第2話 トラブルは訪れた

 何日かたって、土曜日。お父さんやお母さんと一緒に働いているのは大森さん。そして、最近働き始めた一人。

 大森さんはしゃべることになれていないし、もう一人はまだぎこちない部分がある。だから芽衣はエプロン姿で店を手伝っていた。葉津美は跡取りと名乗っているわりにそんなことをしないが。

 料理するのはお父さんで、芽衣は注文を聞いたりテーブルをふいたり料理を運んだりする。お父さんによると、芽衣が手伝うのは評判がいいらしい。お客さんの注文量が増えるという話まである。いそがしくなるのが大変でも喜ばれるのならいいかなと、芽衣は考えている。

 事件は、そんなあわただしくも楽しい時間に始まった。

 入り口の戸がガラガラッと勢いよく開けられて、カウンターにいるお母さんも料理を運んでいる大森さんも「いらっしゃい」といわなかった。長く働いていると、人が戸の向こうまで来た時点でお客さんかそれ以外かわかるようになるらしい。だから店を手伝うときの芽衣は他の人が「いらっしゃい」といってから自分もいうようにしている。

 お客さん以外というのは、ここで働いている人や芽衣たち一家のこと。しかし今お母さんたちが黙っていたのはおどろいたせいじゃないのか。芽衣はそんな気がした。

 入ってきたのは葉津美。一頭の犬に首輪とリードを付けて引っ張っていた。白地に黒いブチがついていて、前足も後ろ足も細長い。

(あれはダルメシアンって種類だっけ? テレビで見たことある)

 まだ子どもなのか、あまり大きくない。それでも小学生が手足を地面につけたくらいの大きさはあるし、動物といわれて最初に猫のキューちゃんを想像する芽衣は特に大きく感じた。シロトラ様はもっと大きいが、自分でいっているように動物そのものではない。

「葉津美さん……動物を店に入れたら、ダメですよ」

 大森さんはそういったが、

「うっさい。あたし、今日からこの子を飼うの」

 葉津美はつっけんどんに答えて黙らせる。一方、お母さんはそんなふうに止められたりしない。

「どこから連れてきたのよ」

「友だちにもらったの。生まれて半年たったけど、この子だけもらい手が見つからないんだって」

「どうして誰にも相談しないで決めるわけ?」

「あたしがそう決めたんだからいいでしょ」

 相談というか、そもそも自分以外の意見を聞く気がないようだ。

「うちにはもうキューちゃんがいるじゃない」

 お母さんがそういうなり、葉津美は芽衣に視線をジロッと動かした。芽衣が「どうして私?」と戸惑ったことなど気にしない。

「あの猫はアレの方にばっかりなついてる。そんなのずるいじゃない。だからあたしも飼う」

 なつかないのは怖がらせるせいだが、葉津美にしてみれば自分以外が悪いことになるようだった。

「もう名前も付けたのよ。シンヤ!」

 今はやっているアイドルの名前だ。シンヤと名づけられた犬は、葉津美が見下ろしたところにいなかった。

 お客さんがいる座敷席に突撃!

「何この犬? あたしのおやつが!」

「す、すいません!」

 お母さんも大森さんもあわてて止めに入った。

 止められる前にみつ豆どら焼きを一口で食べたシンヤは、隣のテーブルへ! お客さんたちはみんな大騒ぎになって、夢花屋の落ち着いた雰囲気が台なしだ。葉津美は楽しそうに笑う。

「シンヤったら、やんちゃなんだから。大森、新しいのをお客さんに出してあげて」

(そういう問題じゃないでしょ?)

 オロオロしていた芽衣は、自宅へ続く通路にキューちゃんの姿を見た。騒ぎを聞きつけて様子を見に来たようだった。こっちに来ないのは「店に入っちゃダメ!」ときびしくしつけられているから。

 そしてもう一つ。芽衣のそばで白い煙が集まって、シロトラ様の姿になった。キューちゃんと同じくシンヤを不安そうに見つめていた。



 結局葉津美は強引にシンヤを飼い始めて、大波乱の毎日となった。

 キューちゃんはトイレもツメとぎも決まったところでしかしない。人の食べ物を横取りすることもない。泥まみれの足で家に上がることすらしない。しかしシンヤは違う。

 家中の畳をどんどんかじって、あちこちケバケバにした。泥足で上がってじゃりじゃりにもする。キューちゃんのエサも横取りするし、来た日と同じように店へ乱入してお菓子泥棒もする。お持ち帰りの品を引ったくられたお客さんまでいた。

