第5話「魔王と最強のアンデット」
魔物がひしめく古城も、午後の日差しに暖かな時間がたゆたう。玉座に間では今、魔王ラドラブライトが腹心の老人から報告を受けていた。
魔の
「収支については以上ですじゃ。次に四階の
「すみません、
「はは、伯爵はお疲れですかな? しかし、この城の維持運営にも少しは――」
短い説教を
ゲルドスルフはネクロマンサーとして、ラドラブライト城を
ゲルドスルフとの付き合いは長く、ラドラブライトがこの国に来るずっと前……大陸中でまだ、恐怖の
もう、何十年も昔の話だ。
ゲルドスルフにとって、半生の向こう側に置いてきた時代。
ラドラブライトにとって、つい先程のように思える過去だ。
「ふう、これで全部ですか……毎度ながらお疲れ様です」
「伯爵の方からは何か、要望とかは無いもんかのぉ?」
長い長い報告を書き記した、
「あまり手の込んだ迷宮にする必要はありませんよ。僕の所まで来てもらわないことには……」
「迷宮内の仕掛けに関しては、バイロンの奴めが張り切ってましてな」
ラドラブライトの脳裏に浮かぶ、マッドアルケミストの不気味な
バイロンは非常に研究熱心で、
「まあ、バイロンめもそこそこ
「貴方達の迷宮を突破出来ぬ者に資格なし、ですか。わかりましたよ、教授」
そう、その程度の困難を
ラドラブライトは一人小さく
彼の言う資格とは己と戦う資格であり、己に死をもたらす資格……
「ところで伯爵、最後に一つ。トリヒル王国の冒険者ギルドから苦情が多数出てるんじゃが」
「はて、何でしょう? 三階の謎掛けが
ゲルドスルフは神妙な面持ちで姿勢を正すと、ラドラブライトに向き直る。
「我が娘、ネリアの件で……少しのぅ」
邪悪な
※
同時刻、ダンジョンの片隅では魔物達が集まっていた。場を取り仕切るコボルトのハンクは、弱り顔でホムンクルスたちを下がらせる。
「あー、待て待て! お前等、そんな頑張らんでもいいっ!」
「しかし当初の計画では、この立て看板をあそこに」
「ですからここは、私が行くと。ハンク、貴方は駄目です」
「そうです。現場指揮官の仕事ではありませんよ、これは」
迷宮内を
私が私がと仕事熱心なホムンクルス達は、同じ顔で口々にハンクへと任務遂行の意思を伝える。
「では、中を取ってわたくしが行くというのは
「だーっ! そりゃ駄目だ、お
ハンクは頭をくしゃくしゃ
「あの突き当たりに、その看板を立てれば良いのですわね? それくらいならわたくしでも」
「お嬢、床を良く見てみなって。こいつぁ、バイロン博士が作った不思議なタイルでよ」
よく目を凝らして見れば、長い一本道には複雑な
周囲のホムンクルス達の話では、それはどうやらバイロン博士の自信作らしい。
「このタイルの上を歩くと、普段より何十倍も体力を消耗します」
「ここ最近では一番の傑作だと、父が張り切ってました」
踏んだ者の体力を蝕む、錬金術で作られたタイル。それを用いた冒険者用の罠は、ハンクが
危険を警告する看板を読むためには、その危険を思い知らなければいけないのだから。
「ったく、看板を立ててからタイルを敷き詰めりゃ良かったんだよ……どーすっかなぁ」
その時、怜悧な声が走った。
低くくぐもるような、冷たい女の子の声だ。
「……私がやるわ。貸して、ハンク」
抑揚のない少女の言葉が静かに響き、皆が
シトリは笑顔を咲かせて駆け寄り、ふらりと現れた友人の手を取る。
「ネリア! お久しぶりですわ、今までどちらに? 最近見かけないので心配してましたわ」
「……
冷たく、血の通わぬ真っ白な手。しかし、シトリは驚いた様子もなく両手で包み込む。ネリアと呼ばれた少女は、大きな
ハンクが溜息を零す中、ネリアは平然と一本道の前に立った。
「ネリア、いくらお前さんだってなぁ……あ、ちょ、ちょっ、おまっ!」
「……いいから貸して」
シトリの手を静かに振り払うと、ネリアはハンクから軽々と立て看板を取り上げた。
なんの
たちまち
並みの魔物や冒険者であれば、一歩歩く
小さくなってゆく背中を眺めて、ハンクはやれやれと小さく零した。
「
「あらハンク、ネリアは
突き当たりに到達したネリアが、立て看板を無造作に床へ突き立てる。それを
周囲のホムンクルス達が、
「姫、彼女はゲルドスルフ教授の娘にして……
「私達が
ホムンクルス達の説明に、ハンクも腕組み何度も
ゲルドスルフ教授が
そのネリアだが、例のタイルの上を往復して戻ってきた。
並の冒険者ならそれだけで、戦闘不能に等しい消耗の筈だ。
「……終わったわ。あれでいい? ハンク」
「あ、ああ……い、いいんじゃねぇかな」
真っ直ぐ伸びる一本道の奥へ、
そしてシトリは、久々に再会した友人を前に笑顔だった。
「ネリア、お疲れ様ですわ! ネリアって凄いんですのね。今日はお暇ですの?」
「……別に。そうね、退屈だし……シトリ、
「はは、女の子同士仲が良いこって……でもな、お嬢。ネリアを下層に絶対に連れてくんじゃねぇぞ?」
王国との
だが、彼女にその自覚もなく、協約に従う気もない様子である。
気ままに城内を闊歩し、気が向けば遭遇した冒険者と戦う。
それは時として、
「わかりましたわ、ハンク。では、ごきげんよう。ネリア、博士の研究室に行って見ましょう」
「……好きにすれば」
ネリアの手を引き、シトリは走り出した。その光景を見送るハンクは、ホムンクルス達に声を
※
「下層で
ラドラブライトは、ふむ! と
「ではこうしましょう。ネリア君には大量の宝石や金品、その他
「伯爵、それは――」
「危険に対して見返りが釣り合えば、冒険者ギルドも納得するでしょう。ネリア君と戦うも逃げるも、冒険者達の好きにしてもらいましょう」
「では、今まで通り娘の……ネリアの自由を許して貰えるのじゃな?」
無言でラドラブライトが頷くと、ゲルドスルフの
協約があるとはいえ、命を
ネリア程度で根を上げる勇者であれば、彼の望みを
「娘も喜びます、あれは気まぐれで
そう言って目を細めるゲルドスルフは、初めて共に戦った戦乱の日々に比べて……
娘を
人間は一人の例外もなく、人間のまま永遠を生きられはしないのだ。
そしてふと、過ぎ去りし日の失われた生命を思い出す。
自分が奪ったのに、自分から永遠に喪失された人。
「もしあの時、教授がいてくれたら……もしかしたら僕も、あの人に……」
それが無意味な妄想であったとしても。ラドラブライトはその実現しない可能性を考えてしまう。楽しげにゲルドスルフが、愛娘の事を語って聞かせる度に。
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