サービス終了後のプリンセスたち(3)
最後の事務所の整理を終えて、「スタプリ」の世界から立ち去る時が来た。
たった8ヶ月とはいえ、あれこれと物語が生まれた、アイドル事務所。狭くも広くもない、ごくありふれたビルの1フロアに向けて、私たち三人は「ありがとうございました」と一礼して退去した。
なんだか青春ドラマっぽい。いっそ、サービス終了時の「スペシャルシナリオ」として、こんな感じのおはなしを書いてくれたらよかったのに。
「じゃあ、お二人とも、お元気で」
事務所ビル前に待機していた、黒塗りの立派な車に乗り込みながら、ひよりちゃんは和やかに手を振った。
「実家は富豪のお嬢様」という設定は、未だ健在だったらしい。イベントで一度だけ顔を見せた執事のおじいちゃんが運転しているようだ。
「元気でね。がんばりなさいよ」
「大丈夫。ひよりちゃんなら、きっとえっちでかわいい女の子になれる」
「ゆ、結姫さん! 声大きい……」
わたわたと恥ずかしがりつつも、最後は可憐な笑顔を向けながら、ひよりちゃんを乗せた車は走り去っていった。
残された私とみかりんも、次なる目的地へ向けて、トボトボと歩きだす。
「……アタシ、東京駅まで行くけど、どうする?」
「……そういや、ここってどこだっけ。東京都?」
「一応、東京都は千代田区。神田駅のすぐそば、っていう設定だったはず」
「あぁ、だからアキバでのイベントが……」
「そーいうこと。結局設定未公開のままだけど」
プレイヤーのみなさんはともかく、登場人物すら知らないというのも、どうなんだろうか。まぁ、ほとんどのシーンが「事務所内」と「仕事先」に集約している以上、知ったところでなんにもできないけど。
「……逆だなぁ。上野経由で、そのまま北関東ルート」
「逆ねぇ。アタシはそのまま静岡行きよ」
つまるところ、みかりんともこの駅でお別れだ。
改札を通れば、山手線の乗り場はすぐそこ。東京方面と上野方面は、別々のホームにある。
「じゃっ。元気でやんなさいよ。このクールビューティ」
実に頼れる姉のような佇まいで、彼女は声をかける。
「……うん。そっちもトップ目指してがんばって。パッションレディ」
お世辞抜きの激励を、こちらも送り返す。
そんな短い言葉だけを交わして、私たちは神田駅にて別れた。
もう、サービスは終わっているのだ。同僚との別れまで、ドラマチックにする必要はあるまい。
* * *
しばらく山手線に揺られ、上野を通り過ぎてさらにしばらく。駒込駅に着いたところで、私は降車した。
マネージャーが押さえてくれた物件は、駅から歩いて10分ほどの、閑静な住宅街の中にある。
日はだいぶ落ち始めている。電灯の数は多いとはいえない。薄暗い住宅の森の中を、トボトボと歩いていく。
――ウソをついていた。私は、「スタプリ」を出てからどうするか、まったく進路をきめていない。
ラノベヒロインのオファーがあったことは本当だ。エロいブラウザゲーのオファーもあった。エロくないファンタジー系ソシャゲからも新キャラ枠で募集が来てたし、それこそ、新規リリース予定のアイドルソシャゲからも、「最初のトップレア」枠でスカウトが密かにやってきた。
どれも、魅力的なおはなしだとは思った。マネージャーも「お前が行きたいところへ行けるよう全力を尽くす」と、まっすぐな目をして言ってくれた。
だけども、その全てを私は断った。
理由は単純――「しばらく物語から離れたい」という、私の純粋なわがまま。
「有泉結姫」として過ごしてきた8ヶ月は、たしかに楽しかったし、みかりんやひよりちゃんといった友人が出来たことは、とても幸運だったとは思っている。
だけども、「スタプリ」は、本当に「私」が望んだ物語だったのか?
「私」が本当に「アイドルになりたい」と望んだのか? 「私」が「みんなを笑顔にしたい」と願ったのか?
そもそも――「私」は、いったいどんな人なのか?
……「どこか冷めたようにも見える」という設定が仇になったのだろうか。いつしか、私の中にはそんな疑問が芽生えていた。
「まったく物語がない状態になりたい。ただのモブとして、しばらく暮らしてみたい」
そんな、私のどうしようもないわがままを、マネージャーはなにも言わず聞いてくれた。
それが、かえって罪悪感を産んでしまったのだけれども。
あてがわれた自室にたどり着く。
鍵を開け、六畳一間の新たな我が家の上り框を踏む。
まだ小綺麗な新居の居間には、必要最低限の家具と、マネージャーから届けられたダンボール箱が鎮座している。
ガムテープを引き裂いてダンボールの中を見る。丁寧に丸められた、私のポスターがぎっちりと敷き詰められていた。
一本、均一に丸められたポスターを見ていると、几帳面なあの人の顔を思い出す。
「……本当、アイドル想いといいますか」
そのうちの一つをとって、広げてみる。
戸惑い気味に笑う、「有泉結姫」の姿。初期リリースSSRの一角。ミステリアスな、銀髪の美少女。二つ名は「ブリリアント・ミストレス」。
手元に転がっていたガムテープを拾い上げ、広げたポスターを壁にあてがい、ちぎったテープで貼り付ける。
……マイルーム機能だ。SSR特典のポスターを飾ったマイルームを公開することで、プレイヤーはささやかな優越感を得る。
だが、アイドルの当人がそれを自室に貼ってみても、さほど嬉しくないのだと、今さらながらに気づく。
まだ整頓も整っていない六畳一間に腰を下ろす。
ぼーっと天井を見上げる。幸せなことに、待てども待てども、イベントはなにも起きない。
ただただ無為に時間が流れていく。一角の人気アイドルだったはずの私も、このひなびた新居では、モブキャラ未満の背景だ。
「私って、なんだったんだろうなぁ」
蛍光灯を舞う羽虫を眺めながらひとりごちる。
これまで、私に向けられた全てを好意を無にして過ごす、これ以上ないほど無為なシーンは――
ささやかだけど、どうしようもなく、心地よいと思えてしまうのでした。
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