第20話 amateur - 19
まだ眠たそうにエイダは首を傾げて、ちょこんと腰掛け直した。行儀よく両手を膝の上に置いている。 僕は椅子から下りてエイダの前で目線を合わせた。
「あの、さ」何と切り出したものか、目が泳いでしまいそうになる。「今、エイダはシュウの家にいる、よね」
「うん」
エイダが小さく頷いた。……とても当たり前で当たり障りのない発言になってしまった。
いや、いやいや、この期に及んで回りくどい言い方をする必要はないだろう。
悲しい顔は見たくないから、目を逸らそうとしてしまう。こちらの都合を並べ立てるのに、悲痛な面持ちを直視できないだなんて、最低だと思う。
なので、先んじて自分が逃げてしまわないように、エイダの両肩に手を置いた。
………………。
「エイダ」
「な、なに」
「ごめん。気持ちを整理させて。3秒待って」
「カイが落ち着くならいいけど」
落ち着け。落ち着け。
息を吸って、吐いた。
顔を上げて、向き直る。
「明日から、別の場所がお家になる」
「……うん」
「だから、今日で僕やシュウさんとは、お別れだ」
「そう。わかった」
エイダはすんなりと頷いた。
眉一つ動かさない。驚いた素振りの一つもない。
反応があっさりとし過ぎていてこちらが面食らってしまう。
そんなこと? とエイダは小さく笑ってさえいた。
「あとは、わたし、ちゃんとやれる。怪我も治った……というか、治るから。どうとでもなる。夜中になったら出て行くよ。……恢に言われなくても、そうするつもりだったけど。ちゃんとお別れできるなら、それに越したことはなかったし。……ここでは生きられないっていったの、恢だもんね」
「っ、いや、違うんだ!」
僕は慌てて否定した。エイダは勘違いをしている。
「帰ってから、
「違う、えっと、そうじゃない。待って」
エイダの方がよほど冷静だった。
オマケに、痛いところを突かれていた。
「オズが言ってたことと、わたし、何か関係あるんでしょ? こしろさん……だっけ?」
「ああ、えっと」エイダの顔が見られなくなる。エイダの肩に手を置いたまま、僕はがっくりと下を向いた。羞恥であり、恐怖であった。筒抜けの自分の中身を覗かれて、不用意にエイダを傷つけてしまいたくない。「そうじゃない」
「嘘つかなくて、だいじょうぶだから」
「えっと! そうだけど、そうじゃない!」
「落ち着いて。だいじょうぶ、だいじょうぶよ」
僕の頭を抱きかかえるようにしてエイダが優しく撫でる。取り乱してエイダから手を離してしまった。
……シュウさんがいなくてよかった。こんな光景、見られたくはない。
いい子、いい子、と。エイダは僕の頭を撫でた。小さいが確かな鼓動が、エイダから聞こえてくる。
……顔から火が出そうになる。
「い、いいから」強すぎない程度の力でほどこうと試みる。
「ちゃんと顔見てお話しできる?」
「……できる」
はい、とエイダは僕の頭に回した手を離して今度は両肩に置いた。先程までとは逆の様相になる。
渋々顔を上げてると、僕の顔を見るなりエイダは小さく噴き出した。
「疲れてるでしょ」
僕の姿は崩れて見えているはずだが、雰囲気でわかるのだろう。
「……からかうから」
「わたしは本気だったけど。恢だって、余裕も嘘もないじゃない」
言葉に窮してしまう。
だけど、誤解だけはきちんと解いておかなければ。
「これだけは確実に訂正させて。エイダに出て行ってくれだなんて言わない。シュウさんも、僕も、君にそんなことは言わない。ここを出た後のことには、計画があるから。それは、ちゃんと説明させて」
「もう一つは?」
「……君を勝手に他人と重ね合わせて、僕が勝手に傷心しているだけなんだ。エイダとその人に関係があったとしても、エイダに対してとても失礼なことをした。……だから、ごめん」
「うん。……いいよ。そんな気はしてたから」
やけに凪いだ表情のままでいうものだから、僕は再び言葉に詰まってしまう。
「恢はいろいろ訊きたいだろうけど、わたしはこしろさんについては、何も知らされてないよ。だけど、これにはいろいろ記録されてるかも」
エイダは首から提げていたタグを引っ張り出した。
『ADA・φA-004』、『JACK・φP-001』と彫られている。それぞれ、エイダとジャックのものだ。
「オズから受け取った物も入れて、3枚か……」
「恢の知り合いにはこれを解析できそうな人はいないのよね?」
「残念だけど……って、聞いてた?」
