第17話 amateur - 16

 翌日。


 医療部門のロビーで僕は電子掲示板を眺めていた。

 僕の処方受付の順番が来るまで、まだ20人近い番号がある。

 ここでは、治療待ちの軽症者が多い。僕達のように想定外で夜間任務になった者、任務で負傷した者が座っており、夜明けを迎えられなかった負傷者がその隣を運ばれていく。

 ……2班の首席戦闘員の相中奈成が重傷を負って搬送されたことはもう噂になっていた。負傷の原因や、その討伐対象、不手際を起こした任務同行者が誰だったかを探し求めるゴシップ好きな連中が口々にああでもない、こうでもないという。自分が同行していたら負傷などさせなかったと息巻くファンがいる。

 できるだけ息をひそめた。見つかればどうなるか知れたものではない。

 それだけ相中奈成という男の功績と信頼度は高い。

 遠くへ離れすぎて番号を見過ごすと後々面倒なので居座っているものの、居心地の悪さはピークに達しようとしていた。

 せめてもう少し目立ちにくい位置へ行こう、と決意したところで緊急速報を知らせるアナウンスが管制済みの安っぽいバラエティ番組にかぶさった。画面が報道フロアに切り替わる。

 モニターが、旧居住区で発生した火災騒動を報じ始める。地下のガス管が劣化爆発したらしい。負傷者ゼロ・自然鎮火した不可思議な火災騒動に軽症者たちはすぐにそちらへ釘付けになった。

 ……しばらくここにいよう。

 そう思い直し、目を閉じる。

 泥のような疲労が押し寄せてきて、僕はいつの間にか眠りについていた。


 /□

 以下、回想


 木製のまな板の上には淡い桃色をした鳥のもも肉の塊が、皮を下にして横たわっている。

 よく研がれた包丁が、砂ぼこりで覆われた窓から差し込む西日を反射していた。

 RTAから離れた郊外にあるセーフハウスにも等しく日暮れが訪れる。

 河良カワラ先生も僕も、西日で赤く包まれている。


 夕飯の支度のために並んで台所に立っているこの時間が僕は好きだった。打ちっぱなしのコンクリートの床も、プロパンガスの香りも、作りあげられる料理の様々な匂いも、全部が先生と共有できることが――戦うこと以外で学ぶことがあるこの時間が、本当に僕は大好きだった。

 十分に流しに背丈の届かない僕は、背伸びして先生の手つきを眺めようとする。

 淡々と作業を進める傍ら、時折、ここはこう切るといい、やら、このタイミングで灰汁をとると美味くなる、など。ぶっきらぼうながらにも教えてくれた。

 もうひとつ。この時間の先生は、いろんなことを話してくれた。お伽噺のような出来事も、BACのいない時代がどんなものだったのか。色々なことを知っていた先生は、20代くらいに見えたものだが、醸し出す雰囲気はそれよりもずっと年上に思えた。

 料理以外のこと。これまでみてきたもののこと。

 僕の、知らなかった僕たちロールAのこと。

 それらを、話して聞かせてくれた。


「BACの存在意義は何だと思う?」

 コンロではホーロー鍋が火にかけられている。蒼巻ドクターの家から借りてきたものだった。沸騰間近の水で大振りに切られた野菜が煮込まれている。

 上腕まである長い手袋越しに握られた包丁。その切っ先が、筋膜に差し込まれた。にちり、と鶏肉がしなる。

 兵器として人間の数を減らすことです。僕は教本通りに答えた。

 先生は頷いた後、「人間を喰って自分たちの数を増やす」と抑揚の少ない調子で続ける。

「BACは実在する動物をベースに、いかにして人間を減らすかをコンセプトに創られた兵器だ。狩猟本能、戦闘本能を優先的に備えているあいつらは、生きるために殺すということを確実に実行する。動物の形態をしてはいるが摂食、休眠、生殖の行動は二の次だ。だが兵器である以上、安全装置は必ず存在する。安全装置のない兵器は兵器足り得ない」


 先生は肉の表面の目立った筋や血管にも刃をあてがい、浅く切って取り除いた。食べやすくするための下ごしらえなのだとつい先日教わったばかりだった。


「仮にBACの安全装置が世界中で作動したら混乱はもっと早く収まったはずだ。某国が初めにBACを作って自滅して数十年が経った今、安全装置がどんな形状なのかも分からない。恐らくは神経系作用する化学物質か酵素か何かだろうけどな。野放図に増えたBACを止めることは現状不可能。おまけに普通の人間にはBACを視認することもできない。そんなだから人口が減った。


 さて某国は一般人に見えもしないBACをどうやって開発したのか。簡単だ。開発者には見えていたんだよ。軍部に卸す予定だったレトロウイルスを使ってな。BACが爆発的に広まった年を『アウトブレイク』と呼称したのはそこにある。言葉の意味通り、大規模感染だった。感染力の弱かったレトロウイルスが変異を起こして空気感染ができるまで強くなった。


