第2話「魔王と迷宮の魔物達」

 辺境の小国、トリヒル王国。

 その狭い領地の片隅に、ゆいくに全土の注目を一身に集める、奇怪な古城が存在していた。

 ある者は富を求め、ある者は名声を求め……誰もがいさんでこの地につどう。かつて世界を震撼させた魔王、ラドラブライト伯爵はくしゃく居城きょじょうへと。


 まだ赤子だったトリヒルの姫君をさらい、邪悪な魔王がこの城に居座いすわってより十余年……今ではもう、打倒ラドラブライトを叫ぶ者達の冒険は日常化していた。

 協約きょうやくの存在も手伝って、大国の名だたる騎士や魔導士までもが腕試しにとこの城を訪れる。しかし、城内くまなく迷宮ダンジョン化されたラドラブライト城は、一度も勇者の凱旋がいせんを許しはしなかったが。


「おいっ、魔法で援護してくれっ! 何でもいい、はじのホムンクルスを黙らせろ!」

「ちょ、ちょっと待ってくださ……ああもうっ、呪文を詠唱えいしょうする時間を下さいよぉ!」


 今日もラドラブライト城の迷宮に、栄光を目指す冒険者達の悲鳴がこだまする。当然のことだが、誰もがすんなりとラドラブライトの玉座へ辿たどける訳ではない。勇敢な人間達を待ち受けているのは、なにも魔王だけではないのだから。

 今も冒険者達のパーティが一つ、魔物達に追い詰められていた。


「まっ、待ってくれ……参った! 降参だ」

「まだ死にたくねぇ、つーか死なないって話だったろ?」


 薄暗い回廊かいろうに等間隔でともる、松明たいまつの明かりが敗者を照らす。袋小路に追い詰められた男達は、眼前の魔物達へ必死で懇願こんがんした。冒険者達でにぎわう迷宮に、今日も勇者になりそこねた者達の命乞いのちごいが響く。

 男達を囲む魔物の群れから、屈強な体躯のコボルトが歩み出た。

 彼は隣に佇むホムンクルスの青年に笑いかけつつ陽気に喋る。


「そいつぁアンタ次第だな……なぁ相棒?」

「戦闘不能を申告していただければ、協約に従い解放しますよ」


 無骨な戦斧ハルバードもてあそびながら、ホムンクルスの言葉にコボルトはニヤニヤと頷く。

 彼の名はハンク。

 迷宮内の魔物達を取り仕切る、このラドラブライト城の現場責任者だ。

 そして、答える人影は薄紫色の肌を持つ人造生命……この城で生み出されたホムンクルスの兵士だった。

 面白半分に煽って、ハンクは魔物と迷宮の恐ろしさを演出する。

 それもまた、彼に与えられた仕事の一つなのだった。


「それともアレか? アンタ等も勇ましく戦い散って、自分の信仰心しんこうしんを試してみるかい?」

遺体いたいもちゃんとお返ししますよ。教会での蘇生率そせいりつは二割を切ると聞いてますが」


 大声で「灰になっちまうかもしれないしな!」とハンクが振り返ると、周囲の魔物達からどっと笑いが巻き起こった。無論冗談であったが、戦意のえた冒険者達をあきらめさせるには、充分すぎる一言。

 男達は溜息ためいきこぼすと、ふところから革袋の財布を取り出し、無造作に投げ捨てた。

 拾い上げるハンクは内心、ちょろい仕事に笑いが止まらない。


「へへ、毎度ありっ! なぁに、全財産の半分で命が買えるんだ、安いモンだろ?」

「では、城門までお送りしますよ。どうぞこちらへ」


 革袋を拾い上げ、中に詰まった金貨や宝石を数える。ハンクはキッチリ半分を鷲掴わしづかみにすると、残りの半分を投げ返した。忌々いまいましそうに受け取る男達は、ホムンクルスの案内にぐったりとこうべを垂れる。


 魔王ラドラブライトを倒し、とらわれのシトリ姫を救い出す……その英雄的大冒険を実行する為、毎日多くの者達が魔城をおとずれる。彼等は皆ひとしく、トリヒル王国がラドラブライトと交わした協約によって守られていた。

