第1章 雨上がりの午後、猫を拾った②

 振り込め詐欺はシステマティックな形態を取る。組織ぐるみで行われる詐欺であるため、その手口はマニュアル化され、誰でも簡単に行えるようになってはいるものの、その反面大きな人数が必要となってきている。警察が満足に検挙できずにいるのも、相手が組織化しているという点が大きい。捕まえられるのは組織の末端、蜥蜴の尻尾だけ。そして尻尾に意思はなく、ただ反射で動いているだけに過ぎない。組織を一網打尽にするだけの有用な情報は持っていない、持たされていないのである。

 警察に、詐欺グループを出し抜けるだけの体力も知力もない。運良く詐欺に気づき通報してくる市民を引き当てるような、そういう棚牡丹でしか捕らえることはできていないのだ。

 もっとも、それは警察機構が表の組織だから、という理由が大きい。詐欺グループを捕らえたいのならば、同じ穴に飛び込む必要がある。

 警察に見つけられないようなことでも、同業ならば、存外、苦労もなくその情報を掴むことができるものだ。

「さて」

 私は黒縁の伊達眼鏡を掛け、呼吸を整える。目的のビルを見つけ、そちらに足を向ける。

 ビルは四階建て。通りに面している一階は飲食店と携帯電話会社のショップ、二階に学習塾と不動産関係。四階は居住スペースとなっており、三階には聞いたこともない名前のオフィスが入っている。

 私は裏へと回り階段を探した。ビルの裏へ回ると数台の駐車スペースがあり、無骨なコンクリートの塊に名字の書かれた白いプレートが貼られている。そのスペースに今は一台も駐まってはいない。錆びた郵便受けと室外機に挟まれている螺旋階段を使い、三階へと向かった。

 表とは違い、こちら側には看板らしいものは何も出ていない。とりあえず私は、手前の部屋のインターフォンを押した。しばらく待ったが誰も出てこない。返事もなかった。私はもう一度インターフォンを押した。

 人の気配がないわけではない。いることはわかっている。私が肩を竦め、もう一度押そうとボタンに手を伸ばそうとしたときだった。

「はい……、どちらさん?」

 ドアが少しだけ開き、その隙間から厳つい顔が現れた。坊主頭に髭面という強面ではあるが、恐らく年齢はかなり若い。二十代前半、いや、それよりも若いかもしれない。

「あの、何か用ですか。セールス関係は断わってるんですけどね」

 語気からも苛立ちと警戒心が伝わってくる。

「ここじゃ何だから、中に入れてくれないか」

「はあっ?」露骨に顔が歪む。

 私はドアに手を掛ける。

「あ、おいっ!」

「困るのは君達だぞ?」

「はぁ? 何言って……」

 私は半ば強引にドアを開くと、青年を押しのけて部屋の中へと入った。

 事務所内には六人。全員が若い男だった。突然入ってきた私に面食らっているのだろう。しばし唖然としていた。

 部屋の中央に事務机が四つ向かい合うように設置されている。どの机の上にも固定電話が二台ずつ、携帯電話が複数台置かれていた。壁際にはホワイトボードがあり、そこに先月の営業成績らしきグラフが貼られている。先月は百七十万円で松井がトップらしい。

「おいこらぁ! 何勝手入ってきてんだ、おら!」百八十センチはあろうかという男が声を張り上げた。

 私は大男を無視して部屋の奥、一人だけプレジデントデスクに腰掛けている細身の男へ近寄った。恐らくはこの事務所内でのリーダー格だろう。男は椅子に座ったままの状態で、切れ長の目を私に向ける。

