第12話 amateur - 11
骨が蹴散らされ、蠅が一斉に飛び去る。ウォークインクローゼットの薄い壁はみしみしとひび割れ、部屋の内側へと倒れてきた。ぬっと突き出された腕だけでエイダの身の丈はありそうな大きさをしていた。
僕達は二人してすぐさま立ち上がった。
エイダの前に出て、部屋には踏み込まないで様子を窺う。
こちらへ出てきたBACの姿を見て、何の動物と言えばいいのか、僕は素直に戸惑った。
BACは二本足で立っている。その全身は、骨を思わせる白色をしていた。
ごつごつとした太い骨に、古いなめし革のような皮膚。頸椎から尾椎まで背骨の突起が皮膚を破って露出しており、ぞろりと長い尾へと続いている。骨と皮を繋ぎとめるのに最小限の筋肉を張り付けたような痩身。身の丈は2メートル程だろうか。特に、尾部と両腕が発達している。僕の顔程の大きさのある鋭い爪で腹を裂かれれば、一撃で胴体が真っ二つになってもおかしくなさそうだ。頭部は人体の頭蓋なら耳のある位置に、一対の角が天を衝いて生えている。前面に伸びた顔。尖った歯列。
二本の足で立つ、竜。というのが妥当だと思った。
ヒトと竜を混ぜ合わせたよう。
昔、先生に見せてもらった、ぼろぼろの絵本で見たような、竜。
人間が手を出してはいけない領域にいる生き物。
一般的なBACから考えると大きさは決して大きくはない。だが、戦闘力は未知数だ。
電磁銃を納め、散弾に持ち替える。
怪物の胴に照準を合わせる。
二足の竜は、きりりと腱をしならせて僕の方を向いた。
BACの注意がエイダに向いてはいけない。僕はライトをBACの顔面へと向ける。別段、眩しそうにもしないが、二足の竜は僕をじっと見ている。
エイダは小さく震えている。僕と、竜型のBACを何度か見比べているのが視界の端でわかる。
「地下に戻って」
小声で告げた。振り返らない。最小限のことしか言えない。
「……僕が戻らなかったら本部の武器整備士の
咄嗟の判断だがシュウさんなら悪いようにはならないはずだ。あの人ならきっとドクターに話を繋いでくれる。
エイダは小さな手で僕のジャケットをぎゅっと掻き抱いた。
「あずかっておくから。ぜったい取りに来て」
「…………約束できるかわからない」
「じゃあ、これは必ず返しに来て」
エイダは僕のズボンのポケットに何かを押し込んだ。僕が何か言うよりも早く、
「気を付けて」
「エイダも」
音もなくエイダが離脱する。心得があるのは安心だ。おまけに聞き分けのいい子で助かる。約束はしないが、無事に戻れたらいいな、と思った。
帰ろうって、言ってしまったから。
それは、約束してしまったから。
直立した竜は階段の方へ注意を遣ったがすぐに僕へ視線を戻した。
しゅうしゅうと擦れるような呼吸音がBACの口から洩れている。
僕は胴に狙いを定めたまま、深い呼吸を繰り返す。
白い怪物は僕を凝視したまま、ゆっくりと、首を傾げる。初めて、不可解なものを目にした幼子のような。無骨で神秘的な外見をしたそれに酷くそぐわない、あまりに人間らしい仕草だった。
僕とエイダのやりとりを観察して得た知識だろうか? だとすると、学習能力の高さはかなりの部類に入るだろう。やたらに神秘的な怪物の外見が可能なものに見せている。
凌駕するという、可能性。
BACがヒトを凌駕せしめんとする、可能性だ。
ここで殺しきりたい。と、思った。
交わせるだけの言葉もなければ、学ばせるつもりなど毛頭ない。
ここで始末する。
左手だけで散弾を握って、右ポケットにエイダが仕込んだもの――ポケットナイフを展開する。
怪物は僕の初動を見て取って、先に仕掛けてきた。そう。つまり、こちらへ遮二無二、突っ込んできたのだ。
視界から消えたようにも見えた。
腰だめに引き金を絞った。
リコイル、ノックバックを制御。
