第5話「魔王と最強のアンデット」

 魔物がひしめく古城も、午後の日差しに暖かな時間がたゆたう。玉座に間では今、魔王ラドラブライトが腹心の老人から報告を受けていた。

 魔の眷属けんぞくの頂点に君臨する魔王とて、睡魔すいまとの戦いはつらいのだ。


「収支については以上ですじゃ。次に四階の回転床かいてんゆかの件じゃが……伯爵はくしゃく?」


 朗々ろうろうと報告を読み上げる老人が、玉座で物思いにふける魔王を呼んだ。ふと我に返ったラドラブライトは、足を組み替え直すと、肘掛ひじかけ頬杖ほおづえを付いて欠伸あくびを一つ。


「すみません、教授きょうじゅ。聞いてますよ、続けて下さい」

「はは、伯爵はお疲れですかな? しかし、この城の維持運営にも少しは――」


 短い説教をはさんだ後に、教授と呼ばれた老人、ゲルドスルフの報告は続いた。

 ゲルドスルフはネクロマンサーとして、ラドラブライト城を徘徊はいかいするアンデットモンスターを召喚、精製、管理している。そのかたわら、迷宮ダンジョンを管理する要職も兼任していた。もっとも、こまごまとした事務手続きだけで、実務はバイロン博士に任せっ切りだったが。

 才気溢さいきあふれる錬金術師アルケミストは、喜々としてこの城をトラップだらけの魔宮へと作り変えていた。


 ゲルドスルフとの付き合いは長く、ラドラブライトがこの国に来るずっと前……大陸中でまだ、恐怖の権化ごんげとして暴れ回ってた頃までさかのぼる。当時、ゆいくに最大のとある帝国と大戦争をしていたラドラブライト。そんな彼に、人間でありながら協力する若き学者の姿があった。それが彼、ゲルドスルフである。

 もう、何十年も昔の話だ。

 ゲルドスルフにとって、半生の向こう側に置いてきた時代。

 ラドラブライトにとって、つい先程のように思える過去だ。


「ふう、これで全部ですか……毎度ながらお疲れ様です」

「伯爵の方からは何か、要望とかは無いもんかのぉ?」


 長い長い報告を書き記した、羊皮紙ようひしの巻物をしまうゲルドスルフ。彼が問うと、ラドラブライトはしばし考える素振りを見せた。そして、前から言おうと思っていたことを、迷宮の管理者に告げる。


「あまり手の込んだ迷宮にする必要はありませんよ。僕の所まで来てもらわないことには……」

「迷宮内の仕掛けに関しては、バイロンの奴めが張り切ってましてな」


 ラドラブライトの脳裏に浮かぶ、マッドアルケミストの不気味な笑顔スマイル

 バイロンは非常に研究熱心で、趣向しゅこうらした城内の仕掛けに、日々冒険者は悲鳴を上げている。


「まあ、バイロンめもそこそこ加減かげんしてやっとるんですわ……ここはワシ等にお任せあれ、伯爵」

「貴方達の迷宮を突破出来ぬ者に資格なし、ですか。わかりましたよ、教授」


 そう、その程度の困難を踏破とうはできぬ者に、資格などありはしない。

 ラドラブライトは一人小さくつぶやき、玉座に浅く腰掛け直す。背もたれに崩れるようにして、彼は腹の上で手と手を組んだ。

 彼の言う資格とは己と戦う資格であり、己に死をもたらす資格……すなわち、英雄の資格。


「ところで伯爵、最後に一つ。トリヒル王国の冒険者ギルドから苦情が多数出てるんじゃが」

「はて、何でしょう? 三階の謎掛けが難解なんかい過ぎるとか? あれはでも、黒衣こくい勇者ゆうしゃ伝説を知っていれば誰でも、それこそ子供でもけるはずですが」


 ゲルドスルフは神妙な面持ちで姿勢を正すと、ラドラブライトに向き直る。


「我が娘、ネリアの件で……少しのぅ」


 邪悪な背教者はいきょうしゃ、死人をべるネクロマンサーが眉根まゆねを寄せた。


                  ※


 同時刻、ダンジョンの片隅では魔物達が集まっていた。場を取り仕切るコボルトのハンクは、弱り顔でホムンクルスたちを下がらせる。


「あー、待て待て! お前等、そんな頑張らんでもいいっ!」

「しかし当初の計画では、この立て看板をあそこに」

「ですからここは、私が行くと。ハンク、貴方は駄目です」

「そうです。現場指揮官の仕事ではありませんよ、これは」


 迷宮内をにぎわす、魔物達の声。

 私が私がと仕事熱心なホムンクルス達は、同じ顔で口々にハンクへと任務遂行の意思を伝える。かたわらで見守るシトリは、一見して簡単そうな仕事の内容に、思わず口をはさんでしまった。


