#A2 amaranth ambassador

第22話 a:a - 1  encore:re:re

【”通信■■る記■を■始”】

【被■者No = 0■3】

【■ODE = A】

【NA■E = ■■■IRO ■■DA■■■A】

【”通信ノイズ検知”】

【”修正プロトコル起動”】

【”データパルス増強開始”】

【”システム再起動”】

【“通信による記載を開始”】






 2029年8月某日。東京某所。


 蝉の声のうるささに耳を塞ぎたくなる。うだるような暑さにじっとりと囲まれ、息を吸うのも酷く億劫だ。

 私は公園のベンチにしなだれかかっていた。塗装が剥げてささくれ立った部分を避けて、背もたれに腕をのせるとそのまま溶け出してしまいそうだった。

 現実感がない。

 それは、錆びついていながらも原型をとどめた遊具のある公園だったり、青々と茂った葉から零れてくる木漏れ日だったり、鬱陶しくて仕方のない蝉の鳴き声に私が慣れ親しんでいないからだ。どれもこれも、物珍しい。

 しかし、この時代はもう少し人がいるものだと思っていた。道路も公園も、店舗ですら通りゆく人たちは少ない。人がいたとしても誰も彼もが不安そうな顔を浮かべて足早に逃げ水を踏み越そうとする。店で働いている人も、笑顔の裏で何かを気にかけている。どこもかしこもぎこちなかった。――そう、こちらの方は、まだいくらか現実感がある。私の、よく知る光景だ。


 それらの原因は、ゴミ箱にねじ込まれた古新聞が物語っていた。『アウトブレイク』の始まった年を選んだのだから、そうでなくてはむしろ困る。

 まともに回収作業の行えなくなった公園のゴミ箱からは酸っぱい匂いが漂っている。時折風に乗って私の鼻腔を突いて、ひどく不快だった。


 話で聞いていたよりも状況はよくないのかもしれない。記録媒体はもうほとんど残っていなかったから事前に情報をかき集められるだけ集めたが、案外時間の無駄だった。

 時間の、無駄。

 もう考えないようにしようと思っていた言葉が、自然とよみがえってきて不快になる。墓場から起き上がってきたゾンビみたいだ。


 それにしても暑い……。目的を果たす前にこれでは熱中症にでもなってしまいそうだ。いや、まぁ、ナメていたんだけど。温暖化もそれほど進んでいなかったって聞いてたから、てっきり涼しいものだと思っていた。


 じめじめしたと熱気に沈んでいく。空は青く、高い。噴煙のような雲の塊。水をたっぷり含んだアクアリウムに、ごぼりと浮かぶ口から吐き出した泡――そんなものを想像する。

「大丈夫ですか?」

 そんな風に声をかけられて私はハッとして反射的に上体をベンチから起こす。


 そこにいたのは、少年だった。


 まだ幼さを残した顔だちで、15歳くらいだろうか。心配そうに眉根を寄せて、こちらをじっと見ている。手に1冊の本と2つの赤い缶を抱えていた。

「えっと、おねえさん、ぐったりしてたから。とりあえず、これ、どうぞ」

 少年は抱えていた缶の内の1つを私に差し出した。

「……君は?」

 手を伸ばしあぐねて、私はとりあえず少年に尋ねた。ついぶっきらぼうになってしまいそうになる。

 私がいぶかしげに見ていたからか、少年は少し身構えた後、人懐っこそうな笑みを浮かべて、


「おれは、エンジョウノゾム、っていいます。炎に条約の条、希望の望で、炎条望です」


 ご丁寧に名前の漢字まで教えてくれた。しかも暑苦しそうな名前だった。

「暑苦しそうな名前だってよく言われます」

「…………………そう」

 すごくいいタイミングで考えていたことと同じ内容を言われて、なんだか出鼻をくじかれたような気持になる。

 害のなさそうな少年だ。

 しかし、自己紹介を促しておいて私が何も言わないのもおかしい。


「私は、コシロ。アダソラコシロ。生徒の徒に青空の空、鳥籠の依代で、徒空籠代」


「変わった名前ですね」

「……初対面で言われたのは初めてだよ」

 まぁ、よく言われていたけど。


 自己紹介も互いにすんだところで、私と炎条は、差し出した手と受け取りかけた手が宙ぶらりんになっていることに気付いた。

「あー……、その。徒空さんが体調悪いんじゃないのかって、思って」

 受け取ってもらえますか、と控えめに炎条は言った。

 今度は素直に受け取ることができた。

「ありがとう」

 どうだろう。さっきよりは少しだけ、笑えただろうか。赤い缶は良く冷えていた。コーラ、と書いている。

「スポーツ飲料みたいなのがあったらよかったんですけど、補充されてなくて」

 ちょっと困った風に炎条は笑う。

「ううん。充分ありがたい」

 私はやんわり返しておいた。ここまで他人に気を遣える奇特な人間がまだこの時代にはありふれていたのかな、とそんな感傷に浸りそうになる。


 少年は立ち去るのかと思いきや、

「おれも少し休んでいっていいですか? 疲れちゃって」

 と、ベンチの前まで移動してくる。

「どうぞ」

 と私は真ん中を占拠していたベンチの端に寄った。お礼を言って、反対側の端に、炎条が腰掛ける。

 炎条が隣で金属の突起を引っ張り起こした。カシュッ、と気持ちのいい音が響いた。ゆらり、とわずかに白い靄が缶の口から上る。あまりじっと見ていることを気づかれてもいけないので、彼に倣って私も缶を開けた。パチパチと弾ける小さな音が漏れ出てくる。ほのかに甘い、独特な芳香。

