第4話「魔王と王国の騎士達」

 静かで抑揚よくように欠く、声。

 けっしてあらげた言葉ではないのに、戦慄せんりつを持って玉座の間を満たす。

 トリヒル王国の騎士イリドは、仲間達と共にいつもの洗礼を受けた。


定命ていめいの者よ、か弱くはかない者達よ……さあ、我が前に勇気をしめせ」


 この台詞を聞くのはもう、何度目になるだろう? その正確な数をイリドは数えたことがなかった。生ある者が皆、己の呼吸と鼓動を数えていないのと同じように。

 今日もまた、いつもと同じ光景に対峙たいじする。

 趣味の悪い玉座から立ち上がると、魔王ラドラブライトは歩み寄ってくる。

 王女奪還おうじょだっかんに挑戦する、イリド達勇者へ。

 なんら気負う事もなく、気概きがいさえ感じさせない……しかし、見る者を圧倒する存在感。

 背後では二人の仲間が声を潜めていた。


「イ、イリド様っ、どっ、どど、どうしましょう? なにを、僕はなにをすれば」

「落ち着いて、テルル君。大丈夫よ。イリド、いつも通り私が援護するわ」


 動揺する宮廷魔術士きゅていまじゅつしテルルの顔には、まだ幼い面影がおびえの表情をいろどる。

 無理もない――彼は、テルル少年は今日、初めてラドラブライトに挑むのだから。望めば命の保障される、絶対遵守ぜったいじゅんしゅの協約が存在するとしても……実際に魔王を前にすれば、恐怖に足はすくみ思考は奪われる。

 イリドも遠い昔、経験があった。

 そんなことを思い出していると、ラドラブライトがわずかに唇を歪める。


「おや、そこの少年は新顔だな? ……期待させてもらう」


 白い顔で微笑ほほえむラドラブライトの、糸の様に細い目がテルルを見詰める。その奥にのぞく、闇よりも黒く深い瞳。魅入みいられた少年はただ、杖を両手で抱いたまま震える他ない。


「さあ、テルル君、深呼吸して。平気よ、命までは取られないわ。多分ね」

「す、すす、すみません、エメリーさん。やれます……僕も、たっ、戦えます!」


 無理だ、と内心呟き、イリドは舌打したうちを押し殺す。

 着任して間もない、新米の宮廷魔術士に最初から期待などしていない。今日もラドラブライトを倒す事はかなわないかもしれない。長年連れそった、神官しんかんのエメリーがいてくれることが、せめてもの救いだった。

 もとよりこの勝負、結果は常に過去と同じかもしれない。

 それでも彼は、イリドは今日も果敢かかんに挑む。

 ラドラブライトは泰然として揺るがず、ゆっくりイリドへと向かってくる。


「どうした? 来ないのなら……私からいかせてもらおう」

「エメリー! テルルを守れ、俺はっ――」


 無防備に間合いを詰めてくるラドラブライトへ、イリドは抜刀ばっとうするなり身構える。彼は叫ぶ決意の続きを飲み込んで、全力で相手の間合いへ踏み込んだ。武器を持たぬラドラブライトは無造作に、まとうマントをひるがえす。あたかもそれは、意思ある生き物のように自在に伸びて、イリドと激しく何度も斬り結んだ。

 見るものの振り切り置き去りにする、刃と黒布の応酬。

 剣戟けんげきの合間に差し込まれる、怜悧れいりな薄い声。


「道中はどうだったかね? イリド君……楽しめたかね? 七階の仕掛け、あれは博士が考えたのだが」

「うるさいっ! ふざけた真似を……真面目に戦えっ!」

「私はいつでも真面目だよ。ああ、そう言えば九階の宝箱……中身は良い物らしいが。拾えたかな?」

「ああ、確かにこのたては良い品だ……だがな、伯爵はくしゃく! トラップ付きの宝箱とは、やってくれるっ!」


 ただの布切れとは思えぬ、重い一撃を受け止めるイリド。先程入手したばかりの大盾が、甲高い金属音を響かせ彼を守った。左手に走る痺れにも構わず、そのまま流していなすと……満足気にうなずくラドラブライトへ、イリドは渾身の突きを繰り出す。