「では、中を取ってわたくしが行くというのは如何いかがでしょ――」

「だーっ! そりゃ駄目だ、おじょう! いいか、よーく見てみな」


 ハンクは頭をくしゃくしゃきながら、シトリを問題の区画へと連れてゆく。そこは四階の隅を走る長い回廊かいろうで。暗くてよく見えないが、行きつく先は袋小路ふくろこうじだ。


「あの突き当たりに、その看板を立てれば良いのですわね? それくらいならわたくしでも」

「お嬢、床を良く見てみなって。こいつぁ、バイロン博士が作った不思議なタイルでよ」


 よく目を凝らして見れば、長い一本道には複雑な紋様もんようきざんだタイルが敷き詰められている。ぼんやりと怪しげに光るタイルは、行き着く先の袋小路までずっと続いていた。

 周囲のホムンクルス達の話では、それはどうやらバイロン博士の自信作らしい。


「このタイルの上を歩くと、普段より何十倍も体力を消耗します」

「ここ最近では一番の傑作だと、父が張り切ってました」


 踏んだ者の体力を蝕む、錬金術で作られたタイル。それを用いた冒険者用の罠は、ハンクがかかえている『危険! 不思議なタイルは体力を奪うぞ!』の立て看板を、突き当たりに設置する事で完成する。ひどく悪趣味でいやらしい、いかにも博士が考え付きそうな冒険者イジメだ。

 危険を警告する看板を読むためには、その危険を思い知らなければいけないのだから。


「ったく、看板を立ててからタイルを敷き詰めりゃ良かったんだよ……どーすっかなぁ」


 その時、怜悧な声が走った。

 低くくぐもるような、冷たい女の子の声だ。


「……私がやるわ。貸して、ハンク」


 抑揚のない少女の言葉が静かに響き、皆が一様いちように振り向いた。

 シトリは笑顔を咲かせて駆け寄り、ふらりと現れた友人の手を取る。


「ネリア! お久しぶりですわ、今までどちらに? 最近見かけないので心配してましたわ」

「……棺桶かんおけで寝てたわ。あと、下層をブラついたり」


 冷たく、血の通わぬ真っ白な手。しかし、シトリは驚いた様子もなく両手で包み込む。ネリアと呼ばれた少女は、大きなが縦に走る顔に表情もとぼしく、眠そうなにごったジト目でシトリを見詰めた。

 ハンクが溜息を零す中、ネリアは平然と一本道の前に立った。


「ネリア、いくらお前さんだってなぁ……あ、ちょ、ちょっ、おまっ!」

「……いいから貸して」


 シトリの手を静かに振り払うと、ネリアはハンクから軽々と立て看板を取り上げた。

 なんの躊躇ちゅうちょもなく、くだんの通路へ踏み出す。

 たちまちまばゆい光と共に、タイルに封じられた術式じゅつしきが発動した。

 並みの魔物や冒険者であれば、一歩歩くたびに多大な消耗を強いられるはずだ。しかし、まるで普段と変わらぬ足取りでネリアは進んでゆく。むなしく発動する術式の光を引き連れて。

 小さくなってゆく背中を眺めて、ハンクはやれやれと小さく零した。


流石さすがはこの城で最強のアンデット、ってか? ちょっと真似まねできねぇな」

「あらハンク、ネリアは貴方あなたよりも強いのですか? ホムンクルス達よりも?」


 突き当たりに到達したネリアが、立て看板を無造作に床へ突き立てる。それをながめながら、シトリはハンクを見上げて首を傾げた。

 周囲のホムンクルス達が、薄紫うすむらさきの顔を真面目に強張こわばらせながら教えてくれる。


「姫、彼女はゲルドスルフ教授の娘にして……最高傑作さいこうけっさくです」

「私達がたばになっても、まったくかなわないでしょう」


 ホムンクルス達の説明に、ハンクも腕組み何度もうなずく。

 ゲルドスルフ教授がかつて若かりし頃……ラドラブライトと共に世界をおびやかしていた時代。彼は最愛の愛娘まなむすめを不幸な事件で失い、最強のアンデットとして復活させた。恐るべき怪力に、驚異的な耐久力。決してちずいず、そして成長しない永遠の少女、ネリア。

