第14話 amateur - 13
「僕もエイダも、人間だ。余計なことは言わなくていいし、言わせない」
僕が真っ先に出した回答はそれだった。ほぼ、条件反射に等しかった。あるいは、本能的とも言えた。
僕の脳味噌は考えるのをやめようと拒否反応をだした。
オズは「苦し紛れの思考停止だよ」と評してみせる。
「生身でBACを殺せるような生き物は人間と言えるだろうか。兵器を壊すものは兵器だよ。人間が戦車に挑んで勝てるのかい? 人間が魚雷を受けて平気でいられるかい? 無理だろう? そう言った次元の話だよ。
どれほど鍛えられた人間の成人男性でさえも補助機能のついたブレードを使用している。巨大であるということに加えてベースになった生物よりも格段に表皮が硬くしなやかなBACは通常の武器では殺しきれない。多少強化されたナイフを以てしても、表面にかすり傷をつけるのが精々。傷をつけられるだけの火力のある銃火器は機械制御がロクになければノックバックで肩が外れる。そうやって、10代や20代の子供の付け焼刃の訓練でも殺せるようにチューニングされた武器やあれば、BACをやっと殺せる。子供たちを差し出すのに納得するだけの金を両親に積んで、お仕着せの戦場で理不尽に命を奪ってきた怪物と終わらない泥仕合を繰り返す。
それを生身で殺しおおせる、ましてや背骨を粉砕して殺すような存在が、果たして人間と言えるだろうか」
オズは言った。
「だから、暴力で解決しようと?」
銃口でとらえた先で挑発される。ヘルメットで顔面が覆われていようと、語調ににじみ出ている。
相手は自分がエイダを盾にしていることをそっちのけで言ってのけるのだから見上げた根性をしている。
「僕が銃を下ろせばエイダを解放するんですか」
「いいや。それとこれとは話が別だ。だって、きみはそんなものがなくても戦える。むしろ銃がない方が幾分勝機があるってもんでしょ?」
「あなたと勝負する気はない」
「してるよ。もう4年は戦ってる」
「それなら僕たちのことはもう放っておいてくれませんか。あなたの眼鏡に適う獲物じゃない。……エイダも。……あなたは『メがない』と言った。恐らく、なんらかの目標値に辿り着かなかった。目があっても芽がない、ということでしょう? エイダの『弟』はあなたの基準をクリアした。だから生かされたはずです」
ふふ、とオズのヘルメットから息が漏れた。
「彼は素晴らしい変容を遂げた。可能性の一端を示して見せた」
「……意味が分からない」
「ぼくはあの部屋できみたちを待っていたから。ジャックと一緒にね」
エイダは深く唇を噛んでキッとオズを見上げた。オズはそれに応じる素振りを見せなかった。
「今どこにいるんです?」
「ここにいるよ」
オズは砂場を示した。僕が旧徒空邸で殺し、ここまで運んできた、白い、竜と人の混ざった姿をした、BACを。
「ジャックはもう死んでいたし、きみがとどめを刺したともいえる。なんなら腹を捌いて確認する? とっくに消化されていそうだがね。消化されて――その先は、
白い肢体から、目が離せなくなる。
探し物はハラワタの中にある。
その姿が、歪んで――少年の姿に見えた、気がした。
気のせいだ。幻覚だ。心因性の。一過性の、ショック状態だ。
僕の脳味噌が現実を拒否しているだけだ。
小さく首を振ると、少年は白い怪物の姿に戻る。
吐いた自分の息がドラゴンの息のようで、僕は慌てて呼吸を数秒止めた。
「僕のために……ジャックは、死んだのだと?」
「きみが悪夢に戻ってこられるように」
待っていたんだ、と。オズの声は優しい。
「他の目的があったのでは」
「もちろん。でも、ずっときみを待っていた。ぼくから迎えに来たんだよ、市野くん。きみたちがあまりに逃げ続けるものだからさ。ぼくの見たい景色をみせるために少し早回しにさせてもらった」
「あなたの見たい景色、だって? ……あなた、一体何人殺せば気が済むんですか」
