シロトラ様、怒る!
大葉よしはる
第1話 夢花屋の守り神
学校から帰ってきた
「おかえり、芽衣」
中は落ち着いた作りで、基本は和風。木のテーブルや座敷がある。声をかけてきたのは作務衣姿のお母さんだ。同じ服装のお父さんも奥の部屋から顔を出して、ほほ笑みかけてくれた。
こんな感じなのは、小三の今ももっと小さかったころも同じ。芽衣が生まれる前は、お父さんがおじいちゃんやおばあちゃんから同じようにされていたはず。
芽衣の家は何十年も続いている和菓子屋だ。名前は
日本全国で有名というほどではないが、県内ではそこそこ知られている。お父さんの自慢は、地元のお土産屋にここのおまんじゅうがドーンと置いてあること。芽衣もそれを誇らしく思っている。
今日もテーブル席と座敷席が何人ものお客さんで埋まっていた。芽衣に「おかえり」といったのは、顔を覚えてくれている常連さん。芽衣は「ただいま」と答えながら店の中に入った。
「お母さん、お客さんいっぱいだけど手伝った方がいい?」
「大丈夫。今日は大森君も小川さんもいるから」
お母さんがいった大森さんは、口数が少ないけどがっしりしていて力仕事が得意なお兄さん。小川さんは、いつも薄く化粧をしていてスマートな体型のお姉さん。二人ともお客さんから注文を聞いたり料理を運んだりとくるくる働いていて、途中で芽衣に手を振る。
夢花屋には店員さんが何人もいる。大森さんと小川さんは長く働いている方で、芽衣はひそかにゴールデンコンビと呼んでいる。この二人がそろっているのなら、芽衣の出番はない。
「おやつが台所のテーブルに置いてあるわよ。おだんごだけど」
お母さんは今日もおやつを用意してくれているが、芽衣からすれば和菓子はいつも近くにあるもの。目新しさはないに等しい。それでも芽衣はにっこりとしてみせた。
「秋の新作だっていってたおだんご?」
「そうそう。ちゃんと感想をお父さんに教えてあげてね」
「うん。いただきます」
芽衣はお客さんたちにもう一度頭を下げて、店の奥に入った。脱いだクツをそろえてから家に上がる。
板張りの廊下をミシミシ鳴らしながら自分の部屋へ。芽衣の家はかなり古い。建てられたのは、ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが若かったころだとか。
芽衣の部屋もドアじゃなくてふすま、フローリングじゃなくてたたみ。夜は押し入れからお布団を出して寝る。友だちと違うところもあるが、芽衣にはこれが当たり前。それに広々としているので、ご近所からは「立派なお屋敷」と呼ばれることもある。そんなふうにほめてもらえるのはうれしいことなんだと、芽衣は考えている。
ランドセルを置いて台所へ行くと、ここは友だちの家とあまり変わらない。むしろ電子レンジや冷蔵庫はこっちの方が豪華。ひいおじいちゃんやおじいちゃんやお父さんが「料理を扱う人が時代遅れの道具や中途半端な道具を使っていたらいけない」とかいって買い替えてきたお陰だ。
テーブルの上にお皿が二枚。串だんごがそれぞれに二本ずつ。一本につきおだんご四個ずつ。
芽衣は片方のお皿を取って、台所から廊下に戻った。
(誰か見てない? できるだけ見つからないようにした方がいいよね)
あちこちを見渡しながら自分の部屋に引き返す。廊下の鳴る音はさっきと同じだが、今は気になる。芽衣はおやつがおだんごで食べるところを誰からも見られそうになければこうする。
(今日は友だちとの約束もないし、あっちで遊ぶのもいいかな)
自分の部屋で好きなことをしながら食べる方が楽しい――そんなふうに考えているわけじゃない。そもそも芽衣は自分の部屋で食事をしたことがない。「昨日、あたしの部屋でこっそりおやつを食べた」なんて友だちから聞けば妙にドキドキするが、わざわざマネをしたいとは思わない。
ようやく部屋に戻ってきた芽衣は、縁側から庭に出た。ここもかなり広い。小さな池があるし、木も何本か植えてある。少人数ならかくれんぼができる。
芽衣が人の目に注意しながら歩いていったのは、庭の片隅。おだんごなんかあきているので、ここでこっそり捨てるつもり――なんて考えでもない。芽衣は食べ物の大切さを親からしっかり叩き込まれている。
そこには小さな石のほこらがあって、昼寝をしているものたちがいた。