 お父さんは「せめて首輪とリードを付けて庭にいさせて」と葉津美にいった。しかし葉津美は「前からいる猫がそんなのさせられてないのに! どうして猫の方ばっかり!」といって突っぱねた。お母さんが怒ったところでようやく従ったが、意味はなかった。シンヤは悪知恵が働くようで、首輪をすり抜けてあっちにこっちに行ってしまう。

 何日かたったときも、シンヤはひどいことをした。

 芽衣が学校から帰ると、店先に落とし物。茶色いアレだ。食べ物を扱う店の前にそんなものがあるなど、常識以前の問題といえる。

 そのそばで、小川さんと葉津美がにらみ合っていた。

「葉津美さん、こんなことをされたら困りますよ」

「シンヤがやったなんて証拠があるの? この前もシンヤのせいにしていいがかりを付けてきたじゃない」

「葉津美さんの犬がしてるところを見ました」

「話だけじゃ信じられないわよ。嘘をついてるかも」

「携帯で写真を撮りました。これです」

「……あ、そう。じゃあ片づけといて。ここの掃除はあんたたちの仕事でしょ?」

 葉津美はああいえばああいうという調子。小川さんは淡々と返しているが、声だけだ。顔を見れば怒っているのがはっきりわかる。大森さんと違っていうべきことはいう。

 芽衣はこっそりと様子を見ていた。

「またやってるよ」

『困ったものだな』

 隣にシロトラ様が現れた。

「シロトラ様って動物と話せるでしょ? シンヤに直接いいきかせることってできないの?」

『もうやった。しかし自分の主人は葉津美だけだなどといって聞かぬ。神をも恐れぬとはまさにこのことだ!』

 がおう! と不機嫌そうにほえる。

『力ずくでしつけてやりたいとも思うが、生きておるものに手出しせぬのが神の掟。そもそも葉津美がしつければよいのだ! もっとも、葉津美自身が先にしつけられるべきだがな!』

 シロトラ様がもう一度ほえようとしたときだった。

 ギャーーーーーッ!

 すごい声が響いた。子どもの悲鳴にも似ている。しかし芽衣には別のものだとわかった。動物病院で注射を打たれたときのキューちゃんとか。

『キュー?』

 シロトラ様がその名を呼びながら消えた。芽衣も声がした方へ急ぐ。声におどろいている小川さんと葉津美の間を通り抜けて、店もすり抜けて、自宅へ。いつもと違って廊下も駆け抜けて、縁側から庭に出る。

 そこでは動物と動物のケンカが行われていた。ケンカとはいえないかもしれない。一方がもう一方を痛めつけている状況にはそんな言葉が当てはまらない。

 シンヤがキューちゃんを押さえつけて、背中にかみついていた。キューちゃんはあばれて逃げようとする。

『やめぬか!』

 先に来ていたシロトラ様がほえた。しかしシンヤはおどろいたりしない。

『わしのいうことが聞けぬのか!』

 シロトラ様は間に割り込もうとした。力ずくはダメでもキューちゃんの盾になることはできるというわけ。しかしシンヤはキューちゃんから離れまいとする。ねじ伏せることで「俺強い!」と勝利に酔っていそうだ。

 自分も助けないと! 芽衣はそう考えたが、動けなかった。シンヤはキバをむいたりしていて怖いくらい。キューちゃんがどんどん血まみれになっていくのに、と思うと自分がなさけない。

「誰か来て!」

 結局、そう叫ぶしかなかった。



 すぐにお父さんと大森さんが駆けつけてくれて、キューちゃんとシンヤは引き離された。シンヤは興奮が冷めない様子でしばらくほえていたが、お父さんに叩かれると逃げていった。

 キューちゃんはぐったりしてしまい、お母さんからかかりつけの病院に連れていかれた。芽衣も付き添った。先生は「見た目ほど大きなケガじゃない」といってくれたが、包帯を巻かれた姿は痛々しかった。

「だから綱を付けとけっていったでしょ!」

 お母さんはキューちゃんを連れて家に帰るなり葉津美へ怒鳴った。この家で芽衣の次にキューちゃんをかわいがっているので当然だ。

「あの猫がシンヤのそばをチョロチョロしてたせいじゃないの?」

 やはり葉津美に反省の色はない。

 ケガをした張本人のキューちゃんは、帰ってきてすぐ客間の押し入れに引きこもってしまった。人が来にくいところなので、隠れ家の一つにしている。普段なら「お客さん用のものが置いてあるからダメ」と怒られるが、病院で予防注射などをされて機嫌が悪いときだけは許される。

 キューちゃんが隠れること自体はいつものことだし、注射の後ならおなかがすけば出てくる。しかし今日はケガをしているので、芽衣は心配だった。

 一方シンヤはというと、葉津美の部屋でのんきに寝ていた。そんな違いは芽衣にとって面白くないことだった。きっと葉津美に怒鳴り続けているお母さんも同じように感じている。芽衣の隣で浮かんでいるシロトラ様も。