 まるで踊るように、位置を変え距離を変えながらの闘舞。

 二人の攻防は、どちらかが力尽きるまで続くかに思われた。だが、立ち回るイリドには、今日も不快な予感が胸中を過ぎる。これまで幾度となく挑み、同じ数だけ残してきた結果を……今日もまた、受け入れる事になるかもしれない。

 何故ならば――


「イリド君、そろそろ君達の仕事をしたらどうだ?」

「俺の、任務は……伯爵っ! 貴公きこうを倒してシトリ姫を救う事だ!」


 剣を持ち直して低く構え、イリドはうごめくマントの斬撃ざんげきへと飛び込んでゆく。

 鋭い刃となった無数の漆黒が、全身をかすめる。

 構わずラドラブライトに肉薄すると、イリドは雄叫おたけびと共に剣を振り下ろした。


「この間合い……魔王とて避けれはしまいっ!」


 必殺の間合い、渾身の一撃が放たれた。

 だが……ラドラブライトは不意に寂しげに目を細める。


「――それで限界ですか? イリド君、それではまだ……

「何!? 貴様、何を――うおぉ!」


 鈍い衝撃が背筋を突き抜ける。

 気付けばイリドは、壁へと吹き飛ばされていた。

 そして、ラドラブライトが鼻から溜息を零して表情をゆるめる。


「さて、と……姫、終わりましたよ。もう出てらっしゃい」


 咄嗟とっさに身を守ったのだろう。かざした左手の盾が、粉々に砕け散っている。

 もう戦いは終わったとばかりに、玉座に戻るラドブライトの背が、無情にも遠ざかるのが見えた。悔しさににじんで見えるのは、吹き出る汗が目を濡らすから。

 またいつも通り、敗北をきっした。

 この城にシトリ姫がさらわれてより十余年……数え切れぬ敗北の記録を、イリドは今日もみじめに更新してしまった。必殺の技を放つその瞬間、寂しげにラドラブライトは自嘲し、一撃でイリドを退しりぞけたのであった。


「イリド、イリドッ! もうっ、おじ様は時々やり過ぎですわっ!」


 朦朧もうろうとした意識が次第に鮮明になり、ぼやけた視界が開けてくると。駆け寄る少女の姿に、イリドは弱々しく立ち上がって一礼した。


「シトリ姫、とんだ醜態しゅうたいを……申し訳ありません」

「とんでもありませんわ、イリドは最善を尽くしてますの。エメリー、早く傷の手当を」


 エメリーやテルルも駆け付け、イリドの周りを取り囲む。ただ慌てふためくテルルを落ち着かせながら、エメリーは精神力を集中して祈りをつむいだ。神官の法術ほうじゅつがイリドを、温かないやしの光で包む。

 しかし、善なる神の奇跡の御業みわざも、彼の心までは癒してはくれない。


「姫、これも私達のお役目ですわ。どうかお気になさらずに」

「でもエメリー、いくらイリドが屈強な騎士でも……いつか疲れてしまいますわ」


 心配そうに見詰める、シトリの視線に耐え切れず、目を逸らして立ち上がるイリド。

 彼の背に無情にも、ラドラブライトの言葉が突き刺さった。


「そうそう、イリド君。国王陛下からたまわった大事なお役目を、果たさなくてもよいのかな?」


 肩越しに振り返り、玉座のラドラブライトを睨み返した。だが、不遜ふそんな笑みをたたえたまま、魔王は微動だにしない。くやしさとむなしさの入り混じる、深い溜息が力なくこぼれた。


