#A1 amateur

第2話 amateur - 1

「徒空」


 自分の声で、目を開く。耳元で風がごうごうと鳴り先ほどの呟きは消えて行っただろう。短い黒髪が頬を打つ。一瞬、どこにいるのだろうかと戸惑った。


 春うららかな日差しが雲間から零れている。流れる雲は早く、舗装の悪い道路に点在した水たまりに青と白のコントラストを映した出す。折れた標識や真っ二つになった住宅に蔦が絡んでいる。そんな植物に浸食された町並みの間を、がたんごとんと跳ね軋みをあげながら軽トラックが進む。

 悪路を跳ねるたび、尻を強打するだけでなく傍らの銃をいれたハードケースが騒々しい音を立てていた。おまけに内臓と三半規管がいい具合にシェイクされている。要するに、気持ちが悪い。


「なーんだよ、夢でも見てたか? 市野イチノ


 気の抜けた声の方をうかがうと、にやついた顔で向かいにいた相中アイナカがこちらを見ていた。寝言を聞かれていやしないだろうか。それを悟られないようにしかめっ面で僕は応じた。


「……夢くらいみるよ」

「顔色悪いぜ。悪夢だったのかよ」

「酔ったんだよ。この軽トラ揺れすぎだろ……」

 これは事実だが、それ以上の憎まれ口を阻むように吐き気がこみあげてくる。

「う……。気持ち悪い」


 仕事に支障が出るくらいの気分の悪さだ。ちゃんと異動願いにはそのことを記したはずなんだけど。自分で運転すれば酔いは軽くとはよく聞かされる。しかし、生憎年齢的にもまだまだ免許は取れそうにない。

 僕の様子を見て本当のことだと思ってはいるだろうが、その割に相中はいたく楽しそうに眼を輝かせていた。


「まあ確かにちっと荒いよな、運転。でも楽しくね? なんかこう、『遊園地のアトラクション』って感じでさ」

「冗談よしてよ。……遊園地なんて行ったことないし。アイナカが子供だった頃はまだちゃんと営業できてたの? そういう娯楽施設は」

「いんや。とっくに赤錆のワンダーランド」

「ふぅん」

「つーか、俺と市野じゃそんなに歳変わんねぇだろ。お前がえっと、今年で十六で、俺が十九なんだからよ」

「え、相中、十九なの?」

「言ってなかったっけ?」

 初耳だ。僕は嘔吐感が増さない程度に首を横に振る。

「そっかー? そうだっけか? うんー、まあいいわな、どっちでも」


 そう言って、呑気に伸びをていた。気楽な奴である。

 三つ差というのも驚きだが。

 三、四年前といえば人類サイドの好転機への先駆けだが。何度目かの安定期に入った現状と比べると、現場は過酷なものだった。


「大変な時期に本隊配属になったんだな」

「配属したての新人よりも、中堅で死人が大勢出てたらしいしな。でも比べるもんでもねぇさ。犠牲者の数だけで今がマシって言っちまうのはナンセンスだろ。現場がやべーのは今も変わりねえ。」

「……そうだな。違いない」

「しっかし懐かしいなー。俺がお前と同い年の頃に丁度、新人部隊員として配属されたんだもんな。どうよ、仕事には慣れたか、新人君。と、俺は先輩風を吹かす」

「先輩ねぇ」

「マジにジト目になるなよ! 立派な先輩だろ」

「それは自分では言わないかなー」

「で、実際どうなわけ?」

「研修の頃と変わりないよ。いい意味でさ。……研修みてくれてた相中と組ませてもらえてるわけだし」

「研修ね……あー。うん」


 相中は露骨に顔をしかめる。


「嫌な思い出でも?」

「嫌……っつーか。その頃の自分が……いや、俺のこたぁいいんだよ」思いを振り払うように、厚い手袋をはめた手をひらひらと振やって相中は、「ま、見込みがなきゃ即本隊配属にはならねぇしな。大変だろうが死なずに頑張ろうや」

