第10話 amateur - 9

 後ろめたい気持ちでいっぱいだ。

 ……アルバムに映っている徒空籠代アダソラコシロの姿は、いずれもあどけない少女そのものだった。よく笑い、よく泣き。家族との日々を楽しんでいる姿。僕の知る徒空の、硬く、冷たい顔つきとは異なるが面影がある。……生まれつき白髪ではなかったようで、幼い頃の徒空は黒髪だった。文字通り半壊しているこの邸宅からして、徒空の心労は途方もないものだっただろう。

 魚心あれば水心とは言ったもので、徒空が僕を嫌っていたように、僕は徒空籠代が苦手だった。

 僕の知らない徒空の姿が納められたアルバム。

 だけど、彼女の何を知っていたのかと言われると、僕は何も知らない。

 自分にも他人にも厳しかった。僕よりも先にRTAにいた徒空は、僕よりもはるかに多くの実績をあげて、僕よりもずっと多くのBACを葬ってきた。

 ――実績としての数字とぶつけられた感情以外に、僕は、彼女のことを知らない。


 徒空籠代を知る人間は、上層部を除けばごくわずかだろう。狭い部屋に押し込まれていた30人余りの僕たちは、僕と徒空と任務に参加していなかったほんの数人を除いて皆この世を去った。……いや、その言い方には語弊があるのだが。

 徒空も既にこの世にはいない。……いないはずだ。徒空がもしも生きていたら、僕は今頃ここにはいないだろう。きっと、彼女は僕を赦していないだろうから。

 いつか、BACとの戦いが続く日々が終わると信じ続けた愚かな僕を。徒空籠代は赦さない。

 徒空籠代は、赦していない。

 徒空籠代が、赦すはずがない。

 徒空籠代に、赦されてはいけない。


 そんな僕が、幼少期の徒空のアルバムを無断で見ているのだから居心地は最悪だった。

 できることならこの家から今すぐ逃げ出したい。

 そうしないのは、エイダの求める手がかりがここにあるからでもあるし、負傷した相中を下手に動かせないからなのだが。

 しかし。オズという男は徒空籠代の何を調べていたのだろうか。これまで彼が拠点に選んだ洋館とマンションをはじめとする箇所にそれらしい共通点はなかっただろうか。共通して見えるだけで、もちろん偶然かもしれない。オズの目的は? そこに、エイダともう一人の少年を連れて回った理由は? なぜ、エイダだけを見捨てたのか。

 アルバムにこれといって変わった特徴はない。幸せそうな家族が納められている。強いて言うなら、そのどれも僕の記憶にある幼少期と比較して――まるで読み物の世界のような、お伽噺のような光景だった。羨む気持ちはわいてこないにせよ、こんな理想郷のような生活が10数年前に残っていたことに驚く。さらにはBACに蹂躙される前には一般的な家庭に見られた光景だったのだ。徒空家が裕福で愛にあふれた家庭だったからこそ、この時代に成り立つ理想郷だった。

 そこから一転、RTAに引き取られて戦場に放り込まれた徒空の何を知っていたのだろう。

 いつか。いつの日か。泥濘を這うような、代理戦争の日々が終わると信じ謳った僕を敵視していた徒空の気持ちを、僕が推し量ることはできない。

 僕には、わからない。


「……ん?」

 ページを繰ると、白い封筒が挟まっていた。そのページには一際大切そうに、1枚の写真とメモが納められている。

 女児とその両親らしき人と年老いた男性が一緒に映っている。シェルターのあった例の台所で、三本の蠟燭が立てられたケーキを囲んで幸せそうな笑顔を浮かべた4人。これまでのページにこの老爺が映っているものはなかった。徒空の3歳の誕生日を記念した、三世代の写真だろうか。

 メモには『■さんが、アルバムとランドセルを譲ってくれました。いっぱい思い出を残そう』丁寧な字で書かれていた。名前にあたるであろう部分は、字が潰れて読めない。恐らくこのご老人の名前なのだろうが、文面からして両親のどちらかの父親ということもなさそうだ。古い友人といったあたりか。

