第11話 amateur - 10
骨の山は避けて、本棚から調べることにした。
腐臭で空気が悪いため、10分に1回は外の空気を吸うようにする。雨戸ごと窓を破ればいくらかは空気もよくなるし月明りで光源も確保できるが、部屋の中ないしは建物内に自分と、エイダと相中以外に誰かが潜んでいるかもしれないと思うと派手な行動は避けたかった。外からBACが来ないとも限らないし、相中を襲撃したBAC以外の何かがこの区画にまだいる可能性だってある。
ドアから見て右奥の壁に設置された埋め込み式の本棚には、ぎっしりと紙の書籍が納められていた。徒空の両親の趣味なのか、文芸書が比較的多い。僕も聞いたことのある名作の文庫本や全集がある。時には幼い徒空に寝床で読み聞かせることがあったのか、本棚の低い位置に絵本が数冊並んでいた。高い位置には、BACやそれに関する学術書が収まっていた。……娘の体質について何か知れることがないのかと調べていたのだろう。
両親と交流があったであろう老爺や、『オズのお兄ちゃん』――オズについての手がかりがないかも探したが、これといって目ぼしいものはない。
ここに鍵をかけてまで何かが閉じこもるだけの理由が、ここにはあるはずだ。
いや、あってほしい、と僕が思っているだけかもしれない。隣室の押入れでエイダが見つけ出したアルバム以外にも必ず何かがあると思っていなければ、肉体だけでなく精神的な疲労感にじわじわと蝕まれそうだった。座り込みたい気分だが、こうも床の方々にBACの骨と骨片や腐敗してとろけた肉片が散らばっており虫が這っていては腰を下ろすことも気が引ける。
やはり骨の山を調べるしかないのだろうか。何かが埋まっているかもしれない。
死が山積みになっている光景は、それだけで威圧感を放っていた。
この部屋は死で溢れている。
ベッド、またはウォークインクローゼット。どちらから調べよう。
クローゼットに至っては扉付近まで腰の高さくらいの骨でいっぱいになっていて、全容がまるでつかめない。それだけに、後回しにしたかった。
ベッド上の骨を本棚の方向に向かって少しずつ崩す。山の芯にあたる部分に近づくほど、吐き気を催す臭いが鼻腔を突いた。
エイダの『弟』が食事を行った跡と仮定しているが、ここまで栄養を必要とするのだったら燃費が悪いというレベルではない。大型の個体も紛れているため、戦闘に慣れていることがうかがえる。中には、道具を使わず強引に手で裂いたような痕跡もあった。通常、駆除部隊がもつ強化加工済みのブレードか出力を大幅に上昇させた銃火器以外で、線維質が特殊なBACの肉体を傷つけることはできない。……通常は。
エイダが所持していたナイフも、加工済みブレードの一種ではある。だが、現在のRTA内では出回っていない、第8班向けに調整されたナイフだった。復帰以降でも見かけたのは今回が初めてだ。エイダ本人も訓練を受けていたのだろう。そうであれば、『弟』も同じだと考えておいた方がいい。
エイダは、僕が『弟』に似ていると言っていた。
薄々その意味を理解しつつある。
僕にBACの捕食の必要はないが――なるほど、狩り方は僕のやり方と、とても似ている。
多少の荒はあるが、自分がやったのかと錯覚してしまいそうになるほど、解体手順が同じだ。
頭蓋の割れ方、肋に入ったヒビ。とどめの刺し方、打ち込みの仕方。
どれをとっても、僕のやり方に酷似している。
現在の僕が、ほぼ放棄したやり方に。
目をそむけたくなる。
短期間で効率よくBACを狩った『弟』の手腕は、ここ一帯のBACの総数を著しく減らしただろう。そのせいで通常入り込むことのなかったオオカミ型BACの群れが餌を探してやってきたに違いない。今回の任務の本来の討伐目的だった、ヒツジ型BACは格好の的だったことだろう。
この部屋を埋める骨の数が、彼のトロフィーだった。
同時に。僕の放棄した責任の重さだった。
さらには、第8班が健在であればこれに匹敵する駆除成果を上げ続けることはできたはずだ。そうなっていれば、トウキョウ周辺の状態もより良くなっていたかもしれない。
僕が棄てて、奪って行った、責任の重さが積みあがっている。
うなだれている暇はないので、手だけは黙々と動かして骨の山を攫っているが、その底からライトの光を反射するきらめきが出てきた。
