第15話 amateur - 14

 オズがナイフを振るったのと同時だった。

 僕は。

 手にした電磁銃を遮二無二放り投げた――オズの頭部に向けて。

 手首のスナップのみで射出された重量1.5㎏の電磁銃は鉄の砲弾となった。

 直線軌道、投擲された鉄塊はオズのヘルメットに直撃する。

 ヘルメットのアクリル板にヒビを入れ――彼は強くのけ反り――しかし、振り抜いたナイフの先端は、エイダの首を切り裂いた。

 投擲に続いて僕は大量のBACの血でぬかるんだ地を蹴って跳んだ。

 ――重量約60キロの肉の砲弾。推進力は僕の――BACに近い遺伝子を多量に含んだ骨格筋。シンプルな力技。オズの反った胸に靴底を叩きこむ。足の下で肋が何本か砕けた。エイダが引きはがされる。

 オズの痩躯が吹っ飛んだ。真っ直ぐ、公園のフェンスに向けて。身体を受け止めたフェンスはけたたましい音をたててたわんだ。


「エイダ!」


 白い肌を赤い血が濡らす。折れた右腕を吊っていた布を解いて、止血剤を染み込ませた。ぎゅっと、強く、傷口に押し当てる。エイダを座らせたまま、左腕で抱きかかえるようにした。血が止まらない。抑える力が弱すぎても死ぬ。強すぎれば、僕がエイダを殺してしまう。

 怖い。死なせることが怖い。腕の中で、また誰かを亡くしたくなんかない。

 必死に呼びかけた。

 死なないでくれ。お願いだから、死なないでくれ。

 折れている右腕も止血のためにあてがう。痛い。痛くてたまらない。それでもエイダが死ぬよりずっとマシだ。

 痛みと突然の事態にエイダは目を大きく開いて浅く息をしている。まだ生きようとしている。

 僕は殺意と痛覚ではやる自分の呼吸を抑えながらオズの様子を窺った。

 オズは歪んだフェンスにぐったりと身体を預けている。動かない。……ピクリとも、動かない。

 ……殺してしまっただろうか。

 殺す気で攻撃しておいて過失のような思考をした自分に嫌気が差して唇を噛む。

 普通の人間なら首の骨が折れていてもおかしくはない。だが、相手は普通の人間ではない。僕はオズの体質のどのあたりに強くBACの性能が発現しているかは知らない。例えば骨がものすごく強いのなら、予備動作のない投擲程度で頸椎が折れはしないだろう。肋が折れている時点で骨の強度は一般人よりも少し強いくらいじゃないだろうか。

 それよりも心配なのはエイダだ。輸血ができるのは相中に付けているデバイスだけだ。傷は深くはないはずだが小さな体では出血量が命取りになる。出て行くな、出て行かないでくれ。抑えた布にもエイダのワンピースにも血の染みがみるみる広がっていく。

 明け方まで持ってくれと願った相中よりも早く。もしかしたら。

 そんな嫌な予感が頭をよぎる。

 わずかに白み始めた空が、沈み始めた月が、エイダを連れ去ろうとしているようで、僕は深くエイダを抱き留めていた。

「恢」

 エイダは苦しそうに息を吐く。

 ここにいるよ。大丈夫だ。

 言いかけて、やめた。……何が大丈夫なものか。

 エイダは薄く目を空けて尋ねる。

……?」

 その質問の意図が分からず、僕はうろたえた。時間? 失血で錯乱しているんだろうか。

「もうすぐ……夜が、明ける。何時?」

 エイダはしっかりとした口調で尋ねた。……錯乱ではない。

「5時50分ぐらい」と、僕は答えた。

「じゃあ、あと10分……。……しな、ないから。あなたの前では、しなない、から。やくそく、したでしょ」

 エイダの顔が色を失っていく。僕の指の間から、エイダの血が流れ落ちていく。命が、抜け落ちていくように。

「ああ……ああ。死なせない。死なせるもんか。帰るんだろう。帰ろう……帰ろう、エイダ。そうだ……シェルターに戻ろう。向こうに治療器具がある。もどればきっとなんとか」


