PRACTICE QUEST

ながやん

第1話「魔王と囚われのお姫様」

 暗雲垂れ込める空の下、朽ちかけた古城がある。

 まるで澱む闇のような迷宮を内包した、魔王の居城だ。

 その最奥たる玉座の間に、今日も冷たい声が響き渡る。聴くものの心胆を寒からしめる、血の通わぬおぞましい声だ。


定命ていめいの者よ、か弱くはかない者達よ……さあ、我が前に勇気をしめせ」


 玉座にしどけなく身を沈めていた影は、ゆらりと気だるげに立ち上がった。薄暗い謁見えっけんの間へ、一瞬で殺気が広がってゆく。その圧倒的な重圧プレッシャーに、わずかにひる闖入者ちんにゅうしゃ

 この城のあるじは人の姿をしてはいるが、本質はまごうことなき魔の眷族けんぞくの力をあやつり悪の限りを尽くす、異界の魔神デーモン……魔王の中の魔王。

 大陸全土へ響きとどろく、その名は――ラドラブライト。

 神が見守る人の世を、混沌こんとんへ引きずり込もうとする絶対悪。

 愉悦の表情を冷たく凍らせ、彼は無謀な挑戦者たちへと進み出た。


「どうした? 遠慮はいらぬ……せいぜい足掻あがいて私を楽しませるがいい」


 嘲るような薄い笑み。

 無防備に進むラドラブライトから、溢れ出る闇が部屋を覆ってゆく。

 そんな魔王を前に集った男達は、口々に気勢を張り上げ剣を抜いた。魔物の巣食すく迷宮ダンジョン踏破とうはし、数多あまたの困難を乗り越え魔王に辿たどいた……彼等こそが、とらわれの姫君を救う勇者ゆうしゃだから。


「ラドラブライト伯爵、覚悟っ!」

「今日こそ姫をお救いする……このっ、我々の手で!」


 高い天井に輝くステンドグラスが、僅かに差し込む光で勇者たちの武器を輝かせる。

 四人組の男たちは、口々に声を張り上げラドラブライトに踊りかかった。

 ――が、勝負は一瞬で決した。

 強力な武具を装備した手練てだれ達が相手でも……ラドラブライトは苦もなくそれを退しりぞける。持余もてあます魔力を一片いっぺんも使わず、みなぎる暴力をほんの少し使うだけで。

 襲い掛かるなり小指で吹き飛ばされ、男達は圧倒的な力の前になすすべなく屈服した。


「バッ、バケモンだ……うわさたがわぬバケモンだ!」

「だから言ったじゃないですか、まだ挑むには早いってー!」

畜生ちくしょう、イけると思ったのになぁ? やっぱバランス悪いわ、このパーティ」

「だから、誰か回復役ヒーラーと代われっていったのに、これだから!」


 緊張感きんちょうかんはじけた。

 闘争の空気が霧散むさんして、男達は一目散いちもくさんに逃げ出す。まるでそう、

 戦われたのは、互いに退けぬ光と闇の最終決戦――などではない。

 この辺境トリヒル王国で誰もが体験する。毎度御馴染おなじみみの日常風景に過ぎなかったのだから。

 そして、ラドラブライトもまた豹変する。

 彼はつり目の細面をやめ、おろおろと情けない顔で勇者達を追った。


「あっ、あのぉ! ちょっと! でっ、できれば所持金しょじきんの半分を――」


 様変さまがわりしてしまったのは、場の雰囲気ふんいきだけではなかった。脱兎だっとごとく逃げ出す男達を、ラドラブライトはあわてて追い駆ける。すでに魔王の威厳いげんもなく、遠ざかる足音に今はオロオロとうろたえるばかり。


嗚呼ああ、逃げられてしまいました。ここまで到達した冒険者は久しぶりだというのに……」


 落胆らくたんの色もあらわに、ラドラブライトは肩を落とす。彼は女々めめしく男達が消えた廊下をしばし見詰みつめ、溜息ためいきを零した。やがて、一人で仰々ぎょうぎょうしい扉を閉じる。

 足取りも重く、ラドラブライトはいつもの定位置ていいちへと引き返した。

 華美かびな装飾と悪趣味な髑髏どくろをあしらった、過剰演出かじょうえんしゅつな魔王の玉座へ。

 座るなりずるずるとずり落ちながら、だらしなく彼は嘆きを歌う。


「ふぅ、これはいけません……いけませんよ。パッと見、期待出来そうな強面こわもてでしたがね。もっと頑張って戦ってくれないと……また、蹴散けちらしてしまいました」


 今日も本懐ほんかいげ損ねた。

 そればかりか、自らがおのれした責務せきむまっとう出来なかった。

 後者に関しては仕方がないとしても、前者に関しては毎度のことだ。想いとは裏腹に無敵過ぎる自分を、悔やんでも悔やみきれない。今日も魔王は、勇者に討伐されそこなったのだ。


