第4話 amateur - 3

「市野。市野。聞こえるか」

 ローカル無線から、相中の緊迫した声が飛び込んでくる。

「ああ。聞こえてる」

 僕は片耳で逃げ惑っている人物の足音を追い、早くなった呼吸の合間に応答した。

「現在の交戦対象数は5。悪いが2体ほど逃した。お前の後ろから来てるはずだ。そっちで対処してくれ」

「了解した。あんたは無事か」

 5体のオオカミ型など、1人で対処するには過酷だ。案の定、通信機からは乾いた笑いが漏れてきた。

「心配してくれるのはありがてぇが、キッツイ」

 吠え声が響く。爪と鋼がぶつかる音。上がった相中の息。

「死ぬなよ」

「シュウ置いて死ねるかよ」

 はは、と相中が無線越しに笑っている。しかし、すぐにトーンを落とし、「そっちはどうだ」と問うた。

 シーツのぼろをたなびかせながら走る小さな影、前方300メートル。対向一車線の道路だが、見通しは悪くない。

「追いつけそうだ」僕は手短に答える。「何の妨害もなければ、だけど」

 人影に向かって、数匹のドブネズミが甲高い声を上げながら迫っていた。

「発砲できそうにない。電磁銃なら使えるけど、あの人にあたれば命の保証はできそうにない」

「お前まさか民間人まで巻き込んで撃つつもりじゃあ」

「まさか。抵抗されたら考えるけど」

「……優しいんだか怖いんだかわからねぇなお前」溜息が聞こえてきそうだった。僕はちらりと背後を振り返る。2体の巨大なオオカミの影が見える。

「後ろには戻れそうにない」

「体調は」

 気持ちの悪い汗がにじんでいるが、これは走っていることに由来するものだと言い聞かせ、問題ない、と僕は続けた。

「お前こそ、死ぬなよ」

 うん、と小声で応じ、僕は散弾銃に弾を込めた。装弾数は4。多くはない。その分、一発ごとの火力は強い。ずしりとした重量感を両手に感じながら、背後に向かって一発放つ。オオカミ型に対する威嚇だ。ガードレールに弾が当たり、火花が散った。オオカミは少し怯んだようだが、速度を保ったまま突貫してくる。

「対象はどう保護する? うかつに寄ればドブネズミにやられちまう」

「接近後、電磁銃で制圧する」

 僕は短く答えた。

「対象を保護。ドブネズミを駆除する。パルスグレネードで一度オオカミを撒いて、対象を安全な場所まで誘導。そのあとでオオカミを駆除。あんたと合流するか、当初の交戦ポイントで該当のヒツジ型を駆除する」

「はぁ? それじゃあ通信が取れなくなるだろ」

 相中の頓狂な声が響く。パルスグレネードは広範囲に効果があるが、通信に影響を来たす。オープン回線下では普段使用が禁止されているので、旧式の装備ともいえた。

「つか、なんでそんなもん持ってきてんのお前は」

「備えあれば憂いなしって言うだろ」

「入手経路は」

「繍さん」

「あの装備マニア! ……火炎瓶での対応は?」

「音や火にはそこまで敏感じゃないみたいだ。火炎瓶だといたずらに町を燃やしかねない」

「火炎放射機持ち込んでるやつが言う台詞じゃないなぁ!」

 とにかく、と改めてはっきりと宣言する。

「パルスグレネードによる制圧が必要だと判断した。民間人を巻き込まないため、周辺環境への影響を最小限にするためだ。理由は以上。ローカル回線が生き残るかは、運に任せる」

「なんかさぁ」

「うん」

「お前、ほんとに新人感がないよなぁ……いや、いいんだけどさぁ」

「う、うん?」

 要領を得ない。それでいて、次に続く言葉が怖くて、僕はしらばっくれようと「何のことかな?」としらじらしいまでに続ける。

「今言うことじゃねえからさ。いいよ。また、後でじっくり話をさせてくれ」

 やだなぁ。それは。

「こんな新人に何を聞こうっての?」

 茶化して僕は明るく尋ね、しかし、そこで、相中は露骨に言い淀んだ。

 どうにも反応が妙だ。急に、無線が静かになる。

 まだ無線は有効なはずだが。

 相中に応答を促す。しかし、それでも、聞こえてくるのは相中の早い呼吸音だけになる。戦闘が苦しいのか?