僕の声は震えを抑えようとしている。声帯が震えて、喉元まで悲鳴が出かかっている。叫びだしたかった。けれどそれでは自分を手放してしまう。いいや、悪夢に戻ってしまう。あの泥濘に、帰ってしまう。
それだけは嫌で、溶岩を飲み下した気持ちでオズを睨む。
オズがしたり顔で自論を持ち出してくれればよかった。
けれど、悲鳴を抑え込んだ僕に、オズはふっと溜息を吐いた。
「なすりつけは酷いな。彼らを殺したのは、きみだろうに」
「……っ」
衝撃に息をもらしたのは僕だろうか。エイダだっただろうか。
……あまりに彼が優しくいうものだから。
エイダは、僕が、第八班を手に掛けたことを、多分、知らなかったから。
「おや。エイダには言ってなかったかな。第八班の班員――四年前に同胞を手に掛けたのはそこの市野くんだよ」
しれっとオズが告げた。他人の秘密を晒す恍惚もなく、至って平淡に。
僕の傷跡に手を突っ込んで掻き回す。
エイダは茫然とした顔で、僕を見つめていた。
……何か言ってくれればいい。罵倒してくれてもいい。いっそその方がマシだ。
お前には許しを請う資格もないのだと。
人殺しの、怪物だと。
「きみが手ずからやったことだ。きみが、選んで、そうした。そうだね?」
エイダは当惑しているのかそれでも口を開かなかった。僕がやったようには見えない、って? ありがたいことだ。そう信じてくれるのなら、本当に本当にありがたくて――――胸が痛い。
「……説得力が足りないのなら、この景色をなんとしよう」
オズはエイダに公園の全景を示して見せた。
「ここにはヒツジ型の群れの営巣地があった。オオカミ型と奇妙な共存関係を結んだ、肉食ヒツジの群れが。イヌ型――オオカミ型と言った方がいいか、一緒のようなものだけど――オオカミ型とヒツジ型のBACの死体の山だ。そして、ジャックを喰らい市野恢と対話を計った変異種のそれ」
錆びた遊具も。荒れた芝も。フェンスも木々も。残らず。真っ赤に汚れて。生臭い。
「全てが、ただの肉片だ」
耳に貼りつくようなオズの声が脳味噌の底を這って広がる。
僕はそれだけで、4年前の原野に立ち戻ることができる。
「自分を人間だと騙すのには限界がある。市野恢ひとりで作りあげられた死体の山を。圧倒的な暴力で死を量産する。死の山を築く。義務感で築く。BACを殺滅せんとする義務感の怪物。市野恢はどうしようもなく、そういう風にできている。それが彼の本質だから。BACを殺す、怪物だ」
だって、BACは全て殺さなければいけないから。
人間が生きるためには、生き残るには、人間のためには、それ以外、どうすればいいのかなんて。
僕は知らなかったんだ。
「言葉でいくら飾ろうと、ぼく達は人間じゃない」
オズの言葉は乾いていた。
怒りも呪いもない。決められたルーチンを説明するように、淡白だ。
ねえ、市野くん。と。ここまで来てもまだ、オズの言葉は優しさすらあった。同情ではない、純粋な興味よりも鮮烈に、僕のことを思い遣ってさえいた。
「何でRTAに戻ったの? ……せっかくぼくが自由にしてあげたのに」
「彼らを、BACとして殺したから」
答えは自明だった。だから、答えに迷いはない。いいや、それよりももっとはっきりとした言葉が、僕の中にはある。決定的な言葉が。
「……BACを全て、殺さなくてはいけないから」
自分の在り方を、役割を、指し示すのに過不足ない言葉だった。
それまでもの分も、これから先もの分も。全て。
「きみにそうさせたのはぼくだろうに」
「あなたが言ったんですよ。選び取ったのは僕なんだって」
そうだったね、と彼は笑い。
間違えないでください、と。僕はなぜか、苦笑していた。
笑える状況ではない。笑ってするような告白ではない。
皮肉ではない。すんなりと受け入れてしまっている。僕は、僕の意思でここに立つことを選んだ。僕が戦場を必要としたから。僕の役割だったからだ。
「虚しくはないか」
「全く」
「恐ろしいくらいに嘘がないんだな、きみは」