 神がつくりたもうた、生けるもの全ての世界。唯一にして無二の大陸、ゆいくに。無数の国家が乱立する人間社会は、常に闇の軍勢におびやかされていた。神に仇為あだなす、邪悪な魔物……その頂点に君臨する魔王達によって。

 当然、ラドラブライトも魔王の一人なのだが、今は辺境トリヒル王国の片隅に引篭ひきこもり、毎日玉座でびている……自分を倒しうる、真の勇者の到来を。しかし、久しぶりに玉座まで辿り着いた勇者達を、あっさり戦意喪失に追いやってしまった。本気どころか負ける気満々だったが、勝ててしまった。

 黄昏たそがれながら虚空をぼんやりと見詰めるラドラブライト。

 その時、玉座の背後で可憐な声が小さく響いた。


「あの、おじ様? もうお仕事は終わりました?」


 耳朶じだを打つ声に振り向けば、玉座の影からエプロンドレスの少女が現れた。大きな瞳が二つ並んで、あわれなこの城の主を見詰みつめていた。紅茶色こうちゃいろの髪が広く輝くオデコに掛かる。

 あどけなさの残る顔立ちには、気遣きづかいの表情がありありと浮かんでいた。思わず心配させまいと、ラドラブライトは振り向きぎこちなく微笑ほほえんでみせる。


「久しぶりのお客様だったので、お茶をお出ししようと思ったんですけど」

「……姫、シトリ姫。貴女あなたはそんなに気を遣わなくてもいいんですよ」

「でも、皆様は御苦労なさって、わたくしを助け出しに来てくれてますし」

「ですね。……すみません、精一杯手加減てかげんしてみたのですが……今日もダメでした」


 幼い少女の名は、シトリ王女。悪の魔王ラドラブライトに赤子あかごの頃さらわれてきた、トリヒル王国の姫君である。彼女を助けるために、冒険者たちは毎日ラドラブライトの居城に押し寄せるのだ。

 シトリは落胆に暮れるラドラブライトをなぐさめるように、ピョコリと魔王の前に飛び出した。ティーセットの載ったおぼんを片手に。この城にとらわれてより十余年……物心付く前より、魔物に囲まれてシトリは美しく育った。いささかの緊張感も恐怖もなく、魔王をいつもおじ様呼ばわりである。

 どこまでも落ち込んでゆくラドラブライトを、シトリは懸命にはげまし始めた。


「でっ、でもっ! 冒険者の皆様をやっつけたということは、沢山お金が……」

「逃げられてしまいました。全滅ぜんめつに……全員戦闘不能せんとうふのうにしないとダメなんですよ。完全に戦意喪失してたみたいですけどね」


 ――もしくは皆殺しにするか。

 しかし幼い姫を前に、そのことはえて伏せるラドラブライト。


「そうでしたの……でもっ! 今日もおじ様が無事でなによりでしたわっ!」


 元気付けるはずのシトリがトドメとなって、ラドラブライトは肘掛ひじかけに突っ伏した。

 脱力感に苛まれ、心中はすで賢者けんじゃ境地けんじゃだ。

 小首を傾げるシトリを直視できない。

 邪悪な覇気もどこへやら、余りに情けない醜態しゅうたい

 しかしシトリは驚かない。

 これがの、彼女にとっていつものラドラブライトだったから。


「わたくし、今度冒険者の皆様が来たら言って差し上げます。勇者の癖に逃げるなど見苦みぐるしい! って」

「いいんですよ、姫。いろいろやりようはあったんですから。……その気になれば」


 その匙加減さじかげんが難しいのだと、と内心苦笑くしょうするラドラブライト。逃した悲願ひがんへの未練みれん気取けどられないように、精一杯明るく振舞いながら。ラドラブライトは、目の前でアレコレと思案をめぐらすシトリに目を細めた。


「それより姫、貴女にはもっと人質ひとじちらしくして戴かないと」

「まあ! ではおじ様、牢獄ろうごくとか手枷てかせとかを作って下さいな。わたくし、おとなしく座ってますわ」


 頬を膨らませて、シトリが無理難題むりなんだいを言い放つ。

 それ自体は協約に違反しないが……こんな薄気味うすきみ悪く辛気臭しんきくさい城へ連れてこられて十余年。そこまでしてはシトリがあまりに不憫ふびんだ。しかし、城の中での最大限の自由を許したのは、今では失敗だったのではとラドラブライトは振り返る。