「ちょっとだけね。寝たふりしてようと思ったけど、途中から本当に寝ちゃった」
いたずらっぽくエイダは言う。どこまでかは狸寝入りだったらしい。
誰がエイダを預かるかだとか、責任がどうだとか、確かにエイダに聞かせたくない話ではあったから、眠っている隙を伺ってシュウさんに話そうとしたけれど。……気を遣わせてしまったようだ。
「わたしやオズがどこから来たのか。わたしがどうしてこしろさんと似た体質なのか。わたし個人としては、あなたとジャックの関係性も気になるところではあるけれど」
「……僕と」
「……ごめんね、さっきの頭をだっこしたの、ジャックが落ち着かない時によくしてたの。だから、わたしも恢に謝らなくちゃ。……あなたとジャックは違うのに。……やっぱり、寂しくて」
「謝るのはこっちのほうだ。遺体だけでも、」
「無理よ。変わった形のぐちゃぐちゃに、食べられちゃったんだもの。どうにもならない。……これを見つけてくれただけで、十分」
エイダは刻まれた文字を撫でた。
「……仲がよかったんだね」
エイダは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに目を伏せて首を小さく横に振った。
「そう……なのかな。わたしは頑固だったし、ジャックはわたしを心配してばかりだった。わたしはBACだけじゃなくて、カイや同じ体質の人もぐちゃぐちゃに見えてしまうから、あまり待遇が良くなかったわたしにも……優しい子だったの。ううん。……ジャックは、誰にでも優しかった。あなたみたいに、誰かのために本気になれる人。わたしだけじゃなくて、施設で弱った子をいつも気にかけてた」
「……自慢の弟だったんだね」
「うん。それなのに、わたしはあの子に冷たくしてばかりだった。わたしを構ってたらひどい扱いをされるんじゃないかって、怖かったの。オズに連れ出されてからも変わることはできなかった。……わたしが廃棄されるから、オズが助けてくれたんだと最初は思ってたから。迷惑かけたくなくて、ジャックを巻き込みたくはなくて、でも、わたしは死にたくなかった。結局、飢えて死ねってオズにも捨てられちゃったけどね」
廃棄、という言葉に息が詰まりそうになる。
「ジャックもだったの?」
「ううん。あの子は『成功例』って聞いてた。具体的にどうなったら成功なのかはわからないけれど、あの子はただ、わたしが心配でこっそりついてきた。オズは純粋にジャックに興味があったんだと思う。成功例は少ないらしいし、あの子は、何かを知っていた。知り過ぎていたくらいに。……何も知らなかったわたしに優しかったのは、もしかしたら知ってたことに関係があるのかもしれない。知り過ぎていたから、オズが殺したのかもしれないから」
成功例。
人為的にロールAを作ろうとする目論みの中で、正常にBACを視認することができるかどうか、ではないだろうか。
「……知りたいの。ううん、知らなくちゃ。自分が今までどこにいて、オズが何をしようとしているのか。ジャックが何を知っていたのか。わたしがどうして、こしろさんに似ているのか。……外に出て、答えを探しに行く。たとえ本当のことに辿り着けなくても、わたしのやらなくちゃいけない『役割』だと思うから。あなたが『BACを殺す』という役割のために、RTAに帰ってきたように。……自分がヒトでいようとするための、最後のよすがだから。逃げられない」
逃げられないの、とエイダは言葉を重ねた。
意志は固いようだ。どこまでも真っ直ぐに僕を見て、小さな手で僕の肩を強く握りしめていた。
気にしないように振舞っていても、最後にオズが残した言葉が堪えているだろうことは想像に難くない。
僕は
「エイダの言い分はわかった。……納得してないし危険も多いしあからさまな罠にかかってると思うし、手がかりが現状少ない。……だから、無計画にやるんじゃ駄目だ。あくまで手段は人間的に進めないと」
僕の言葉にエイダは戸惑っていた。
「ちぎったガードレールでぐちゃぐちゃを倒したり、公園を爆弾で吹き飛ばしたり?」
「それは一旦忘れようか」
人間的だと思うんだけどな。
道具使ってるし。
「……自分やオズのことを調べるにしても、エイダ、地図は読める? 計算は? どこかの施設へ潜入するためなら、交渉が必要なことだってある。外国語を話さなくちゃいけないこともあるだろうね。取引にはお金が役立つことだってある。交通網は乏しいから、正直、ある程度の稼ぎがなければ関東を出ることも難しい」
エイダはしょんぼりした顔をした。
