ツンデレに飽きたツンデレ

 教室に入ると、彼女がうわの空で外を眺めていた。


 夕焼けに照らされた放課後の教室は、意味もなくノスタルジアを感じさせる。

 彼女がこの時間帯にいるのは珍しい。

 黒板の上にかけられた時計を見る。

 十二時半。壊れている。誰も修理していないようだ。

 少しだけ彼女に近づく。

 肘をついて憂鬱げに、校庭で走り回る運動部を眺めて……いるのか判然としないが、とにかくぼうっと外を眺めている。


「ようよう」


 軽く声をかけてみる。返事がない。


「もしもーし」


 目の前で手を振ってみせる。まるで反応がない。


「ちょいと太ってお悩みなのかな~」


 野次を飛ばす。同時に身構える。

 こういうことを言うと、間違いなく回し蹴りが飛んでくるわけで。


「飽きた」


「は?」


 あまりにも脈絡のない言葉に素っ頓狂な声が出る。

 飽きた? なにに飽きた? 学校に飽きた? 生きることに飽きた? 俺に飽きた?

 目をぱちくりさせて見つめていると、心底気だるそうに彼女はこちらを向いた。


「だからさ、飽きた。ツンデレキャラやってくの」


「……それって、お前が?」


「アタシ以外に誰がいるのよ」


 ここにきてようやく話が見えてきた。つまり、彼女の飽き性がかつてないほどひどくなっている、ということだ。


 紹介が遅れた。「俺」は「主人公」で、「彼女」は「ツンデレのヒロイン」だ。そして俺たちは「ツンデレヒロインとのラブコメ」という、よくある物語の登場人物だ。

 いや、そんなことはどうでもよい。彼女の不可解な発言の方が重要だ。少なくとも「主人公」の俺にとっては。

 そんな俺の心配をよそに、彼女は独白を続ける。


「だって面倒だもん。アタシってさ、アンタのセリフに対していちいちツンデレな反応したり、蹴り入れたりするじゃない?」


「そのせいで俺の全身にはあざが絶えないわけだが」


「そんなの知らないわよ」


「……話がそれたな。それで、そのツンデレな反応がなんだって?」


「あれさ、予め考えてやってるの。こういうことを言ったらこういうセリフを返す、こういうことしたらこういうことをやり返す、って感じで。なおかつツンデレっぽく反応しなきゃいけない……疲れるんだよねぇ、いつでも返せるように身構えていけないから」


 そう言いながら、にわかに机にかけてあった鞄の中に手を伸ばし、一冊のノートを取り出してきた。そして無造作に俺に突き出してくる。

 表紙にはこう記されていた。


『ツンデレ反応集』


 中を開く。びっしりと文字が詰められ、空いているスペースには、救急対応の説明図のようなイラストが描かれている。

 記されている文はセリフのようだ。箇条書きで丁寧にまとめられている。

 一つはこういうもの。


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・心配された時:『う、うるさいわね! アンタに心配される筋合いなんてないわよ!』『うっさい! そんなことより自分の心配でもしなさい!』

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 その他にも五つぐらいセリフが書かれている。どれも、作中で俺が言われたことばかりだった。

 さらに一つはこういうものだ。


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・寝坊しているのを起こす時:『起きろー! このネボスケがー!』

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 そのセリフの下には赤文字で、


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最初の『お』は『うぉおおおおおお』と、若干大げさに。末尾の『が』も同様。以下の動作も付随。

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 文字の下には二人の棒人間が描かれている。

 横になっている棒人間に、もう片方がかかと落としを食らわせるような動作。

 今となっては懐かしい、1巻の冒頭シーンそのものだった。


「漫才のツッコミと同じ。反応速度と引き出しの数がものを言う。もちろん全部オリジナルじゃない。ツンデレの先輩が出演した作品を見て、その様子を少しアレンジ、あるいは全部パクる。そうでもしなきゃ選択肢なんて増えない」