金属のタグだ。血で汚れているが内容は読み取れそうだ。
手を伸ばして取る。
硬くなったマットレスだが、身じろぎ一つでがらがらと骨が僕の前で動いてみせた。
……一旦部屋を出よう。外の空気を吸いたいし、月明かりが恋しい。
月は高く昇り、青白い光が家屋の潰れた左半分から入り込んでくる。時刻は零時前。エイダはまだ眠っていて、僕はその隣に腰を下ろした。簡易マスクを下ろして、息を吸う。少し頭が冴えるような心地がした。
まずは入手したタグの確認からだ。
薄明りの中、傾けて目を眇めた。『JACK・φP-001』と彫り込まれている。
エイダから聞いた『弟』の名前はジャックで間違いなかったはずだ。
後に続いている記号はそのまま空集合の意味づけというよりは、部隊コードのようなものが近しいだろうか。純粋にα、βという部隊分けをされているのならかなりの大所帯の施設ということになるけれど……。元より血のつながった姉弟ではないらしい、『姉』であるエイダが1番ではなく、『弟』であるジャックに1番が振られていることから、序列による識別ではないだろう。
手持ちの端末からチップの識別アプリを起動する。ドッグタグまたは鎖骨下に埋め込んだチップを読み取るためのものだ。通常、行方不明者や死亡者、脱走者の捜索に使用する。
端末にジャックのタグを通した。検索状態になったが、長い。……そういえば、まだ通常の通信は回復していないのだった。相中の救助を呼べたからすっかりその気になっていた。
後でこっそり調べられたらいいのだが、足がつくのも避けたい。……
「解析はドクターに頼むのもいいけど……あの人、嫌がるだろうなぁ」
それこそ、おれを巻き込むのはやめろと苦い顔をされる。
どうしようかと肩を落としたところで、もそりとエイダが動いた。
「……
眠そうに目を擦っている。
「起こしちゃったね。……頭痛は大丈夫?」
問いかけに対してエイダは状態を確認するように逡巡してから、
「うん。もう平気。なおったみたい」と頷いた。まだぼんやりとしているが険のとれた顔をしている。様子を見る限りは問題なさそうだ。
「上着……かけてくれたんだ。ありがとう」
眠っている間に体温が下がったのか、膝を引き寄せて上着の中で縮こまる。僕は大柄ではないが、小柄なエイダの身体がすっぽりと包まれた。顔だけひょっこりと出ている。
「ごめんね。血だらけの上着で」
「ううん。おいしいにおいがするし、あったかい」
今日の夕方に浴びたBACの血ですっかり血生臭いとは思うのだが、エイダにとってはそうではないらしい。
「おしゃしん、どうだった?」
「手がかりになったよ。えっと、エイダにも確認したいんだけど……『オズのお兄ちゃん』はここを調べて、何かを持って行かなかった?」
これくらいの大きさの、と僕はジャックの物ではなく、首から自分のタグを外して見せる。
「お守り代わりになるような何からしいんだけど」
エイダは身を僕の方に傾けて、じっと確認して、ううん、と言った。
「でも、にたようなものなら見たことある、かも……。わたしももってるけど」
エイダはポケットから鈍く光るタグを取り出した。『ADA・φA-004』と刻まれている。
「しせつで、みんなもってた」
「……『弟』も?」
エイダがうべなう。タグはジャックの物はPになっていた箇所が、エイダの物ではAになっている。
エイダは僕のタグをじっと見ている。
「1枚多い……?」
「……3枚あるんだ。古いの、1枚残してるから」
ジャックの物ではなく、3枚とも僕のタグだ。そのうち2枚は第6班の支給品。
枚数を指摘されるとは思っていなかったが。
「先生の話はしたよね。……2年の間、僕はRTAから逃げ出した。脱走したんだ。残りの1枚は、逃げる前の所属部隊の」
自分のタグを首に掛けながら、僕は言った。タグの部分はインナースーツと服の間に隠すようにしまう。
エイダはうつむいて、
「つらいことでも……あったの?」
と尋ねる。そのあとでパッと顔をあげて、
「っ、恢が、言いたくなかったらいいの。答えなくて、だいじょうぶだから」
慌てていうものだから、つい笑ってしまう。
「わたしに、言わなくてもいいって言ってくれたの、恢だから。えっと。むりしなくていい」