 再度、相中に応答を要求。その間に迫るオオカミに威嚇射撃の二射目を放つ。

 ややあって、乾いた声がした。

 かろうじて聞き取れた声は、震えている。

「相中?」

 嫌な予感がする。

 何かを相中が口走ったが、聞き取れない。今まで一緒に仕事をしてきた中でこんなことはなかった。

「何があったんだ。相中。何がいる?」

 無線が拾う、微かなブレードのエンジン音。オオカミの怪物たちの唸り声が嫌に大きく聞こえる。

「市野、悪い。合流ポイントで」

 相中の無線が途切れる。

 突然のことに頭が付いて行かない。取り残されたようで、僕は慌てて無線を再接続したが、ローカル通信は無効になっている。まだグレネードも使っていないのに。相中が通信を拒否しているのか? そんなことがあるか。通信エラーがローカルにも及んだだけだ。そうに決まっている。

 僕は自分に言い聞かせる。

 相中は心配だが、今は前を行く人とネズミBACの集団、そして背後のオオカミBACだ。通信の間に、前者とは距離が開き、背後からは距離を詰められている。

 僕は散弾を背中へ回し、背後を見遣る。少し速度を落とし、怪物を引きつける。上着を捲り、腰のあたりに手を伸ばした。パルスグレネードを取り外した。安全装置を外す。放電準備状態になる。

 僕が低速になったのを観念したものと捉えたのか、怪物は2体ともぐっと姿勢を下げ腰だめになる。飛びかかろうとしているのだろう。距離にして、20メートルほど。

 好機だ。

 グレネードを投擲。怪物の鼻先に着弾。と同時に着弾位置から蜘蛛の巣状に高圧電流が迸る。バチッと衝撃が怪物に走り、両者は力ない吼え声をあげて、巨体を伏した。動かないのを確認。

 ついでに無線機も起動したが反応はない。端末のGPSも不能状態になっていた。交戦ポイントまではなんとか行けるだろうが、無線同様、向こう1時間ほどは使用を諦めなければならない。問題は、保護対象か、相中か僕が負傷した場合に急を要し負傷場所まで救援を呼べなくなったことくらいだが。遠隔回線が復旧しなければ状況は依然として変わりなかった。

 念のためオオカミ型に警戒しながら、向き直る。

 保護対象との距離はさらに開いており、右方向へ角を折れていく。急がなければさすがに見失ってしまう。

 僕は電磁銃を引き抜いて駆けだした。充電残量はまだ余裕がある。無駄撃ちが許されるほど余裕のある状況ではないが。早めに保護し、相中に合流した方がいい。

 銃を構え直し、加速。意識的に、さらに加速。トップスピードに乗り、瞬く間に保護対象が向かった角を曲がる。

 すぐ先に、保護対象がいた。

 その背に、まさにBACが迫る。その数、8体。

 引き金を引くよりも早く、駆けるスピードを維持、飛び上がったネズミを引っ掴んだ。地面に叩きつける。骨を砕く、厭な感触。腕に上る衝撃。すぐ近くにいたネズミBAC2体に銃身を押し付け処理。短く叫び声をあげた。焦げた臭いが漂う。

 3体を処理。残数5.

 突然の出来事に保護対象が足を止めた。止まった。よし。しかし、硬直して全く動かない。

「頭を下げて」

 僕は叫んだ。遅れて、保護対象が屈む。

 続けざまに撃つ。撃つ。1体処理。逃す。撃つ。2体目。残り3体。

 ネズミBACは甲高い声をあげて保護対象に向かう。その胴に蹴りを入れて落とす。撃つ。動かなくなる。足元を回り込んだ個体を射撃。残数1。

 しかし、先ほどの声に驚いた保護対象が悲鳴をあげ、再び走り出した。

 パニック状態だ。

 僕よりも先に最後の一体が保護対象へと駆けだした。撃てば保護対処にあたる。……あまり使いたくはないんだけれど。上位の下のホルスターからナイフを取り出し、急加速した。すぐに追いつく。毛並みの上から、BACの頸部へと刃を落とした。断末魔をあげる間もなく引き抜く。血が舞う。素早く血振りをし、納めた。保護対象に見せるべきではない。電磁銃もホルスターにしまっておいた。

 周囲の安全を確認し、保護対象の肩をなるだけ優しく、しかし逃さない程度に両手で押さえる。悲鳴をあげられた。

「落ち着いてください」

 とうとうBACに追いつかれたものと思ったらしい。じたばたと必死に抵抗される。もう一度、落ち着いてと繰り返した。

「僕は、RTAの駆除部隊の者です」

 言って、保護対象の視界を覆っているボロボロのシーツをはぎ取る。

 僕は。一瞬言葉を失った。

 白髪の子供だった。

 透き通るような白髪。高い位置でひとまとめに括られている。

 僕にとっては。見覚えのある色だ。記憶の底を、突くような。

「徒空……?」

 ぽつりと口から零れた声に、保護対象は振り返って首を傾げる。少女だった。長い睫毛が動き、ぱちりと瞬いた瞳は浅い紫がかった青色だった。青ざめた顔。涙こそ流していないが、少女の顔をみて僕は我に返る。