片腕のみの無茶な発砲だが、怪物の腹部を貫通。それでも怪物の勢いが削がれることはない。
まだ熱を持ったままの散弾を身体の前にやった。その後ろに右手を沿える。丁度、散弾と腕をクロスして防御する構えだ。
視界が、白くとんだ。
両足が床から離れる。肺から一気に空気が抜けて、脳が揺れる。
ブラックアウト。
しかし意識が遠のくことはなく世界は瞬時に点灯する。
ベッドの上の骨の山ごと、隣の部屋へ押し出される。圧力で骨片となった骨で白くけぶる。
投げ出され――壁材の補強や板と混ぜられるようにして、床板に叩きつけられた。
突貫の勢いを全く殺すことのない、暴力。
骨の軋む音。
破片が刺さる。
背や脇腹から血が噴き出す。
フローリングが大きくたわみ――怪物もろとも、一階まで落下。
支えを失った僕はふわりと一瞬だけ空気抵抗を受けながら、加速度的に落ちる。
真下はリビングだった。
受け身も取れず瓦礫の山とない交ぜになる。
怪物は僕を潰してしまう気なのか、圧力を掛ける。
怪物の落下ダメージも僕が全てクッションになっている。
怪物とリビングの基礎の間に挟まれている両腕と肋骨が、そろそろ限界だと体内で悲鳴をあげる。
「んな、クソッ」
腿をぐっと下げ、怪物の胴体に向かって蹴り上げる。
大体動脈のダメージは無し。
やれる。
竜の化物が上半身をのけぞらせた。手の力が弛む。
その隙に、転がって避ける。体勢を整えなければ。身体を、起こさなければ。
手をつく。
痛覚が脊髄へと突き抜ける。――受け流し損ねた右腕が折れている。初撃の衝撃で折れてしまったらしい。肋は怪しい。
蹴りが運よく急所に入ったのか、竜の動きは緩慢だ。しかし先ほどよりも用心深くこちらの様子を窺っているのが分かる。……逃がす気はないらしい。骨を繋いだような怪物の長い尾が、ざらざらと瓦礫を撫でて耳障りな音を立てる。
まだ銃がある、と掴んで離さなかった散弾を見遣れば、銃身がめちゃくちゃな方向に捻じれてしまっている。
これは駄目だ。
散弾を捨てる。
電磁銃は効かないだろう。
ポケットナイフを折れていない左に持ち替える。
ふっ、ふっ、と短く息を吐く。整える。
二足の竜は、何度か掌を閉じたり開いたりして身体が動くのを確認しているようだった。何度か試して納得したのか、しゅー、と長く息を吐いた。
冷静に判断するならば僕も逃げた方がいい。だが、先ほどの飛びかかりの速さ――この個体の瞬発力ではすぐに追いつかれてしまう。僕一人が死ぬのならいいが、シェルターに入られてしまえばエイダも相中も確実に殺されてしまう。……それだけは避けなければ。
逃げられない。
逃げられない。
逃げられない。
ぬるりと、気持ちの悪い汗が額から流れ落ちる。
竜は、じっと僕を見ている。何度か息を吐いて唸り声をあげる。不明瞭だが何かの鳴き声だろう。意味などないはずだ。
だが、竜の鳴き声が次第に同じ音を繰り返しているように聞こえてきた。
何か伝えたいことがあるのか? いや。そこまで、人間らしいことをする個体がいるのか? こんな怪物じみた見た目の、BACが? 同種の個体同士で意思疎通を図るBACは今まで見たことがある。だが。ヒトと対話しようとするBACなど聞いたことがない。
BACを見ることができてもその言語を解することができる者はいない。
そして僕はRTAの駆除部隊員だ。BACは残らず殺す。
それこそが、僕の役目だ。
竜は、僕がぶち抜いた腹の穴をさして気にする様子もない。痛覚そのものが飛んでいるのか。僕の痛覚も今は鈍くなっている。
あちらは腹。
こちらは片腕。
戦闘続行に五分五分ではない。
不意に、怪物と目が合った。
顎を引いて目を細めている。
これから殺す獲物の品定めをしようとする捕食者の動き、というよりは――ヒトが何かを憐れむような仕草。
憐れむ。何を? 僕を? この状況で?