「あんたが相棒なら、そうそう死にはしなさそうだしね。ハイトや識名さんには随分羨ましがられた」

「おやおやぁ? それじゃあ俺は頼りにされちゃってるわけだ!」

「そういうことでいいよ」

「なにそれ!」


 物憂げになったり得意げになったり怒ったりと、相中は随分と忙しい。飽きの来ない奴だなぁとも思う。

 てっきり、寝言について言及されるものかとばかり思っていた。人の名を呼んで目が覚めるなど、相中にとっては格好のいじりネタだと思ったからだ。普通に体調を心配されて、内心、拍子抜けした。単純に興味がなかったのかもしれないし、こんなご時世だ。身内や知人がすべて無事に生き続けている人などそうそういまい。相中にも何かあっても何ら不思議ではないけれど、それをこちらから問いただすのも不躾だろう。


「気分悪いんだったら、もうちょい寝とくか?」

 沈黙を悪心によるものだと思ったらしい。こういうところの気遣いは一級品なのが、相中奈成アイナカナナリという人物の評価が高い所以なんだろう。

「いや……。あと少しで着くだろ。起きとく。むしろ話でもして気分を紛らした方がいい」


 交戦ポイントまであと十分ほどだろう。今日のお相手は羊型。液体燃料と液体窒素の小型タンクが入ったバッグを脇へ押しやって、体を起こした。昼ご飯を少なめに食べておいたのが功を奏したか、吐くには至らない胸のもやもやとした感じが鎖骨下に広がった。

「酔い止めは?」

「生憎、薬が効きにくい体質で」

「へえ。知らなかった」

「言ってないことだってある」

 

 山ほど、と余計な修飾はしなかった。どうも相中奈成の馴れ馴れしいところは最初の内は鬱陶しいと感じ、しばらくして『僕が馴染みやすいようにといった配慮の上か』と思い、最近はやっぱり鬱陶しい。タメ口も求められてのものだけど、違和感はしっかりと残っている。子供の頃からの習慣はなかなか拭えないことを実感した。三つ子の魂百までである。


「薬が効きにくいってのは不便だな」

「そうかな? 大抵の下剤飲まされたくらいじゃ腹が下る心配もない」

「嫌がらせじゃねえかよ」

「まあいいじゃん。僕ら風邪ひきにくい体質なんだから」

「馬鹿だから?」

「否定はしないけどあんたに言われるのだけはヤだよ」

「なんか最近お前、俺の扱いが雑じゃね?」

「気のせい」


 扱いが雑なのは打ち解けた証だと思ってください、とは言わないが。そんなことを言ったら調子にのるだろうし、アイナカ。調子に乗られたらムカつくし。


 車は町を抜け、関東平野の中でも開けたところへ差し掛かる。ここから先はアスファルトもなく、風化しつつある瓦礫と、まばらに生えた草木のみがある。ここからもう少し北へ向かったところにある旧高級住宅街が今日の仕事場だ。揺れが少なくなった代わりに、泥を散らし轍を作りながら軽トラックは、かつての日本中枢都市の残骸を走る。


 百年で東京は随分と様変わりしたのだと云う。


 僕は、百年前の光景を知らない。ビルが立ち並び、地上を人々が歩き、僕達と同じ世代の子供は普通に学校に通っていたと聞く。世界は平和とは言い切れないが、二千年代初期の日本というこの国は世界の中では戦禍の中にはいなかったらしい。


 少なくとも、僕の知る限りでは、人間が何かに食べられて死ぬことは、ごくまれだったはずだ。文化や風習を除けば、だが。


 要するに、食物連鎖の頂点に人類がいた頃とは、変わってしまった。


 僕達の倒すべき敵は、殲滅するべき相手は、食物連鎖の頂点に君臨するモノだ。


 きぃ、と甲高い鳴き声に顔を上げれば、五百メートルほどをニワトリのような生き物が飛翔している。ヘリコプターほどの大きさで、羽をばたつかせて飛んでいく。高度は二、三十メートル程だろう。それほど高くは飛べないにせよ、開けたところではよく目立つ。ここは、そういった『型』の狩場だった。先ほどまで僕たちがいた湾岸地区で五班の狙撃手が待機しているだろう。


