第13話 amateur - 12
きっかり10分で往路を走り終えた僕は、『仕込み』を済ませた公園に立ち戻っていた。
ヒツジ型のBACの営巣地点――今回、僕と相中の任務の本命地に。
もっとも、公園はムッとする臭いにあふれかえっていて、ヒツジとオオカミが群れを成して同居しているという非常に奇妙な様子に仕上がっているのだが。そこら中片付けた跡で汚してしまうのはなんというか、我ながら効率が悪いなと思う。
定期的に鳴り響く電子音。遠隔操作よりも時限式の方が証拠が残らないので、あとはタイミングの調整だけはしておこう。ヘマをして救助に来てくれた人たちを吹き飛ばすわけにはいかない。
竜――異種型のBACの死体を、砂場付近に横たえた。事前に確認しておいた場所だと、ここが一番近い。
追加の作業もこなし終える。月明りがあってよかった。夜目が利かない訳ではないが、カメラもGPSも利かないのなら明るいに越したことはない。
天中を越えた月は再び低い位置へと下りてきている。春の夜。100年も前なら、この辺りでも夜桜が見られただろう。血飛沫の固まった跡だけが、ここにある現実だ。
さっさと引き返してしまおう。忘れてはいけないが僕も骨を折っているし、徐々に痛みが帰ってきつつある。痛みに鈍いままでいた方が楽なのだけれど、それはそれで不便だ。担いでいたものもなくなったことだし復路の方が早く辿り着くだろう。
……すんなり帰してくれたらの話だが。
邪魔が入るのならこのタイミングしかない。
折れていない方の腕で、電磁銃を抜いた。
人体に向けられるギリギリの出力まで絞っていても充電量は、もって1、2発。
トリガーに指を掛ける。
「出てきてください。あなたを無視して戻るわけにはいかない」
公園の奥、木の陰に銃口を向けた。
出てくる気はないのかもしれない。相手からすればここで僕に応じる必要はないはすだ。だが、放置しておけば後々面倒なことになる。その前に打てる手は打つ。
長身痩躯の人影がゆらりと現れた。この場に不釣合いな、仕立ての良い黒のスーツ。ネクタイも黒。まるで喪服だ。フルフェイスのヘルメットが異様に目を引いた。そちらも漆を塗ったような黒一色。夜闇に溶け込んでしまいそうだ。目の前にいるはずなのに、存在感が薄い。それを補うようにヘルメットで誇張されたちぐはぐな容姿が奇妙に映る。
「いい月だ。月夜は獣性が高まる。実にいい夜だ」
ヘルメット越しでくぐもった声。年齢の読み取りにくい声をしている。高くもあるし、低くもある。落ち着いた抑揚でいながら、独特の不安定な響きを持っている。――耳に入れた者の神経に染み込むような声音だ。記憶の底を鑢で撫でられるような、嫌悪感と不快感があった。
「猟犬らしく育ったものだ。役割に殉じられなかったきみが、自分をそのように矯正したのかな。
僕が差し向けた銃口など意に介さず、ぐるりと公園を見渡す。
「一人でまあ、よくも、ここまでやったものだよ」
呆れたように、苦笑交じりに男は言う。
「ぼくの慧眼もなかなかのものらしい。エイダを見限ったのも、きっと正解なんだろうね。正解のはずさ。何せ、間違いなどということは起こらない。行動すれば行動するだけ、理想に収束する。そういったものだろう? もっとも、きみはその限りではないようだけれど」
エイダの名前を出されて確信する。
「あなたが、『オズ』で間違いなさそうですけれど……聞き捨てならないことを仰いますね。あの子のことなんて大して知りはしませんが、あなたが間違えていることははっきりわかる」
男は肩を軽くすくめた。
「義憤。いかにもそれらしい。それらしくなりすぎじゃないのか、きみ。大して知りもしない相手に対して、きみが義理立てする必要なんてないのにさ。……そういうところは、まるで変わらないなあ、きみ」