 脳の関門を突破できる薬剤もまだ少なかった当時じゃあ遺伝子型の合う・合わないを考慮しなくても、それほど人間に定着しなかったみたいだが。人を死なせることはなかったが、感染・発症した群は視細胞と脳の視覚野にある受容体の一部が変容。世界中にばらまかれたBAC由来のウイルスは次々とBACを見られる人間を増やしていった、という具合。

 ……話が逸れたな。BACの持つレトロウイルスと、RTA職員のようにBACを視認可能な人間の持つレトロウイルスはほぼ同じ遺伝子構成なのにも関わらず、人間では視覚の変容レベルでとどまったのは、偏に安全装置が上手く作用したからだ」


 つまりな、と先生は下処理の済んだ鶏肉をひっくり返す。淡紅色の腿肉に刃をあてがって、一気に引いて切った。肉が湿った音を立てる。


「安全装置が働かなかったら、ヒトがヒトを襲っていてもおかしくなかった。」


 脂でぬめった刃に目が留まる。

「分かりやすく言えば吸血鬼みたいなもんか? 捕食のためにヒトがヒトを襲う。噂じゃ軍部へ卸すはずだったレトロウイルスですらまともに治験が進んでいなかったとか。奇跡的に最悪は回避されたわけ。だが、遺伝子の変化までは予想できない。なんにでも例外はあり得る。事実、運よく安全装置を残して遺伝子の変異が視細胞と受容体だけにとどまらなかった。それが、あんたたち『ロールA』」

 淡々とした口調で先生は説明する。


 白い刃先が次々に肉を切り離していく。

 食事のために、調理されていく鶏肉。捕食のためだけに飼われた動物。


「見た目よりもずっと強力な馬力を出せる筋繊維、意識的に閾値をコントロールできる視力や聴力、蟻の足音程の音で空間全てを把握できる能力。BAC由来の遺伝子が発現する箇所は様々だが、個体ごとに『超能力』といってもおかしくはない能力が備わった。後天的な例は少ない。両親がそろってBACを視認できる――件のレトロウイルスに感染にしており、先天的な母子感染がほとんどだ」

 ならば僕の両親も? と問う。

「おそらくは。RTAに引き取られる前にそういったことは聞かされてた?」

 何も。でも彼らは分かっていたと思います。と僕は答える。

 父親はコミュニティを守るために尊い犠牲になったのだと。コミュニティが全国を転々とする中で、母親もコミュニティのみんなも僕を大事にしてくれていた。

 皆がいなくなってRTAに引き取られるまでは、彼らにとって僕は生餌でありお守りだったから。

 は一切くれなかった。


「……恨んでる? 純粋な意味であんたを守ろうとしなかった連中のこと」

 僕は首を振った。

「僕が皆を守れたらそれでよかった」

「そうしろと?」

「多分、最初は。けれど、ごく自然なことだったんです。役目があるから居場所を自分で守ることができた」

「役目がなければ担保できない居場所を?」

 先生は少しだけ眉頭を寄せて、刃先を睨んだ。

「RTAへ行っても飼い主が変わっただけだとが言った意味が――脱走してやっとわかりました。目を覚まされてしまったのかもしれません」

「彼?」

 いいえ、と僕は言葉を呑みこむ。先生はそれ以上深入りしなかった。



 鍋の中のスープがくつくつと沸く静寂と、刃先がまな板にあたる一定のリズムと、時間を刻む秒針とが台所を満たした。

「鍋の中身のスープを作る時、私たちは何を入れるかを考えている」

 先生は静かに言った。

「これを作ったのは私だから、中身が何なのかを知っている。どんな材料を使い、どれくらいの分量で味を付けたかを知っている」

 鍋の中身では火の通りにくい根菜類が水から煮込まれている。人参、大根、じゃが芋。先生は刻んだ鶏肉とキャベツを入れて、顆粒状のスープの素を順番に入れていく。

「中身に何が入っているのかを知っていれば私たちは安心して口にできる。自分で毒を入れたと知っているものを食べはしないだろ?」

「中身を知ることができれば安心できるんですか」

「自分も食事を供される人も。作り手が内容を開示しなくて、作成過程を見られないのなら、信頼できる者が中身を保証しなくちゃいけない。これには毒が入っていません、これこれこういったものをどれくらいの分量入れました、とね」

「……僕達ロールAには、その保証者がいない。だから、怖がられる、ってことですか」

「ロールA……『武器としての役割』なんぞいう呼び方も私は好きじゃあないが、便宜的にそう呼ぶ。他に単語がないからな。見えない連中見える連中関わらず『ヒト型のBACがいれば、それはいつか人間を襲うかもしれない』なんていう、馬鹿な迷信だけが広まった。あんた達、第8班、秘匿実験部隊がRTAの裏組織だったのも実際はそれが理由。実態はリスクもないのに隔離され実戦に送り込まれた、母子感染被害者だ」