 魔王ラドラブライトには、トリヒル王国と取り交わした協約がある。シトリ姫をさらい閉じ込め、奪い返しに来る者達に絶対の勇気を期待しながら……願い叶わず年月を重ねた末の協約が。

 ゆえに彼は、彼が望む瞬間の到来まで、悪の権化ごんげを演じ続けなければいけない。唯つ国全土の救世きゅうせいの為、トリヒル王国の経済の為、彼自身の願いの為。

 なにより、小さなシトリ姫のために。

 ふと、ラドラブライトは隣を見下ろす。

 玉座の肘掛けに身を乗り出して、シトリは楽しそうにラドラうbライトを見詰めていた。その大きな双眸に、情けない表情の自分が映る。


「姫、外の世界へ……トリヒル王国へ帰りたくはないのですか?」


 で付けられた黒髪をクシャクシャみだしながら、ラドラブライトは恐る恐るたずねた。物心付いた頃から魔物だらけの環境で育ち、一日の大半を薄暗い迷宮ダンジョンで過ごしてきたシトリ。故国ここくへ帰りたいと泣き暮らしてもおかしくない筈だ。

 しかしシトリは気丈きじょうな、そうである以上に物好ものずきな娘だった。


「あら、おじ様はわたくしに国へ帰って欲しいのですか?」

「うーん、取り合えずトリヒル王国は困るでしょうね。僕を討伐とうばつする理由がなくなってしまう」


 そして、ラドラブライトも困る。

 彼はか弱くも儚い人間達の、勇気ある挑戦に期待しているから。

 自分を倒しうる勇者の登場を待ちわびているから。

 そうとは知らず、シトリは歌うように声音を響かせる。


「でも、協約がある以上は、このお城は冒険者の皆様には魅力的な筈ですわ」

「それはそうなんですが……やはり、囚われの王女を救出という目的は欠かせないでしょう」


 辺境の弱小国とは言え、シトリはトリヒル王国の第一王女、ただ一人の姫君だ。助け出したとなれば、富と名声は思うがまま。まして、あの伝説の魔王ラドラブライトの討伐という、英雄的な偉業でたたえられるのだ。故に、大陸全土から冒険者達が『我こそは!』と集い……トリヒル王国とラドラブライトの協約が成立するのである。


「姫がこの城にいてくれるおかげで、トリヒル王国の沢山の人達がとても助かっているんですよ」

「それはわかっています。だからもう、帰りたいかなどとお聞きにならないでくださいまし」

「……そうですね、この話はこれっきりにしましょう。城の者達も皆、姫をしたってますしね」

「……おじ様も、わたくしにこのお城にいて欲しいですか?」


 じっと真っ直ぐにラドラブライトを見上げ、シトリが真剣な表情で問う。それは、囚われの姫君が悪の魔王に対して発する言葉ではなかったが。しばし考え込んだ後に、ラドラブライトは静かに首肯しゅこうを返す。

 たちまちシトリは、花咲くような笑みを輝かせた。


「ならいいですわ、わたくしが側にいて差し上げますっ!」


 シトリは常々つねづね言ってくれるのだ。あらゆる魔物をたばね、邪悪なホムンクルスを大勢したがえても……自分がいなくば、ラドラブライトはひとりになってしまう、と。唯つ国全土で恐れられながらも、その実どうしようもなく頼りない魔王を見ている彼女は、いつも親身になってくれる。親身である以上に気遣って、思いやってくれるのだ。

 

冒険者が挑んで来る度に、ラドラブライトは恐るべき魔王の仮面を身に付ける。

 今まで幾度いくどとなく、彼はそうして自称勇者達を退けてきた。

 しかし、その素顔を知るシトリは、その振る舞いに見え隠れする、暗い影を敏感に察知していた。それがなにかはまだ、はっきりとは理解していないようだが。

 恐らく、育ての親とさえ言えるラドラブライトの力になりたいと彼女は健気に思っているのだろう。

 魔王ラドブライトと、シトリ王女。それはとても複雑で奇妙な関係。


「まぁ、いいでしょう。お互い次の勇者様に期待しつつ……お茶にしましょうか? シトリ姫」

「はいっ! 大丈夫です、次はきっと上手くいきますわ。わたくしが保証して差し上げます」


 シトリがほろほろと笑う。その笑みは、暗黒のラドラブライト城に、まるで大輪の花が咲いたようで。しかしラドラブライトは、まぶしい笑顔を前に溜息ためいきを一つ。彼女が優しく笑う時、決まって思い出される懐かしい面影おもかげがある。

 月日が経つほどに、

 それもまた、ラドラブライトの胸中を穏やかならざるものにしているのだった。

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