「嘘を吐く必要がありますか? この問いに」
「いいや。――いいや、きみには、愚問だった。……BACの殲滅を願い、誓ったきみは、自ら打ち立てたその誓いを破れなくなった」
「あなたの言を借りるなら、そういう風にできているから、ですよ」
「はは。実に――実に、きみは愚か者だよ」
いいかい、とオズは言い含めた。
「他人への優しさで君の傷が癒えることはないよ。いつか、もっと深く傷つくことになる。傾けた情の欠片も帰って来ることはなく、裏切られて絶望する。君が人間ではないという事実だけで、ここでは排斥に値する。なぜなら、あれらと同じ兵器だからだ。いいか。ぼくらは、怪物だ。ぼくも、エイダも、きみも。いつか、人間に殺される。事実、きみは組織の上層部の飼い犬だ。捨て駒だ。それに愚直に従って、自分で死にに行く」
「エイダは殺させませんよ」
「おや、ぼくは?」
「あなたは、知りません。どうかできれば僕の関知しないところで、どうにでもなってください」
「きみって結構冷たい男だって言われない?」
「舌の根も乾かない内に、僕の優しさはどこへ行ったんですか」
「今ぼくが冷たいやつだって思ったんだ。ぼくの勝手だ」
「身勝手な人だ。……まあ、
「あの子は、うん、きみを随分と嫌っていた」
「おそらく、生きていればあなたのことも」
傷つくなあ、とオズは笑った。なんとも奇妙に、晴れやかに笑うのだった。
「市野くん。きみは――どうなんだ」
問いかけの主旨を分かっていながら僕は何のことか尋ね返す。僕は意図して答えから自分を省いていたから。そんなすべてを、手のひらの上で転がして、噛んで含めて、彼は飲み下してしまう。
どこまでも――底意地の悪い、食えない男だ。
「いいのかい、きみの愛した人類に、きみが殺されても」
「……その時が、くれば。BACが、全て死に絶えた後でなら」
「ああ、じゃあ、ぼくが死んだ後だな」
「ええ。きっと」
ならいいや、と彼は投げやりに言った。自分の観測できるものの外には興味がないのかもしれない、あるいは――
「そんな日は、こないからね」
「ええ。きっと」
「それでもきみ、戦場がいいだなんてとんだマゾヒストだな。ぼくの意見は何年も前から、何年経っても変わらない。きみのやっていることは無駄事だ」
「だったら僕は4年前と変わらない答えを寄越すだけです。無駄にはしません。たとえ、終わりがないとしても」
「そっか。頑固者のマゾヒストめ」
オズはあっけらかんとしていた。
僕の答えに満足したのかもしれない。僕が変わらず泥濘を歩むつもりでいるから。
今の僕の原風景は、4年前にあるから。
「ぼくもきみも変わらないと来た。じゃあ、勝負はおあずけだな」
「さっさと帰ってください。エイダを解放して」
「……食い下がるねえ、本当」
あー、とヘルメットが重いのか、オズは首を回し始めた。
……本当に食えない男だ。
緊張感が、あるんだかないんだか。
「目的はエイダでしょう」
「正確には違う」
「……え?」
エイダが沈黙を破った。オズは回した首をこてりと傾けたまま、
「いやいや。自己肯定は結構だが、ぼくは言ったろう。きみには『芽がない』。ジャックを食べなかった時点で詰んでいるんだよ。ぼくがきみを放逐したのは、市野くんとの出会いに幾らか期待しただけであって、それでも十分な化学反応を起こすに至らなかった。あの場所へ再び、しかも市野くんと辿り着いた。彼の顔も見た。なのに、ただの頭痛で済んでしまうくらいでは、いよいよね、エイダ。――きみもお役御免というわけだ」
ふむ、と彼は少々考えて、
「その点、市野くんが役者として力不足だったのかもしれないけどね」
と、コメントした。
どこまでも淡白だった。悪びれることも罪悪感もなく。書かれた数字を数え上げるように。エイダも僕も、この男にとってはト書きに記された役割でしかないのかもしれない。
オズは筋書きを作っていた。4年前も。多分、今日も。もしくはずっと前から。