「だけど。その。……本当に、大丈夫なんですか」

 僕は食い下がった。自分のことだ。自分に確かめればいいのに。先生に尋ねた。

 ぽつりと尋ねた僕に先生が目線を合わせる。先生の深い鳶色の瞳が、明るい赤毛からちらついていた。

 狩る側の目だ。

 この人も本当はヒトではないことを、僕は知っている。

 僕も先生も、互いがヒトではないことを、知っている。

「どうだか」

 先生はすっぱり答えて、スープをゆっくりとかき混ぜる。

「予測がつかない。さっきも言ったが何にでも例外はつきものだ。想定外は簡単に起こる。もしも変異が脳の理性や情動を司る部位に及んだら? RTA本部のある欧州ならまだしも、今の日本じゃ神経細胞の再生は夢の夢だ。可塑性はない。だから、その時に、人間が人間を処理しなくちゃいけなくなるかもしれない」

 そんなことが起こらないことを願うけどな、と先生は続けた。

 ええ。まったくです。と、僕は呟く。

 人間が人間を処理する、と言った先生の顔を見ることができなくて、コトコトとスープの煮立つ鍋を見ていた。その下の、コンロの炎を。


「なあ、市野」

 お互い顔も合せないまま、先生の硬い声が振って来る。

「もしも、だけど。いつの間にか自分が誰かに『調理』されていたら……と思うと。怖い、よな」

 怖いという言葉が予想外で僕はぱっと顔を上げた。

 赤い西日を映した瞳と目が合う。先に逸らしたのは先生だった。

「こわい……ですか」

「あー……いや、怖かった、というか」

 手がぱくぱくと宙を掻き、視界の端でお玉を捉えて鍋へと突っ込む。どう見ても、覚えがあると言いたげなリアクションをしていた。嘘を吐こうとするよりも、隠そうとするよりも、発言そのものをためらっているようだった。


 自分が誰かに『調理』されていたら。

 本懐をなくしてただの装置になってしまったら。

 そうなるように、誰かに仕組まれていたとしたら。

「こわい……ですね」

 僕も。

 僕の手で死んでいった人たちも。

 選択を委ねられた。自分で選んだつもりだった。そう選ぶように仕組まれていた。

 だが、その発想すら、彼――スクモオズは許さなかった。

 誰のせいでもない、きみの選んだ結末だと。

 そう告げて、あの男は去っていった。

 僕と徒空籠代アダソラコシロだけを生きて残して。


「どうすれば、こわいのはなくなりますか」

 こわいままなのは嫌だ、という一心で僕は尋ねた。

 自分で選んだつもりで答の決まっていた選択に、ただ抗いたかった。

 その責任を、きちんと背負えるようにならなくては、ならないと。

 きっとその思考すら、『つまらない』とオズは笑い飛ばすだろう。

「難しいことを言う」

 先生はグローブの指先でお玉を逆方向に繰りだした。スープの具材が戸惑うように大きく揺れた。それも束の間で、すぐに先生のかき混ぜる方向へと具材が回り始める。

「どんなものにも100%の安全性がなくて0%のリスクがないから、怖いのはなくならない」

 きっぱりと先生は断言した。

 この人は嘘もつく。本当のことを半分言って半分隠すようなことも平気でする。

 それが善意だったり悪意だったりする。

 全部がない交ぜでぐちゃぐちゃで――だから、希望を掬い上げるように言葉を紡ぐ。

「自分の中身を知るしかない。もちろん、科学的な部分でロールAには分かっていないことも多い。無茶なことは分かっていってる。私の言葉は、所詮は気休めだから真に受けるなよ」

 そう前置きをして、先生はやっと僕を見てくれた。

「……自分が納得できる答えを自分に用意する。あんたがあんたの証人になるしかない。私たちは誰しも中身のわからない肉の袋だ。他人があんたに兵器と戦う兵器という成分表をつけようともそれ以外の内容をでっち上げようとも、自分が何からできているか――存在意義を、意味を、自分に与えられるのなら怖がることはなにもない。たとえ、あんたが誰かに調理された代物だろうと、自分の中身が自分にとって予想のつかない毒物を持っていようと……毒の使いどころが見えてくる。毒は扱い次第で薬にもなれる」

 そういうもんさ、と先生はスープを小皿に掬って口に含んだ。丁度いい塩梅に仕上がったのか、小さく頷く。

「先生は、自分のをしたことが?」

 僕は尋ねた。

 先生は意外そうに眉を上げて、

「私は煮ても焼いても食えない具材がわんさと入った、毒入りスープだよ。薬の真似事で廃棄を免れた、悪事の残飯だ」

 それこそ、人を喰ったような笑顔で嗤った。


 


/□

 ぽん、と軽い電子音で目を開く。

 番号の書かれたレシートをくしゃくしゃになるほど握り込んでいた。


 薬の順番だ。



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