 そのネリアだが、例のタイルの上を往復して戻ってきた。

 並の冒険者ならそれだけで、戦闘不能に等しい消耗の筈だ。


「……終わったわ。あれでいい? ハンク」

「あ、ああ……い、いいんじゃねぇかな」


 真っ直ぐ伸びる一本道の奥へ、わずかに見える立て看板。このフロアの重要なヒントと思い込んで、明日からここを通る冒険者達は我先にと進むだろう。本当にバイロン博士は人が悪い、と苦笑するハンク。

 そしてシトリは、久々に再会した友人を前に笑顔だった。


「ネリア、お疲れ様ですわ! ネリアって凄いんですのね。今日はお暇ですの?」

「……別に。そうね、退屈だし……シトリ、貴女あなたに付き合ってあげる」

「はは、女の子同士仲が良いこって……でもな、お嬢。ネリアを下層に絶対に連れてくんじゃねぇぞ?」


 王国との協約きょうやくでは、ラドラブライト城は。本来なら最強クラスのネリアは、玉座の間周辺位しか居場所のないレベルなのだ。

 だが、彼女にその自覚もなく、協約に従う気もない様子である。

 気ままに城内を闊歩し、気が向けば遭遇した冒険者と戦う。

 それは時として、新米ルーキー達で賑わう下層、城の入り口付近でもお構いなしだった。


「わかりましたわ、ハンク。では、ごきげんよう。ネリア、博士の研究室に行って見ましょう」

「……好きにすれば」


 ネリアの手を引き、シトリは走り出した。その光景を見送るハンクは、ホムンクルス達に声をひそめてこぼした。遭遇する冒険者達から、文句を言われる可能性が大幅に減った、と。


                  ※


「下層でまれにネリア君と遭遇してしまう、と。そう苦情が来ているのですね」


 ラドラブライトは、ふむ! とうなると、形良いおとがいに手を当て考え込んだ。恐縮きょうしゅくした様子で、あるじの言葉を待つゲルドスルフ。


「ではこうしましょう。ネリア君には大量の宝石や金品、その他稀少きしょうな品を持たせる、と」

「伯爵、それは――」

「危険に対して見返りが釣り合えば、冒険者ギルドも納得するでしょう。ネリア君と戦うも逃げるも、冒険者達の好きにしてもらいましょう」

「では、今まで通り娘の……ネリアの自由を許して貰えるのじゃな?」


 無言でラドラブライトが頷くと、ゲルドスルフの白髭しろひげに覆われたほおゆるんだ。

 協約があるとはいえ、命をして勇気を振り絞り、魔王を倒して英雄になろうというのだ。城内をうろつく規格外の強敵にも、臨機応変りんきおうへんに対処して貰いたい。ラドラブライトはそう思い、そうでなければと自分にも言い聞かせる。

 ネリア程度で根を上げる勇者であれば、彼の望みをかなえることなど無理に違いないから。


「娘も喜びます、あれは気まぐれで我侭わがままな所がありましての。でも、この城は気に入っておるのです。親馬鹿おやばかと笑うてくだされ」


 そう言って目を細めるゲルドスルフは、初めて共に戦った戦乱の日々に比べて……随分ずいぶんと老いて小さく感じる。それが人間なのだと、ラドラブライトは溜息ためいきを一つ。

 娘を溺愛できあいする余り、不死の命を与えてしまった男。その彼は、確実に老いている。そして、それにあらがう素振りも見せない。となれば自然と、別れの時はやってくるはずだ。

 人間は一人の例外もなく、人間のまま永遠を生きられはしないのだ。

 そしてふと、過ぎ去りし日の失われた生命を思い出す。

 自分が奪ったのに、自分から永遠に喪失された人。


「もしあの時、教授がいてくれたら……もしかしたら僕も、あの人に……」


 それが無意味な妄想であったとしても。ラドラブライトはその実現しない可能性を考えてしまう。楽しげにゲルドスルフが、愛娘の事を語って聞かせる度に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る