第6話 amateur - 5
エイダの案内で台所の床下のシェルターと建物内を一通り探索したが目ぼしいものは特になかった。『弟』の痕跡も、『お兄ちゃん』の痕跡も、エイダを含めた3人の生活痕もない。
つまり、ハズレだった。
分かったことといえば、どうやら、『お兄ちゃん』は相当に用心深い性格だということくらいだろうか。BAC《バック》相手に生活痕を隠す必要はない。アウトローや反RTA《ルータ》集団が根城にしていることもままあることだ。それでも証拠を残さなかった理由としては、近日中にここにいたことを知られてはマズい事情があったからだろう。
人間に見つかってはいけない、何らかの事情。
エイダ達がどこからか追われている線は濃厚じゃないだろうか。
僕は隣にいるエイダを見遣った。エイダの希望もあって、手を繋いでいる。もちろん、ヘドロでどろどろの手袋は外した。その辺に捨てるわけにもいかないのでひっくり返した後、丸めてレッグバックに納めたが。
エイダの白くて小さな手が、きゅっと僕の手を握っていた。不安なんだろう。無理もない。
……否応もなく、昔のことを思い出しそうになる。これに関しては、嫌な記憶ではないが。
エイダが追われているのなら、何としてでも守らなくては。ここから先は、人にも注意した方がいいだろう。安易に出てきた人物を信用してはいけない。無論、エイダの兄を名乗る人物でも、だ。そもそも、追われていると分かっていてエイダをクローゼットに置き去りにした人物だ。どちらを囮にするつもりだったのかはさておき、看過できない。
1つ目の洋館を出て、エイダの言う2つ目のおうちへ向かっていた。アイナカと別れてから時間は1時間と経っていないが、未だ、通信は途絶している。ローカル回線はそろそろ僕が使用したパルスグレネードの影響から抜けるはずだが。
住宅地の坂を、ゆっくりと上っていく。割れたアスファルトから、菫が顔を出していた。春一番が、僕とエイダの髪を揺らしていた。日が暮れてくると、一気に気温が落ちるだろう。その頃までになんとか解決できるだろうか、と考えが頭をよぎったが、エイダには悟られないようにした。不用意に元気づけることを言っては、余計に彼女を不安にさせるかもしれない。
寒くない? と風が収まってから、僕はエイダに尋ねた。
「だいじょうぶ」
「いつでも上着貸すから。遠慮しないでね」
うん、とエイダが小さく頷く。なんなら、おぶって移動することになっても、多少は構わない。ショットガンがなんだ。火炎放射器が、なんだ。いざとなれば、そんなものは要らない。ただ、相中や本隊と合流した時に持っていないとそれなりに不審がられるだけで。
ただ、エイダは無理をしているでもなく体力はあるようだった。思い当たる節はあるが、やはりできれば触れたくはない。だが、そろそろ訊かないわけにもいかないだろう。
いつまでも、目を逸らすわけにはいかない。
ことによっては、RTAにエイダを預けるわけにはいかなくなる。
相中にも、露見してはいけないことになるだろう。
ここまで尋ねること一つに及び腰になる自分に嫌気も差す。のぞき込んだ淵に化け物がいるわけでもなく、分からなければ対処できないというに。
だから、呼吸を挟んで、エイダ、と呼ぼうとした矢先に、
「恢、聞いてもいい?」
エイダが先んじて口を開いた。
「急に、どうしたの」
行き場を失くした気合が、言葉の上を滑り落ちていった。妙に上ずった調子で僕はエイダに尋ね返す。
「どうして、恢はこんなにわたしのわがままに付き合ってくれてるのかな、って」
ほんの少し、僕の手を握る指に、力が入る。
「わがままじゃないよ。エイダが困ってるんだから。それに、BACに襲われてる人を助けるのは、RTAの駆除部隊員の仕事だからね」
「そうじゃ、ないの」
エイダは、ふるふると首を横に振った。傷んではいるが、エイダの長い白髪が傾いた日差しを反射して輝いた。
「それなら、弟を探すのは、後にするでしょ? もっと人がふえてから、とか」
「あー、いや、それは。……今、ちょっと僕しか動けなくて。あ、でも、ちゃんと、エイダは無事にここから脱出できる。安心して」
「考えてること、なんとなくわかるから言うけど……RTAにわたしをあずけていいのかな、って。恢、考えてたでしょ」
「………………………………」
お見通しか。
バレバレじゃないか。
むしろ、恥ずかしい。
どっと何かが抜けたような気がして、僕は息を大きく吐き出した。
「エイダには、敵わないな」
「それに、わたしのことは、うたがわないんだ、って。なんでだろう、って。思ったの」
とつとつとエイダは言う。
「わたしは、恢の考えてること、わかるからいいけど。わたし、あなたに言ってないことたくさんあるの。だから、それはズルしてるのかもしれないの」
「ズルじゃないよ。大丈夫」
「ほんとうに?」
「ああ。本当だよ」
僕はエイダに笑いかけた。エイダは不承不承頷く。
難しいなぁ、と思う。打ち解けて欲しいとまでは言わないけれど。負い目には感じてほしくないもので、けれど、それが一番難しいのは僕も分かっていることだ。
