第7話 終幕
「何?」
「え?」
「なんだと……?!」
「あのハヤカワとか言う奴、相堂にそっくりだぞ? どういう事だ?」
観客は複製体の素顔を見て一斉にどよめいた。
しかし、観客の誰もが、ナオト・ハヤカワと名乗る男が相堂の複製体である事に気付いた者は一人もいなかった。
複製体は息を切らせて相堂を睨み付けた。
彼と対峙する相堂は、ニヤニヤしながらゆっくりと立ち上がった。
「やるねぇ。流石、俺だ」
「黙れ! 貴様みたいな獣野郎が、人間づらするな!」
「造りモンが、偉そうな口きくんじゃねぇ!」
相堂は一喝するや、複製体目掛けて突進しショルダーアタックを仕掛けた。
複製体はそれをまともに食らって後方にはね飛ばされ、マットに背中から叩き付けられた。
「まだまだ!」
相堂は仰向けになって呷く複製体の首に容赦なくエルボードロップを打ち込んだ。
複製体は口から血を吐いてマットにのたうち回るが、相堂はのたうち回る複製体の髪を掴んで引き上げ、鳩尾に膝蹴りをくれた。
複製体は苦痛にうずくまり、血混じりの吐瀉物を吐いた。
すると相堂はその複製体の後頭部を押さえ付け、彼が吐いた吐瀉物の山に顔を押し付けた。
「おらおらっ! 立てよっ!」
相堂は複製体の両肩を掴んで強引に上半身を上げ、ふらふらする彼の顎を蹴り上げる。
複製体は顎を蹴られて再び仰向けに倒れた。
すると相堂は透かさず複製体の腹の上に馬乗りして、彼の首を両手で掴んで絞め付けた。
「いけない! 離れなさい!」
対戦者のセコンド席にいたあづさは、その一方的な闘いに気付いて思わず声を上げた。
「……おい……今日の試合……凄ぇぜ」
あづさの後ろにいた、初老の観客が興奮の色を露にして呟いた。
彼の視線は闘技場に釘付けになっており、あづさは彼が無意識の内に舌なめずりをする様を見て戦慄した。
興奮しているのは彼だけではなかった。
他の観客達も、一方的に攻める相堂の闘いぶりに熱狂しているのだ。
「――殺せっ! 殺っちまえ!!」
興奮の余り狂気の声を上げる観客も現れた。
その声が呪詛の様に、やがて合唱されるに至ると、あづさは周りを見たまま愕然として声を失った。
だが、彼女は直ぐに我を取り戻し、眉を顰めて困惑する。
(何て事……この異様な闘いを目の当たりにして、皆んな狂喜しているわ……!)
やがてあづさは闘技場へ振り返る。
そこには、相堂に首を絞め付けられ口から血混じりの泡を吹いている複製体の姿があった。
あまりの事にあづさは首を嫌々振る。
「一方的過ぎる! 何故、反撃しないの?」
「どうした? 悪あがきでもしないのか?」
相堂は首を絞める腕を緩めずに訊いた。
すると複製体は喘ぎ喘ぎ答える。
「……や……矢張り……殺……せない……ぼ……僕と……同じ……顔の……人間……を……っ!」
「……あん?」
それを聞いた相堂は一瞬飽気にとられ、しかし再び邪な笑みを浮かべた。
「……そうかい。優しいねぇ、お前は――そうやってあづさをオトしたのかいっ?!」
不意に凄む相堂は嫌悪感を露にし、腕に一層力を込める。
「手前ぇみたいな造り物風情に、あづさは渡しゃしねェ! あづさは俺のモンだ!」
「――がっ」
複製体は白目を剥いた。
刹那、彼は相堂の顔面に血へどを吐き掛けた。
相堂は目に血が入って怯み、首から思わず手を離した。
その隙に、複製体は透かさず相堂の身体を押し返してマットを転げながら脱出した。
そして直ぐさま、ふらついて立ち上がる相堂をラリアートで弾き飛ばして床に沈めた。
相堂を見る複製体の目は、獣の様に血縛り、ギラギラと殺意に光っていた。
複製体は獣の様に咆哮する。
「――」
あづさはその声を聞いて背筋がぞっとした。
咆哮する複製体のその姿は、――いや、当然なのかも知れない。
それは相堂そのものであった。
天使のように優しかった青年の面影など、そこには微塵もなかった。
複製体は先ほど相堂がそうした様に、エルボードロップを彼の喉元に決めた。
相堂は堪らず喉元を押さえる。
すかさず複製体が相堂の額をめがけて蹴りを入れてきた。
相堂は複製体の爪先に気付いてそれを紙一重で躱す。
額に朱線が走った。触れずともこの威力。我ながら恐ろしい、と相堂は舌打ちした。
しかし直ぐに、喉を押さえて出来た左腕の輪を使い、複製体のつま先を引っ掛けて彼を床に倒した。
相堂は咳き込みながら複製体の身体を押さえ込み、右腕を取って関節技に取ろうとする。
しかし被った血に手が滑ってしまい、直ぐに複製体は離れてしまった。
「……はぁ……手前ぇ……おおおおおおおっっ!!」
掠れ声の相堂が、ゆっくりと起き上がりながら獣のような咆哮を始めた。
