第3話「魔王と姫の教育係」

 今日も今日とて、玉座の間に冷たく低い声が響く。

 魔王ラドラブライトは趣味の悪い装飾の玉座で居眠りをしていたが、ドアが開かれるや身を正す。いつもの定型句を紡ぎつつ、寝ぼけた意識を奮い立たせれば……目の前にいるのは、勇敢なる冒険者などではなかった。


定命ていめいの者よ、か弱くはかない者達よ……ん? な、なんだ、セレス君でしたか」


 重々しい扉の開く音に、立ち上がり掛けたラドラブライト。彼はしかし、相手が自分への挑戦者でない事を知ると、再び玉座へ身を投げ出した。

 現れたのは、執事を思わせる燕尾服のホムンクルスが立っていた。

 名は、セレス。

 この城で生まれたホムンクルス第一号であり、シトリ姫の教育係だ。


「すみません、伯爵はくしゃく。今日は暇そうですね」

「うん、ハンク君達が頑張ってるみたいですから。シトリ姫も散歩に出掛けてしまいました」


 退屈そうに足を組み替え、ラドラブライトは溜息ためいきを一つ。


「では先程までは、シトリ姫はこちらにおいでだったのですね」


 セレスはあごに手を当て思案に沈む素振りをみせた。ふむ、と小さくうなって記憶の糸を辿たどり、シトリの行きそうな場所を思い起す。そのまま挨拶もそこそこに立ち去ろうとする彼を、ラドラブライトは退屈しのぎに呼び止めた。


「姫がまた何か、悪戯いたずらでもしましたか?」

「いいえ。今日の習い事がまだ、全部んでいないのです」

「あんまり詰め込む必要はありませんよ。読み書きと数勘定かずかんじょうが出来れば、特に困りはしま――」

「とんでもないです、伯爵。姫には一国の王女として、身に付ける作法やたしなみが山積みですよ」


 いつ勇者に助け出されて、元の暮らしに戻ってもいいように。

 ラドラブライトがセレスに教育係を命じてから、どれ程の月日が流れただろう。この広い城内では、実に勤勉で誠実だ。シトリを一流の淑女レディに育て上げるべく、日夜奮闘していた。


「早いものですね。姫がこの城に来て、セレス君が世話をするようになって……もう十年以上」

「正確には、姫がこの城にさらわれて来てから12年と165日です、伯爵。では失礼します」


 追憶をなつかしむラドラブライトに付き合う素振りを微塵みじんも見せず、セレスは一礼するときびすを返した。この城の主を前にしても、全く物怖ものおじせぬその態度。

 それもそのはず……彼の主は実質、ラドラブライトではないのだから。

 ラドラブライト自身、それを望んで許していたから。


「そんなにちますか……成程なるほど、似てくる訳です。そうですか、もうそんな昔の話になってしまいましたか……」


 永遠の時を生きる魔王にとって、それはまばたきする刹那せつなにも等しい時間。しかし今、ラドラブライトには年月に埋もれた過去が、酷く遠く懐かしく感じられた。

 おとずれる冒険者もなく、戦いの喧騒けんそうはるか下層に遠い午後。ラドラブライトは肘掛にもたれてひとみを閉じると、心の思い出にそっと触れてみる。それは、今もんだ心の傷となり、絶え間ない出血にれていた。