もしも……先生が僕を見ていたらこんな気分なのだろうか。なんというかこれは、照れくさい。そして、これは、先生が最初に僕に示してくれた接し方だった。
4年前の僕は答えられなかった。答えないまま、先生と別れるまでの2年間、先生に守られた。
「辛かった……ってのもあるけど。怖かったんだ。もう、僕のせいで、誰かを死なせたくなくて。赦されないことが怖かった。責められることも。RTAから逃げ出せば、もう間違えないで済むと思っていた」
だけど。
「それが間違いだったと、僕は思う。だから、帰ってきた。戦場に必要とされてるなんて思ってない。そこまで思い上がっちゃいない。ただ、僕が戦場を求めていた。……与えられた役割を、受け入れるために」
「それが、恢のえらんだことだったの」
「うん」
「いつまで戦うの」
「死ぬまでかな」
「平気なの、それで」
「僕は大丈夫」
大丈夫。何も変わらない。僕は何も変わらない。昔から、きっと、何も変わっていない。退化もしない代わりに成長もしない。僕にはもう伸び代もない。その代わりに、死ぬまでこのままだ。
「恢は、いっぱいぐちゃぐちゃが来ても、一人でたおせちゃうくらい強いけど……。あなたの役目を……あの人は知らないの?」
静かにエイダは訊いた。
「……内緒にしてるんだ。
怖くて。
怪物を殺す、怪物なのだと、知られるのが。怖くて。
「わたしを人間だって言ってくれた、あなたが?」
「エイダは人間だよ。その言葉は、嘘じゃない」
エイダは僕をじっと見上げた。曇りのない、星空のような瞳。自分の目に映る姿を確かめているようだった。
「恢って、本当にひどい人」
だって、とエイダは言葉を継ぐ。
「本当に、うそがないってわかるんだもの。わたしを、人間だと思うの? あなた、自分が何なのかしってて――わたしも、同じだってわかってて、人間だってわたしには言うんだもの」
そこの部屋に入ったんでしょう? とエイダは言う。
「半分は、わたしのごはん。クローゼットの骨のお山は、わたしのやったこと」
わかってるの、と。
「こんなので、ヒトでいられるわけがない」
だから。とエイダはしゃくりあげた。ぽろぽろと、涙が零れる。
「だから、『おにーちゃん』は、わたしを捨てた。わたし、かんたんに、死ねなくて。怪我しても、治っちゃうの。どんなにいたくても、がまんしてたらなおっちゃうの。飢えて死ぬしか、ないんだって、言われちゃった」
ポケットナイフをずっと持っていたのは。
エイダは、民家の中で閉じ込められていたと言っていた。
そこで何があったのか――、どんな思いだったのか。訊くまでもなかった。
エイダは白いワンピースの裾をぎゅっと掴んで泣きじゃくっていたが、自分の涙が落ちていることに気付いて、慌てたように顔を拭う。涙が止まらないことに戸惑っているようでもあった。
「捨てられた後にね、自分のお洋服をだめにしちゃったから。『おにーちゃん』にあったら、おこられると、思ったの。まだ、生きているのかなんて、言われたくない。それに、きれいなかっこうでお外を歩いてみたかった。ちゃんとおべんきょうして、ふつうに生きたかった。人間でいていい、って言われたかった」
返り血の一つもなく、トリ型のBACを狩っていたのも。
「夢は、半分かなったけど――ジャック、ああ、ごめんね、ジャック」
小さな手で、顔を覆って。肩を震わせて。
「あなたを傷つけていい理由なんて、なかったのに」
ずっと堪えていたものを、吐き出すようだった。
ジャックのタグを、僕は掌で軽く握った。
骨の山から出てきた、ジャックと書かれたタグを。
「うそ、ついてたの。ごめんなさい。恢に迷惑かけた」
とめどない涙が、エイダの白い肘から落ちる。
「嬉しかったの。わたし、うそばっかりだったのに、恢がやさしいのが。ふつうに心配してくれて。わたしを信じてくれて。でも、もういいの。もう、いいから。やさしくするの、辞めていいから。……だから、ゆるさないで」
擦れた声が、悲痛だった。
「ゆるされちゃ、いけないから。だれにもゆるされたくないから」
「……そっか」
赦さないでいてほしい。その方が安心できる。忘れてしまう方が、自分の中で消化して解決した気になってしまう方が、ずっと辛いことだって、わかるから。
そういうものだと、知っているから。
