第3話 amateur - 2
生活感をのこしたまま、街は衰えていた。旧高級住宅街温暖化が進行し、日差しは春そのものだが気温は既に二十度を超えている。本来なら桜が舞い散る季節だと聞いているが、ここ三十年ほどは東北地方でしか桜は開花しなくなったらしい。現に、降り立った旧高級住宅街の庭木は枯れるか、亜熱帯の植物に浸食されており、生命力の比較的強そうな下草が高く伸びている箇所が見受けられた。
旧23区に点在する内の一つの中継地で僕たちは軽トラを降りて、徒歩で交戦ポイントへ向かっている。常に人手が足りていないRTAでは、僕達駆除部隊員を現地まで運ぶ人員は、対象を視認できない人がほとんどであり、駐在員のいる中継地で待機することになっている。国交が乏しくなった現在、空になった大使館を中継地として利用しているケースは少なくない。移送してもらう以上、移動中に運転手を護衛することも僕達の仕事だ。時間までに任務を終わらせて中継地に戻り、再びRTA本部へ帰投する手はずになっている。
人が一人もいなくなった街は、息をひそめたように静かだった。
「こういう光景は何回見ても慣れねぇもんがあるよな」
発言の割には呑気そうな調子で、相中はハードケースを背負い直して道を行く。殺伐とした風景でもどことなく牧歌的な雰囲気を漂わせているから不思議だ。
対象の移動予測や撒き餌を利用した効率的な駆除が推し進められているため、近年交戦ポイントが絞られるようになったとは言えどいつどこで戦闘になるかわからない。相中は補助エンジンのついた厚手のブレードを携えてはいるが緊張感がまるでない。しかし、これで周囲に警戒していないというわけでもない……とは思うが、そのあたりは僕の知るところではなかった。
いないとも言い切れないが、暴徒や襲撃者も潜んでいるかもしれない。時折駆除部隊員が人間に襲撃されることも少なくはない。特に旧高級住宅街には放棄されてからそういった連中の根城にされている箇所もある。下手をすれば、資材調達にやって来た郊外の居住区民と暴徒たちのドンパチに巻き込まれることもあるから厄介だ。僕達駆除部隊員は多少なり金を持っているため、裏路地に引っ張り込まれて金品をせびられたり身ぐるみを剥されたりと……まあ、被害は数知れないのだった。世紀末かよと言いたいけれど、二十二世紀になって間もないのに世紀末とはこれいかに。
現に、すぐ近くからガラスの割れる音が聞こえて僕は銃を構えた。
が、
「……ドブネズミか」
曲がり角の住居の窓から飛び出してきたのは、一匹の鼠だ。
ただし、通常の兎ほどの大きさはあるドブネズミである。
僕が引き金を絞るよりも先に、相中がブレードで一突きした。一撃ではやはり仕留めきれず、相中の厚手のブーツを喰い破ってやろうと身悶えしていた。
「おーおー、俺の脛なんかかじったって美味くねぇぞ、ネズ公」
相中の言葉通り、この手の対象は人類を指向的に襲い、その肉を栄養源に数を増やしている。
これらは兵器だ。
人類を対象に襲うよう設計され、自律的にその数を増やすことができる、生体兵器である。『Biological Army-Creature』、通称、BACだ。約百年前、前世紀から続く負の遺物である。
某国で秘密裏に製作されていた遺伝子組み換え技術由来の生物兵器が流出。安全装置の有無は定かでなく、まずは某国を食い物にしたBACは、国外へと侵略を開始。コントロール不能の増殖を果たした。さらにBACは、生体ならではの揺らぎを持った光学迷彩・熱源迷彩を持つ、人間と当時の技術では出現位置を予測できない不可視の暗殺者として猛威を振るった。