 その一つに、戦闘不能を申告すれば、全財産の半分と引き換えに見逃されるという取り決めがある。

 ハンクがホクホクと今日の収穫を数え直していると、側で声があがった。

 戦利品の分配で忙しいハンクへ、別のコボルトが不満を漏らす。


「しかし面倒臭めんどくせぇな、ハンクの兄貴あにきよぉ……殺して全部奪っちまえば早いんじゃねぇか?」


 彼等はもともと、荒野や街道かいどうで旅人や行商キャラバンを襲い、金品や食料を強奪して暮らす無頼ぶらいの魔物である。このように手間が掛かる上に、半分しか巻き上げられないのでは、物足りなさを感じるのも当然だった。

 ハンクも最初はそう思っていた。

 だが、長期的に見れば……この迷宮での、協約に従ったシノギはもうかる。


「馬鹿野郎、良く考えてみな。逃がせばあの連中はまた、装備を整え再び挑んで来るんだぜ?」


 その日暮らしの稼ぎではない。奪って、帰して、また挑まれて。そしてまた奪って、帰してやる。このサイクルが確立している今、定期的に安定した収入の得られるラドラブライト城は魔物達にも人気になりつつあった。

 そして、ハンクの声を後押しする可憐な声があがった。


「そうですわ。わたくしが囚われてる限り、こちらの方々はきっとまた来て下さいます」


 不意に快活な少女の声が響き、魔物達のむれが二つに割れた。その真ん中から堂々と、シトリが現れる。

 彼女はスカートを両手でつまんで、うやうやしく周囲にお辞儀を一つ。

 そして、帰る途中の冒険者達にもニコリと微笑んだ。


「冒険者の皆様、今日もご苦労様ですわ。お怪我はありませんか?」

「へ、へぇ……まぁ何とか無事ですわ。今日はもっと上の階で姫とお会いできるかと思ってたんですがねぇ」

「それより姫、伯爵に言ってやって下さいよぉ! このフロア、宝箱の中身がしょっぱ過ぎますって」


 本来なら最上階、玉座の間で勇者を待っている筈のシトリである。

 だが、こんな下層まで降りて来る事に、誰もが皆一様に驚かない。

 居並ぶ魔物達も、親しげに言葉を交わす冒険者達も。

 彼女の日課は、自由気侭じゆうきままな城内の散歩だったから。

 自分を救うべく、わざわざ来てくれた冒険者を真摯しんしねぎらい、柔らかな笑みで見送るシトリ。彼女はスカートの裾をひるがえし、くるりと魔物へと向き直る。自称邪悪な魔物達は皆、一様に不敵な笑みで彼女を迎えた。


「よぉ、おじょう……今日のお勉強は終わりかい?」

「ハンク、ご苦労様です。皆様も。退屈なので逃げて参りましたわ」


 シトリは魔物達を恐れるどころか、親しげに微笑む。ハンクの傍らに立ち、彼女はにこやかな笑顔で周囲を見渡した。自然と場の空気がゆるみ、緊張感がほつれてゆく。人には懐かぬ猛獣でさえ、シトリに擦り寄りのどを鳴らした。