「お引き取り願えませんか?」男は落ち着いた口調でそう言った。「何のご用件か存じませんが、勝手に入ってこられるのは困りますね。不法侵入ですよ?」

「お前らが法を振りかざすのか?」私はわずかに口の端を上げる。「お前らが振り込め詐欺のグループだということは知ってる」

 細身の男の眉が釣り上がり、大男が乱暴に私の腕を掴んだ。

「てめぇ! いい加減にしろよ!」

「ここから逃げろ」

「は……?」

「今すぐ、ここから逃げろ」

 私はもう一度繰り返した。

「お前何言って」

「タケ」

 腕を引っ張るを大男を、細身の男が制した。大男は鼻から息を漏らすも素直に従い、腕を離した。

「これからここにガサが入る」

「なっ……」

 事務所内がざわめいた。私の後方で、若い男達が慌てふためく。目の前の男だけが冷静に腕を組み、私を見つめていた。

「それまでにここを片付け、出ていく方が身のためだな」

「静かにしろ、お前ら!」男は全員を一喝すると、私に向き直った。「何が目的だ。どうしてお前がそんなことを知っている。その話が事実だという根拠はどこにある?」

 態度は冷静を努めているように見えたが、やはり動揺はしているのだろう。わずかに口調が早くなり、口数も増えた。

 私は駅構内で買った朝刊を、男の机に放り投げた。

先日南堂なんどう会系の詐欺グループが摘発されたニュースは知ってるだろう? 奴らにも忠告したんだが、まあ、自業自得だな」

「あんた……、何者だ。どうしてガサがあることを知ってる。どうしてそれを教える? 何が目的だ」

 耳を傾ける気になったのか、男は立ち上がり、口調もわずかだが柔らかくなった。

「買ってもらいたいものがある」私は微笑む。

「買ってもらいたいもの? それは?」

「残念だが」私は腕時計を見る。「説明している時間はない。十一時にガサが入る」

「はぁ? って、もう時間がねえじゃねえかよ! おい、お前ら早く片せ!」大男が慌てて指示を出す。

「タケ! 待て!」

 細身の男が机を叩くと同時に大声を出した。リーダー格の怒声に、事務所内が静まり返る。

「そんな話、鵜呑みにすると思うのか?」

「疑り深いのは結構だがな。南堂会の二の舞になるだけだぞ」

「あんたがサツじゃないと証明できるのか? サツと通じてないという保証は?」

「いや、ない」私は素直に首を振る。

「な……」

「信じてもらうしかないな」

「根拠を示せと言ってるんだ。どうしてあんたがその情報を握っているのか、そしてその情報の信憑性はたしかなのか。それが示せないなら、何も信じないぞ」

 さすがにここの事務所を束ねているだけのことはある。三十路手前の優男かとも思ったが、ある程度は頭が回るようだ。

「時間になれば、私の話が正しいと証明できるが、それ以外にお前らを納得させるだけの何かはない。上にお伺いを立てるのもいいだろうが、そんな悠長なことをしている暇はないと思うがな」

「く……」

 細身の男は苦虫を噛み潰したような顔を見せ、私を睨む。

 後ろではまだあどけなさの残る少年達が、不安そうにこちらを見つめている。

「時間切れのようだな。私はここで失礼する」私は微笑み、片手を振った。

「ま、待てっ!」

 細身の男は下唇を噛みながら、私の顔と、部屋の壁に掛けられている時計、そして判断を待つ複数の少年達に視線を移した。

 そして、喰い付いた。

「急いで片付けろ! 口座、リスト、端末全部運び出せ!」

 細身の男に言われるがままに、少年達は動き始めた。

「賢明な判断だ」私は口の端を上げる。

「もし、ガセだったりしてみろ。ただじゃ済まないぞ」

 細身の男は私にそう凄むと、後方にある金庫のダイヤルを回し始めた。

「感謝の気持ちは金で支払ってもらうさ」

「ふん。いろいろと確かめさせてもらうからな」

「準備できました!」少年の一人がバッグを抱えながら言った。

「よし! お前らは先に行け。あとはタケの指示に従え、いいな?」

「はい」

 少年達は返事をすると足早に事務所を出ていった。

「ガセじゃないか確認する必要がある。付き合ってもらうぞ」

「ああ、私は構わない」

 私は細身の男とともに事務所を出て、螺旋階段を下りた。細身の男は慎重に表の通りを確認してから、小走りで道路を渡り、細い路地へ入っていく。私も遅れないように、彼を追った。