 腰を浮かせかけた僕に向けて、エイダが首を小さく振った。まだよ、と唇がかたどる。

「……やっぱりあなた、ツメが、甘い」

 ほんの少し、意地悪そうに笑った彼女の顔は――僕の記憶にある人の顔つきに、とてもよく似ていて。

 尋ね返そうとして、叶わなかった。

 弦楽器を滅茶苦茶に擦るような、笑い声が響いた。……オズだ。閑散とした住宅地に割れんばかりの哄笑が反響する。自分はここでまだ生きていると、痛烈に主張している。

「まだ、終わってない」

 がしゃりと耳障りな音を立てて、オズが膝を立てる。映像を逆再生するようにぬるりと上半身を起こして、半ばうつむき加減に僕とエイダを睥睨した。幽鬼の佇まいだった。

「なんだ。なんだよ。やればできるんじゃあないか。4年前、ぼくを殴ることもできなかったきみが! いよいよついに一矢報いたな。草葉の陰で8班の班員も喜ぶだろうさ。そしてむせび泣く。……もっと早くきみがこうしていればとね」

 ヘルメットが割れたことで明瞭になった声で、楽しそうに彼は言った。どこが楽しいものか。

「よくも、エイダを」

「怒るよねえ。そりゃあそうだ。でも心配はいらないよ。10分稼げとそいつが言っただろう。なにせ夜明けだ。6。なら、死なないさ。きみが心配しなくても、きみの知る人物と同じように、それは死なない。うっかりきみが手を離しでもしないかぎりはね」

 反撃に備えて身構える。

「そう睨まないでよ。ぼくを殺せなかったからってさ。……こうでもしなきゃ市野くんヤル気出さなかったでしょ。いわば心づけだよ。ま、それが痛い思いをしてるのは結果的には今までヤル気を出さなかったきみのせい。そうさせたのはきみってこと」

 ばきばきとオズは首を回した。折れていないか、回復したかのどちらかだ。肋が折れても呼吸系統に問題がなさそうなところからして、回復系の体質だろうか。

 ヘルメットのスモークガラスが部分的に割れて右目だけが覗いている。垂れ目気味で隈の濃い目をしていた。楽しげな口ぶりとは異なって、この世を睥睨することに疲弊した目をしている。どろりと鈍く輝く金色は、手垢のついた真鍮に近い。――ついぞ、4年前の任務中に見ることもできなかったはずの男の顔に、ふと、見覚えがあることに気付いた。

 ……だが。それが誰なのかを、思い出せない。確かに見た顔だ。4年前か、それ以前か、それ以降か――――ここでもない、4年前の輸送車の中でもない別の場所で。僕は別の形で、この男と出会っている。

 頭の奥に引っ掛かったもどかしいものを除こうと尋ねた。

「……あなたは。一体、誰なんですか」

スクモオズという名前の、一匹の怪物」

「そういうことじゃない。……僕は、あなたを知っている。4年前の事件以外の場所で。けれど、それが――どこなのか」

 言葉が続かない。思考がかき乱されている。混乱している。

 考えが纏まらなくて僕は首を振った。そうすれば記憶の断片がかき集められそうで。もちろん全く効果はなかったが。

「きみの夢が醒める前の、白昼夢。悪夢でもある日々のどこか」

「答えになってない」

 苛立ちが滲んだ。

「きみにとっての悪夢は、第8班での日々だろうか? まるで人間扱いされなかったあの吹き溜まりのような地獄かな? それとも、RTAにやって来る以前のコミュニティでの日々かな? もしくは、きみが第8班を手に掛けRTAから脱走したあとの日々だろうか? きみが郊外を出てRTAに再び戻ると決意してからの今なのか。もしくは――これからずっと先の未来なのか。きみの悪夢は醒めたためしがないんじゃないだろうか」

 哀れっぽくオズは言った。

「どういう意味なんだ。はっきりと……」

 問い詰める僕に対して、しー、とオズは口元に指をあてる。金色の瞳が、揺らいだ。

「きみからすれば悪夢だったそんな日々――夢での出来事を、きみはどれくらい鮮明に覚えていられる?」

 言い換えよう、と。彼は朗々、宣告した。

「きみは、きみの居た第八班のニンゲンの顔を、どれだけ覚えている? きみがその手で奪った命の名前を、きみは記憶できている?」


 必死に思い出そうとする。記憶を辿る。思い出したくないことの数々……が浮かんでくるかと思った。事柄そのものは思い出せる。BACに喰われそうになった恐怖も。薬剤も実験も、記憶にある。誰も助けてくれなかった。同情もない。同じように人間扱いされない僕達に同情なんて感情はなかった。僕が殺したBACも、僕が班員を手に掛けたことも。任務に失敗した後の懲罰も。覚えている。


 しかし、それらは、記号でしかなかった。


 指摘されて、初めて気がついた。

 。出来事の枠だけが残って、中身はどこかへ抜け落ちたように。行為だけが残った。行為者が、残っていない。脱走以前の第8班での記憶。顔も名前も――でてこない。思い出さないようにしたせいではない。最初から覚えていなかったように記憶にない。