 うとうとまどろむ魔王の思惟が、思い出と呼ぶには痛々しい過去へ沈んでゆく。


                  ※


 その過去を忘れない。

 一瞬たりとも、忘れられない。

 これからもずっと、忘れないだろう。

 あの日、ラドラブライトは必死で逃げてきた。居を構えて日が浅いこの城へ、命からがらといった思いで逃げ込んだのだ。

 元より血の気の無い白面を、さらに青白く強張らせたラドラブライト。

 彼は玉座の間に戻るなり、抑揚に欠く少年の声に呼び止められた。


「お疲れ様です伯爵、早速で恐縮きょうしゅくですが、少しお時間をいただけますか? まだ試作段階ながら、ついに完成しました」


 振り返ればそこには、つい先日この城へ強引に押し掛けて来た錬金術師れんきんじゅつしの姿。


「筋力も魔力もこれは人間並ですが、次はもっと質の高いホムンクルスを作れましょう」


 ただ呆然ぼうぜんと立ち尽くすラドラブライトにも構わず、少年は自分の作品を連れ、小難こむずかしい錬金学の専門用語をべらべらと講釈し始めた。

 さる大国より異端いたん扱いされて放逐ほうちくされた、禁忌きんきの錬金術師バイロン。

 ラドラブライトがその名前を、ぼんやりと思い出した頃、少年はやっと喋るのを止める。


「見た目はインパクトを重視しまして……おや? 伯爵……それ、どうされたのですか?」


 バイロンに指摘されて始めて、ラドラブライトは気付いた。

 自ら両手で胸に、赤子を抱えている事を。

 その顔を恐る恐る覗き込むと、不思議そうにじっと見詰める大きな瞳が、あどけない笑みでまたたいた。


「これは……この子は、。トリヒルの王女……姫君。さらって来て、しまい、ました」

「これはこれは……素晴らしいっ! 流石さすがは伯爵、魔王ラドラブライト! こいつは素敵です、面白くなってきました!」


 表情を異様な明るさで歪めて、バイロンは歓喜の声をあげた。

 そんな彼とは対照的に、己のした事の重大さに驚くラドラブライト。

 今の今まで彼は、自分の犯した大罪におののき、腕の中の小さな命を――トリヒルの王女、シトリの存在を忘れていた。

 そんなラドラブライトに構わず、バイロンは足踏みしてはしゃぎ回る。一人大声で笑いながら、眼前の魔王をあがたたえた。かたわらにひかえる、研究の成果物も忘れて。


「伯爵、すぐにホムンクルスを量産します。嗚呼ああ、楽しみですね……この城の迷宮ダンジョン化も急がねば。とびきりの魔宮まきゅうを構築しましょう!」

「その、待ってください……博士、バイロン博士。その、僕は――」

「騎士や剣士、神官に魔導士……大勢来るでしょう。その子を奪い返しに……クククッ」

「そ、そうですよね……僕はこの子をさらったばかりか、あの人を……あっ、博士」


 子供の様に歓声を上げて、バイロンは喜々として玉座の間を出てゆく。恐らく、自分で勝手に陣取り研究室に改造してしまったフロアに戻るのだろう。

 自分とは真逆まぎゃく高揚感こうようかんに盛り上がる彼を、ラドラブライトはただただ、力なく見送る他なかった。


「これは困りました、どうしましょう。僕はどうしたら」


 途方にれてうなだれれば、その悲観が手の内に浸透しんとうしてゆく。ラドラブライトの腕の中で、シトリの笑みは次第にかげり、表情が強張こわばっていった。ついにシトリの不安は爆発し、火が付いたように激しく泣き出してしまった。


「嗚呼、ど、どうすれば……おお、よしよし。参りましたね……泣きたいのはこっちの方なんですけど――ん? 君は?」


 いつも憧れの眼差まなざしで見詰みつめていた、あの人のように見よう見真似であやしてみる。不器用にシトリを泣き止ませようとするラドラブライトは、先程から無言でたたずむ人影に気付いた。

 目立つ銀髪に薄紫色の肌。先程バイロンに連れて来られたホムンクルスは、創造主に忘れられたまま、ずっとその場に立ち尽くしている。

 彼は無機質で無感情な声音で静かに己を語った。

 

「私はバイロン博士の作ったホムンクルスです」

「あ、ああ、そうでしたね……うん。名前は?」

「名前はありません。私は試作品ですので。多分、量産されても皆、名前は付けられないと思います。必要がないので」

「それは……少し不便ですね。っと、ああ、よーしよしよし、いい子だから泣き止んでください。お願いですから」


 会話が続かず、玉座の間にシトリの泣き声だけが響く。

 いかに超常ちょうじょうの魔力振るう魔王、無敵のラドラブライトと言えども……泣く赤子に対しては、ただただ無力だった。

 その首をねるとか心臓をえぐる以外に、泣き止ます方法が思いつかない。

 そしてそれが選べぬ選択だと、彼の深い悲しみが告げていた。


「――ホムンクルスというのは、子守こもりはできるのでしょうか?」

「はあ、やってみない事には……」

「ではお願いできますか? どうやら僕では無理みたいです……こう見えても僕は、本来なら子供を泣かせる立場なので」

「そのようですね、伯爵。では姫をお預かりします。必要な物は全て、博士に都合して貰いますのでご安心を」


 ラドラブライトの手の内から、危なげなくシトリを受け取るホムンクルス。彼はとりあえず、精製時に叩き込まれた知識を総動員して子守に従事じゅうじすることとなった。

 無論、彼にも自信はないだろう。

 だが、剣や魔法で戦うよりも、試作型の脆弱な個体には向いてるとも思える。


「では頼みます、セレス君。僕は少し、一人で泣きますから」

「は? あ、あの、伯爵……今、何とおっしゃいました?」

「君の名前です、セレス君。今日からシトリ姫に仕えて、よく面倒を見てあげて下さい。名前がないというのは不便ですからね」

「いえ、そのあとの……あ、ええ、はい。おおせのままに」


 恐怖の魔王はその時、すすけた背中を向けて玉座に、倒れこむように顔をせた。まるで昨日のことのように思い出せる、その日がラドラブライトの悲しみの根源だった。


                  ※


 戦えないホムンクルスに名を与え、逃げるようにシトリを押し付けた。そうして二人を玉座の間から締め出し、一人で流した涙を今でも覚えている。残虐非道あんぎゃくひどうの魔王が、まさか泣けるとは自分でも思ってもみなかった。

 思い出す今はこぼれる涙も枯れ果てて……ただ死を願い、勇者を待ち受ける日々。だが、自分を倒す正義の勇者は、まだ現れてはくれない。

 そんなことを考えていたら、ラドラブライトの意識は現実に引っ張り戻された。

 耳に心地よい、弾んだ瑞々みずみずしい声によって。


「おじ様! こちらにはもう、セレスが来ました?」


 物思いにふけっていたラドラブライトが顔を上げれば、肩で呼吸するシトリの姿があった。溌溂はつらつとした笑顔で、足取りも軽く玉座へと駆けて来る。


「先程来ましたよ……姫を探していたみたいですが。今日は絵画かいがですか? それともテーブルマナー?」

「楽器を習った方がいい、って……でもわたくし、歌の方が好きですわ。ハンクに教えて貰いましたの。そうですわ! おじ様、歌って差し上げます!」


 そう言うとシトリは、玉座の肘掛に飛び乗り腰掛けると、楽しそうに魔物達の歌を歌い出した。その歌詞の内容の、半分も理解せずに。恐らくセレスが聞いたら、余りに粗野そやで下品な内容に卒倒そっとうしてしまうだろう。

 調子外れの、しかし良く弾む歌声。それは、聞き付けたセレスがすっ飛んで来るまでの間、傷心しょうしんのラドラブライトを優しくなぐささいなんだ。顔立ちだけでなくその声までもが、忘れられぬ喪失感そうしつかんを呼び起こすから。

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