 封筒を照らすと、『コシロちゃんへ』と、メモとは異なる筆跡で記されている。裏に差出人は書かれていないが、写真の老爺が徒空に宛てたとみていいだろう。封は切られている。

 多少のためらいはあるが、ここまでプライバシーに立ち入っておいて引き下がることもできない。

 中身を引っ張り出すと便箋が2枚入っていた。


『コシロちゃんへ

 おたんじょうびおめでとう。おおきくなったね。ようちえんも これからで きがはやいけれど ランドセルをおくります。3ねんごの さくらのころに あいにもどりたいけれど おじいさんは とおくにいかなくちゃいけないから。

 おとうさんとおかあさんと たくさんおもいでを のこせるように しゃしんをいれることが できるアルバムも おくります。かぞくを たいせつに。げんきで まいにち あかるく わらってすごせるひびが つづきますように。

 かならず おおきないきものとの たたかいは おわります。そのときに コシロちゃんが なりたいものになれるように なっているはずです。

 けれど、もしも。コシロちゃんがおうちを はなれなくちゃいけなくなったときのために おまもりを わたしておきます。しつちょうというひとにみせれば わるいようには ならないはずです。

 そんなひが こないように。おじいさんも がんばります。

 おじいさんは とおくから きみの しあわせを いつもねがっています。

 しんあいなる おじいさんより』


 ……この人物はどうやら、徒空がBACを視認できることに気が付いていたようだ。両親も知ってはいたのだろう。15歳になれば、本人の希望の有無にかかわらずBACを視認できる少年少女はRTA所轄の学校ないしは訓練部隊の所属になる。

 実際は、15歳を待たずして徒空籠代はRTAの経営する施設に預けられることになったのだろう。

 そして。

 引き取られた子供たちは種々の検査を受けて視認能力以外に――BAC由来の特殊戦闘力を持つと判明すると。

 ――

 ――かつての話だ。

 多くの人間は第8班の存在さえ知らないだろう。名前通りに秘匿されていた部隊だ。

 秘匿実験部隊所属の駆除部隊員の身元は、RTAのBAC対策室室長に保証される。どうもこのアルバムの送り主は室長に面識があるらしい。……何らかの裏ルートでもあったのか? プライドの高い徒空のことだ、特権があったとしても甘んじるような性格でもない。当時の徒空が何かしらの特権を受けているようにも思えなかった。

 封筒の中身を検めても便箋以外の物は入っていない。それでも封筒の下部をよく眺めると、ドッグタグくらいの大きさで楕円上に皺が寄っている。便箋以外に硬いものが封入されていた証拠だ。

 徒空本人が持っていたかオズが持ち去ったかのどちらかだろう。オズの目的の物品はこれだったと考えてもよさそうだ。持ち出しがあったかはエイダに尋ねるとして……。

 室長に身元を証明できるだけの、何か。徒空が受け取れたであろう権利。

 贈り主の老爺が何者なのかが分かればオズの目的にも繋がるかと思っていたが、後のページに老爺の写真はなく、もう一度このページ以前の写真に目を通しても同じことだった。名前も不明ときている。


 詰んでいる。


 ぱたりとアルバムを閉じた。瞑目せざるを得ない。いよいよここでできることが限られてきた。


 手がかりになりそうなのは……、

「室長本人に心当たりがないか確かめるしかないか」

 参ったな。……この手のことに取りあってもらえるだろうか。

 それよりも、まずはここから生きて帰還しなければならないのだが。




 その後も、残りの段ボールをざっと見ておいたが幼稚園のころの工作や小さいサイズのワンピースが入っているだけで目ぼしいものはなかった。老爺が贈っただろうランドセルもない。あるとすれば、徒空の私室だろう。半壊状態のこの邸宅で私室が無事な状態かは、もう少し2階を調べる必要があるだろう。


 箪笥を調べる必要はなさそうだし……そろそろ他の部屋に移ろうか。

 アルバムや開いた段ボールを納め直し、階段脇の部屋を後にする。


 隣室のドア脇の柱にもたれかかっているエイダは、すうすうと小さく寝息を立てていた。時刻は午後10時を回っていた。精神的にも体力的にも強いが、疲れているのだろう。大きく開いた階段の左側の壁の穴から吹いてくる夜風が、エイダの白い髪を優しく揺らしていた。