 細い路地を抜け、駅のロータリーへと出る。男は私に振り返り、駅ビルを指差した。中から確認するつもりだろう。私は頷き、男に続いて駅ビルの中へと移動した。

 男は入ってすぐ横のエレベータの前に立ち、パネルを操作する。忙しなく、何度もパネルのボタンを押している。ようやく降りてきたエレベータに乗り込み、扉が閉まるのを確認すると、男は大きくため息をついた。

 ガラス張りになっているため、振り返れば外の景色、左手の奥に男達の事務所が入っている雑居ビルが見える。男はそちらの方を気にしながら、腕時計を確認した。

「本当に十一時に?」

「そのはずだ」

「…………」

 エレベータは四階で止まった。降りてすぐ右手に飲食店が並んでいる。蕎麦屋に喫茶店、オムライス専門店などの看板が見える。昼前の時間帯ではあったが、主婦らしき女性客でどの店も賑わっているようだった。

 男は手前の喫茶店に入り、エプロン姿のウェイトレスに窓際の席を要求した。幸い、禁煙席に割り当てられている窓際の席に客はおらず、見晴らしのいい位置を確保することができた。

 私が適当にコーヒーを二つ注文したところで、時計の針は十一時を指した。男も、私も、窓の外を見つめる。

「あ……」

 雑居ビル正面の道路に、黒いバンが停まる。

「時間通りだな」

「嘘だろ……」

 黒いバンからスーツを着た男達が降りてきた。彼らはビルの裏手へと回っていった。

「ぎりぎりだったな」

 私は笑ってみせたが、男はそれどころではない様子だった。ただただ驚くばかり。彼の私を見る目は、先ほどよりも強い不審に満ちている。

「これで私が本当のことを言っていたと証明できたと思うが」

「何者だ、あんた……」

「同業だ」

 男は眉を顰め、渋面をつくる。

「何だ、同族嫌悪か?」

「違う、そうじゃない。どこの組の囲いだ?」

「勘違いするな。私は振り込め詐欺などしない。あれは素人のするものだ」

「詐欺にプロも素人もあるかよ」男は舌を鳴らして、シャツの胸ポケットから取り出した煙草を咥えた。

「ここは禁煙席だ」

 私が指摘すると、男は先ほどよりも強く舌打ちをし、ため息をついた。

 主婦らしき四人が店を出ていった。これで店内に残っている客は私と男の二人だけになった。ランチ前の喫茶店など、こんなものだろう。奥からウェイトレスがコーヒーを運んできた。彼女は伝票をテーブルの端に置くと、軽く頭を下げて戻っていった。

「どうしてあんたは今日のことを知っていた?」男はコーヒーの角砂糖を三つも入れながら聞いた。「同業だから、なんて理由は通じないぞ」

「同業だから、というよりは、プロだからだ」私はコーヒーを一口飲む。香りは薄かったが、味は良かった。「大した資源があるわけじゃない。広大な土地があるわけでもない。宗教で人を束ねているわけでもない。そんなこの国が、リードをするためには情報しかないんだ。そしてそれは個人レベルでも同じこと」

「…………」

「情報も持たずにこの稼業をやるようでは、子供の小遣い稼ぎだ。大人にいいように使われて、いらなくなったら捨てられる」私は男の眼を見つめながら微笑む。「まあ、捨てられる方が幸せだな。情報を持っていない分、それだけで済むんだから。だが、お前は違うだろう?」

