第5話 amateur - 4

 エイダが言うには、歳もどこから来たのかも分からないらしく、はっきりとわかることと言えば、半月ほど前にこの旧高級住宅区画にやって来たということと『オズのお兄ちゃん』と弟が一緒にいたということくらいだった。ここへ来た目的も、知らないのだと言う。ただ、『お兄ちゃん』について来ただけらしい。エイダは余程その『お兄ちゃん』を信じていたのだろう。

 『お兄ちゃん』がエイダを捨てた理由は、やはり訊けないでいた。エイダが身に付けているのは白のワンピースとボロボロの布靴のみで、ところどころ泥や血で汚れているところからすると、半月ほど前という時系列は恐らく正しい。最後に『お兄ちゃん』と弟と別れたのはつい三日ほど前で、鍵のかかるクローゼットにエイダは閉じ込められていたらしい。そこを飢えたBACが襲撃し、運よくクローゼットは壊れ、命からがら逃げだしたのだと言う。台所を逃げる際に軽い爆発に巻き込まれたらしく、ところどころに擦り傷や切り傷はあったが大怪我もない。手持ちの道具による簡単な処置は施した。

 空腹でないかとゼリータイプの携行食糧を差し出したが、頑なに断られた。まだ信用には足らないのかと思ったが、どうやら本当に腹は満ちているらしい。お腹がいっぱいだから、と。何を食べていたのか尋ねても、エイダは頑として答えなかった。

「答えたいことだけでいいよ」と言うにとどめた。無理に問い詰めるようなことはしたくない。

『お兄ちゃん』は余程多量に食糧を預けてエイダと別れたのだろうか。エイダに対し「要らない」と言ったのは方便である可能性は? エイダを守るためにクローゼットに閉じ込めたのか? それならば、なぜ弟だけを連れ、エイダを置いて行ったのか。

 分からないことだらけだ。

 とにかく、今はエイダの弟を探すしかないか。

 拠点について尋ねると、

「お家がいくつかあるの」

 最初にここへ来た時に、2、3日置きに寝床を変えていたらしい。『お兄ちゃん』はBACに対し人並みの警戒心を持っていたようだ。エイダが監禁されていたのは、過去に使った拠点の内の一つで、それならばどこかの拠点に弟がいるのではないかということになった。もしかすると、エイダ達がいた場所や『お兄ちゃん』の手がかりが残されているかもしれない。

 エイダの案内で一番近くにあるという拠点まで向かっていた。道路は一方通行になり道幅は狭くなっている。かつての高級マンションや坪数の大きな家が徐々に増えてきていた。

 相中のいる第2展開ポイントからは遠ざかっている。いい状況とは言い難いが、予感が的中すれば相中にとっては事態が好転するかもしれない。

 依然、回線はローカル・リモート共に復旧しない。応援を呼び捜索を依頼すべきだが、今は僕が単独で動かなければならないだろう。イレギュラーのイヌ型がいるこの区画に、エイダを一人にするわけにもいかなかった。

 それに気になったのは、イヌ型がエイダを狙って家屋にやって来たことだ。ヒトを捕食するためにBACが建造物を破壊することは珍しいことではない。が、監禁状態、比較的密室空間にいたエイダのみを的確に襲いに来たのには、心当たりがある。先程の『予感』もこれなのだが。当たって欲しくない、心当たりが。

「エイダ」

 夕暮れ前の、金色へと変わり始めた日差しを受け、エイダの白髪が一層輝いていた。あどけなさを残した瞳を瞬く。

「君は、BAC……大きな動物の形をした怪物たちを、見ることができるのかな」

 視認することができなければ、初めに家屋から脱出することすら困難だっただろうと思ってのことだ。これは、当たってもいい予感だけど。

 予想に反してエイダは首を振った。

「はっきりとは見えない。ぐにゃぐにゃしてる」

 ぐにゃぐにゃ? 形として捉えられないということだろうか。

「ぼんやりして、ぐにゃぐにゃで、ぐちゃぐちゃ」

「何かがそこにいることは分かるんだね」

 うん、とエイダは僕を見るのをやめた。

「それは、お兄ちゃんも」

「僕も?」

「……………………うん」

 エイダは言葉を濁していた。

「だから、……カイおにーちゃんは人間じゃないのかな、って」

 僕は言葉を失った。

 なんと伝えたものか。

 つないだ手が震えないように、余分な力が加わらないようにだけは気を付ける。

「きもちわるい、って言ったのは、ごめんなさい」

 ぽつりとエイダが言う。

「あなたが、ヒトに見えなかったから」

 そう、と。僕は上ずった声で答えた。

 僕は、長く伸び始めた自分の影に目を落とす。街路樹やそこらの背が高い雑草の影と交わって、奇妙な輪郭をしていた。

 不意に、エイダが立ち止まった。続いて、僕も立ち止まる。

「でもね」と、改めて僕の手をしっかりと握って。

「あなたがうそを吐いているようにも思えなかったから。私を、助けたいと言ったあなたが」

 大きな薄青の瞳に、僕の姿が揺れていた。

 今も、エイダの目に僕はヒトとしては映っていないのだろう。

「……うん。エイダと君の弟を助けたいのは、本当だよ」

「というより、あなたがうそをついたら、なんとなくわかるの。あなた、とても分かりやすいから」

「え」

「うそが下手なのよ、きっと」

 言って、エイダはくすくす笑う。鈴を転がしたような、品のある綺麗な笑い声だった。そんな、と情けない声をあげる僕をよそに、再びエイダは僕の手を引いて歩き始めた。小さな歩調に遅れて、僕も彼女に続く。