一方は茶色にしま模様のオス猫。芽衣の家で三年前から飼われているキューちゃんだ。丸くなったまま目だけで芽衣をチラッと見た。
もう一方はキューちゃんよりずっと大きい。芽衣より、そしてお父さんやお母さんよりも。
白地に黒いしま。開けた目は赤く、口は裂けたように大きい。足は太く、しっぽは細長い。
白いトラ。動物園にも黄色と黒のトラがいるが、ここにいるトラはそれよりも一回り大きい。人間でも小さな子なら丸飲みにできそう。
そのくせ、トラはキューちゃんと同じように丸くなっていた。キューちゃんを前足の間に入れていて、抱っこしてあげているようにも見える。
トラが瞳を輝かせた。ギラギラとして食欲をあふれさせている。視線の先には芽衣――正確には、芽衣が持っているおだんご。
『芽衣よ、それは店で作っただんごだろう。わしの大好物ではないか』
トラが人の言葉を話した。普通ならおどろくはずのことだが、芽衣は平然としていた。おだんごの一本をトラに差し出す。
「そうだよ、シロトラ様。二本あるから、一本ずつ食べようよ」
シロトラ様と呼ばれたトラは、肉球のある前足で串の根もとを器用につまんだ。
『おお……この香りはキンモクセイ。季節の食材を使ったというわけか。団吉も店主としての腕を上げておるようだ』
シロトラ様がにおいをかいだりながめたりしているうちに、芽衣は自分のおだんごを一つ食べてみた。甘すぎなくていい。タレの塩味がなおよし。
いろいろと楽しんでいたシロトラ様だったが、いざ食べ始めると一気に終わった。大きな口に串を根もとまで突っ込んで、四つのおだんごを一口で食べてしまったからだ。
『想像したとおりだ。口の中に入れた途端、タレに仕込まれたキンモクセイの香りが広がる。ダンゴの甘さとタレの塩味も絶妙に絡み合い、最高の味わいを生み出しておる。そしてこの歯ごたえは……』
「……トラがお団子好きってどうなの?」
『硬いことをいうでない。そもそもわしはトラそのものではないぞ。トラの姿をした神だ。肉が好きとは限ら……』
シロトラ様が言葉を途切れさせた。口からよだれを垂らしていて、芽衣のだんごをじっと見ている。芽衣は笑いそうになったのをこらえた。
(そんなに食べたいの? じゃあ……)
腕を前に伸ばして、おだんごをシロトラ様に近づける。シロトラ様は目で追いながら口を開けた。
その口が閉じる前に、芽衣は腕を折った。シロトラ様に負けないくらい口を開けて、おだんごをもう一つぱくり。
「おいしー! やっぱりお父さんのおだんご最高!」
大げさに喜びながらシロトラ様を見ると、すごく悲しげな顔をしていた。涙目にも見えて、芽衣はかわいそうになってきた。
「食べかけだけど、いる?」
『そ、それは、お前の分ではないか』
シロトラ様はぷいっとそっぽを向いた。目だけはチラチラとダンゴを見る。芽衣は構わずにおだんごを差し出した。
「私たちを何百年も守ってくれてるんだからいいよ」
『す、すまぬ!』
いうが早いか、シロトラ様はおだんごを芽衣から受け取ってまた一口で食べた。うれしそうに味わって、二本の串をお皿に戻す。
『お前がこうしてくれるのは、わしへの恩のためだけではなかろう。お前が優しいからでもある。あいつと同じでな』
「あいつ……よく話してるひいおばあちゃんのことだね。私は会ったことないけど、そんなにいい人だったの?」
『もちろんだ。お前もこれからすばらしい人間に成長していくであろうが、あいつもかなりのものであったぞ』
シロトラ様がうなずいたとき、芽衣の後ろで草の踏まれる音がした。振り返ると、そこにいたのはお母さん。
「何してるの? あ、おだんご食べた?」
お母さんは芽衣の手にあるお皿や串を見ていた。しかしシロトラ様は見ない。芽衣からするといつもの反応だ。
「えっと、景色を見ながらおだんご食べてたの」
「いい景色だしね。でも、芽衣にしてみれば生まれたころから変わらないでしょ。わざわざながめたりする?」
そういわれてみればそう。芽衣はあせりを押し隠した。お母さんはピンと来た顔をする。
「さては、また誰かをびっくりさせようとか考えてた?」
「さ、さあ。そうかも?」
話がそれてくれてよかったと、芽衣はこっそり安心していた。
ほとんどの人はシロトラ様が見えない。ただし、芽衣の家系には何十年かに一度だけ見ることのできる子が生まれる。それが芽衣やひいおばあちゃん。
