもないただ同じクラスになっただけの俺を助けようと、悪に立ちふさがったわけだが…

「謝っただけじゃ済まねぇだろ、普通よぉ?そうだろ、真面目な委員長さん」

「はぁ…これだから不良は嫌いなのよ」

委員長、それは言い過ぎだぜ…

行き過ぎた正義感ってのは時として身を亡ぼす。

「てめぇ…今なんつった!?あぁ?殺す!」

瀬戸の対象が俺から委員長に移った。

大股で委員長まで歩み寄る瀬戸、しかし彼女は微動だにしない。

「殴れるものならやってみなさいよ?しょせん口だけでしょう?」

「そう思うか?…俺は、やるときはやるぜ?」

瀬戸は大きく拳を振りかぶった。

その動作は紛れもなく今から人を殴るそれだ。

本当に殴ってくるなんて思っていなかった委員長の表情は固まってしまう。

「危ない!」

俺は結局叫ぶだけしかできなかった。

男ならここで彼女を助けなければならないのだろうが、あいにく俺はヘタレでね。

ほんと、情けないくらいに。

「あ~瀬戸だ~。なにしてるの~?」

と、この場に似つかわしくない柔らかでのんびりした声が聞こえた瞬間、瀬戸はびくりと体を震わせその動作を止めた。

見るといつの間にか二人の間に小さな女の子が立っていた。

「日野さん…?」

「ちっ…」

彼女も俺と同じクラスの女の子、日野亀子ひのかめこだ。

たれ目でゆるい口元、のほほんとした顔つきに、加賀美より低いちんちくりんな身長。

そのゆるゆるの見た目でクラスのマスコット的位置づけにいる彼女だが、一つだけ人よりやばいものを持っている。

それは日野の胸元、まるでバレーボールでも詰めてるんじゃないかと思えるくらいの巨大なおっぱいが、そこに隠されていた。

少し動くだけでぽよぽよと動き、健全な男子にとっては目の毒である。

そんなおっぱいしか取り柄のない(と言ったら悪いが)ゆるゆるロリに何を怯える必要があるのか。

「凪に何かしたら…亀子が許さないぞ~」

「ちっ…覚えてろよ!」

なんてありがちな捨て台詞を吐いて瀬戸は去っていく。

彼が去るにつれて俺の中で張り詰めていた緊張の糸はどんどん緩んでいく。

それは委員長も同じみたいで、こわばらせた顔をいつもの凛としたそれに戻していた。

「ありがとね、亀子さん」

「亀子は何もしてないよ~」

「それでも、ありがと。あと、朝日君。大丈夫だった?何かされてない?暴力とかさ…もし何かあったらあたしも一緒に先生のところ言ってあげるから」

「あ、俺は大丈夫だよ。ありがとな、委員長。それに日野さんも、よくわかんないけどさ」

「ありがとうって思うなら~…亀子にジュースを奢るのだ~」

「わかったよ」

日野さんにジュースを奢り、教室に戻ったころちょうどチャイムが鳴った。

…あ、ペンケース、取りに行くの忘れた…


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