こんな感じでいいんだろうか、というのは、毎度のこと疑問に思うが、それでもやるしかない。やらなければならない。先生、こんな調子でいいんですかね。と、尋ねられるものなら、尋ねたかった。
ここ、とエイダが指を指したのは、高層マンションだった。比較的老朽化が進んでいるようには見えないが、30階を超えるフロアの一室一室を探すのは骨が折れる。
「えっと……何号室だったかとか、覚えてる?」
「2029」
よかった。
しかし、2029とは。『お兄ちゃん』が選んだのはアウトブレイクの年号部屋らしい。
「BACの年なんだ、っておにーちゃん、言ってた」
エントランスに入ろうとする。電気が死んでいる上に、ここにはかつて暴徒が入ったのか、自動ドアが割られていた。確かに、鳥型以外の大型BACは高層マンションには入ってこられないだろう。籠城するにはもってこいだ。
割れたガラスでエイダが怪我をしないように抱え上げ、エントランス内の安全そうなところで下ろした。
「アウトブレイクのことを聞いたの?」
「世界中でBACがふえすぎて、世界けーざいがほーかいしたんだって聞いた」
……あまり意味が分かっている様子ではないようだ。
「国同士の戦争や内紛で沢山BACが造られて、それらが進化して増えていって、手に負えなくなった結果、地球の総人口は80億から半減した。いくつもの大国が機能しなくなったんだ。たった1年の出来事で。それをアウトブレイクと呼んでる」
「日本は?」
「RTAの元になった組織があったんだ。その人が、アウトブレイク後に僕みたいにBACを見ることができる人たちを指揮して、被害は他国ほど大きなものにならなかったらしい。けれど、人口は三分の二まで減少。見える人も今よりもずっと少なかったみたいで、当時は大変だったらしいよ」
僕は習った内容をそれとなく喋りながら、吹く風でグラグラ揺れていた送電板の扉を開く。非常電源はあるが、とっくに機能しなくなっているだろう。エレベーターは使えない。……20階まで、階段を使うしかないようだ。いよいよエイダをおぶって行かなければならないだろう。……途中階で荷物を置いて動いた方が良さそうだ。
僕はエイダを連れて4階まで上がり、空いていた部屋に火炎放射器、予備オイルタンク、ショットガンを置く。おぶった時に足が当たりそうだったので、グレネードとC4も外す。上着の上からだと、ホルスターに仕込んだ電磁銃一丁のみの装備になるが……降りるときに回収すればいい。エイダの追跡者がいた場合、僕の装備を見える位置に置いておくのは危険だ。
「そんなにおいて行ってだいじょうぶ?」
「うん。この方が戦いやすいし」
「え?」
エイダはきょとんとしている。
あ。
これはマズい。うっかりが過ぎるぞ、僕は。
相手がRTAの人間じゃないから、って。今の返答は、どう考えても『一般的な戦闘員』としては適切じゃない。
「……動きやすいなぁ、って」
「? 動きにくいものなの……? 装備って」
「それは、まあ……。動きにくさと命が危なくなることを比べて、仕方なく……?」
僕まで疑問形になってどうする。
「と、とにかく。動きやすい方がいいんだ」
特に、狭くて、近接戦になる場合は。僕にとっては、その方が有利だ。
そこまでは、言わないが。
エイダは、僕の言い分を一応信じてくれたようで、連れだって上の階を目指した。
内階段のおかげで錆び等の腐食で階段が途切れていて先へ進めなくなる心配はなかった。崩落も小規模で、エイダ達が上階を目指した足跡をたどった。埃がない箇所を追って動く。過敏になりたくはないが、僕で追うことが可能なくらいだから、その手のプロになれば簡単に追跡されてしまうだろう。……慎重派であろう『お兄ちゃん』がそこに抜かりがある、ということは、……嫌な予感がする。
10階辺りまで登ったところで、僕は背中のエイダに尋ねた。
「ここには、何日くらいいたの?」
「半日」
「随分、短いね。……安全そうだけど」
「高い、から。ごはんにふべんだって」
「もっと低い部屋は選ばなかったんだ」
「届いてしまうから、って。『おにーちゃん』は言ってた」
「……BACが、集まって来るんだね」
エイダが頷く。
ああ。
嫌な予感が、当たってしまった。
けれどこれで、相中は少しは無事になっただろうか。
「どうして集まって来るのかは、だれも教えてくれなかった。『おにーちゃん』も、教えてくれなかった」
「エイダに、知って欲しくなかったから……じゃないかな」
「知ることで、何か変わってしまうの?」
「君が変わることもだけど……周りの人間が変わってしまうかもしれないからだと、僕はそう思うよ」
願わくば、『お兄ちゃん』がエイダを何かから守るために連れ出したのであればいい。要らないという言葉が、嘘であればいい。
二週間の間に、何があったんだろう。
「『おにーちゃん』は言っていた。わたしにめはあっても、めがない。だから、要らない、って」
「……め、か」
眼、だろうか。
エイダはBACを完全に見ることはできない。
僕の姿も。
『弟』も。
自分自身も。
眼がないというのは分かる。だが、『めがある』とはどういうことだ?