 シロトラ様はムッとした顔をしていた。こうしていると迫力があるが、芽衣は怖さをこらえて話しかけた。他の人から気づかれないように小声で。

「どうしてあんなことになったのか、キューちゃんから何か聞いてない?」

 シロトラ様は、しばし間を開けてから答えた。

『キューがいうには、シンヤが泥足で家へ上がろうとしていたのだそうだ。そこをキューが注意して、ガブリ……とか』

「そんなの、逆ギレしただけじゃない」

 この話をすれば、完全にシンヤが悪いとみんなに知らせることができる。しかしそれはできないと芽衣はよくわかっている。シロトラ様が自分たちを見守っているとかこんな話をしていたとか、語ってもわかってもらえない。小さいころ数えきれないくらい繰り返したことだ。

『やはり、やらねばならぬか』

 シロトラ様がいつもより低い声でつぶやいて、芽衣は心臓をわしづかみにされた気がした。

「な……何を?」

 芽衣は問いかけたが、シロトラ様は答えず煙になって消えてしまった。



 芽衣は、翌朝起きると客間に直行した。

(キューちゃん、どうしたかな)

 キューちゃんはよく芽衣の布団へもぐり込みに来るが、昨晩は違った。たまたま気が向かなかっただけだろうか。ケガの具合がひどいせいだろうか。

「おはよー……」

 客間をそっとのぞくと、押し入れのふすまが少しだけ開いていた。キューちゃんはふすまを自分で開けられるが、閉めることはできないので、こういう状態になる。昨日の夜見たときより今の方が大きく開いているような気もする。

「寝てる……?」

 芽衣は足音をおさえて押し入れに近づいて、ふすまを動かした。

 昨日はカバーに包まれた布団の上でキューちゃんが丸くなっていて、寒くないように毛布を掛けてあげた。そして今、押し入れの中には布団と毛布だけ。

「キューちゃん?」

 もう一度名前を呼んで、布団の横とかすき間をさぐってみた。しかし、隠れていたりしない。えりから冷たい風を流し込まれたような気分がした。

「お、お母さん!」

 すぐさま廊下へ引き返して、台所へ急いだ。普段なら廊下を走るなと怒られるが、料理をしていたお母さんは今だけそんなふうにいわなかった。芽衣が血相を変えているとわかってくれたからだ。

「どうしたの?」

「キューちゃんがいないの!」

「ええっ? 客間以外にも?」

 芽衣はお母さんの返事が終わる前に台所を出た。

 キューちゃんの隠れ家は他にもいくつかあって、芽衣は全ての場所を把握している。芽衣の部屋の押し入れ、居間に置いてある戸棚の裏、本棚の奧……一ヶ所ずつ回ってみたが、どこにもキューちゃんの姿はない。

「いた?」

「キューちゃんがいないって?」

 お母さんも料理を中断して探し始めていた。お父さんもひげそりが半端なままで探していた。そこにフラッと通りすがった葉津美は、薄く笑う。

「いない? シンヤにここを明け渡して出てったってことじゃないの?」

 お母さんが鋭くにらむと、葉津美は「怖い怖い」とからかうようにつぶやきながらどこかへ行ってしまった。

(そうだ。シロトラ様なら何かわかるかも!)

 芽衣はすぐさま庭に駆けていった。片隅のほこらではいつかのように二匹で寝ていたりせず、どちらの姿もない。

「シロトラ様! キューちゃんがどこかに行っちゃったの! 居場所知らない?」

 呼びかけたが、返事はない。白い煙が集まってトラの姿になることもない。

「まさか、シロトラ様まで?」

 芽衣は何度も呼びかけてから家へ引き返した。あまりやっていると変に思われる。「娘が幻覚を見ている」と思われて病院に連れていかれたのは芽衣にとって最悪の思い出だ。

 ミシミシ……ドスン!

 奇妙な音が聞こえた。古い家なので「ミシミシ」はいくらでも聞こえるが、「ドスン」はなかなかない。「ミシミシ」もいつもより大きい音だったような。

 不思議に感じつつ聞こえた方へ行ってみた。そこは勝手口。

 お父さんとお母さんも来ていて、二人が見ている先では勝手口の外にある小さな屋根が地面に落ちていた。支えていた木の柱が途中で折れている。

「古い家だし、こういうこともあるか。誰もケガをしなくてよかった」

 お父さんは不幸中の幸いだといったが、芽衣は折れた柱を見ていると嫌な予感があふれてくるように感じた。

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