「がああああああああああああっっっ!!」
呼応するように、複製体も咆哮する。
闘技場内が激震を起こす。
二人の咆哮が震源地に見えたのは、その咆哮に呼応するように観客たちも興奮に沸いたためであった。
「殺せ!」
「殺っちまえっ!」
闘技場内は血に飢えた獣たちのレゾナンスに満ちていた。狂気がその場を支配していた。
唯一、あづさだけが、狂気の支配から免れていた。
「何なの……何なの……この酷い……」
吐き気すら覚えた。それでもあづさは、この二人の闘いを正気を保って見守らなければならないと必死にこらえた。
相堂と複製体が、闘技場の中央でつかみ合う。そして同時に離すや殴り合いを始めた。
その衝撃は空気を伝わり、観客たちに感染していく。闘技場内は狂気のるつぼと化していた。
やがて、血まみれになった相堂と複製体は違いに技を掛けようとしてしくじり続ける。
何度も入れ替わっている内にどちらが相堂か複製体か、闘いを見ていた観客は誰も判らなくなってしまった。
中には、余りの血の量に失神する婦人が出て来る始末である。
観客の中で唯一、この闘いが同一人物同士のものである事を知っているあづさも、どちらが本体か複製体か、いつの間にか判らなくなっていた。
「……これは……?」
あづさは闘技場を見て慄然とした。
二人の相堂は、奇声を上げながら揉み合い続けていた。
しかし技を掛けず、まるで獣の様に、二対の正気の色を失った眼差しが相手の喉元を狙い続けている事に気付いたのだ。
「……何よ……この闘い……? まるで獣同士の食い合いだわ……!」
この闘技場の闘いは格闘と呼べるものではなくなっていた。
長い取っ組み合いの末、一方の相堂がもう一方の相堂の首を爪を立てた右手で捕らえ、そのまま首を吊り上げた。
やがて首に指が食い込み、血が吹き出る。
吊り上げている相堂はその喉元に食らいつき、喉の肉を食いちぎったのだ。
観客はその酸鼻な光景を見て、一斉に悲鳴を上げた。
その中で一人冷静を保っていたあづさも、狂笑をする勝者の相堂を見て、余りの事に立ち眩みしかけ、首を横に嫌々振る。
相堂が、そしてあづさが求めた結果が、そこにあった。
「……あれが……あの姿が本当に勝者だと……『神』だと言うの?!」
勝者の相堂が再び敗者の相堂の喉元に食らい付いた。
吹き出る鮮血をすすりながら頭を抱き抱え、それを一気に引きちぎる。
戦場で敵将の首を取って掲げるが如く、引きちぎった首を片手で掲げる勝者の相堂を見て、観客の中に堪え切れずに吐き出す者もいた。
そんな相堂を見て、あづさも左掌で口元を隠して嗚咽し始める。
「……止めて……お願いだから……もう……それ以上――」
そして俯いて両手で顔を隠し、
「……こんなの、『神』なんかじゃない――っ!!」
絶叫するや、あづさは懐に忍ばす拳銃を抜き取ってその銃口を相堂に向けた。
しかし、あづさは何故か引き金を引けず、暫く放心すると徐に銃口を下げ始める。
そして理由もなく込み上げて来る笑いに堪え切れなくなって噴き出した。
「くっくっくっ……そうよ……他人はおろか自分自身をも憎しむ様な人間が『神』になろうなどと何て愚かな事なんでしょう?」
あづさは喚き散らす様にそう言うと天を仰いだ。
天を睨み付ける様な眼差しをくれる一対の瞳が瞬くと、目尻から涙が零れ、彼女の頬を伝って落ちた。
そして悲痛な顔をしてゆっくりと闘技場の方に向き、そこで狂笑している勝者の相堂を見つめた。
そこにいるのは、自らと闘い狂気と言う奈落へ落ちた、すでに正気など無い、ただの一匹の獣だった。
(……人間風情が『神』などと驕るから……本当……莫迦よ――あたし達は)
あづさは困憊し切ったかの様な深い溜め息をつき、
(……今になって気付くなんて卑怯なのかも知れない。
……あたし達は似た者同士だっだから……あたしは貴方を憎しみ……そして……愛していたのね……!)
あづさは哀れむ様な眼差しをもって、降ろしていた銃口を再び、勝者の相堂に向けた。
(今なら……撃てる……愛しているわ、直人……)
あづさは引き金を引いた。
パン、と銃口が吼え、勝者の相堂の額に弾丸が命中した。
勝者の相堂は額から鮮血を撒き散らせながらその反動でのけ反って卒倒し、そして沈黙した。
あづさは拳銃を握り締めたまま憔悴し切った顔をしてその場にへたり込んだ。
がっくりと項垂れるあづさは、やがて拳銃が零れた両手で顔を押さえて、只、嗚咽し続けるしかなかった
完
双殺鬼 =Self-hate= arm1475 @arm1475
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