僕と
僕だけが今日、線路に再配置された。
徒空籠代は、死んだから。生きているはずがないから。もう、その心配をしなくていい。
エイダに書き込まれた筋書きが機能しなくなる、その意味は――
僕が悟ったのを見て取って、彼が笑みを深めたのが分かった。
僕が4年前、第8班の班員を彼の舞台から引き摺り下ろしたときにも、きっと。オズは麻袋の下で同じ表情を浮かべていた。
予感が僕の脊髄を撫でた。
折れた方の腕で僕がエイダのナイフを取り出そうとするのと――
オズがナイフを抜いたタイミングは、奇しくも同時だった。
つまりは、僕が一拍遅れて――牽制される。
オズのナイフは、エイダの青白い首筋へと添えられている。僕が下手に動けば、その瞬間にエイダの頸動脈を、オズは躊躇いなく切るだろう。
一触即発。
僕は痛む右腕をゆっくりと自然な位置に戻した。すぐに使えるのは、左手の電磁銃のみ。だが、電磁銃は広範囲に効く。小柄なエイダが巻き添えを喰らうと、最悪、ショック死しかねない。
白刃へと釘付けになったエイダの瞳は凍り付いていた。エイダは一度だけ、細い声でおにいちゃん、どうして。と。問うた。
「さあ――どうでもよかったからじゃないかな? いいや、すまない。自分に嘘をついてしまった」
二転三転言葉を転がしておいて、うん、とオズは頷いた。長らく答えの出なかったものに、初めて合点のいったような――ひどく、人間らしい仕草で。
「『お兄ちゃん』としてきみを愛そうとしたから、かも」
実感のこもった声に、エイダは唖然としていた。
「わたし、を?」
エイダは戸惑いを隠さず、対するオズは鷹揚に頷いて見せる。まるで、ごく普通の兄妹のように。
その普遍性を打ち払うように、オズはエイダから、僕へと視線を移す。
こちら側からはうかがい知ることのできないはずの視線が、確実にかち合った。
――その必要性が、きみには分かるだろう。
必要性? 愛する必要性か?
――いいや。違う。その理由は後付だ。言ったろう。
「きみもエイダも、ぼくも。最後には人間に殺される。愛そうとしたひとに、殺されるべきだ」
――きっと愛した上で殺せば、ひとになれる。
こう言いたいのだと。理解できた。
理解、してしまった。理解しがたい理論にもならないこじつけのようなねじれを。理解してしまった。
嫌悪感は瞬時に這い上がった。
彼の脳髄にも。自分の脳髄にも。
「……っ、やめろ! 駄目だ」
吐き気を抑え込むように僕は叫んだ。
目を逸らしたい。だが、逸らした瞬間、エイダは死ぬ。確実に死ぬ。
脳味噌の裏側まで覗くような視線を合わせたまま、オズは表層よりもずっと深い部分に熱を湛えていた。
「ぼくの拾い物なんだ。彼女の命も、きみの命も。ぼくらは時代という列車に
エイダははくはくと息をして、やめて、と繰り返している。
ぐいとエイダをより一層引き寄せる。後ろから、抱き留めるように。
エイダが短く悲鳴をあげた。
オズが据わった息を長く吐いた。
全く正気だ。この男は、これだけ論理の通らないトチ狂った言葉を吐いておいて、『妹』の喉笛にナイフを向けておいて――全くの正気だった。それが、ぼくには理解できている。
自分に与えた役目に、忠実なだけだ。
そう言った熱量を。固執を。――僕も自分にもっているから。
「中身の違う化物同士、分かりあえて、ああ、ぼくは幸せな生き物だ」
はは、と充足感のある笑い声。
「恢――」
エイダは切迫して僕へ訴えかけた。
違うと言って欲しいのか。いいや。残念ながら、僕はそいつと同類の怪物だ。同じ穴の狢だ。
だから―――今度は、オズを殺せるはずだ。
僕の使命は。BACを掃滅することだから。
彼は――オズは朗々と宣言する。
「ぼくが拾ったきみたちを配置することこそが、ぼくの使命だ」
ナイフが、一閃された。
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