 エイダは10歳前後だと思っていたが、時折こうして大人びた仕草が見て取れた。

「カイおにーちゃん、きいてもいい?」

 静かにエイダが尋ねる。

「あなたが一体、何なのか」

 ぐちゃぐちゃに見える僕が、何者なのか。

「……僕は。市野恢だよ。RTAっていう、怪物と戦う組織の……戦闘員だ。今いるところは、第6班っていう、銃器で戦う人たちを集めた班。とはいっても、配属されたのは、3ヶ月くらい前で。まだまだ新人だ。ここへは、もう一人相中ってやつと一緒に来てる。……今は、別行動をとってるけど」

 言葉に嘘はない。

「うん。だけど、それだけじゃないでしょう」

 もっとも、エイダが知りたいのはそんなことではないのも、分かっていた。

 向けられた純粋で真っ直ぐな視線に、あぶりだされそうになる。

 何を? 

 怪物の正体を?

「一つだけ僕からも訊いていいかな。……どうして、僕が何なのか知りたいのかな」

「同じだから。私と、弟が」

 あっさりとエイダは言った。

「鏡を見ても、弟を見ても。ぐちゃぐちゃだった。いつも」

 僕が歩みを止める番だった。

 当たって欲しくない予感が、当たってしまったらしい。

「一度も私は私の顔を見たことがない。ぐちゃぐちゃのお化けなのかな。オズのおにーちゃんは答えてくれなかった。教えてくれなかった。だから知りたいの」

 ねぇ、教えて。エイダは口元に小さく笑みを作る。

「私は、ヒトじゃないのかな」

 問いかけには、あまりに不釣合いな笑みだった。

「誰も、教えてくれなかったから。同じ、ぐちゃぐちゃの姿をしたあなたなら。私を助けてくれるかも、って。思っちゃったのかな」

「エイダは、ヒトだよ」

 間髪入れず、僕は言った。

「君の弟も、僕も、人間だ」

 言い聞かせるように。エイダにも。そしておそらく、自分にも。

「……やさしいね」

「そうかな」

「うそよ。あなた、本当はとっても、ざんこくな人」

「だろうね」

「…………やさしすぎて、ひどい人」

「どっちなの」

「どっちもよ」

 そうしてまた、くすりと笑う。

「カイおにーちゃん、行こう」

 これではどちらが子供なのか分からない。

「今答えたくないなら、それでいいから。あなたがそう言ったんだもの。私も守らないとね」

「そんなこと言ったかな」

「やっぱり、やさしい人ね。カイおにーちゃんは」

「……恢でいいよ」

「おにーちゃん、嫌?」

「嫌、というよりはややこしいから」

 そこで、ふと疑問が浮かぶ。

「もしかして、『オズのお兄ちゃん』は、エイダの血のつながったお兄さんじゃない……のかな」

 エイダは少し驚いた顔をして、それから、言ってなかったかと言いたげに僕を見上げた。

 聞いてない聞いてない。

 となると、エイダがいたところは何らかの施設だったのだろうか。オズという人物がエイダとエイダの弟を連れ出した。何かの目的のために。

「オズのおにーちゃん、どうしてるのかな」

「心配?」

 少しだけ、と答えたエイダの表情は悲痛だった。

「あんなだけど、私たちの『おにーちゃん』だから」

「でも、エイダを」

 そこから先は言えなくて口を噤んだ。捨てたんだろう、などと。僕の口からでも言いたくはなかった。

「しょうがないから」

 エイダの方がよっぽど気丈だ。僕は言葉を選ぼうとして、押し黙ってしまう。どうやったらこの子を傷つけずいられるだろう。

「……しょうがなくはないんじゃないの」

 エイダは小さく首を振った。

「エイダがいっぱいわがまま言って、きっと、『おにーちゃん』を困らせたの」

「君はこんなにいい子なのに」

「恢はそう思っても、『おにーちゃん』はそう思わなかったのかも」

「それは……そう言われちゃったら、うん、何て言えばいいのか」

 僕が素直にこぼすと、エイダはくすくす笑った。

「あなた、本当に嘘がつけないのね」

 気恥ずかしくなって僕は耳まで真っ赤になってしまう。

 まったく、どっちが子供なのやら。

 ええと、と僕は、誤魔化すように言って、

「他に、大人はいなかったのかな」

 と続けた。

「いたよ」

「どれくらい?」

「いっぱい」

「そうか……いっぱいか。エイダと弟以外に子供は?」

「いっぱいいたよ」

 いっぱいか。ざっくりし過ぎている。

「半分くらいの子は、ぐにゃぐにゃ」

「……僕みたいに?」

「うん」