地を駆け、海を渡り、地中を這うステルス性能をもつ見えない敵を相手に人類は戦い続けたが、瞬く間に地球の総人口は減少。見えない敵の何を調べ、何を予測し、何を狙えというのか。世界全土が災禍だったという。
キィ、という鳴き声のあと、相中がブレードを引き抜いた。
「レーダーに反応はあるか?」
僕は端末を確認する。駆除予定のポイントには点在しているが、今しがた相中が仕留めた個体は反応がまるでなかった。
「ないな。この手の小型は掛からないのはどうにかしてほしいな」
「困りはしねーが、手がかかる」
出現当時はネズミ型のような小型種に種類が限局していたものも、数年をかけて瞬く間に種類を増やした。その原因はレトロウイルスであるともされているが、未だ確証には至っていない。
「……一匹いたら三十匹理論だろ。鼠だからな」
「それは鼠じゃないな」
茶色い虫だ。炊事場の大敵なのは今も昔も変わらない。
「どうする? 見過ごすか?」
「処分に努める」
「……相っ変わらず真面目なこって」仕方なさそうに相中は小さく嘆息し「まぁ、市野ならそう言うだろうと思ってたよ」
「なにそれ」
「いやぁ? べっつにぃ?」
相中はにやにやとしていた。訳が分からず、僕はしかめっ面で応じる。
「……僕みたいな新入りが口出しするのもなんだけどさ」
「おう。俺にそういう遠慮はいらねえぞ」
「ネズミ型、それもドブネズミがいるってなると、まだこの辺りに誰か住んでいる人がいるかもしれない。救助しないと」
「おー、座学が身に付いてるな。それじゃあ市野くん、もう一つ理由をあげてみよう」
得意げに相中は血振りをし、そして、追加で現れた個体を仕留めにかかる。
「俺が倒すまでに答えろよー」
「そんなの秒で終わるだろ。……ここは旧高級住宅街だ。災禍のときに造られたシェルターがある家がほとんどになる。放棄後にやって来た誰かが生活していても不思議じゃない。そして、それを狙ってBACが現れるのはよくみられるパターンだ」
僕も反対方向を向いた。塀を超えて僕の首元を狙ってくるのを、まずは銃身で叩き落とし、逃げ出す前に散弾で撃ち抜いた。ギキィ、と厭な悲鳴があがる。
「うんうん、及第点!」
仲間の血の匂いか、僕達の匂いを嗅ぎつけてか、側溝より増援が三。
「ヒントは今回のお仕事内容だ」
相中は攫うように、続けざまに対象を斬りつける。
「この地区に存在するとされるヒツジ型の営巣地の破壊、および殲滅。ということは、この近くに栄養源になっていたであろう人間の生活拠点があってもなんらおかしくはない」
僕は散弾から電磁銃に持ち替え射撃。何発か外した。充電がある限り撃てるのはいいが。
しびれて動けなくなった三体を、相中が仕留めて回った。
「大正解。いやぁー……優秀だよなぁお前。座学の成績はいいんだっけか」
「よせよ。褒められてもあんまり嬉しいことじゃない」
「これで射撃の腕前がもうちょい良くなってくれりゃ文句ねぇんだんけどなぁ。ちょっと当たるかと思った」
「ちょっと誤射しかけた」
「おい」
偏差射撃はどうも苦手だ。近接の方が慣れている。
「市野、なんで銃士の方に志願したんだっけ?」
「いやー……えっと。近接は近接でちょっと。苦手で」
「よく言うわー……トレーニングとはいえ組み手で俺んとこの副班長のしたくせに」
「あれは、勢いというか、その……ビギナーズラックってやつかなぁ。……うっ」
「お、おいどうした」
突如うずくまった僕に相中が駆け寄る。
「気持ち悪い……吐きそう」
さーっと血の気が引いていくのが自分でも分かる。口元を抑えた僕を見て、相中はうろたえた。
「え、え? 吐きそうってお前」
「……かなり酔っちゃってたみたい」
「マジ。……大丈夫か?」
「いや、何かほかのことを考え続けないと戻しそうだ」
鼻水と唾液が絶えずこみ上げてくる。なんとなく呼吸が苦しい。こんなことをつぶさに感覚するだけでも吐きそうだ。