怪我を負わせたのは、こいつだ。だが、僕の負傷状況を憐れんでいるのではない。そうではない。そうだ、きっと――こいつには、僕が何なのかが――エイダと同じように、僕が、何でできているかが、分かっている。
直感だ。だが、そうとしか思えなかった。
何かを伝えようとしていたのは、おそらく和解できると考えてのことだったのかもしれない。
「どうしろっていうんだよ」
言葉にするまいと思っていたのに、口から零れ出た言葉。
それとは裏腹に、狩らなければ、と強く思った。
僕は、RTAの職員だ。BACは、狩らなければならない。
条件反射のようなものだ。
悪気はない。悪気はないから、許して欲しくは、ない。
僕に刻まれている反射が、BACは殺せ、と謳った。
どうすればいいかという答えは、僕が与えた僕の答えだ。
地を蹴っていた。――丁度、先ほどと逆の構図。
僕が突っ込んでいって、竜が迎え撃つ。
折れた腕の痛みが神経を焼く。
怪物の懐。研がれた感覚で左手のナイフを振るう。
飛び散った血で視界が濁った。手応えは十分で、反動を殺したまま深く竜の白い胴体を抉る。
巨大な手掌に捉えられる前に身を屈めて背に回る。数度、斬りつける。皮膚が硬質なのか、傷は浅い。
反撃の隙を与えず、体重を乗せた蹴りで巨体を倒す。
肩甲骨を踏んだまま、まずは腕を無力化する。肘の腱、続いて、逃がさないように、膝の裏の腱を叩き斬る。
竜の怪物は奇声を上げた。自由に動かせなくなった四肢をなんとか動かそうともがくたびに、崩落した瓦礫の塵埃が舞った。
まだだ。
斬って処分するのには手間がかかりそうだと、冷えた脳味噌で判断する。
背にのしかかり怪物の首を左の肘でひっかけるようにして起こす。後方へ、強く引いた。ギッギッと怪物はもがいた。
――このまま胴体をへし折る。
怪物の抵抗は終わらなかった。長い尾部が、僕の力を緩めようと何度か僕の背を打ち据えた。鋲のついた鞭にでも打たれたようだ。飛び出した骨の先端が打ち付けられて、綿のジャケットが裂ける。
この程度なら死なない。問題ない。
しかし、怪物も学習したのだろう。僕が締め上げるのに倣って、尾を僕の首に巻き付けてきた。
首に、怪物の尾骨が食い込んだ。
自分の首から噴き出た血が目に入る。
一瞬力を緩めそうになったがすぐに持ち直すと、怪物も僕に倣った。
なるほど。窒息にはさすがに適わないし、時間を掛ければ失血だ。
僕の両足と左腕は怪物を押さえつけるのでいっぱいいっぱい。右手は折れて動かない。
いいだろう。
僕が竜の背骨を折るか、
竜が僕の首を捩じ切るか。
屈曲は破断へと向かう。
尾の鋭い突起が首の肉に食い込んでいく。
一秒ごとに互いに死に近づいている。
ごきん、と腕の中で鈍い音がした。
竜が一度だけ大きく痙攣する。尾の力が弛んだ。
……死んだのだろう。
念のため、頸椎にナイフを落としておく。
生き残った、という充足感はない。
エイダと相中を巻き込まずに済んだ。それ以外には、怪物の死という結果だけが転がっている。
ぬるりと血で濡れた尾部を首から取り払う。
二度、三度、動かないことを入念に確認し、返り血を浴びないよう注意を払って頸部に残したナイフを抜いた。僕の両腕からも怪物の死体を解放する。
僕は壁際まで下がった。ナイフの血を落として、畳む。
静かだ。ああ、静かになった。
自分の傷の確認をする。マスク代わりにしておいた三角巾を一旦ほどく。破れきってはいないが僕の血で少し汚れていた。瓦礫の山から木材の切れ端を拾って服の上から包帯で固定し、巾を口で支えながら右腕を吊る。