 いいや。――いや、一人だけ。記憶に残っている。第8班の班員としての日々の中で、ただ一人だけ。

 徒空籠代のことだけは。

 僕を嫌った彼女のことだけは――鮮明に覚えている。


「きみは、徒空籠代のことしか覚えていない。きみが助けることができた唯一の命である、徒空籠代のことしか、記憶にない。きみは生き延びるための選択で、拾ったものしか記憶していない。きみに害を為し、きみを切り捨て、きみが切り捨てた命のことは――所詮は記憶に値しない。きみは、殺すことができる役割を背負った装置なんだから、殺した命の名前など覚えてはいない」

 責める口調ではない。オズの口調は、あくまでも優しい。

 ペースを掴まれている。けれど、彼の言葉が間違っているように思えなかった。

 徒空以外の班員の名前も顔も碌に思い出せない。

 自分が奪った命の責任も取れないのか。


「きみにとって守りたかったのは、仲間の命でも尊厳でもない。自分が人間であるという妄言だけなんじゃないかな」


 彼らを手に掛けた僕は、BACを殺さなければならない。

 BACを殺すのは、少しでも沢山の人を、守りたかったからだ。

 その初期衝動はきっと――人を守れば自分が人間だと信じられるというエゴだった。

 思い込みだと認めざるを得ない。だけど、僕は自分が人だと信じたかった。それだけでしかなかった。

 ああ。これなら、徒空に嫌われるのも納得がいく。僕が自分についている嘘を的確に見破ってみせたのは徒空が初めてだった。

 僕は、あの人に真実を見抜かれることを恐れていた。

 自分が正真正銘の怪物であると、いつか、告げられてしまうのではないかと。そうなってしまえば、僕はもう、自分にだって嘘を吐けなくなってしまう。


「恢が守りたいものを守ったのなら……それの、何が悪いの」

 腕の中でエイダが言った。身をにじって、首からさらに血が滲む。まるで構う様子がない。

「兵器は人間を守ろうとしない。恢は――自分が守りたい人を守って、自分が守った人のことを、覚えていたんだから。命を懸けてでも守った人を、恢のことを大切にした人のことを、忘れていないんだから。本当に大切なものを手放さないために」

 ふふ、とエイダは目を細めた。歯を食いしばって、口角を上げた。

「市野恢という人間が、背負わなくてもいい責任で押し潰されないようにするため。自分を守らない恢が、自分を守るために本能的に忘れる必要があった。それだけのこと」

 僕はエイダにそれは違うだろうと否定しようとした。

 僕の背負うべき責任は、僕の物だと。

「恢は黙ってて」

 口を開くなりぴしゃりと突っぱねられてしまった。

 まだ何も言ってないのに。

 思わずきゅっと口を噤んでしまった。

「蒅オズ――あなたは、4年前に恢を逃がそうとしてまで、市野恢という存在に記憶されたかった?」

 エイダは尋ねた。

「記憶にも値しないただのBACになってしまうことが怖かった? あなたの言うずっと先の未来で、恢に忘れられてしまうことが、怖かった? 自分を、殺してくれないかもしれないから?」

 は、とオズは短く笑った。一笑に付すには、幾分、声が震えていた。

 当惑する僕をよそに、オズは答える。

「……あてずっぽうで真相に近い答えを言わないでよ。否定も肯定もしにくい」

「嘘を吐けばいいでしょ」

「器用に嘘が吐けるのは人間の特権だからね」オズは肩を軽くすくめ、「難しいことを言わないでおくれよ。……きみには芽がないと思っていたのに。エイダ、今、ぼくや市野くんが人の姿に見えているかい?」

 いいえ、とエイダは首を振った。

「わたしは何も変わっていない。あなたの言葉で恢が傷つけられるのを黙ってみているのが嫌になっただけ。……わたしを守った人を、傷つけさせはしない」

 弱弱しさはどこにもなかった。

 出血量が減っているが、顔色が悪くなっている様子もない。これまでずれていた何かが噛み合って急速に息を吹き返しているようでさえあった。

「もう時間とは。誤算に誤算が重なっちゃったな」

 オズは諦念の入り混じった声で、昇りゆく朝日を見上げた。昇る太陽を、流れる時間を止められる者はいないからね、と彼は呟く。

「やっぱ、きみのせいだよ、市野くん」

「頼むから分かるように説明して欲しい」

 僕が率直なことを言うとオズは笑った。晴れやかに。

「清々しいまでの素直さだな。いいや。きみは嘘が下手なだけだった。うん。だからぼくも素直に言っちゃおう。言ってしまおうか! 寂しいからさあ! ……どれだけぼくの賛同者がいようと、ぼくを殺しに来てくれるきみに、ぼくは忘れられたくないんだ。だからね、市野くん。手始めに――」


 と、蒅オズは僕に向き直った。その瞬間だけは、真摯そのもので、


徒空籠代アダソラコシロを探せ。彼女はまだ、死んではいない」


 完全に虚を突かれた。

 ……ここで出てくる名前ではないだろう。

 生きている?