「なんですって」
「きみのことはよく知っている。なにせ、命乞いまでした仲だろう。――もうじき4年になるというのにまだこんなことを続けていたとは。きみの馬鹿正直っぷりには呆れを通り越して賞賛に値する」
4年、という言葉に背筋が凍った。
覚えのある嫌悪感の正体に吐き気を催しそうになる。
僕の感覚さえも見透かして、男は悠然と応じた。
「きみの思う通りだ。初めまして、ではないよ。お久しぶり。その節は、どうも」
ヘルメット越しに、男がうっすらと笑むのが分かった。
4年前。僕はこの男に出遭っている。
「第8班をきみに壊滅させた張本人。そして、きみと
男は再び肩をすくめる。癖なのかもしれなかった。顔の見えない状態だと蛇が獲物を品定めしようと鎌首をもたげているようにも見えて気味が悪い。
「改めまして、名乗らせて頂こう。ぼくのことはオズと呼んでくれ。あの時は名乗りもせずに君に命乞いをしてどうもすまなかった」
もっとも、と男――オズは二の句を継ぐ。
「きみを切り捨てる気でいたきみのチームメイトたちが意図的にぼくの情報を回していなかったんだからね。しょうがないさ。ああ、しょうがない」
オズは武器も出さずだらりと手を下げた状態だ。
僕が撃たないと分かっていて警戒していないのか、非殺傷性の電磁銃にその必要性を感じていないのか、撃たれても躱すだけの自信があるのか、その全部だろう。けれど構えを解く気には到底なれないので僕は銃口を彼に向け続ける。
「相変わらずだな。きみは。大きくなった……わけでもないか。きみ、体質の都合上あまり身長が伸びなさそうだし。ぼくより大きくはならないだろうなあ。だが落胆しないでほしい。結局度量が全てだ。個体のサイズ云々ということではないから他意はないんだ」
「あなたも相変わらず……よく喋りますね」
こういう男だ。
僕は3年前――もうじき4年になるが、この男としばらく対話した。それが落ち度だったとは思う。ペースを掴まれてしまったのだ。
「人間は言葉を使う生き物だと教わった。暴力の前にまず対話だ。戦争の反対は平和ではなく対話であるようにね。――で。それ、下ろしたら? 撃つ気ないだろうし、きみには撃てないし、ぼくに撃っても意味ないよ?」
枯れ枝のような指で銃を指す。見透かしたことを言う。
だけど銃を下ろすわけにはいかない。抑止になればそれでいい。
「……その点は変化があったらしい。以前のきみなら優しさのあまり丁寧に謝罪の上、銃を仕舞いこんでくれただろうに」
銃を下ろせないのは、雰囲気に。空気に。呑まれてしまいそうになるからだ。
丸呑みにして溶かされてしまいそうな恐怖があるからだ。
「けれど4年前きみはぼくを助けてくれたじゃないか。それが今になってどうして」
「こっちの台詞です。……なぜ、あなたがここに」
「いちゃ悪いかな? ぼくがどこにいようとぼくの自由だ」
「そういうことじゃない。……これはあてつけですか? 僕が4年前命令に背いてあなたを逃がしたことを責めるために?」
「いいや。きみには衷心よりお礼申し上げる。ちょっかいを掛けに来たからね、半分正解でいいのかもしれないが、まあ、きみのお蔭でぼくは生きている。そして命令違反を犯したきみが不当な立場にあることに心底同情している。だが、ぼくはそこまで殊勝なやつじゃないのでね。それはそれ、これはこれ。ぼくがここに居合わせたのは他の目的のため。別で面白い拾いものもあったけど。ほら。待ってたからさ」
「待つ? 何をですか?」
「これはこれはわかっているくせに。ぼくが棄てたものをぼくが拾っちゃいけないわけがないでしょ?」
エイダか。
しかし、『めがない』と置いて行ったエイダをどうしてまた?
