双殺鬼 =Self-hate=
arm1475
第1話 格闘王
そこは暗闇の中にあった。
天井にある照明以外、照らすものが無い薄暗い明かりの中。
円形の闘技場で、二人の筋骨隆々とした男のレスラーが対峙していた。
何かの試合であろうか、しかし、レフリーの姿は何処にも見当たらない。
一方の武骨な顔をするレスラーは、相手のレスラーの倍近くもある体躯を持っていた。
そんな彼は、試合相手を見て蒼白していた。明らかに気圧されている。
自らの倍の体躯を持つ男を威圧する小さいレスラーは、その精悍なマスクに不敵な笑みを浮かべていた。
「……うっ、うおっっっ!」
大男レスラーはとうとうこの緊迫感に堪え切れず、形振り構わず喚きながら相手に挑み掛かる。
「――莫迦が」
小さいレスラーはつまらなそうな顔をして呟くと、奇妙な事に迎え討とうとはせず、これ見よがしによそ見をして隙を作る。
その隙を大男レスラーは見逃さなかった。
彼は透かさず小さいレスラーの身体を正面からベアハッグで押さ込んだ。
「も、もらったぁっ!」
大男レスラーは歯を食い縛り、鍛え上げられた筋肉の固まりの様な両腕に力を入れ、小さいレスラーの体を絞め付けた。
しかし、小さいレスラーはその圧迫感に屈する事なく涼しい顔をしていた。
「おい、手前ぇ、これでも力を入れてんのか?」
小さいレスラーは平然とほくそ笑んで大男レスラーに訊いた。
当然ではあるが、必死になっている今の大男レスラーにはそれに応える余裕はなく、応えている暇があるうちに相手を倒すべきだと言いたげに、顔を真っ赤にして捕らえ相手を絞め続けていた。
「ちぃ」
小さいレスラーは軽く舌打ちして徐に上を見上げた。
そして、両手で大男レスラーの上腕の下面をしっかりと掴んだ。
「押さえるだけしか能がねぇのか?!」
小さいレスラーは怒鳴った。
同時に、ゴキッ、とい音が鳴る。
「――?!!」
大男レスラーが青ざめた。
そして間もなく、食い縛っていた歯が開き、口から声にならない苦悶が漏れた。
その瞬間、静まり返っていた暗闇の中からどよめきがした。
闇に紛れるように、この二人の闘う闘技場を中心にして、すり鉢状に展開する古代ローマのコロシアムを彷彿とさせる造りをした観客席から観戦している者達がいたのだ。
闇に潜めし静かなる観客は、良く見ると上流階級を思わせる扮装をする紳士・淑女達であった。
何か後ろめたい事でもあるのか、何れも、仮面舞踏会等で使われるアイマスクを掛けていた。
もっとも、この様子からして『仮面武闘会』と言った方が正解かもしれない。
果たして彼らは何者か?
――近未来。
人々は長い平和に惰眠と飽食を繰り返し、やがて刺激を求める様になった。
『闇格闘技』。
そう呼ばれる非合法な試合が生まれたのは必然であった。
鍛え抜かれた肉体のみで死闘を繰り広げる格闘者は、刺激を求める人々の代行者であり、英雄であった。
傷付くのは蒙昧な人々ではない、彼らが熱狂する視線の果てにいる格闘者達だ。
それ故に、人々は熱狂出来るのである。
絞め付けられていた小さいレスラーは、大男レスラーの両肩の関節を外して脱出した。
大男レスラーの両肩が関節の所で異常な盛り上がり方をしている。
内出血を起こしているのか、腫れ上がった両肩が紫色に変わっている。
大男レスラーは魚の様に口をぱくぱくさせて顔を苦悶に歪めていた。
「息が臭ぇんだよ!」
小さいレスラーは不敵に笑って苦悶に歪む大男レスラーの額に頭突きをくれた。
大男レスラーは額から鮮血を上げ、小さいレスラーの身体から、力の抜けた両腕を離して卒倒した。
「……勝負あったわね」
観客席の最前列の席に腰を下ろす、蝶のマスクを掛け、胸元の広い白のシャツに薄緑のジャケットを纏いしかしその派手な服装が余り似合ぬ知的な雰囲気を持つ美女が、闘技場の闘いを観てつまらなそうに呟いた。
美女の冷たい眼差しが見る闘技場では、大男レスラーが仰向けになって倒れていた。
彼は両肩を外されて腕が上がらず、息も絶え絶えで激痛の余り泣き顔になっていた。
そして彼の頭上を跨いで、小さいレスラーが仁王立ちになってせせら笑いながら見下ろした。
「……ヘタレが。俺が表のレスリング界から離れてから、こんな弱虫が栄光のワールドチャンピオンの座に着くとはな」
口惜しげにそう言う、この残忍なレスラーの名は相堂直人という。
元、無敗のワールドレスリングチャンピオンであった。