 じっと缶を眺めていたからか、

「遠慮しなくていいですよ」

 炎条は穏やかに言って、先んじて缶に口をつけた。これ以上動きを止めていたら不審に思われるかもしれない。いただきます、と、ことわって私も同様に缶を傾ける。弾ける液体は口や喉でもぴしぴしと歌い、むせ込みそうになる。ぐっと押さえて少し口の中で転がすとすっきりした甘さが伝わってくる。飲みこんで、思わず、

「おいしい」

 と私は呟いていた。

「よっぽど喉が渇いていたんですね。よかった」

 安堵したように息をついて炎条は再び缶を傾けた。多分、この時代ではありふれた飲み物なんだろう。……つい、気を抜いてしまった。なんだか不意を突かれてしまったようで少々気恥ずかしくなってしまう。


「本、好きなの?」

 取り繕うように話題を振った。ハードカバーの本は、大事そうに彼の膝の上に置かれていた。炎条は突然のことに驚いたのか、

「あ、いえ。そうじゃないんですけど……宿題です、宿題。読書感想文」

「……ふぅん」

 面倒臭そう、と思った。振っておいてなんだが、興味はあまりない。

「今は、夏休み?」

「あ、はい。とは言っても、最近、物騒なのでろくに外出もできなくて、退屈ですけど」

「まともに外出できないほどなんだ……」

 それは深刻だ。まぁ、私の時代でも、それは変わりなかったか。

 しかし、その物言いは少々迂闊すぎた。

 少年は、目を丸くして、

「最近このあたりは特に危険なんですよ……? 毎日、何人かが亡くなってるんです」

 ここは知らないふりをして、情報を引き出したほうが良さそうだ。

「そうなんだ……」

「ええ。通り魔じゃないか、って言われてるんですが。隣の港町から、段々こっちの町まで被害が広がってて……。なんせ無差別なので、警戒態勢状態がずっと続いてるんです。……夏休みに入る前からなんですけど。……ニュースでも毎日言ってますが」

