第3話 野望

 数分後、あづさは沈痛そうな顔をして研究室の扉を開けた。


「――?!」


 あづさは驚く。

 その視線の先には、研究室の中央にある、多くの実験用器具が整頓されて載っている実験用テーブルを挟んだ向こうの壁にある大窓に向いて、煙草を吸って佇む背広を着た男が居た。

 大窓の前にいる男が、煙草の煙を吐いてあづさの方に振り返った。

 男は、相堂直人だった。

 先刻、あづさと抱き合っていた彼とはまるで別人の様な、とても不敵で邪悪そうな微笑を浮かべていた。


「よう。待ってたぜ」


 あづさは嫌そうに眉をひそめた。


「……来ていたの」

「つれないなぁ。しかも『来ていたの』はないだろう? ここは俺ん家なんだぜ」


 相堂は傍にある机上の灰皿に煙草を擦り付けて火を消し、不敵な笑みを浮かべたままあづさの傍に歩み寄って来た。


「今日、俺の試合を見に来ていたのは知っている。珍しいな」

「……只の気晴らしよ」


 あづさは相堂から視線を反らし、今にも泣き出しそうな顔をして、


「……行かなきゃ良かった。あんな酷い試合なんか!」


 相堂はうんうんと頷く。


「全く酷い試合だったぜ。試合にならねぇんだもんよ!」


 愚痴る相堂に、あづさはきっと睨み付ける。

 しかし、相堂はそんなあづさの視線が全く眼中にないのか、そのまま平然と愚痴を零す。


「今日の奴はてんで歯応えがねぇのよ。

 妙な気を起こして、現ワールドレスリングチャンピオンの小生意気な挑戦を受けてみたが、あんなに弱過ぎるんじゃ時間の無駄だったぜ」


 そう言って相堂は頭を右手で掻き毟り、思い出した様にふっとほくそ笑む。


「もっとも、あんな連中しか居ねぇから、俺は表の世界チャンピオンの座を捨てて闇格闘技界に入ったんだがな」


 相堂はけたけたと下品に笑い出した。


 そんな相堂に、あづさは頭を横に激しく嫌々と振って憤る。


「――何も、殺さなくても良かったのに!」


 すると相堂は頭を掻き毟りながらあづさを煩そうに見る。


「忘れたか? 闇格闘技は対戦相手が戦闘不能になるまで闘うのがルールだ。

 しかし凶器は御法度、それ故にレフリーがいないが、俺達闇格闘技者は肉体が既に凶器と化している。

 殺らなきゃ、こっちが殺られる。それに今日の奴は俺を指名して挑戦してきたんだぜ? 身分不相応な振舞いをした罰さ」

「……はん」


 あづさは怒りに飽きれて俯き、無言で相堂の肩を嘗めて大窓の方に歩いて行く。

 そして大窓に右掌を付け、窓硝子を爪で掻く様にゆっくりと右拳を握り締め、項垂れてその拳に額を凭れ掛かった。


「……あたし、知っているのよ!

 今日、貴方に殺された人……自分の娘の手術費の為に、世界チャンピオンの座を捨ててまで、闇格闘技界に乗り込んで来たのよ!

 難病の為に、表のファイトマネーでは足りないから、闇格闘技界の法外なファイトマネーをアテにしていたって話を……それを――!」


 あづさの罵声に、しかし相堂はそっぽを向いて鼻クソを小指でほじくってみせた。


「試合で死んだ時の、プロモーターから支払われる見舞金も法外だぜ。死んで元々のつもりで闇格闘技に手を出したんだろうよ」

「そんな事を言っているんじゃ無いわよ!あたしは人間として――」


 振り向き様に怒鳴るあづさが言い切る前に突然、相堂はゆっくりと彼女の目の前に詰め寄る。

 彼は白けた顔をして仁王の如く立ち、罵倒するあづさを威圧した。


「ふん」


 相堂はあづさの肩越しに大窓の下の方に一瞥をくれて、彼女を見下ろす。


「そんな事より、奴の様子はどうだ?完成したのか?」


 相堂の質問に、しかしあづさは嫌悪をあらわに、無言で視線を反らした。

 すると相堂は、口元を吊り上げてにたりと笑い、いきなりあづさの両肩を両手で掴み、そのまま大窓に押し付けて彼女に強引にキスをした。

 あづさは目を白黒するが、相堂はお構い無しに左手で彼女の胸を服の上から揉み崩す。


「あ――嫌、や――ん」


 あづさは口を塞がれて声が出ずに顔を紅くして悶えると、相堂は左手をあづさのスカートの中に入れる。そして彼女の口から唇を離し、頬から首筋へ貪る様にキスをする。


「……あ……嫌……ああ……あっ!」

「……だから、あいつは完成したのか?」

「え、ええ……も……もう……戦えるわ……ぁあ!」

「……良し」


 相堂は頷きながらもあづさをなぶる事を止めず、スカートに入れていた左腕でスカートを捲り上げ、快感にだらしなく開いている、すらっとした彼女の股の間に身体を割り込ませた。