 だが、苦笑しつつホムンクルス達はやれやれと肩を竦める。


「それでは兄が……セレスが困っているでしょう。姫、お勉強も大事ですよ」


 ホムンクルスの一人が、シトリの教育係の名を出した。セレスはホムンクルス達の長兄で、シトリのお目付け役でもある。

 彼等ホムンクルスは皆、この城の衛兵にして近衛だ。

 シトリに対してはまるで主従のように従順じゅうじゅんである。


「セレスは良い教師ですわ、でもちょっと融通が利きませんの。貴方あなた達からも良く言って下さいまし」


 シトリは唇を尖らせ、僅かに声を弾ませた。

 彼女は他の魔物同様に、ホムンクルス達を自分の友人であるかのように想っているらしい。例えそれが、錬金術で生み出された人造生命でも。


「今日は誰も上に来ないので、おじ様もひまそうですわ」

「ラドラブライトの旦那にゃ悪いが、俺等も稼がせて貰わねぇとな」

「ええ、頑張って下さいまし……と言うのも、なんだか変な話ですわね」

ちげぇねえ! なにせ連中、お嬢を助けに毎日来てんだからな!」


 ハンクが豪快に笑うと、シトリも満面の笑みを浮かべてうなずく。

 この城に囚われて十余年……外の世界をほとんど知らぬシトリは、幼少の頃から魔物達に囲まれ育った。なんの恐れも疑問もいだかずに。魔物達もまた、物好きな少女に不思議と心を許してしまう。


「ま、人間共は一攫千金いっかくせんきんを狙い、俺等は安定した収入が得られる。いいじゃねぇか」


 ハンクの言葉に誰もが頷く。

 実際、外で闇雲に人間を襲うより、この城の方が遥かに効率が良かった。何せ相手は、日に何度も絶え間なく、英雄を夢見て押し寄せるのだから。


「ではわたくしも、おじ様やハンク達をシッカリ応援しますわ!」


 決意も新たに小さな手で拳を握り、自分に言い聞かせるようにシトリが頷く。

 再び笑いの渦が巻き起こった。

 ホムンクルス達や、グールにスケルトンといったアンデット達まで……皆が皆とは言わないが、この城に巣食すくう魔物達の多くは、この小さな囚われの姫君を好いていた。


「ははっ、まぁ俺等と旦那の目が黒い内は、そう簡単には――」


 ハンクの声を突然、ホムンクルスの叫びが遮った。


「ハンク! ああ、そちらでしたか! 至急、下のフロアに来て下さい」


 なごやかな歓談かんだんの時は、慌しい一報で打ち切られた。駆け付けたホムンクルスが、新たな冒険者達の侵入を告げる。

 ハンクの瞳に鋭い光が差す。

 周囲の魔物達にも、瞬時に緊張感がみなぎった。


「やれやれ、次のお客さんか。お嬢は最上階にぇんな。おう、誰か送って差し上げろ」

「大丈夫ですわ、ハンク。一人で戻れます」


 ハンクの声を待たずに、側に寄り添う魔物達をシトリは手で制した。彼女は優雅に一礼すると、来た道を軽快に走り出す。彼女は一度だけ振り向くと、大きく手を振り……名残惜しそうに、奥の昇り階段へと消える。その姿が見えなくなるまで、ハンクは目を細めて小さな友人を見送った。


「はは、相変わらず元気なお姫様だ……さて、ちょっくらんでやっか」

「騎士風の若い男が二人なんですが、厄介な事に神官を連れてます」


 一報をもたらしたホムンクルスが、すぐに詳細をハンクへ報告する。魔物の群は獲物を求めて、配置につくべく移動を始めていた。その誰もが皆、士気も高く鋭気に満ちている。我先にと、冒険者達が迫る階下へと駆けてゆく。

 ハンクも愛用の戦斧を担ぐと、号令を叫んで走り出した。

 その胸中を過ぎる、複雑な思い。


「ひょっとしたら、人間共に助けられた方が……お嬢のためになんのかね?」

「は? 何か言いましたか、ハンク」


 並走するホムンクルスに「何でもねぇよ」と短く吐き捨て、先行する仲間達を掻き分けると、ハンクは先頭に立って走った。常日頃から心の片隅にある、ささやかな疑問を振り切るように。

 人として生まれながら、人の世を知らぬシトリ姫。そのちを時々は、あわれに思う事もある。屈託の無い笑顔を向けられる度に、守ってやりたくもなるが……正直、何が彼女の幸せになるのかは、ハンクにはわからなかった。


「ま、考えても仕方ねぇ、そりゃ旦那の仕事だわな」


 自分に言い聞かせるようにつぶやくと同時に、階段を駆け上がって来た人間達へ襲い掛かるハンク。

 彼を初めとする魔物の軍団は、こうして今日も冒険者達の前に立ちはだかり、未来の勇者達から大金をせしめるのだった。

 可憐な一人の少女をほうじて、己の生活の為に。

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