「お前こんなに乗り物弱かったの?」
「ああ……」
「でもここ二か月は」
「長距離の遠征には来てないな」
「そうだっけ? あれ、でも、坂口……市野んとこの班長からはこないだこの辺りで演習したって聞いたけど」
「その話の続きは班長から聞かなかった?」
「ああ……えっと」
相中は思い出すように手を胸の前でわちゃわちゃ動かして、ああ、と合点がいったように頷いた。
「新人班員の内、一名が全く動けなかった、……って」
「そう」
「……お前か」
「……そう」
「すまない」
申し訳なさでいっぱいになって、やっぱり吐きそうだった。
「いや、まあ、体質のことはしょうがねーだろ……。着任したときにはちゃんとそのことは伝えてるんだよな?」
僕は首を縦に振った。
「なんでこっちに依頼回しちゃったかなぁ……総務の人。どうする?」
「どうもできないだろ。……ま、あんたを誤射して丸焼きにしないように努力する……」
「洒落になんないぞ、それ」
「務めは果たさないと、な」
「真面目もいいが、無理はすんなよ」
僕に手を差し出し、肩を貸そうとしてくれた。
「…………ありがとう」
だけど肩を借りるのは躊躇われて、しゃんと体を起こすことにした。相中は片眉をあげたが差し出した手を引っ込めた。
「タフだよなぁ、お前」
ブレードの峰を肩に載せ、困ったように笑うのだった。
「そんなことないよ」
脂汗を拭って、僕は苦笑する。
「今のは皮肉だ」
「わかってるよ。ごめん」
迷惑はかけたくない。ただそれだけだ。
「顔色も悪いし……やっぱり本部に連絡しとくか」
素早く相中は無線をオープン回線に切り替えようとする。任務開始時間になればオープン回線に接続し、録音とGPSの記録を取ることになっている。任務の進捗管理と、行方不明時や死亡時の際のチーム編成に役立てられるためだ。開始前にオープンに繋ぐこと自体、SOSの発信になりかねない。
「待った。そこまでしなくても」
「まーまー。ネズミ型の群れもいそうだしその報告もかねて……」
言葉は途中で途切れた。相中は怪訝な表情を浮かべている。
「こちら204、611バディ。本部オペレーター、応答してくれ」
僕の無線機からは相中の声が少し遅れて聞こえるだけだ。相中が応答を待つ間、ざりざりと微かなノイズが響く。
「通信エラーか?」
「ローカル回線は生きてるみたいだ。あんたの声は聞こえてる」
「お……。ホントだ。市野の声は聞こえてるな。遠隔回線が死んでるのか……GPSは……生きてるっぽいが、位置が大分ずれてるな。この辺りに大規模な磁場があるなんてことは……ねぇな」
諦めて相中はオープン回線を閉じる。
「一度、中継地まで戻ろうぜ」
相中はブレードを背負いなおすと、即座に踵を返した。有無を言わせなかった。
「に、任務は?」
「んなもん今度だ、今度。帰るぞ。通信エラーじゃ任務にならねぇし。中継地で通信が復旧するまで待機。応援が必要ならば一班に要請を出す。そのあとサクッとお掃除する。それでいいだろ」
「ローカルが生きてるなら続行すべきだ。ブリーフィングも到着前に済んでる。記録用の本部回線も、管理機能じゃないか。ここでネズミ型の群れを逃せば、他の地区にも影響がでかねない。通信が今日復旧するとも限らない。早く叩けるなら早く叩いてしまった方がいい」
「…………いつになく必死だな」
「……僕の体調を気遣っての待機なら、その必要はない。行ける。大したことない」
気遣われるのは嫌だ。そして、このまま見過ごすのはもっと嫌だ。
「BACは残らず駆除しないと」
「市野、お前さぁ。……死んだら元も子もねンだぞ? 強情なのも大概にしろ」
「死ななきゃいいだろ」
素っ気なく僕は返す。