 ……そういえば、エイダも白髪だった。ただの偶然だと思ってたが初めてエイダを見かけた時には、背格好も歳もなにも一致しないのに妙に既視感を感じたものだった。……それこそ、徒空に見間違えたくらいに。

 問い詰めるようなことはしたくない。それは変わらない。僕だって決定的なことは一言だって言っていない。先生は役割を放棄した僕に何も訊かないで、僕を守ってくれたから。あの人のように助けることができなくても、この子を傷つけるようなことは、したくない。

 けれど、とても難しいことだったんじゃないだろうか。

 もしも徒空がこの様子を見ていたら、見通しが甘いと僕を叱り飛ばすだろう。

 徒空が生きていたら。僕達は、3年前よりも少しは良好な関係を築くことができただろうか。

 8

 いいや。

 蔑まれこそすれ、徒空との関係性が改善することはない。

 赦されないと分かりきっているのに、期待など抱くべきではない。

 自嘲気味の笑いが漏れた。

 ああそうだ。

 僕がBACとの戦闘がいつか終わるだろうと言うたびに、徒空はこんなふうに笑っていた。

 それは考えの甘い僕を嗤ってのことだろう。

 僕が変わることなんてなかった。僕は変わらなかった。

 赦されるわけがない。

 もう間違えたくない。僕は、2度と間違えたくない。……間違えない。

 正解が分からなくて少し弱気になっているだけだ。そうに決まっている。


 時間もない。救助が来るまでにやることはまだたくさんある。端末を操作して、まずは相中の容体に異常がないかをチェック。それから……『』のタイマーの時間を修正する。救助の時間も加味して午前8時くらいでいいだろうか。そのころには、この区画から離脱できている。バレれば始末書ものだしどうせバレるのだが――ここにBACを残していくよりは、ずっといいだろう。


 さて。

 順番からすれば、和室の隣――階段から血の筋が伸びている部屋だ。

 階段や隣の和室で会話して、物音一つ立てるどころか出てくる素振りもないのだから、エイダには伝え辛いがここに『弟』と『お兄ちゃん』がいる線は薄い。それでも調べておいた方がいいだろう。


 レバー式のノブを押し下げて、扉を押す。が、鍵がかかっているのか扉は動かない。外側に鍵穴はないから、内側からだけ掛けられるようだ。要するに、ぶち破るしかない。

 ……後回しにしようか。中から鍵が閉められている。誰もいないかと思っていたが――ひょっとすると、今も誰かがいるんじゃないだろうか。

 思わず、生唾を呑みこんでしまう。

 扉をノックした。2回。3回。

 返事はない。しんと静まり返っている。

「RTA職員です。……任務の一環で近隣の生存者を探しています」

 返事はない。

 再度ノック。

 返事はない。

 エイダを起こすのは気が引けるからボリュームは控えめで、

「今からここを開けてそっちへ行きます」

 少し待って、物音がないか確認する。

 ……反応なし。

 知人の家を破壊することにも気が引けるが。

 肩から体当たりする、もしくはキックで扉を破るのが定石だろうが、それではエイダが起きてしまう。

 うん。

 右手をノブに沿えて、左手を上側の蝶番に。左足を下側の蝶番に。そのまま、ちょっとずつ押す。一気に力をかけ過ぎると壁ごと抜けてしまうので要注意。金属が柔らかくしなる感覚があって、ネジが抜け落ちる音が扉越しに聞こえた。扉が倒れる前に両手で支えることを忘れない。


 扉を開けるなり、鼻腔を突いた臭いに思わず顔をしかめてしまう。……嫌な予感がする。

 外した扉は、側面から歪んだ蝶番がぶらんと宙吊りになっている。先ほどの和室の扉に立てかけておく。……ますます徒空には見せられない光景になってしまった。まったく笑えない。