「半分じゃだめなの」
何に対する半分なのか。答えは、すぐそこにあるように思えた。
「RTAのくじょぶたいの人たちは、みんな、BACが見えるんだよね」
「うん。見えることが条件だからね」
アウトブレイクから数年後のことだ。
BACを見ることのできる子供が多く誕生した。アウトブレイク直後では、数十万人に1人だった才能は、突然、増加した。
22世紀現在、数百人に1人というところまで増加している。
BACにより視細胞遺伝子が変異したことが始まりらしい。偶然かそうでないかなど、関係なかった。災禍に落とされた国々や、ここ日本でも、急速に見える子供を訓練する機運が高まった。人権団体や有識者の中でも、大人が戦えないことを理由に子供を戦地へ投入することに反対する声もあった。この国におけるRTA前駆体である、レジスタンスのリーダーも、最後まで、少年の登用には反対だったらしいが。……レジスタンスリーダーの死と共に、RTA本局に吸収されレジスタンスは組織解体、義務教育に並行した訓練生制度が開始され、本人の希望があれば15歳以上から戦闘が許可されるようになった。BACを見ることができる人間は、本人の意思に関わらず、18歳以上になればRTA局員として働くことは、義務化されている。
表向きは、こんな事実が流布されている。
「そこにあるってわかるのに、ちゃんと見えないわたしは、やっぱり半分だけなんだ」
気落ちした調子だった。
「……局員になりたいの?」
「そうじゃないけど。……役に立ちたいから。みんなのね、役に立ちたいの。むいみじゃ、だめなの」
痛切な声だった。
「なんでかは、わかんないけど……ずっと、そう思ってるから。でも、そうなれないなら、わたしは、やっぱり意味なんてなくて、要らないんだ」
「要らないことなんか、あるもんか」
僕は、強く言い返した。
「恢にも、迷惑かけてる」
「かけてない!」
階段を上る脚に力を籠める。一段飛ばしで、駆けあがる。
「エイダがいなきゃ、頑張れないもんね」
「だって、わたしを助けてなかったら、今、こんなに頑張ることなんてなかった。いっしょにいた人と、はぐれることもなかったでしょ」
「それは否定しないけど……、僕は、今してることに後悔はない。意味はある」
むしろ。それは、意味がなければならないと。僕が僕自身に言い聞かせているようだった。
「無意味なもんか」
前にもあっただろう。
こうして、同じように。背負った者から、無意味なのだと言われて。助けなどこないと言われ。それでも、生きて帰らなければならないと、思ったことが。
「生き残らなくちゃいけない。意味なんてなくても、そんなの、僕は知らない」
「恢は、やさしいから」
「助けたかったから、助けたんだよ」
エイダを遮った。
僕は、何を考えてる。届くはずのないことを、助けられなかった人を思い出して、言うべきことじゃない。
だから。
「無意味なんかじゃ、ない」
こんなものは、懺悔だ。今していることが、後悔の結果だ。
「恢――、あなたは」
エイダは何かを言いかけて、それから、ううん、と首を振った。
ことりと、頭がうなじにあたる。
「ありがとう」
温かな重みだった。
「無事に帰れたら、もう一度聞かせて」
「そうする」
くすりと笑いが漏れた。
やり直しではないけれど、僕は、必ずエイダを連れてここから脱出する。
内階段を、僕は早足で登った。
背中に、一つ分の鼓動を確かに感じていた。
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