「……お前はまだ現場ってのが分かってないからそんな風に言えんだよ」
「分かってるさ」
胸のムカつきを抑えながら僕はアイナカを睨み返す。
「…………。自分の体調なら、自分が一番分かってる。僕が行けるって言ってるんだからそれでいいだろ」
ガラにもなく食って掛かってしまった。こんなものは独善だ。僕は忘れてはいけない。つまらない意地で自分がしでかしたミスを一生忘れてはいけない。だから、本当はこんな風に意固地になるべきじゃないのだということも、本当は、よく分かっている。その結果は、じっとりと脳裏に染み付いている。それでも。
「あんたに迷惑かけたくないんだ」
自分が発した言葉は思いのほか情けない響きになっていた。
「そんなに意地になるほど、か?」
僕は頷く。アイナカは口を閉ざして何か考えているようだった。
「ごめん」
自分の態度の幼稚さを。アイナカの気遣いを無碍にしたことを。
「少なくとも、ここで言い争っててもしょうがないわな……」
やれやれ、と相中が苦笑した瞬間。
彼の背後、少し向こうの区画の家屋の壁が。
大きな音を立てて吹っ飛んだ。
「は……? 何?」
相中が振り返る。僕は相中の肩越しに、咄嗟に銃を向ける。
吹っ飛んだ壁の脇から、煙が――炎の手があがっているのが見て取れた。
「爆発……?」
悲鳴が上がる。人の悲鳴だ。煙の中から何かが飛び出してくる。
人だ。
人がいる。
ぼろぼろになったシーツをかぶって、半狂乱になりながら、一人の人が、僕らのいる方ではなく途中の曲がり角で慌てふためき走り去ってしまった。あれではまともに前も見えていないに違いない。
「お、追いかけよう。相中」
「待て市野」
駆けだした僕を、相中が手で制する。
煙の中から、別の影が現れる。それは、僕達が乗って来た軽トラックほどの大きさもある、狼のような姿をした、BACだった。
「新手だ。聞いてないぞ……イヌ型なんて」
引きつった顔の相中が、息を呑む音が僕の耳にも届いた。
イヌ型――特に姿かたちがオオカミにほど近いそれは、凶暴で倒すのにも数人を要するとされている。
先ほどの電磁銃が有効な大きさでもない。倒すには、僕の装備だと背中の散弾銃か、放射器だろう。すばしっこいため、グレネードには期待できない。
煙を裂くように現れたそれは、ぐいと巨大な咢を空へ向け、遠吠えをあげた。
続いて、近くや、遠くから、いくつも遠吠えがあがった。
群れの仲間を呼ぶつもりだ。数は、十かそれ以上にもなるだろう。
「くそ……これじゃあ戻るに戻れねぇな。さっきの人を見過ごすわけにもいかねぇし。市野」
僕は深く頷いた。
「ここを第二展開ポイントとして、俺はイヌ型を叩く。お前はさっきの人を追跡、保護。安全を確保して、通信ができる地点を探せ。で、一班か救急部隊に救援要請を出せ。お前は無理をするな。戦闘を避けろ。いいな」
「それじゃああんたの負担が大きいだろ。保護した後、僕も戦う」
間髪を入れずに僕は反論する。
「お前は保護を優先だ。俺だけでどうにもならなきゃ、お前と民間人の退路くらいは開いてやるさ。上手く行きゃ、プラン通りの交戦ポイントで合流。失敗したら、お前だけでも中継点に戻れ。ローカル回線はオンにしとけよ」
相中はブレードを提げ、先に駆けだす。まずは目の前のオオカミから倒すつもりらしい。オオカミもこちらに気が付いたのか、相中に向かって走り出す。
僕も、先ほどの人物を見失ってはいけない。随分気が動転しているようだった。滅茶苦茶に走り回ってBACの他の仲間に遭遇されては、まず命はないだろう。
迷っている暇もなく、僕は散弾銃を手に駆けだした。
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