エイダの白い髪を撫でる。さらさらと、風邪に攫われて、エイダごと居なくなってしまいそうだった。
「じゃあ、僕は赦さないでいようかな」
「そうしてくれるの……?」
「うん。エイダを赦さない。いやー……ええっと、なんていうか、ネズミのBACを追っかけたり、階段上がったり、オオカミ型の群れと対決したり。血だらけになったり。ああ、うん。今日1日、結構動いたなー。ゆるせないなぁー」
伸びをしてみせる。
「ん。だからね、ゆるさない。……泣き止んだって、ゆるさない。……そんで、できればエイダも、僕を赦さないでいてほしい」
エイダは鼻をすする。小さな手から、潤んだ瞳が覗いた。
やっと、顔を上げてくれた。
「僕のやったこと、全部。君を助けちゃったこととか。こんなふうに君を責めちゃってることとか。君に変わらず接する僕とか。こんな風に、追い打ちをかけるように、君の弟の持ち物を返すこととか。全部。――赦さないで」
ジャックのタグを差し出した。タグの血に濡れていない部分だけが、星明りの消された廃屋で光った。
エイダの丸い目が、見開かれて。
目の端から、涙が一筋零れた。
「ひどいうそ」
わたしからもいい? とエイダは言う。
「わたし、あなたをゆるさないから」と、自分で涙を拭って、口角を苦しそうに上げた。
「――うん。それでいい」
それにね、恢。
なあに。
「だいじょうぶ。あなたのまえで、わたしは死なない」
エイダの紫に霞む青の瞳が、光を淡く反射していた。
暗闇で迷うものを導くような、光。
「……ありがとう、エイダ」
「だから、ずっと、わたしをゆるさないで」
ざらりと、血の乾いた文字を、エイダはなぞった。慈しむように。自分自身に文字を刻むように。
自分のしたこととはいえ、きっと本意ではなかったのだろう。僕には、そこまで踏み込んで訊くことはできない。誰だって、暴かれたくない部分がある。
クローゼットから溢れた骨の山。
……もう、僕は勝手に覗いてしまった。これ以上は酷だ。
「帰ろう、エイダ。ここじゃないところへ。帰ろう」
オズが見つからなくてもいい。そう思った。
エイダを会わせたくない。
だが、RTAの保護下に置くわけにはいかない。それは変わらない。他のRTAの人間に見つかるわけにもいかない。どうしよう。15歳の僕に。何ができるだろう。僕は先生のようにはできない。
一体、どうすればこの子を守ることができるだろう。
無責任なことは言えなかった。エイダの『兄』と同じことだけはしたくなかった。
「恢の今のお家、るーたなら、わたしもはたらける? ぐちゃぐちゃはいっぱい狩れるよ。でも、お勉強ができるわけでもないから……恢の役にはたてないかも」
「RTAの訓練生になるってこと? ……いや、やめといた方がいいよ」
「そう?」
「具体的には言えないけど……その、体質の関係上……お勧めできない」
もちろん、僕と同じ轍は踏んでほしくない。
室長だって、手のかかる飼い犬は、一匹で十分だろう。
今後任務中に同じようなことが、いや、そうそうないと思うけど……エイダは沢山の子供が自分と同じように集められていたと言っていた。単なる同情や感傷でエイダにだけ肩入れするのは、逆に無責任と言える……。
「なんて。そんな小難しいこと知るか、って。先生なら言うかな」
助けたいから助ける。
それでいいだろ、と。
僕を拾った時にぶっきらぼうに言い放った、あの人なら。きっとそう言う。
「家、か」
光明の差した思いだった。
同時に、ドクターの苦い顔も思い浮かんだ。
僕が居なくなってから、診療所の手伝いが足りなくなった、って聞いてたなぁ……なんて。
できれば器用な人がいい、とか。物覚えがいいとなお助かる、とか。
…………。
「あのね、エイダ」
僕が切り出した時だった。
何かが――吹っ飛んだ音がした。例えば、立て付けの悪い扉を破ったような。
とっさに振り返ると、先ほどまでいた寝室の戸口から骨が転がり出てきている。
もうもうと埃と朽ちた骨の白煙が上がる向こう、雨戸に、ウォークインクローゼットの扉らしき木の板が突き刺さっていた。
「……いっこ、聞いていいかな」
「うん」
「食べ残した何かを、クローゼットに仕舞いこんだりしてなかった?」
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