お母さんはお皿と串を芽衣から受け取って家に戻っていった。シロトラ様は、お母さんが来る前と同じ穏やかな顔だった。
『だんごの礼として、術を少し使ってやろう。今夜見る夢をいじるのはどうだ。今のうちに筋書きをわしへ話しておくといい。そのとおりにできるぞ』
「面白いのはいいけど、起きた直後がむなしいんだよね」
『では、またわしの術でいたずらをしてみるか。見えない姿になったり、声を変えて話しかけたり』
「たしかに、あれは楽しかったよね! 大森さんも小川さんもお母さんも、透明になった私がお皿を動かしたり話しかけたりしただけでびっくりしちゃって!」
神様ともあろうものがそんなことをしていいんだろうか。芽衣はそういいたくもなっていた。それだけさっきのおだんごがおいしかったということなのかもしれないが。
「……でも、最近はやってないでしょ。小さいころじゃないんだから、もっと他のことをして遊んでよ」
『そうか? ならば、わしと一緒にトラ俳句でも楽しむか!』
またそれ? と芽衣はいいかけた。シロトラ様はどこからともなく短冊と筆を取り出す。
『先ほどのうまいだんごを祝して一句ひねるか。あー、〈秋風や だんごを食べて トラトララ〉。うむ、なかなかよいではないか!』
芽衣には何がいいのかわからない。そもそも意味自体がわからない。俳句にくわしい人が聞いたとしても、意見は「全然ダメ」のような気がする。よく聞かされるせいで、トラ俳句のルールは何となく把握している。季語と「トラ」という言葉が入っていればいいようだ。
シロトラ様のそばで寝ていたキューちゃんが顔を上げた。シロトラ様を見て、フンッと鼻息を一つ。シロトラ様はしぶい顔でキューちゃんを見下ろした。
『つまらぬだと? お前はあいつが飼っていた猫の子孫だが、相変わらず歯に衣着せぬものいいをするな』
動物はシロトラ様の姿が見えて、話すこともできるらしい。
『何とかいったらどうなのだ』
シロトラ様が鼻先をキューちゃんに近づけた。本物のトラがこんなことをしてきたら、猫は怖がって逃げそう。しかしキューちゃんはそんな様子にならず。シロトラ様の鼻先をペロペロとなめた。謝っているようにも見える。
『まったく。お前はきびしいのだか優しいのだかわからぬやつだな』
シロトラ様も猫のようにキューちゃんの頭をなめた。しかしシロトラ様はキューちゃんよりずっと大きくて力もある。キューちゃんは舌の勢いに負けて転がってしまった。芽衣はその様子に笑ってから、ぽんと手を叩き合わせた。
「じゃあ、私を猫の姿に変えてくれない? 三匹で遊ぼうよ」
『わしを匹で数えるのはどうかと思うが、その遊び方は構わぬ』
シロトラ様は、息を芽衣に吹きかけた。頭から足の先までたっぷりとだ。芽衣は神社にいるようなしっとりとした風を感じ、気づくともう人間の姿じゃなくなっていた。黒い子猫の姿だ。
『わしも同じ姿になろう』
シロトラ様が目を閉じて念じると、その体が縮んで白い猫に変わった。
『これでよかろう。さあ何をする』
「おっかけっこ!」
芽衣は人間の言葉で答えた。残念ながら変わったのは見た目だけで、猫語は使えない。それでも猫になって遊ぶなんて他の人にできるわけがないし、とても楽しいことだった。
しばらく猫になって遊んだ芽衣は、上機嫌で縁側から家に戻った。
「今日のごはんは何かな。キューちゃんはいつものキャットフードかな」
抱っこしたキューちゃんに話しかけながら廊下を歩いていると――
「どうしてなの!」
――大きな声がして、芽衣はギョッとした。
「また?」
そうつぶやいてから、声がした方に忍び足で進んだ。
さっき芽衣が店から家へ上がったところに近づくと、声の主が見えた。芽衣より背が高くて、もう秋だというのに肌が出やすい服を着ている。スカートも短め。小六にしては目立ちすぎる服をいつも着ている。
「どうしてアレのクツはそろえてやって、あたしのはそろえないの!」
「いえ……ちょっと、待ってください……
ビクビクした声で返そうとしているのは大森さん。体が大きいが、いつも逃げ腰。葉津美と呼ばれた少女は、答えるタイミングすら与えず矢継ぎ早に言葉を叩きつける。
「あたしの方が姉なわけ! ここの跡取り! あたしの方を大事にするのが当たり前でしょ!」
葉津美は芽衣の姉だ。しかし芽衣にとっては苦手な人。
わかってんの? と葉津美が問いかけて、やっとわずかな間ができた。大森さんは姉だとか跡取りだとかいう話に答えず、クツの話に答えた。