「ああ……あんまり、ニュースとか見なくて」

 私は適当な嘘を吐いた。こちらに着いてからまだ数日だ。持ってきた端末は周波数が合わないのか、ネットには繋がらなかった。

 それにしても。通り魔とは。事情を知っている者としては、苦笑いしそうになる。

「最近は全国のあちこちに現れてるみたいで……模倣犯、でしょうかね。早く捕まるといいんですが」

 不安そうに炎条は呟いた。残念ながら、捕まえることはできない。駆除した方が早い。捕まえてもどうしようもないんだし。

 しかし。問題はそこではない。私にとっては、これはかなりきつい情報だった。

 ……もう、全国まで広がってしまっている。

 これは、手の打ちようがないんじゃないんだろうか。そんな不安が、もやもやと胸の内を満たす。

「最近は家の中にいても安全、って訳でもないし……。窓とか壁を砕いて入って来るのもいるみたいです」

 私が通り魔に対して不安をおぼえたと炎条は思ったのか、そう付け加えた。

「……誰も犯人を見ていない?」

「そうです。これだけ事件が大きくなっているのに、犯人を見た人は誰もいないなんて変ですよね」

 それは、まあ、いないだろう。

 誰も、不可視の巨大生命体が海を渡ってはるばる襲撃しに来たなんていう発想には至らないだろう。

 BACと呼ばれる生物兵器の存在など。この国にいる人間は知らない。

 ……まだ、今は。

 もちろん、それは言わない。出発前に口止めはされなかったが、不用意に漏らしてもいいことでもないだろう。

 しかし、まともに話ができる相手と接触できたことは幸運だった。


「助けてもらっておいてなんだけど、炎条はこんなところにいていいの? 危ないんじゃない」

「ずっと家にいたって、何にもなりませんから。家の中に居ても同じくらい危ないなら、やりたいことをやろうかなと」

「怖くない?」

「それは……怖い、ですけど」炎条は指を組んで小さく俯く。「でも、……どうしても知りたいことがあって。怖がってばっかりじゃいられないな、って」

「ふうん。度胸があるんだ」

「あはは、コシロさんほどじゃあないですけどね」

 炎条は眉を下げて笑った。

「コシロさん?」

 呼びなれた風に少年は言った。馴れ馴れしいのが気になった、という意味ではない。私の所属では上下はあまり気にしない慣習だ。

 何度も呼んだことのある、もしくは何度も言ったことのある単語を言うように、自然と私を呼んだ。

 変わった名前と言った割に、だ。

「あ、すみません。……嫌、でしたか」

「いや……気にしないけど」

「じゃあ、コシロさん、とお呼びしても?」

「これっきりの縁になるだろうに、呼び方にこだわってもね」

 とつけ加えると、炎条は頷いた。

「また会える保証なんてありませんからね。おれにも、あなたにも」

 達観したような口ぶりの割に、炎条の表情は硬い。

「それでもまた会いたいと強く願えばきっと会えるんだ、って信じていますから」

「……探している人がいるの?」

 と私は尋ねた。何の気なしに言い出したことだ。

 炎条は目を丸くして、私に向き直る。何か言いかけて、一度閉口して、それから、口端を横に引いた。

「はい。……会いたいと思っていても、連絡もロクにとれなくて。また会おう、って約束したのに、帰って来てくれない人を…………探しているんです」

 無理に笑顔を作っているのは明らかだった。

「そ。どんな人か教えて」

「えっ」

 炎条はコーラの缶を取り落しそうになり、慌てて握り直した。本が濡れていないか慌てて確認している。

「……助けてくれたお礼。私、しばらくこの辺にとどまってうろうろしてるから。……やることとか、まあその、あんまり詳しく言えないけど、調べ物とかあるから」

「え。そんな、その」炎条は突然狼狽えだした。「遠慮、しますよ。だって、そんなのコシロさんだって危ないですよ」

「や、ついでなんだけど」

「う……いえ。だって」

「だって?」

 炎条は2、3度目を泳がせてから、気まずそうに、

「……悪い、ですから」

 とだけ言った。

 ……これ以上しつこくするのもよくないな、と私は判断する。

「頼みたくないわけじゃあ、ないんですけど。危ない目に遭って欲しくないのは本当なんです。あーえっと、事件、無差別じゃないですか。誰が狙われたっておかしくありませんし」

 慌てて炎条はそう付け足す。

 なんだか必死で、ちょっと、可愛らしかった。

「ただの気まぐれで言ったことだから、気にしないで。……会えるといいね、その人に」

「……はい!」

 炎条は嬉しそうだった。なら、それでいいか、と思う。

 子犬のような少年だ。……もっとも、私が実際に見たことがある子犬は人食い犬だが。あくまでアーカイブで見たことがある、可愛らしい子犬であることは注釈しておく。


 それじゃあおれはこの辺で、と炎条は本と自分の分のコーラを手に立ち上がる。

「またね。コシロさん」

 小さく手を振って、炎条は私が何か言い出す前に去ってしまった。

 ぽつねんとベンチに残された私はちびちびコーラを啜った。無性に蝉の声がうるさい。……いなくなったらいなくなったで隣がやけに広く感じられた。

 またね。と来たか。

 ……これっきりの縁だと言っただろうに。


 炎条の気風そのものは嫌いではない。感じのいい少年だ。だが、私に関わって欲しくないタイプの人間であることに変わりはない。あの手の無条件の人たらしの類は、どうも苦手だ。


 正しくは、その手の人たらしに優しくされるのは、苦手だ。


 水滴のついた赤い缶を撫でた。白く抜かれた炎のような図柄。ぐ、と中身を飲み干す。喉元を数回殴りつけて、滑り落ちていく。

 空になった缶をゴミ箱に投げ込んだ。狙った通りに入ったが、他のゴミにぶつかって想像よりもうるさい音を立てる。

 ……余計な感傷だ。それこそ、無駄だ。嫌悪感も未練も置いてきたはずだ。

「馬鹿らし……」


 動く気にはなれず、1人分空いたスペースに再び身体を預けようとして、ベンチの背もたれの境界に挟まっている紙切れに目が留まった。

 丁寧に折りたたまれたそれを開く。海に訪れている沢山の人が――おそらく、『海水浴』の情景を描いている絵と、いくつかの数字が書かれている、紙幣ほどの大きさの紙だ。『サマージャンボ宝くじ』と書かれている。特に意味は分からないが、さっと裏面に目を通すとどうやら一定の条件を満たせば金銭と交換できる券らしい。


 炎条が落としたのだろう。まだ追いかければその辺りにいるかもしれない。


 パーカーのポケットに紙切れを押し込んで、私は走り出した。突然の走行動作に一瞬、左の義足が追いつかずバランスを崩しかける。体重を右半身にかけて持ち直し、公園を出て歩道にでた。

 都心よりも少し背が低いビル影をさっと見渡しても炎条の姿はすでにない。

 地下鉄駅へと続く階段が複数あるので適当に下りてみたが、結局、炎条をみつけることはできなかった。



 大変困った。

 また、炎条望に会わなくてはならない。



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