 しかし、だ。鱗で覆われた脚に何かが引っかかっている。引っ掛かっている、というよりは、突き刺さっている、と言ったほうが良さそうだ。大体想像はつくので、あまり凝視したくない。どこか落ちついたところで食事にありつくのだろう。しかし。あんまりだ。手遅れだとしてもせめて、あんな場所でなく、元にいたところに帰れるようにできはしないだろうか。 念のためにと僕は軽トラの荷台に据えられたタレットへと腰を浮かせたところで、


「襲ってこねーよ。心配すんな」

 天を仰いでいた僕を見かねてかアイナカが言った。

「襲撃を心配してるわけじゃない」

「そうか? 深刻そうな顔しやがって」


 無自覚だった。


「そうかな」

「そうだよ。あのトリがひっかけてるモンのことなら諦めろ。もう、助からねぇって分かるだろ」

「……でも」

「そのタレットは、地上用だ。お前の装備も俺の装備も、地上用だ。できることは、これから向かうとこで、目いっぱいお掃除して、北の居住区のいち早い整備に貢献する。そうだろ」


 僕の考えていたことはお見通しだったらしい。僕は不承不承、浮かせた腰を軽トラの荷台に落ち着ける。


「しかし……外に出るなって言っても無理があるよなぁ。出て、狩られるか狩られないかは、運だっていうんだから理不尽だぜ。郊外なんか行くもんじゃねぇな」

「郊外はそんなに悪いとこじゃないと思うけど」

「……あんな野蛮なとこに行くもんじゃねえけどな。好き好んで」

「否定はしない。でも、関東圏の全員の行き場を確保できるほどRTAは万能じゃない」

「万能だったら俺らはとっくにお役御免になってるしな。ちょっとでもやれることから、だ」


 僕は頷く。


「助けられなかったのかなぁ」

「何て?」


 僕の呟きは聞き取れなかったらしい。

 相中は声を張り上げるが、僕は何も、と首を振った。


「何だよ、別のこと考えてたのかよ」

 心配して損した、と彼は足を投げ出した。人が心配してることを心配する。

「あれが見えるってことが、恵まれてたのか災難だったのか。どっちなんかねぇ、俺ら」


 ニワトリ型の化物を指してアイナカは呟いた。

 ニワトリの化物へしゅっと光が伸び、遅れて、荒野に真っ赤な雨が降る。僕らが通った軽トラのわだちの上に、脚に引っ掛かっていた物体が落下し、続いて怪鳥が墜落していった。五班の狙撃手の誰かが撃ち落とすのに成功したらしい。ぱたぱたと、遅れて血が舞い落ちる。僕の頬にも、付着する。怪物のものか。犠牲者のものか。判然としない。


「さあ。どうだったんだろうね」


 頬についた血を拭って、僕は空を見上げるのを止めた。

 見えずに死んでいった人たちと。

 見えるがために戦場で死んでいった人たちと。

 どっちがマシかなんて。


「まぁ、俺も分からねーなぁ」


 アイナカは怪鳥と共に降ってきた物体に目をやって顔をしかめた。……物体なんていう表現は、失礼か。アイナカは顔を逸らして黙祷。僕も続く。遠くからバンが走ってくるエンジン音。五班の連絡を受けて回収に来たのだろう。


「僕らは僕らの義務を果たすべき、だろ」

「そーだなぁ」


 アイナカはケロッとして大あくび。もう一度伸びまでした後で、腕章を取り付ける。僕は、腕章の嵌った左手で、無線機にスイッチを入れる。

 僕のは白地に青縁、中央に六と刻まれた腕章。六班の班員であることを証明するもの。アイナカのは縁が橙色で二の数字が刻まれている。二級銃士と一級剣客。

ここで数字を巻いて戦う者たちはそういう連中ばっかりだ。家族や友人や愛する人を失った人たちばかりだ。終わらない戦いに生涯を捧げることを誓った者でできた駆除部隊だ。


 相中が、ブレードの入ったハードケースを手に取った。

「さぁイチノ、お仕事の時間だぜ」


 軽トラックが合流ポイントに停車した。

 ここからは、僕らの領分だ。


「そんじゃあ行くか」

 弾薬のたっぷり入ったバッグを肩にかけて、銃を持ち上げる。ずっしりとした重み。すでにかなり遠くなった落下点へもう一度目をやって、僕は短く深呼吸。

「ああ」


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