 成程。……あまりいい話ではないらしいのと、どうやら大ごとになりそうな予感がしてきた。大きな淵に足をかけて中身を覗こうとしているような心地だ。

 僕はエイダの姿をもう一度みる。服装。白いワンピースに布靴。血のつながっていない『お兄ちゃん』。おそらく、『弟』も血がつながっていない。集められた子供たち。そのうちのおよそ半分が、僕やエイダと同じ。加えてその場に居合わせた大人たち。

 そこから考えられることは、おそらく。いや、まだ、結論を出すには早計だ。エイダがそうだとも言い切れない。

 僕のような体質の子供はもうそんなにいるはずがないのだから。

 いるはずがない。だって。…………。

 だけど、いるはずがないものが存在している。

 いないものはどうするか。

 創るしか、ない。

「恢。ここだよ」

 エイダが僕の服の裾を引っ張って止めた。ビクついて、僕は顔を上げる。思索に夢中になっている間に、目的の場所に辿り着いたらしい。

 大きな門扉は錆びついている。僕の背丈の二倍はありそうなくらいの高い煉瓦塀の間から、うっそうと枯れ茂るセイタカアワダチソウに埋もれるようにして、二階建ての木造の洋館がうかがえた。白く塗られていたのであろう外壁は塗装が剥がれ、雨水が染み込んだところから黒く腐食している。雨戸は破られている物が大半で、窓ガラスは割れ放題。ちぎれかけたカーテンが幽霊の手のように風で揺れていた。無論、灯りもなければ人気もない。無言の威圧感もさることながら、次に大きな衝撃があればひとたまりもなく倒壊してしまいそうな気配を感じる。

「これは……うん。入るのも危なそうだね」

 数日として居られないだろう、こんなところ。

「地下にね、お部屋があったの」

「地下室……シェルターか」

 2020年ごろには、世論もあり新築の家にシェルターを配備するのが流行になったと聞いたことがあるが。その頃に建てられただろうか。自己責任を謳う文化になって久しいが、富裕層家庭向けシェルターがこの国に流行したのはその象徴ともいえただろう。

 さておき、ここに突っ立っているわけにもいかない。

 中へ入ろうと門扉を押そうとする僕の手を、エイダが再び引いた。

「こっち」

 エイダが示したのは門があるのとは別の方向だった。煉瓦塀に沿うようにして、ごみの山が詰まれている。家具に混じって、随分と酸っぱい臭いが漂っていた。何が混ざっているかなど、あまり考えたくない。

「正面は、地雷あるから」

「え?」

「こっち」

 そうして、ゴミ山を指す。

 ああそれであっちに、と納得しそうになるがちょっと待て。

 民家の庭に仕掛けるか。普通。

 エイダは躊躇いなくゴミ山に手を突っ込んでかき分け始めた。物凄い量の蠅が飛び去って行く。見慣れているとはいえ、羽音に背筋が粟立つ。

「『おにーちゃん』がうめてたの。門から来るようなのはロクなのがいないって」

「そう……律儀に門から来るのかな……BACって」

「しらない」

「そうだよね」

 僕も知らないぞ。座学でも聞いたことがない。招かれなければ入ってこられない吸血鬼でもないだろうに。

「これだけ蠅がたかってたら、弟は帰って来てないんじゃないのかな」

「もう一か所出入り口あるけど、そっちは恢が通れないだろうから。……それに、『おにーちゃん』といっしょの時はこっち使ってた」

 エイダなりに気を遣ってくれたらしい。ならば、手伝わないわけにもいかないだろう。

 エイダには下がってもらって、酸っぱい匂いのするポリ袋や、ヘドロの滴る衣類の塊、べっとりと汚れのついた洋箪笥、やけに湿って重たいソファーをどかした。労力は感じないが、臭いと虫と汚れで、精神的にすり減る。

 帰ったら熱いシャワーを3回くらいは浴びたいところだ。

「恢、力持ちなのね」

「……これくらいしか取り得がなくてね」

 そうして、屈めば通れるくらいの通り道ができた。塀に空いた穴は、洋館の裏庭へと続いているようだった。

「まあ、でも、さすがに何カ所もないでしょ。こういう入り口」

 鼻で深く息を吸いこまないようにする。汚れた手袋を外そうとしたところで、エイダが首を左右に振った。

「おうちに入る入り口も、こんな感じ」

 絶句する。

 ……どうやら、長い一日になりそうだった。


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