 徒空が? 生きている、だって?

 そんなわけない。そんなわけがない、

「あいつが生きていたら僕が生きているはずがない」

 そこから先はオズが代弁した。

「きみを憎悪する徒空くんがきみを生かしておくはずがない、って? きみは随分失礼なことを考えているようだ」

 ははは、とオズは失笑を漏らす。

「生きていようとそうでなかろうと徒空がこの件に何の関係があるんだ。あんたと僕の問題じゃなかったのか」

「そうでもないんだよ。ね、エイダ」

 エイダはこれには応えず、黙したままだった。

「10代そこそこのきみらに殺してくれだなんて非人道的でなんとも非道徳的だ。『人道的』ってぼくらにどこまで適用できるのかな。ヒト型の兵器に運悪く生まれついちゃった怪物のぼくたちにさ。だからね、市野くん。ようく考えておいで。誰を殺すべきなのか、滅ぶのはどっちか。徒空籠代を探し出して、きみはきっちり自分に答えをつくるんだ。自分に嘘を吐く必要がないように。きっと楽になるよ」

 そう言うなり、僕らに背を向けて歩き出した。

 あまりに唐突だった。

「っ、どこへ」

 呼び止めると足だけとめた。こちらへ振り返りもしない。

「どこかへ。スーツ、汚されちゃったから着替えたいしね。誰かさんが蹴り飛ばすから血と泥でずるずるだよ。みっともないし血生臭いだろ? エイダが死んでいいなら追っておいで。……なんならエイダを見捨ててぼくと一緒に来てもいいよ?」

「断る」

「即答だよね。傷つくなぁ」

 まるで傷ついていそうにない軽薄な応答だった。

「エイダは置いていくよ。彼女がまたぼくらを引き合わせてくれるからね。芽吹くはずのないものが芽吹いちゃったんだから、気が変わった。うちの『妹』を頼むよ」

 この期に及んで兄として言っているのだからどこまで面の皮が厚いのだろうか。

「エイダ」

 オズは首を僅かにこちらへ傾けた。

「ごめんね。……許さないで」

 エイダは精一杯、オズを睨む。

「ジャックみたいなことを、言わないで。あなたの言葉で言って」

 言われた方のオズは悪びれもせず、

「ごめん。今のはわざとだ。……別に悪いとは思っていないよ。好きなだけぼくを恨め。きみは真実には届かないだろう。決して至らない道に足を踏み入れた。一生宙ぶらりんだ。何を喰らっても一生満たされない。ジャックを食べ損ねたきみにはお似合いの末路だ。そうだな。できれば、きみが、市野恢にとどめを刺してあげるといい。市野くんが答えを見出せないでいるならね。そんな未来を――ぼくは期待している」

「お断りよ」

「きみまで即答か。揃って頑固者だな」

 やれやれ、と頭を振った。芝居がかった動きで長い腕を脇腹辺りでまげて大仰に掌を広げてみせた。

 動きにそぐわない気軽さで、彼は言う。


「……、潔さだよ」


 エイダは、目を開いて。

 僕は、言葉を失った。

 徒空籠代の、忘れ形見。その意味を――図りかねて。

「市野くん。またね。徒空籠代を探すんだ。結果、きみが死ぬかもしれないけど、それって許されたくないきみの本望でしょ。だから……ぼくの言ったこと、わすれないでね。シェルターにいる彼にもよろしく伝えておいてくれると嬉しいな。……気が変わったらいつでもぼくを探してくれ。その気になれば、ぼくは結構簡単に見つかると思うよ。待ってるから」

 オズが後ろ手に、何かを放る。すわ手榴弾かと身を引いたが、小さな銀色の塊――ドッグタグだった。

 エイダの傷から手を離さなかったので、タグは1メートルほど先の血だまりに落下する。その様子を見ていた彼の錆びた真鍮色の瞳は――どうしようもなく寂しさを湛えていた。

 またね、と彼は繰り返した。


「人間の血の味を覚えた獣なんて、人間の傍で生きられるはずがないからね」


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