 エイダを見遣ると、変わらず寝息を立てている。

 よかった。静かにやれたようだ。……もっと空気が悪いところを、開いてしまったのだが。

 立ち込める臭いの正体は、戸口からフラッシュライトを差し向けるだけで明らかになった。


 骨。

 骨の山。

 そこから立ち込める、腐臭。

 窓も扉も閉ざされた空間で濃縮された、甘く粘ついた死の臭い。

 それだけで侵入を拒むかのよう。


 まだ中には踏み込まず、室内をライトで照らす。

 部屋は8畳ほどの洋室。徒空の両親の寝室だったのだろう。入ってすぐ左の壁に沿うように――ほぼドアから正面になるのだが、ダブルベッドが置かれている。そのダブルベッドから床まで零れるように乳白色の山が築かれ、ベッドシーツには黒い染みが広がっていた。山は部屋の3分の2を占拠し、裾野は部屋の右壁に埋め込まれた本棚まで続いている。床面の毛の長いカーペットは零れた血液で固まり、白い壁紙も乾いて茶色くなった血しぶきのあと。窓はあるが雨戸が閉められ、部屋の電球は割れている。向かって右手前には和室側の壁に沿ってウォークインクローゼットがあるが、こちらからも骨の山がはみ出している。

 かたり、と僅かにベッド横の山が動いた。サッとライトを向ける。山の表面を黒い影が這っている。密室にも関わらず一体どこから入り込んだのか、おびただしい数の蛆蝿が骨の山を動かしていた。

 扉を壊したことが幾分マシに思える様相だ。季節はまだ春だが昼間の気温は20℃を越えている。骨に残っていた肉の腐敗を早めたのだろう。強烈な臭いに涙と鼻水が出てくる。

 率直に、入りたくない。


 気休め程度にしかならないが、骨折時の三角巾用の白布で口元を覆い、後頭部で結ぶ。即席のマスクだ。本音としては気密性の高いマスクが欲しいが贅沢を言っていられない。

 左手にライト、右手に電磁銃を構えておく。足元の骨片を踏みつけないようにして、そっと部屋に侵入した。ぶん、と羽音が耳元を通り過ぎて、背筋が粟立つ。……早く出たい。


「誰か、いませんか」

 できるだけ壁沿いに、まずはベッドまで近づく。大小さまざまな骨の山。形状や大きさからして、ヒトではなく、BACの骨のようだ。……とはいえど、この中に人骨が混ざっていないとも、言い切れないのだが。憶測だけで手を突っ込んで調べたくはない。何匹を糧としたのだろう、オオカミ型、トリ型、ワニ型……様々な種類のBACの巨大な骨が天井近くまで積みあがっている。

 骨はいずれも肉や内臓はこそげとられてなくなっているが、例えば排泄器官のような食べられない個所は隠すようにベッドわきに落とされていて、一際強い臭いを放っている。破らないよう丁寧に解体したのだろうが、腐敗しては同じことだった。


 後退して、一旦、外の空気を吸う。エイダの側、風通しが良いところで、即席マスクを下ろして深呼吸。何も胃に入れてなくてよかった。昼頃、移動で吐いたので十分だ。日にそう何度も吐きたくなんかない。


 エイダはぐっすり眠っている。

 エイダが起きていなくてよかった。BACの骨の山など見慣れたものかもしれないが胸のすくような景色ではないだろう。

 ……君の弟は成長期なのか結構大食なんだな。

 いや、エイダもおやつと称してトリ型のBACをつまんでいたし……そういうものなんだろうか。

 むしろ、それなりにBACを摂食しなければ、身体に影響があるのだろうか。最後にエイダが食事をとってから6時間以上が経っている。いつごろから骨をため込んでいたのか分からないが、標本のようにされたBACの骨は50体は下らないだろう。長時間摂取を怠れば、身体に影響がでるのだろうか……?どうだろう。僕の知る限り、同じような体質でそういったタイプは見かけたことがないけれど……。


 もちろん、窓も扉も内側から閉じられた部屋で呼びかけても返事がないというのは、厭な想像を掻き立てるのには十分だ。


 ひとつは、エイダの『弟』『オズのお兄ちゃん』ないしは何者かがあの部屋で事切れたかもしれない、ということ。

 

 もうひとつは。


 まだ、息をひそめてあの部屋に誰かがいるか、である。





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