分からないが、オズに近づけたくなかった。
何より。何より……エイダはオズの元に帰りたがってはいない。
「勝手がすぎる。あんたは何もわかっていない」
僕の反駁をオズは笑い飛ばした。それでも際立った感情にはならない虚ろさが、男の作り物めいた雰囲気を創りあげていた。
「何もわかっていないのはきみの方だよ、市野くん。状況も状態も事の裏側も内側も、何一つとして把握しきれていない。ツメの甘いきみらしい。きみはエイダが今どこにいるか知らないはずだ」
「その手には乗らない」
「落ち着いて聞いておくれ。きみのいると思っているところにエイダはいないよ。半壊状態――今はきみのせいで倒壊状態一歩手前となった徒空邸の地下シェルターに、エイダはいない」
何でか分かるよね? と。
オズは首を傾げた。僕の知らないところにいて、この男の知っているところにいる。
その意味を問い質す前に、
「1人で抜け出してきて可哀想だったから、連れてきちゃった」
酷薄にオズが木陰に手を入れる。
月明りに零れるように、銀の髪をした少女が引っ張り出された。
「……エイダ」
エイダは小さく震えていた。外傷はなさそうに見えるが、服で隠れている部分までは分からない。
「はい、まずはごめんなさいは?」
平然とオズがエイダに言う。兄が妹をたしなめるように。ただ、目に見えてエイダが怯えている。言葉以上の威圧感をエイダに与えているのは明らかだった。
「ご、ごめんなさい。地下にいるように、って、恢、言ってたのに」
つっかえつっかえの声が痛ましい。
「はい、よく言えました。でも、そうじゃないよね?」
オズの声に、僕は一歩先に進んだ。
見ていられない。
聞いていられない。
僕が厭な気持になった。それだけだ。理由は、それだけだ。
僕がエイダを傷つける理由になりたくないだけだ。
「まったくそうじゃない。エイダが謝らなくちゃいけないことなんて何にもない。……エイダに謝るのは、あんただろう」
オズはエイダの肩を掴んで体の前に引き寄せた。あからさまに盾にする気なのが見て取れる。
「おおっと。危ないことをする。これだから純正品は野蛮でいけない。――どうも、うちの子が面倒を掛けたようでね。ぼくが自由に動いている間のお守りをありがとう。一旦捨てて、きみに任せておいた方が安全だからね。これは放っておいたら食べられてもおかしくないくらい、まがい物の中では純正品に近いんだ」
「エイダ、聞かなくていい」
「その通り。聞かなくていい」
オズの発言は矛盾する。
きっぱりとオズは言い切った。しかし、耳を塞ごうとするエイダの腕をしっかり押さえこんで、オズは朗々と告げた。
「聞くまでもない。だって、賢いエイダは知ってることだもんね。自分がまがい物だってこと、ちゃあんと知ってる」
エイダの顔が悲痛に引きつった。その様子を味わうように眺めて、オズは宣告を続けた。
「エイダは自分がまがい物のヒト型のBACだと知っている。そして――市野恢が『ロールA』と言われるヒト型のBACだということを知っている」
今度は僕の顔が引きつる番だった。
知られていた? いいや。最初に言っていた。エイダは、僕に間違いなく『嘘吐き』と指摘した。『おにーちゃん』から聞いている、と言っていた。
嘘を吐いていると謝ったエイダは、自分が何なのかを隠し通そうとした僕の正体を、最初から知っていた。だから、僕がナイフでオオカミ型のBACを始末したあの時、『その方がらしい』と言ったのだ。
そっか。本当の本当に、全部、知ってたのか。
エイダは、浅い呼吸を繰り返していた。エイダの大きな瞳に映っている僕は、僕の姿で見えている。オズのヘルメットにも、僕はヒトの姿で映り込む。
けれど彼女には。エイダには。僕はどんな姿で映っているのだろうか。
「恢、ごめんなさい」
その声をどう受け止めるべきか、僕は分からなくなっていた。
「市野恢はこのぼくと同じ、ヒト型の怪物だ。さあエイダ、もどきのきみがぼく以外の上位の怪物を目にした感想は? 市野恢がきみや己自身を人間だなんて形容した感想は? なあ、市野くん、久々に同種に会えたご感想は? 怪物が怪物もどきに人間だと語ってみせた気持ちは? ――各々、30文字以内で述べてみせてくれ」
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