 あづさのシャツの下から左手を滑り込ませ、ブラジャー越しに彼女の乳房を揉み崩す。

 シャツのボタンがちぎれ飛び、がっちりとした大きな手に鷲づかみにされた乳房があらわになる。あづさはたまらず喘ぎ声を上げた。


「さっき、お前にあいつが母親に懐く子供の様に甘えているのを見て不安だったんだぜ…」


 相堂は囁く様に言ってにたりと笑い、


「もっとも、あいつはお前が造った奴だから母親に違いないか」


 相堂は自分の手に翻弄されて悶えるあづさの肩越しに再び窓の下を見遣った。

 あづさも小刻みに震えながら、救いを求める様な悲しそうな眼差しをする上気した顔を、背中の窓の方に向けた。

 二人が見る、あづさが押し付けられている大窓の下は、先刻あづさが相堂と抱き合っていた、トレーニング器具の置かれた大きな部屋だった。

 その部屋の中央に、大窓の方に向いて黙々とウエートリフティングをしている相堂が――今、あづさを犯している相堂と同じ顔、体躯をした男が居た。

 トレーニング中の男はあづさと相堂の存在に気付いていなかった。

 あづさが押し付けられている大窓はマジックミラーになっており男の居る部屋からはそれが只の鏡にしか見えないからである。


「あっちからはマジックミラーで俺達の姿は見えねぇようになっているんだ、安心しな。

 ――おっと、あいつにも性教育が必要かな? だったら、この窓は透明硝子に変えようか?」

「な……何を言ってるの……うっ」

「手前ぇの母ちゃんがイッているのを見たら、あいつ、どう思うかな?」


 あづさの豊満な肢体を貪る相堂は身を起こし、彼女の目の前に邪な顔を持って来てにたりと笑う。


「……手前ぇと同じ顔をした――否、複製体に過ぎないあいつの本体であり、お前にあいつを造らせた創造主である、この俺をなっ!!」

「……け……ケダ……モノ!」


 あづさは目を瞑ったまま喘ぐ様に言った。


「……そうとも……俺は獣よ……!」


 相堂はそんなあづさの侮蔑に不敵そうに失笑する。そして、あづさの身体をなぶる両手を彼女の両肩に移して壁に押さえ込んだ。


「血にも、性欲にも飢えてる獣さ、ほぅら」


 相堂は張り詰めていたジッパーを降ろし、そこから熱くそそりたつ欲望の塊をさらけ出した


「――だが、計画の最終段階が完了した暁には――俺は『神』になるのだ!」


 狂笑する相堂はあづさの股の間に入った身体を一気に突き上げた。


「あああああ――っ!!」


 あづさは堪らずのけ反って大声を上げた。


「へっ、嫌がってるワリにはしっかり締め付けて来るじゃねぇか……ほらっ」

「あ――」



(あたしはこの男に逆らえない――あたしの身体が、この男になぶりものにされるのを悦んでいる)


 あづさの脳裏に、暗闇に覆われた過去が過ぎった。

 あづさは闇の中で項垂れていた。

 その回りの暗闇に、彼女を嘲笑する学者達の姿が無数に浮かび上がっていた。


(二年前てんんて生命体の高速複製用人工子宮器を発明したあたしは、それを学会に発表した。

 しかし、学会の反応は冷たかった。

 生命創造という神の領域を侵したと罵り、科学を冒涜する者として、彼らはあたしを学会から追放した)


 次に、あづさは相堂と初めてあった日の事を思い出した。

 その日、あづさは喫茶店内の窓際の席で、背広を着こなし、誠実そうに微笑む相堂と向かい合わせになって座っていた


(大学からも追われ、途方に暮れていたある日……この男が……相堂があたしの前に現れた)


「……あたしの発明した人工子宮器に……投資して下さるのですか?」


 唖然とするあづさに、相堂は紳士の様に微笑んで頷く。


「ええ。私は格闘家で、世界の覇者となるべく鍛え続けています。その甲斐あって、連戦連勝、無敗のチャンピオンの座を守り抜いていましてね」

「まぁ。凄いのですね」

「しかし、幾ら鍛えても、肉体の衰えだけには勝てません」


 相堂は口にしたコーヒーカップをテーブルに置き、真剣そうな顔であづさを見つめた。


「――私はこの先、永遠に覇者であり続けたいと願っているのです。

 その為には永遠の生命を――貴方の発明した高速複製用人工子宮器で、肉体が衰える前に私の複製を取り、その肉体に私自身の脳を移植する事で、それが可能だと判ったから、私は貴方の発明した機械が――否……」


 相堂は照れ臭そうに俯き、不安そうに自分を見るあづさの手を取る。


「……美しい貴女の力が欲しいのです」

「えっ……」


 あづさは思わず相堂の言葉に陶然となってしまった。


「私を修羅と呼ぶ者もいる……それでも私は覇者として生き続けたいのだ……貴女が居ればそれが叶う」


  相堂の甘い言葉に、あづさはすっかり参ってしまった。

  初対面の日の内にあづさは相堂に抱かれた。相堂の逞しい身体に、あづさは身も心も虜になってしまったのだ。



(あたしはこの男の途方もない野望に惹かれた。

 全てを失ったあたしにとって、たとえこの相堂と言う男が本当は悪魔だったとしても、魂を売り渡す事も怖くはなかった。

 ――否、悪魔だからこそ売り渡したのよ!

 神の領域を侵した、我が呪われし発明に相応しい悪魔だからっ!)



「――ぁああっ!」


 相堂の背後からの激しい責めにあづさは我に返り、大窓に両手をついて快感に歪む顔を窓に押し付けて悶えた。


(……でも、今は後悔している。この男の…否、修羅と言う名のこの獣に全てを与えた事を……!)


 あづさは大窓から教育室を覗いた。

 ウエートリフティングを終えてタオルで汗を拭う複製体は、ふと、マジックミラーの方を見遣って見えない筈のあづさと目を合わす。


(……何故……優しい複製体が……この邪悪な本体と同一人物なの……?)


「ほら……そろそろ……イクぞ…………っっ!!」

「ああ! あぁぁっっあ!!」


 あづさは、相堂から放たれた熱い欲望を、腹の底で受け止めると同時に達してのけ反った。

 その絶頂の叫び声は、自暴自棄な心の嘆きの様であった。

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