第16話 amateur - 15

 こうして。

 混沌の塊のような男は僕たちの元を去った。

 背を、ただ見送ることしか、できなかった。手の出しようがなかった。

 4年の時を経ても、僕は彼の掌の上にいた。渦巻いている感情を何といえばいいのか分からない。悔しい、というのが一番近い。得られたものが少ない。

 徒空籠代アダソラコシロが――生きているかもしれないという情報もどこまで信じられたか。


 ただ、僕達は生き残った。


 僕は、エイダを抱き留めたまま、BACの死体だらけの公園で夜明けを迎えた。

 午前6時。

 エイダの首の傷は――ゆっくりと再生していた。

 時限式の、再生。発現の仕方はおそらく代謝の活性だろう。

 エイダは約束通り、ぼくの目の前で死ぬことはなかった。

 オズの言葉通り、エイダは死ななかった。

 彼とエイダがどこまで把握しているのか、僕には知らないことが多すぎた。

カイ

 エイダは静かに言った。傷が塞がったのを見て取って、僕は彼女を離す。

 自分がどう返事をしたのかを覚えていない。過剰に反応しないように力みがちなのも、エイダには見透かされているだろう。

 徒空と無関係ではなかったエイダ。

 僕は、徒空籠代が生きているか、確かめようともしなかった。

 その代償が、エイダとの邂逅だったのだろうか。

 目を背けていた真実が追ってきた。

 ここへ帰って来いと――口を広げて僕を待ち構えていた。


 ヘリコプターのローター音がかすかに聞こえてきて、空を見上げる。ヘリはまだかなたにあるが、あと1時間もしないうちに到着するだろう。

「……救助が来たみたいだ」

 要請した通りに助けが来た。

 端末を確認する。相中のバイタルも正常だ。

 まだ僕のビーコンは機能していないが、リモート回線は復旧している。何度か本部から通信が飛んできていた。

「もう、恢を見捨てようとする人はいない?」

 どうかな、と呟いた声は風にかき消された。

 血だまりからドッグタグを拾い上げ、血を拭う。

 名前が潰されているが、第8班の刻印が施されていた。

 徒空の物か。それとも――スクモオズのものだろうか。

 それを、握り込んだ。

 覚えていられた命か、忘れてしまった命か。

「自分が見捨てられても、恢は助ける?」

「僕以外の誰かが助かるのなら。それでいいよ」

 嘘はなかった。

 嘘が吐けるほど、器用にできていない。

 僕はどんな顔をしてそんな言葉を吐いたのか、分からなかった。エイダにも見えていない。僕はエイダから見れば、変わらずぐちゃぐちゃの怪物として映っているのだから、それを気にする必要はない。

「……帰ろうか。エイダ」

 手を伸べるが、エイダの顔には戸惑いがあった。

「……いいの? わたしが何をしたか、知ったでしょう」

「僕が何をしたのかも、知ったでしょ」

「わたしが何かも、お互いよく知らないのに?」

「でも、エイダは自分の中身を知っている。そして、僕が何なのかを、君は知った。僕は、僕の中身を知っている」

 わたしの中身、とエイダは呟いた。

「自分が一体、何からできているか」

 エイダはジャックを傷つけたと言っていた。オズは、食べ損ねたと。それ以上のことは尋ねなかった。

 僕はかつての同僚をBACとして始末した。裏切られて、裏切った。エイダは深く訊こうとしなかった。

 お互いの背後に広がった血の海を、見ないふりをした。もうじき追いついてくる真実に、僕達は呑みこまれてしまうから。――せめて、はぐれないように手を取り合う。

「エイダは僕の知る人に縁があるかもしれないけれど……エイダが一人の人間であることに、変わりはないから。僕は、君を助けたい。僕を、……人間でいさせてくれる?」

「あなたに守られるのは人間だから。あなたはわたしを、ヒトでいさせてくれる」

 エイダが僕の手を取った。

 お互いの、血で濡れた手を。



 空気も白んで、静寂に焼け焦げたような朝日が。僕達を照らす。

 僕たちは、陽光に漂白されたようにおぼろげな輪郭をしていた。



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