「……そこまで考えてなかった」
「よし。じゃあ、ぼくの立てた計画を話そう。お勉強がしてみたかった、ってエイダ言ってたよね」
言ったけど、と小声でエイダは言う。
「でも、私が勉強できるような場所なんて……」
「場所ならある」
僕はきっぱり言った。
「名前は、
「帰る、場所」
言葉をなぞった唇は、かすかに震えていた。
「僕が昔お世話になってたところ。院長の蒼巻ドクターはRTA復帰にあたって僕の後見人をしてくれてる人」
「恢のお父さん?」
「……父親って訳じゃないけど。そんな感じだと思ってもらったらいいかな」
「ふうん」
「あの診療所で、居候の姉弟とか、
「お手伝いなら、やる。難しいことは教えてもらわないとできないけど……いいの?」
「物覚えの早いしっかりした子だって紹介したら大歓迎だってさ。脱走したての頃の僕に比べりゃずいぶん気が楽、なんて言われちゃった」
いや。まあ。
当時を思い返すのも恥ずかしい程の情緒不安定だったけど。腿の弾を抜いてくれた辺りで噛みついちゃったし。先生が不在の間、あの人よく僕のこと預かってくれたよなぁ。慈母神か何かだろうか。蒼巻さん、男だけど。
「蒼巻さん、面白いくらいに顔に出る人で、嫌なことは嫌って言うし、褒めるときはちゃんと褒めてくれる。理不尽に怒ったりなんかしないし。とはいっても、明日会って駄目だなと思ったら、連絡して。僕が一方的に決めたことだから、合わないと思ったらちゃんと話し合おう」
「明日?」
エイダは驚いているようだった。
「物資の受け取りに蒼巻さんが来るから、物資に紛れてもらう形になるかな。台車の用意もしたし、さすがにバッグじゃ怪しまれるから、窮屈だろうけれど小型コンテナで。手筈は整えてシュウさんや蒼巻さんとも打ち合わせはしてる。郊外まで手続き込みで大体4時間くらいかな。我慢してもらわなくちゃいけないけど……ごめんね、勝手に決めちゃって」
「それは、いいけど。……恢は」
「……見送りに行きたいけど、ただの駆除部隊員がいたら怪しまれちゃうから」
「そうじゃなくて。……大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。運び出す荷物にX線検査は滅多なことじゃしないし……」
「それもだけど。……オズ、言ってたじゃない。……わたし、ヒトといて大丈夫かな。食べたくなったり、しない?」
「しない」
「根拠は?」
「ないけど。もしそんなことがあっても、蒼巻さん、医者だし。ロールAに対する治療の知識もある人だ。……いざって時は、輸血パックとか。ないなら、質は落ちるけど人工血液だってある」
「……それは吸血鬼なんじゃない?」
「もしもの話だよ。そもそも、オズのあんな言葉を信じなくっていい。……BACへの食欲だって安定してるみたいだし。それに、シュウさんを見てお腹がすいたりはしなかったでしょ?」
「うん。普通のご飯の匂いでお腹はすいたけど」
「なら、大丈夫だ」
……もし無事で済まないのなら、僕は今頃手遅れだろうし。
ということは、不安にさせるだけなので言わない。
「あなたは、大丈夫なの」
「僕?」
「わたしにRTAにいない方がいい、って言ってるけど。……恢は、ここじゃなきゃ駄目なの?」
エイダが僕の肩に置いた手をずらして、頬に触れた。少しひんやりしている。
「つらいこと、たくさんあったんでしょ? 8班の時も、事件の後も、帰って来てからも」
「……うん。でも前よりずっと大丈夫になったんだ」
「それは、あなたが強くなったから?」
「どうかな。わかんないや」
「RTAじゃなきゃ駄目?」
「……うん。僕は、ここじゃないと、駄目だ。僕の納得できる答えは――BACを殺し続けることにしかない。蒅オズが関わろうとそうでなかろうと、僕が僕に与えた、存在意義だから」
市野恢という、中身の分からない肉の袋に、僕は『BACを殺すモノ』というラベルを貼った。
「……やること見つけちゃったらどうにもなんない性分でしょ。僕ら」
「そうしないと、生きていいって思えない。……どんな人の言葉だって、勝てない」
「それを、果たすまで」
きっと、僕らは自分に設定した役割に準じるようにできている。
BACが、指向的に人間を捕食するように。人間を殲滅せんとするように。
河良先生は自分の中身を知るために、自分の中身を設定できるようにしてくれた。僕は僕の中身の証人になった。BACを殺すものであるという、生き証人に。