彼は徐にパンツを降ろし、大きな一物を出した。
それを見て、観客席のきらびやかな衣装を纏った淑女達が恥ずかしそうに顔を背けて黄色い悲鳴を上げた。
彼女たちは目の遣り場に困っている様に見えるが、しかしその実各々、横目で相堂の一物を見て淫靡な笑みを浮かべている。
そんな黄色い歓声の中、相堂は仁王立ちのまま、大男レスラーの顔面に小便を掛け始めた。
大男レスラーは相堂の小便にむせ返るが激痛に屈辱の反撃も出来なかった。
小便を終えた相堂は足下の大男に侮蔑混じりの一瞥をくれて一物を仕舞い、屈んで小便塗れの大男レスラーの顔を除き込んでにたりとした。
「……痛いか?」
相堂は業と惚けて意地悪そうな顔をして大男レスラーに訊いた。
大男レスラーは顔を小刻みに震わし、怯えた様にゆっくり頷いて応えた。
すると、相堂は優しそうに微笑んだ。
「そっか、そっか~痛いんだね~」
相堂は大男レスラーをゆっくり抱き起こした。
そして、ゆっくりと顔を近づけて大男レスラーに耳打ちする。
「今、楽にしてやるぜ」
大男レスラーの苦悶の表情が凍り付いた。
微笑んで耳打ちする相堂の言葉の含みに気付いた彼は、両目をひん剥いて戦慄し、慌てて身を起こして逃げ出そうとした。
しかし相堂は透かさず大男レスラーの頭を両腕で押さえ込み、スリーパーホールドを仕掛けた。
「嫌だなぁ~~、後輩のよしみで、苦しまずにしてやるのになぁ」
相堂は人の良さそうな顔をして、じたばたする大男レスラーの首を絞め付ける両腕に力を込めた。
大男レスラーは首を絞められて顔を紫色に変えて口から泡を吹き始めた。
不意に、相堂は涼しげな顔になる。
「いいから――死・ね」
ゴキッ、と鈍い音が鳴る。
大男レスラーの首が折れたのだ。
大男レスラーは血混じりの掠れた断末魔を吐いてがっくりと項垂れた。
勝負はあった。
その凄惨な結末に、しかし場内の観客達は悲鳴を上げる者はなく、むしろ皆狂喜して、闘技場にいる残酷な勝者に賞賛の声を掛けていた。
否、全員ではなかった。
ただ一人、――狂気の賞賛の渦の中、観客席の最前列で涼しげな眼差しをくれていた美女だけが、悲痛な表情を造って観客席を立った。
彼女は闘技場に振り返る事なく出入口の方に足を向けた。
相堂は凄まじい形相で沈黙する大男レスラーの首から両腕を外した。
血の気を失っている敗者は前のめりに倒れ込み、その口から漏れる大量の血で闘技場の床を紅く染めた。
「……アーメン。なんてな」
相堂は鼻で笑って大男レスラーの頭を足で蹴った。
「只今の試合、勝者はナオト・ソードー。配当は13。繰り返します――」
場内に、試合の賭金の配当を告げる無感情な音声合成のアナウンスが流れた。
それを聞いた中年太りの紳士は悔しそうな顔をして、手に持つチケットを放り投げた。
「ちぇ! 今年のワールドレスリングチャンピオンなら相堂を仕留められると思ってヤマを張ったのに! 五万ドルの損だぜ!」
口惜しそうに言う紳士の隣で、宝石をちりばめたドレスを纏う、恐らく彼の愛人だろう若い淑女が口に手を当ててくすくす笑う。
「莫迦ねぇ。かつて無敗のワールドレスリングチャンピオンにして、目下、闇闘技界においても無敗の格闘者、相堂直人を殺せる人間なんてこの世にはいないわヨン」
若い淑女はそう言って、闘技場で勝ち誇る相堂の下腹部を見遣った。そして隣の中年太りの紳士の股間に冷ややかに一瞥をくれる。
「……あれも世界一みたいね。やだやだ、何でこっちはお粗末なんでしょ」
中年太りの紳士は促される様に自分の股間に一瞥をくれ、直ぐ様顔を上げて若い淑女を睨み付けた。
間もなく口喧嘩を始めた中年太りの紳士と若い淑女の居る観客席の直ぐ後方の通路に、あの涼しげな美女が通り掛かった。
彼女は直ぐ先にある出入口に差し掛かると、不意に闘技場の方へ肩越しに振り返った。
「ダァ――ッ!!」
相堂は観客のどよめきの中、闘技場の真ん中で両腕を挙げて気勢を上げた。
観客達もその声に酔う様に一斉に沸き立ち始める。
美女はそんな周りに馴染めないのか、闘技場を見たままマスクを外し、その憂いを帯びた美貌を薄暗い闇の中に露にした。
そして彼女は顔を出入口のほうへ戻し、憮然とした表情で通路内の暗闇を進み始め、後方で次第に小さくなって行く歓声と四角く抜けた光を背にした。
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