その双眸は新たな旅路を見る。

 ――……三つの鐘がなる頃、フレイはウィルと共に裏門にいた。時刻どおりではあるが、ユーリの姿はまだ見えない。

 太陽は今、雲間に隠れてその姿を見せていない。そのせいか、夏だというのに日陰の多い裏門付近は随分と冷え込んでしまっている。軽量かつ剛性のある革鎧と、部分保護のために関節部に着けたポイント・メイルは、衝撃を防ぐことは出来ても寒さまでは防げない。ほんの少し、身震いをする。

「おいおい、そんなんで大丈夫か?」

「な、大丈夫だって。荷の中には防寒用のコートもあるし……」

「そこじゃねぇだろ……っと」

 一陣、強く風が吹いて、太陽を覆っていた雲を打ち払う。木々の打ち震える音がして、同時に駆け寄ってくる一つの足音が聞こえてきた。

「あのっ! お待たせしました!」

「あぁ、大丈夫です。そんなに待っては――……」

 ない。そうフレイが言おうとして、ふと、言葉が止まる。雲の隙間から射し込む光が、フードつきのローブに身を包んだユーリの緑髪を明るく照らし出す。キラキラと輝くその髪、眩いばかりに煌めく瞳。また、心臓が高鳴っていく。

「あの、大丈夫ですか?」

「えっ? あ、あぁ。大丈夫、なんでもない、ですよ」

 ウィルは笑いを堪えて、フレイの背中を一歩、前へ押した。

「くくく……ほら、色男! 彼女の荷物くらい持ってやれ!」

「お、おいウィル! 馬鹿にするなよ! ……ユーリ、さぁ、荷物をこちらへ」

 ユーリは頬を紅潮させたまま動かない。フレイは赤くなりながらも、荷物はしっかりと預かった。ありがとうございます、と言った彼女は、まるで今にも消え入りそうだった。

「さて、準備は出来た。ユーリ、乗馬の経験は?」

「あ、えと、多少は。でも、長旅は初めてです」

 長旅。そう聞いてフレイははっとした。

「そういえば、行き先も期間も聞いていないけれど」

「あ、地図と手紙を預かっています。それから、多少のお金と羅針盤を。はじめは、隣国であるアレステリアへとのことでした」

 なら、まぁ安心か。そうフレイは胸を撫で下ろす。ユーリがほんの少し背の高い旅用の荷馬に跨るために苦労している中、フレイは、ウィルとの別れをひしひしと感じていた。

「どれだけの期間かよくわからないけれど。でも、きっと戻ってくる」

「気をつけていけよ。……ほれ、コレも持っていけ」

 そう言って、ウィルは一本の剣をフレイに手渡す。鞘に収まったそれを抜き放つと、太陽の光が刀身に煌いて乱反射した。ごくり、喉が鳴る。美しさの向こう側にある、冷たい気配。ほんの少しだけ背中に悪寒が走って、ふと、柄を見る。どこかで見た、紅い輝き。

「これ! ルビーの『魔石』じゃないか!」

「ただの予備だ、くれてやる。俺はいらん。使えるようになるまで修行しろよ?」

 あっけらかんと、ウィルは言い切る。かなりの高純度であろうそれは、フレイの体内にある僅かなマナにすら感応して煌いている。貴重なはずだ。どうやらウィルは息子のためにいとも容易くそれを手放したらしい。

「護るものができたんだ。例え命令でも。頑張れよ、お前は、俺の息子なんだから」

 よかったじゃないか、念願の旅だぞ。そう言ってウィルは少し儚げに笑う。

「……ありがとう、父さん」

 馬上から、堅く手を握りあう。節くれだった手だ。どこまでも優しく、時に厳しかった手。

 ぐっとこみ上げるものを堪えて、ユーリに向き直る。

「ユーリ、支度は大丈夫ですか?」

「はい、フレイ。それから、同い年なのですから、敬語は結構ですよ?」

 二人の間で花咲く会話に、ウィルはお似合いじゃないか、と心に思う。

「オラ、そろそろ行け。日が暮れるぞ」

 分かってるよ、急かすなって。フレイはそう言って、先立って馬を動かし始めた。ユーリが付いて来ている事を確認して、大きくウィルとアーテイル城に手を振る。それからユーリを促して、静かに王城の裏門をくぐり、レアオア山脈の山道へと入っていく。

 揺れる視界の中、後ろを振り返る。そこにはあたりを興味津々とばかりに見回すユーリがいた。こちらに気付いたのか、恥ずかしそうに頬を赤らめて俯いてしまう。

「他の国や町に付けば、もっと楽しいことがありますよ」

 前に向き直って言葉を発する。後ろからは、本当ですか? と綺麗なソプラノが響く。

 ある程度整備された道ではあったが、揺れが大きい。が、これも街道に出るまでだろう。水飴売りがいるといい、そうフレイは考えた。王城に暮らしていては、ちょっとしたお菓子も知らないかもしれない。それに果汁売りや大道芸もいいだろう。野生の獣や植物だってどれほど珍しいか。一体ユーリがどれ程驚くだろうかと思案した。城の外をあまり知らないのなら、これから俺が教えよう。フレイは静かに決意する。

 振り返る、夏の青空の下。白百合のように笑うユーリを、日差しが柔らかく包んでいた。




 ――アーテイル城、鏡の間。そこは国王のみが入室を許された部屋であり、大型の魔道具「八面合わせ鏡」を用いて他国の王と会議をするための部屋だ。カイゼルは今そこにいた。

 最初に口火を切ったのは鏡の向こう、アレステリアの王だった。

「カイゼル王、此度の件、どうお考えか」

 あまりに単刀直入な質問であったが、カイゼルは臆することなく答えた。

「みな、焦るでない。だが確かに……現在調査をさせているが、事実として、魔物の動きは活発になっているようだ」

「なんと」

「やはりか。こちらの国でも被害が周辺で多発している。こんな事態は久しぶりだ」

 どよめきと同時に、王たちの顔に緊張が走る。

「何か嫌な予感がするのだ。ただの繁殖ならまだしも、大きな力の流れが関係しているとすれば……そう、たとえば強大な負の奔流が世界を巻き込もうとしているならば……」

「カイゼル王、それは杞憂というものでは?」

「杞憂ならば……よいのだが」

「我々はもう老いた。そうであろう?ともに平和を目指して歩き続けた。だが、我々の下には未来ある若者があふれている。彼らに苦難を押し付ける事には、したくないのだ」

「もう、これ以上は」

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