ここへ戻ることを決意したときに先生は僕を止めはしたが、僕が止まらないと知って随分とあの人はばつの悪い顔をしていた。
確かに、先生は、毒薬だったと思う。
先生。
僕は、自分の中身が人ではないと分かっているから。
人を喰らう怪物を殺すことにしか答えを見出せなかった、怪物だから。
血に濡れた手ではない、少し冷えた手でエイダは僕の頬をなぞる。形を確かめるような手つきで。
「……もう会えない?」
「そんな。死ぬわけじゃないんだし」
「……………………ナイフ。返してもらってない」
あ。
借りっぱなしのポケットナイフを探る。
……大丈夫だ。落としていない。
「はい」
「……返されちゃった」
「落としてたらよかった?」
「ちょっとそうなってたらなって期待した。……弟のも見つけて届けてって言ったらどうする?」
「あるの?」
「あの家にはあったかも」
「わかった。ほとぼりが冷めたら探しに行ってくる」
「待って待って、即答しないで。安請け合いしないで」
「えっ」
「ニュースで聞いた。ガスがあったら危ないでしょ」
「さすがに僕もガスはちょっと厳しいかな」
「意地悪言っただけだから……。もう会ってくれないんじゃないかって」それと、とエイダはとつとつ言葉を繋ぐ。「……心配だから。……わたしは、あなたの前で死なないけれど。あなたは、」
その先は言葉にならなかった。口に出してしまえば現実のものになりそうだと、思ったのだろうか。
「……もしかして、さみしい?」
はぐらかすように尋ねると、
「それはうぬぼれよ」
エイダは少しむくれてツンと目を逸らした。
「はは、厳しいね」
「うそ。ちょっとだけ、さみしい。……ジャックも、あなたも近くにいないから」ためらいがちにエイダは小さく息を吐いた。「ね、恢」
「なあに」
「……ぎゅっとしていい?」
「どうぞ」
エイダは再度、僕の頭を抱いた。
心音を何倍にも引き延ばした速さで、とん、とんと、ゆっくり背中をさすってやる。
すんすんと、小さくエイダは鼻をすすっているのが肩越しに分かる。
「大丈夫だよ。僕も、エイダも大丈夫だ。……きっと、大丈夫だから」
何の根拠もない言葉を繰り返して縋る。
そうしていれば、この先、何が待ち受けていても向かえる気がするから。
「そうだ……たまにはそっちに、ごはんを作りに行くから」
思いついたままに、言葉を続ける。
「僕、これでも料理が得意なんだ。肉じゃが、煮魚、おひたしに、カレーに唐揚げ。……材料が揃うかは難しいけど。探して、持って行く。蒼巻さんも、僕の料理の腕は褒めてくれたんだ。やること全部終わったら郊外で店でも開けよとか、冗談でも言ってくれるくらい。……たくさん、教えてもらったから。蒼巻さんや先生……大事な人たちに教えてもらった。これは受け売りだけど、『自分を生かすために。大切な人が明日を生きられるように。飯を作って食えるようになれ』ってね」
……何を食べても満たされないなんて、絶対にオズに言わせない。
「あったかいご飯を作りに、エイダのところに行くよ。……だから、死なない」
「……うん」
エイダは納得したように呟くと、僕の頭から腕をほどいた。
「他に、お願いがあれば言って。僕に叶えられることなら努力する」
「えっと、じゃあ、ひとつだけ。ナイフはいいから」
何かな、と尋ね返すと、エイダは照れたようにうつむいた。えっと、と言葉を探しているのをゆっくり待つ。ややあって、決心したようにエイダは小さく頷く。
僕としては、意外なお願いだった。
「あのね。恢。来た時でいいんだけどね。……お料理、わたしにも教えてほしい。あなたが、大切な人たちから、教わったように」エイダは凛とした声で告げた。「あなたからも、教えてほしい」
エイダはすでに、自分の力で歩こうとしているようだった。……自力で抜け出してやっていこうと腹を括っていたのだから当然のことと言えばそうなのだが。
エイダは僕の知る
間違えようもない。中身の異なる、ひとつのそんざいだった。
わかった、と僕は笑顔で応じる。エイダに見えていないとしても、僕のできる、精一杯の笑顔で。
「今度、帰って来た時に。……そうだね、スープでも。お野菜の名前とか……中に、何が入っているのかを」
「約束しよ。指切り」
「ん。約束だ」
僕たちは小指を絡めて歌を歌う。
約束の唄を。
【611(822) = Kai/ Role = “amateur”】
【to be continued】
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