 まるでインタビューかなにかのようにつらつらと語る。自慢するわけでもなく、半ば疲れ切ったような淡々とした語り口は、まるでプロフェッショナルだ。

 確かに彼女のレスポンスは典型的だったけど、その分バリエーションが豊富で、つっこまれる側としては、飽きにくいものだったと思う。


「でもやっぱ面倒。ネタ切れも近いし、バリエーションにも限度あるし。いくら考えてもつまんない。そして気づいたの。ツンデレもつまんないって」


 しかし、そのつっこむ当人が今、飽きてしまった。サービスのしすぎで燃え尽きた、というようにも見える。


「第一、ツンデレなんて古い。大昔の元アイドルが名前だけでテレビに出ているのと同じじゃない、今の人気」


 唐突にひどいことを言う。今の発言でどれだけのツンデレ好きな人間を敵に回したことか。


「大昔って、具体的に誰あたり?」


「そうねー。松◯聖子あたり」


 この言葉で全国の松◯聖子ファンがほぼ確実に敵と化した。一斉に襲われたら絶対生き残れない。そもそもそんな大御所を持ち出すのは卑怯じゃないのか。


「……にしても」


 今度は胸元に手を伸ばす。そこには、女子制服特有の大きなリボンタイがあしらわれている。


「これ」


 そのリボンをぎゅっとにぎりしめて。


「邪魔」


 勢いよく、ひきちぎった。


「こういうデザインもそうだけどさ」


 宙に投げられた赤いリボンが、ふわりと床に落ちる。


「ツンデレだって、近い内に廃れると思う。いつまでも流行遅れのキャラなんてやってたら、その内食いっぱぐれるわ」


 ……一理はある。マンネリ化は、俺達のような虚構の存在には最大の天敵だ。

 「つまらない」「前に見た」といって切り捨てられては、もはや為す術がない。そんな状況に陥った物語の行きつく先は「忘却」であり、俺達にとっては「死」も同然だ。

 もちろんそんなことは御免だ。だが。


「そんなこと言って、これからどうするのさ」


「さぁね。お寺の仏像見て、温泉に浸かって、おいしいもの食べてからゆっくり考えるわ」


 唐突に休暇をとると言いだした。本当にコイツの考えはいつも突拍子もない。そのあたりはいつもの彼女だ。いや、しかし。


「お前が休暇とったらこの物語どうなると思ってんだ。破綻するぞ、シナリオ破綻。話が成り立たなくなって、それこそ食いっぱぐれるどころか、俺たちの絶滅の危機だ」


 飛行機のパイロットが操縦をやめたら、海の中へ真っ逆さまだ。いくらつまらなくても、空の安全のため、パイロットは操縦席に座らなければならない。


「えー? あの子メインにすれば? ほら、前の巻でアンタと一緒に体育倉庫に閉じ込められた」


 いわゆるサブヒロインが一人いるのだが、なるほど、活発で素直で童顔でやや巨乳のあの子なら1巻分やっても俺は平気だ。むしろ一向に構わん。いやそうでなく。


「この物語の趣旨は知っているな? 『ツンデレとのラブコメ』だからな? 突然メインヒロインを普通の活発な女の子にしてみろ。従来の安定した消費者が消えるぞ」


「新規のファンが増える」


「そんな保障どこにもない」


 そう、わがままを言って話の構造を変えたら最後、俺達の最期がやってくる。

 そうならないこともあり得るが、それは人気作品にかろうじて適用されるか否か。まだ3巻までしか発売されていないこの物語では自殺行為に等しい。


 どんなに飽きても、俺達はストーリーを進めなければいけないのだ。それが「キャラクター」というものなのだから。


 まあ、個人的なことを抜きにしても、編集さんや上の人が許しやしないのだが。


「……それもそうね」


 どこか納得している顔だ。俺の説得は成功、ということなのだろう。よかった、よかった。

 うん、と一つ頷くと、彼女は鞄を手に持ち、立ち上がって、教室の出口へ歩み出す。


「考えが変わったわ。付き合ってくれてありがとっ」


 どうやら帰宅するようだ。せっかくだし、一緒に帰ることにしよう。


「あれ、ついてくるの?」


 不思議な顔で俺を見つめてくる。下校時刻なんだから、そんなにおかしいことじゃないだろう。


「あぁ。お前も帰るみたいだしな」


「帰る? 何の話? 帰らないわよ?」


「ん? どこ行くんだ? 買い物か?」


「坂崎さんとこに行ってくるだけよ」


「坂崎? 誰だ?」


「知らないの? 担当編集の坂崎宏さん」


 ……限りなくいやな予感。背筋に怖気が走る。


「お前、何言って――」


「あの人のとこにいって、こう進言してくるわ」


 引き戸を開けた彼女は、すがすがしい笑顔をこちらに向け、


「この物語のメインテーマは、『活発少女との甘々ラブストーリー』にして下さい、ってね」


 悠々と、去って行った。


   * * *


 教室に、俺ひとり。

 無理だったのか。彼女はそこまで馬鹿だったのか。

 破綻したのか。今この瞬間、この物語はぶっ壊れてしまったのか。



 無音。



 何も、起こらない。



 いけない。この状況は非常によろしくない。

 読者はイベント無しな様子を延々と描写した文など、望んではいない。

 何かしなくては。主人公が何かすれば、何か起こるだろう。

 ふと、床を見る。

 彼女が引きちぎった、真っ赤なリボン。

 拾い上げてみる。そして、少し考えて、


 頭の上にのせてみた。




 何も起こらない。



 黒板の上にかけられた時計を見る。

 十二時半。やっぱり壊れたままだった。

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