第3話 明日 『11月14日(火)』

「えっと、途川さん、その……名前で呼んでもいい?」

「えっ!? ………………うん……いいよ」


 頬を赤く染めた表情かお。想いを伝えるまでは見れなかった表情。かわいい表情。その全てを僕が独占している。彼女に触れられるほどの距離の中で、彼女と僕の言葉が交わる。


「…………は……は、るか………」

「…………ゆい……ゆい、と……へへっ、結糸ゆいと!」


 彼女、途川さん、いや、はるかが抱きつく。その対象は僕で、遥の温もりが直に伝わってきて、遥のやわらかさが直に伝わってきて、唇と唇は触れてしまいそうな近さにあって…………


 見つめ合う。自然と、お互いの唇が近づいて行く。あと5センチ、あと3センチ、あと1センチ、あと5ミリ……


 だがそれ以上近づけることは僕たちにはできなくて、フリーズする。そして2人同時にパッと離れて違う方を向く。


「う、うう………ご、ごめん……」

「ううん……結糸は悪くない」

「ありがとう、は、遥」

「「……………………」」


 烏の鳴き声が『アホー』と聞こえた。


 だめだ、やっぱり恥ずかしい……名前で女の子を呼ぶなんて。小学校低学年のとき以来だ。スクールカースト上位の人達は平気で名前で呼び合ってる。でも僕にとって女の子を呼ぶときのデフォルトは『名字+さん』なのだ。


 沈黙が重い。何か話さなければと思って目で辺りを見回す。すると学校を囲むフェンスの破れたところから、子連れの野良猫が入ってくるのが見えた。黄土色の毛並みがそよ風で揺れている。親が1匹と子が3匹。親は周囲を警戒し、キョロキョロしながら入ってくる。


「遥、そこに野良猫がいる」

「え? 猫? ………あ、可愛い」


 すると遥は猫にゆっくりと近づいて行く。猫まであと1メートルのところで遥は止まり、


「にゃあ」


 と、猫を呼ぶために鳴いた。親猫が止まって遥の方を向く。遥はポケットからキャットフード――何故持っていたのか不思議で仕方がない――を取りだし、地面にそっと置く。親猫が警戒しながら、でもお腹がすいているのか、少しかじる。危険でないと判断したようで、子猫達にも与える。


 エサを食べている猫達。特に子猫はかわいいのだけれど、それ以上にさっきの遥の鳴き真似と、猫を見つめている姿がとても可愛くて、『天使か!?』と思うくらいに可愛くて、1歩も動かずに遥と猫のやり取りを眺めている。もう1度鳴き真似をしないかな、なんて微かな期待を抱いたりしながら。



 結局もう1度鳴き真似をすることはなく、遥は終始猫を見ていた。猫達はキャットフードが無くなったからか校舎の方へ行ってしまった。


「可愛かった……………」


 言いたいけれど言えない。そういう遥もかわいいよ、なんて。代わりに僕はさっきから気になって仕方がないことを聞く。


「ねぇ、なんでキャットフードがポケットの中から出てきたの?」

「ん? ああ、私、猫を飼ってるんだ。猫、好きだから。それでキャットフードとか家に常備してるんだけど、たまに野良猫見かけたら無性に餌を与えたくなるんだ。それで少し持ち歩いてるの。結糸は猫、好き?」


 うーん……好きかな?でもな……


「好きは好き。でも猫アレルギーだから、触れないんだ」

「そっか………残念。うちの猫とか触らしてあげたかったのに。あ、でも猫は家猫だけど、リビングから出さないようにしてるから、私の部屋だったらアレルギー出ないと思うから入れるよ」


 入れるって言われても………つまり家に来ても良いってことなのかな?


「あ、今日はダメだよ。その……片付けてないから。でも他の日なら………」


 口に出してしまっていたようだ。


 遥の部屋ってどんなのだろう。多分可愛いものを全面に押し出す感じはあんまり無くって、でもいい匂いがして、所々女の子っぽい物が置いてある、そんな部屋だと思う。いつか、答え合わせに行きたい。


「遥、家どっち?」


 校門を出ると道が2股になっている。これが同じ方向なら一緒に帰ることができるし、逆ならここでサヨナラだ。できれば同じ方向であることを願って遥かに問いかける。


「右だよ。結糸は?」


 …………ハズレだ。


「左。残念だね……」

「うん」

「じゃあここでバイバイ」

「うん…………………その………………す、すき……です……」


 胸がドキドキする。だから『好き』という言葉が、恥ずかしさも相乗効果を発揮して口に出せなくて、別の言葉で表す。


「ぼ、僕も…………それじゃあ、気を付けて」


 いつか、ちゃんと『好き』と言えるようになればいいなと思いながら……


「うん! バイバイ!」

「バイバイ」


 遥と真逆の方へと進む。でも、また明日も会える。明日も話せる。もしかしたら明日はもっと距離が近づく。そしてそれは明後日も、明明後日も、来週も、再来週も、1ヶ月後も、来年だって変わらない。同じ学校なのだから、会おうと思えば毎日だって会える。そのなかでちょっとずつでも距離が近づいたらいいな。


 そんな期待を胸に、少し弾むような足取りで家へと帰った。

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