第2話 直人

 夕映えの街中を、涼しげな美女は車を走らせていた。

 彼女は交通量の少なくなった郊外に出て、やがて古ぼけた洋館の前に着いた。

 洋館の門には「相堂」と書かれた表札が掛かっていた。

 彼女はそのまま車で門を潜り抜け、洋館の玄関前に止めて車を降りた。

 そして玄関の鍵を開け、洋館の中に吸い込まれる様に入って行った。

 洋館に入って直ぐある、地下へ行く薄暗い階段を降りた美女の前に、大きな両開きの扉が現れた。

 彼女は躊躇いもなしに扉を無言で押し開けた。

 開けた扉の奥から溢れた光が闇に滲んだ。

 室内は照明の聞いた大きな部屋だった。

 その室内には様々なトレーニング器具が無造作に置かれていた。

 そのトレーニング器具に囲まれる様に、部屋の中央で美女の居る方を背にして、彼女の入室にも気付かず、白いランニングシャツにジャージ姿で、もくもくと腕立て伏せをしている偉丈夫が居た。


「……ふっ」


 美女は魅惑的な微笑を浮かべる。そしてトレーニング中の偉丈夫の傍にゆっくりと近付いた。


「――? あづさかい?」


 偉丈夫は美女の存在に気付いて慌てて身を起こし、トレーニングで上気した顔を彼女に向けて屈託のない笑みを零した。

 美女に向いた偉丈夫の顔は、一見、人なつっこい顔をした好青年の顔をしているが、その造りは紛う事なくあの相堂直人本人のものであった。


「頑張っているわね」


 あづさと呼ばれる美女は感心した風に微笑みを返した。それは先刻、彼女の目の前で行われていた、この男の残虐な闘いぶりを忘却しているとしか思えないものであった。


「『頑張っているわね』、じゃあないよ」


 相堂は不満を顔に出してあづさに近寄り、


「……何処行っていたんだよぉ? 僕に何も言わないで何処か行っちゃうもんだから、心配したんだよ?」


 本気で心配している相堂に、あづさは済まなそうに複雑な微笑をみせた。そして相堂の胸に凭れて、その厚い胸板に頬擦りした。


「……御免なさい。一寸、用があってね。今度外に行く時は必ず言ってからにするわ」

「本当?」

「本当よ」


 未だ心配そうに訊く相堂に、あづさは優しく微笑み、少し背伸びして彼の頬にキスした。

 相堂は漸く安心して無邪気に微笑んだ。

 あづさは相堂の胸から身を起こして室内を見回す。


「今日はどれ位トレーニングしたの?」


 すると相堂は両手を翳し、指を六本立てて


「これだけやったよ!」

「偉い、偉い」


 満足そうに微笑むあづさは、しかし、次第に寂しげな顔をする。


「……これで……あの男と寸分違わぬ肉体になった様ね」

「……あの男?」


 あづさの呟きに、相堂はきょとんとした。


「え? あ、あの男、ってね」


 あづさは狼狽して躊躇し、


「――あたしの知っている人でね。直人みたいに体格の良い人なの」


 あづさの返答に、しかし相堂は訝しげに彼女を見つめる。


「……あづさ……その人、好きなの?」


 悲しげに自分を見る相堂に、あづさは首を横に振り、宥める様に優しそうに微笑んで相堂を抱き締めた。


「……いいえ。あたしが好きなのは……」


 そこまで言うと、急にあづさは悲しそうな顔をして、


「直人だけよ」

「……うん」


 あづさは相堂はしばらく立ったまま抱き合っていた。


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