「テルル、荷物を姫に……姫、こちらはテルルです。新しく王女警護隊プリンセスガードの一員となりました」

「はっ、初めまして、シトリ王女殿下……僕は、っと、私はテルルと申しますっ!」


 王女警護隊と言えば聞こえはいいが、ようは

 その事を誰よりもイリドが、嫌という程よくわかっていた。誰も彼にもう、ラドラブライトの討伐など期待してはいない。ただ定期的に、シトリに着替えや花、菓子などを運び、ラドラブライト城での暮らしぶりを王国へ報告する。ただそれだけの、日常化した仕事。

 それでも、シトリの笑顔を見ればイリドは暗鬱な気持ちを忘れることができた。

 彼女は今、年相応の笑顔で新しいドレスを身体に当てている。


「まあ、素敵! サイズもピッタリ。これはエメリーが?」

「ええ、そろそろ肌寒い季節ですから。風邪など引きませぬように、と」

「姫、御本ごほんも何冊かお持ちしました。退屈されてるのではと、城では皆心配しております」

「退屈ではありませんが、物語は嬉しいですわ。この城の書物はどれもこれも、わたくしには難し過ぎますの」


 王国からの贈り物を前に、なにより久々ひさびさのエメリー達との会話に、シトリは満面の笑みをほころばせる。彼女は何度も、テルルやエメリー、そしてイリドをねぎらい礼を述べた。

 シトリは優雅に、秋物のドレスと一緒にくるりと皆の前で回ってみせた。

 場の空気がふわりと軽くなり、なごやかな雰囲気が広がってゆく。

 心なしか、ラドラブライトでさえ、その光景に目を細めて見守っているようで。しかしイリドは、次第に馴れ合ってゆく互いの立場に、つの苛立いらだちを隠すので精一杯だった。

 ダメージの回復を待って、イリドは仲間達に呼びかける。


「では姫、またいずれ……テルル、エメリー、城へと戻るぞ」


 そう言うとイリドは、懐から己の財布を取り出し、その革紐かわひもほどいて金貨を何枚か取り出す。丁度半分を手に、残りを玉座のラドラブライトへ放り投げた。


律儀りちぎだな、イリド君。君達は別に、払わなくてもよいと思うが」

「協約には従う! 戦闘不能だ……今日はな。だが忘れるなよ、ラドラブライト」


 ――俺は常に、貴様を倒すために来ているということを。

 それだけを吐き捨てるようにつぶやくと、イリドはきびすを返す。別れの挨拶もそこそこに、急いで後を追うテルル。エメリーは礼を失することなくこうべれると、シトリに別れをげた。

 しかしシトリは、その言葉をさえぎり引き止める。

 神妙しんみょうな声がイリドの耳朶じだった。


「エメリー、あの、その、お手紙とか……お父様からお手紙とかは。今日もない……ですか?」


 足を止めてイリドは振り返る。

 気付けばラドラブライトも、小さなシトリの背中を見詰めていた。

 じっと見上げるシトリを前に、エメリーは無言で首を横に振る。手紙どころか言伝ことづて一つ、トリヒルの国王は娘へよこさなかった。この十余年の間、ただの一言も。

 トリヒル王国をおさめるユーク王は、周辺諸国には賢王けんおうほまれも高い名君で有名だった。なんの産業も無い辺境のトリヒルを、魔王ラドラブライトとの協約で一躍有名にしたのだ。今や押し寄せる冒険者達で、国の経済はうるおっていた。だが、それは皮肉にも、己の娘と引き換えの繁栄……それゆえか、親子の縁は十年以上前に、途絶えたままだった。


「申し訳ありません、姫……国王陛下はでも、きっと姫の事を――」

「あ、ええ……そうですわねっ! ありがとうエメリー。帰りも気をつけて」


 優雅に御辞儀おじぎをすると、ラドラブライトの待つ玉座へと駆けてゆくシトリ。その小さな背中を見送りながら……王女警護隊の三人は皆が皆、一様に複雑な思いを抱えたまま、足取りの重い帰路についた。

 イリドの焦燥感しょうそうかんは加速し、重きを増して胸の奥によどんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る