「そのクツは、芽衣さんが自分でそろえたんです……ですから……」
アレとぞんざいに呼んだのは芽衣のこと。葉津美がいつもそうすると、みんな知っている。
「あたしに自分でやれっていうの? 気を利かせてそろえておきなさいよ!」
芽衣は怒鳴り続けている葉津美から気づかれないようにこっそりUターン。抱っこしたキューちゃんに「今は鳴かないでよ」と祈る。
「あ、ちょっとあんた!」
残念。葉津美は芽衣につかつかと近づいてきた。
「その猫、またあんたにだけなついて……!」
まずキューちゃんをにらむ。キューちゃんはびっくりして芽衣の腕からおり、廊下を駆けていってしまった。芽衣もそうしたかったが、葉津美は逃がしてくれそうにない。
「あんた、おやつ何食べた?」
芽衣はクツのことをいわれると思っていたので、どうしておやつなんだろうと疑問だった。
「え、おだんご二つ……じゃなくて、二本。秋の新作で出すとかいうの」
「本当に?」
葉津美はものすごい疑いの目で見てくる。
「三歳も年下の分際で、あんたの方がいいものを食べたんじゃないでしょうね?」
お姉ちゃんが三月生まれで自分が四月生まれだから二年と一ヶ月だろうに。そもそもおだんごくらいでどうしてここまで怒るのか。芽衣はそういいたくなったが、口には出さない。いえばもっと騒がしくなるとよく知っている。
もう手遅れだったようで、店にいたお母さんが早足で近づいてきた。
「葉津美、何をわめいてるの! お客さんに聞こえて迷惑でしょ!」
「どうしてあたしばっかり……!」
葉津美はイライラした様子でお母さんと大森さんの横を通り抜け、そろえられていないままのクツをはいて店に出た。
そこでは葉津美のクラスメート二人が待っていた。やけに太っている子とやけにやせている子。腰ぎんちゃくなので、芽衣はひそかにコシギンズと呼んでいる。葉津美は二人に気取った様子で話しかける。
「下っ端が礼儀を知らなくて困るわ。ママはもうオバサンだから、若いあたしをうらやましがるし」
いばった方がかっこいいと自分では思っているようだが、居合わせたお客さんはきょとんとしていた。常連さんは葉津美のことも知っているので、あきれてため息をつく。
葉津美はいつもこんな調子。誰かが自分よりかわいがられていると思うだけで機嫌を悪くさせる。特に芽衣が相手だとひどい。
(お姉ちゃんはいつもほうほう病だよね)
ほうほう病。そんな病気が本当にあるわけではない。葉津美が「あたしの方が」「あんたの方が」というから芽衣がこっそり考えただけ。今年の誕生日もほうほう病で大暴れだった。
あの日、芽衣はお父さんからおめでとうといわれながらプレゼントを受け取った。中身はちょっと高い本でとてもうれしかったが、そんな気分はいきなりやぶられた。
葉津美が叫んだ。「あたしがもらったのより四十二円高い! どうしてあんたの方がひいきされてるの!」と。
葉津美は前の月に誕生日のプレゼントをもらっていたが、そのときお父さんの財布をさぐってレシートを見ていた。芽衣のときも同じようにして、値段を比べて……というわけ。
あんたの方があんたの方がとわめき続けて、お父さんから四十二円もらって納得。と思いきや、あたしの方が年上なんだからそいつより多くもらえるべき! と要求し始めた。結局そのときは、お母さんが「いい加減にしなさい!」と怒鳴る流れになった。
(ほうほうって、フクロウじゃあるまいし)
「まったくあの子は……」
お母さんはぼやきながら店に戻った。芽衣の横では白い煙がただよい始めていた。
芽衣にしか見えないものなので、「火事だ!」と大騒ぎになったりはしない。だんだん集まって、大きく白いトラの姿になった。
『葉津美にも困ったものだ。またキューを怖がらせおって。おかしな趣味もあるしな』
「シロトラ様、前にもいってたっけ。お姉ちゃんがエンピツとか消しゴムとかいろんなものを取り出してながめながらにやついてるとか」
「うむ……まあ、それだ」
シロトラ様はあいまいな返事をして、ふわふわ浮かびながら複雑そうな顔をする。
『そのようなことするものが次の当主……わしはあれを守らねばならぬのか。しかしあいつの子孫だ……』
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