瓦礫で切った腿や背はもう少し放っておいてもいいだろう。首の出血も止まりつつある。抗菌薬だけ取り出して水なしで飲み下す。
僕は死ななかった。それだけだ。だから、これからのことを考えなければならない。僕の頭にあったのは、あと数時間でやって来るだろう救助班と回収班に見つからずこのBACの死体をどう処理するか、ということだけだった。
表では出回っていない強化ナイフの傷跡と、不自然な角度で胴体の折れ切った異種型のBACの死体。腹からは登録のある散弾銃の銃痕。
はっきり言って、冷静さを欠いていた。エイダの強化ナイフにID登録はないがあらぬ疑いをエイダに向けられては困るし、この状況は『僕がやりました』と名乗り出るようなものだ。珍しい異種型ということもあって、普通に武勲をあげたいのならばそれでいいが。困る。僕の場合は、非常に困る。
庭に穴でも掘って埋めるか、『仕込み』のある場所まで走って運ぶかしないと。見たところの重量は80~100キログラムが精々。抱えてひとっ走りするには少々重いが、埋めるよりも仕込みに巻き込みたい。仕込んだ例の公園までここから10キロメートルもない。負傷状態を考慮しても往復30分もあれば充分。途中、別種と遭遇しても1時間とかからないだろう。エイダへの説明はその後でいい。
時刻は午前4時。日が昇るまで、残り2時間。
異種型のBACの調査もしたいが、猶予はないだろう。……相手も控えていることだろうし。相中のバイタルが飛んできている端末は外していかなければ僕の位置情報が残る。デジタル化なんて厄介だ。そんなことしなくても僕は逃げ出したりしないのに、首輪をつけるのが好きなんだからしょうがない。
台所に移動してデバイスを外してシェルターの上に置く。万一僕が戻らなくても、僕の端末とアイナカの治療デバイスが生きていれば、救助は必ず来る。
捨てられたわけではないのだから。
エイダのように?
……あるいは、4年前みたいに?
こんな考えはやめよう。エイダにとっても僕にとっても不毛だ。
再びリビングに戻って、BACの死体を左腕で担ぎ上げた。
何かを担ぐときに片腕を空ける癖はつけておいて良かった。バランスを崩すことなく走れそうだ。
竜の白い肢体の表面は見た通りになめした皮の触り心地に似ていた。
まだ、温かい。
血痕がつくので頸部から流れ出る血をスプレータイプの止血剤で抑えておいた。もとよりリビングは血で汚れているが念のためだ。
竜の死体は見た目よりもずっと軽かった。
ざっと60キロにも満たないだろう。これならもう少し早く戻ってこられそうだ。
割れた窓から外へと踏み出す。冗談みたいに静まり返った、旧居住区域。
それも、徒空が生きていればの話だが。
運び出した死体は夜気に冷やされ始めている。
僕は体温を持って、動いている。
異種型とはいえ死んだまま放置していれば細菌類や体内の酵素によって分解されるのだろうか。無毒なものとなって土へと還っていったのだろうか。知らない。僕は、そんなことまで知らなくていい。
深淵という奴はこちらからうっかり覗きこむと二度と逃してくれないので、目を瞑ってやり過ごしてしまった方がいい。
エイダにも相中にも見せたくはない、こちら側。
相中の怪我が身動きできない深さで良かったな、と少しだけ安心してしまった。
こんな光景を見られてしまったら、さすがに口を塞いでもらわなければならなくなる。
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