「……なるほど、たしかにプロだな」

 男は睨むような目を向けながら、しかし口許を緩めた。

「不安を煽ることで交渉を自分のペースに持ち込む算段か。しかも自分の情報は相手に与えず、質問の内容をはぐらしながら……。フェアじゃないな」

「フェア?」私は掌を広げる。「私がお前達を助けてやったこと、もう忘れたのか? そもそもが対等な立場ではないことを自覚するんだな」

 男は何か言いたげな表情を見せたが、自分の立場がわからないほどの馬鹿でもなかったようで、しばらくしてつまらなそうに息をついた。

「はぁ……、わかったよ……。あんたの言うとおり、たしかに、借りはできたみたいだしな……」

「素直でよろしい」

「まったく。で? 買ってもらいたいものがあるって言ってたけど」

「情報だ。まあ、今回のようなことを未然に防ぐものと考えてもらえればいい」

「いや、それならありがたい話だけど……。いくらだ?」

「月に百。ガサ回避の際には二百上乗せ」

「足下見やがって……」

「そうか? 稼ぎの五パーセントから十パーセントで保険が利くんだ。妥当なものだろう」

「わかった……。だが、情報は正確なんだろうな?」

「それを努めている」私は微笑み、コーヒーを飲んだ。「さて、もう少し話を詰めよう」

「まだ条件があるのか?」男は怪訝な表情を示し、胸の前で両腕を組んだ。

「基本的なことだ。まず、抱えている事務所は全部で何カ所ある? それともすべて組に世話してもらってるのか?」

「ここも含めて三つ。用意してもらったのはここだけ。まあ、ガサが入ったことを言えば、新たにいくつか用意はしてもらえるだろうけど……」

 私は手帳から紙を一枚引き千切り、それをペンと共に男の前に差し出した。

「すべて書き出せ」

 男は渋面を崩さなかったが、それでも素直にペンを走らせた。男の右手の親指と中指には指輪が嵌められている。親指のものは装飾もシンプルなリングだったが、中指のものは、少し毛色が違うものだった。角張ったデザインだが、光り輝くようなものではなく、むしろ濁ったように光る鈍色の、鈍重なもの。ある漢字をモチーフにされた意匠。とある暴力団、その構成員であることを示すそれは、忠義や忠誠を表わすと言うよりも、格下のチンピラが保身のために身につけているような、そんな安い印象を与えるものだった。

「通帳などはいつも事務所の金庫に置いてあるのか?」

「ああ……、そうだけど……」男は頷きながら自身の左胸辺りを気にした。

 先ほど事務所を出る際、男は金庫から口座の通帳を左胸の内ポケットへ仕舞い込んでいた。そしていくつかの現金と印鑑は鞄の中にある。

「不用心だな。手元に置いておくのは最低限のものだけにして、銀行の貸金庫などに預けろ」

「いろいろと厳しくなってるのはあんたなら知ってるだろう?」

「それでもだ。いざというとき、それが足枷になる」

「そうだな……」

 男は書き終えたメモをこちらに回す。詐欺グループの根城の住所と男の連絡先がいくつか書かれている。私はそれを受け取りながら、もう一枚、男に紙を渡した。

「私の連絡先だ。だが、無闇に掛けてくるな。本当に差し迫ったときだけ、そして必ず公衆電話を使うこと。自分の行動範囲に設置されている公衆電話くらいは把握しておけ」

「わかった」

 私はコーヒーを飲み干し、腕時計を見る。午前十一時十五分。

「よし、では行こうか。急場は凌いだとは言え、まだこの辺りを警察がうろついているだろうからな」私は立ち上がり、伝票を男へ渡した。

 男は一瞬顔を顰めたが、特に文句を言うわけではなかった。

「そういや、あんたの名前は?」

霧咲きりさきだ」

「俺は」

「知ってる。ふくだろ」

「大した武器だな、情報ってのは」

 服田は顔を引きつらせるようにして笑い、細身の体躯を揺らした。

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