 別人だ。当たり前だが、僕の知る人物ではない。

 ここにいるはずがない。それに、歳が違い過ぎる。少女は十歳にも満たないくらいだった。

 彼女は生きていれば、二十歳だっただろうから。

 少女は怯えている様子だった。無理もない。BACに追われていた上に見知らぬ男が自分を見て知らない人物の名前を口走ったのだから。

 僕は屈んで、少女に見線を合わせる。

「えっと、僕は、RTAの市野っていうんだけど。君のお名前は?」

 少女は答えない。顎を引いて、薄い瞼に力を入れて、僕をじっと睨んでいる。

「君を追いかけてた怪物を倒すお仕事をしてるんだ。君を助けたい。君と一緒にいた人はいるかな」

 連れや保護者がいるなら、安否を確認しておいた方がいい。少女のことがわからなくても、手掛かりにはなる。だが、少女は変わらず、僕をじっと睨んでいた。特に言葉を発することもない。

「君を助けたい。君といた人がいるなら、その人も」

 僕は主張するしかなかった。信用度が足りないのなら、説得するしかない。精一杯真摯に伝えたつもりだ。

 周囲への警戒は怠らず妙に緊張した空気の中、少女の瞳をしっかり見つめたまま、5分は経ったろうか。

 少女は一度だけぱちりと長い睫毛を震わせると、色の薄い唇を開いた。

「………………るい」

「え」細い声に聞き返す。

「おにーちゃん、きもちわるい」

 ………………………。

 これは。

 思ったよりも、精神に堪える。

 まさか、出会って間もない童女に気持ち悪いと宣告されるとは。

 そりゃあ、僕は絶世の美男子ではない。童話に出てくる王子様でもない。砂埃と血と硝煙に頭から足先まで浸されてはいるが、血の匂いや汗臭さはそれなりに気を遣ってるんだけどなぁ。

 気持ち悪いとは。

 気持ち悪い、とは。

 瞑目しかけたころ、少女は続きの言葉を発した。

?」

 僕は、凍り付く。

 無線が切れていてよかった。特に、相中には聞かれなくてよかった。

 表情が引きつらないように気を遣いながら、なるだけ柔らかく笑うようにした。

「僕は、人間だよ。ほら、だから、君を助けに」

「うそつき」

「……嘘じゃないよ」

「オズのおにーちゃんは言ってたよ」

 オズのお兄ちゃん? 僕は眉を顰める。だが、少女に同行者がいるのは僥倖だ。この少女が、何者であるにせよ。

「その、オズのお兄ちゃんって人は何て言ってたのかな」

「内緒」

 だろうな。

 少女はぷいとそっぽを向いてしまった。機嫌を損ねられても困る。

「とにかく、ここは危険だ。さっきみたいな怪物がまだこの辺りにいる。君を助けたいのは本当だ。怖い思いをしただろう。オズのお兄ちゃんを一緒に探すから」

「いらない」

 少女は頑なだった。

「お兄ちゃん、きっと心配してるよ」

「してないもん」

「そんなこと」あるもんか、と言いかけた声にかぶさった声に僕は耳を疑った。

「要らないって、言われたもん」

 少女の青い瞳が、不意に潤む。

「私も、弟も。だから、お兄ちゃんのところには帰れないの」

 どうして、とは訊けなかった。迂闊に訊いていいことではないだろう。食糧、安全面、住居面諸々の事情はある。事情に限っては理解できる。

 だからといって、妹と弟を見捨てていいことにはならないし、その心情までは理解してはいけない。

 そっか、と僕は短く言った。うん、と少女は頷く。

「弟、探さなくちゃ。まだ、オズのおにーちゃんといたはずだから」

「一緒に探すよ」

 僕は少女の手を取った。少女は顔を上げて、僕の瞳をのぞき込む。

「嘘は吐かない」

 初めて、ちゃんと少女と目が合った気がした。

「おにーちゃん、お名前は?」

「カイ。市野恢イチノカイだ。君は?」

 少女は薄い唇を開く。

「エイダ」

「よろしく、エイダ。歩けるかな」

 小さく、しかし力強くエイダは頷いた。

 行こうか、と僕は立ち上がる。

 相中のことも心配だ。エイダの弟と、オズのお兄ちゃんとやらも気になる。早めに動かなければならない。

 僕の手をエイダがしっかりと握り返すのを感じた。

 遠くでは、まだオオカミの遠吠えが上がっていた。

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