第11話 持ち込まれた悪夢

 中東R国 市街地


 遠くの方から断続的に銃声が聞こえてくる。


 啓悟は某国の要人をテロ組織から救出する作戦に借り出されていた。彼はこの地域の人々とほぼ同じ肌の色を持つ為、髭を伸ばして民間人に偽装して潜入している。

 彼は本来陸自の特戦群に所属していたが、上層部に居る親族筋から依頼され、長期休暇を取ってこの地にやってきた。


 彼の親族筋は海外の軍隊にも顔が利く為、啓悟はよく海外の紛争地帯に派遣されていた。陸自の上層部も、警察と組んで将来計画しているCTF(カウンターテロリストフォース)の設立メンバーに彼を抜擢するつもりだったので、経験を積ませる為にもその秘密のアルバイトは黙認していた。


 彼の横には大柄だが彼同様の東洋人が立っていた。


 相賀総一郎おうがそういちろう。彼もまた陸自の特戦群所属で、啓悟の親戚筋に彼の手伝いをさせられている。彼は格闘技の専門家で、ヒグマを素手で倒す程の猛者だ。


 銃声は遠くから聞こえるが、ここも充分危険地帯だった。

 二人が監視している崩れかけの建物は、テロ組織のアジトの一つで、救出成功の無線一つで、ここに空爆が始まるからだ。

 建物の付近には、カラシニコフで武装したテロリストが多数たむろしていて、物々しい雰囲気を醸し出していた。


 一度偵察に出た相賀が、その情報を元に所見を述べる。


「正面は無理っぽいですね。裏口も同様ですが、二階側面に大きな穴があります。夜を待って屋上まで登り、リペリングでそこから侵入するしか無さそうですね」


「ふむ、それじゃあ他の建物から、その周辺の様子でも覗き見てみますか」


 啓悟はそう言って外に出ると相賀も続き、二人で適当な建物を物色する。


 その時ふと遠くからジェットエンジンの轟音のような音が聞こえる。それが少しづつ高い音に変化していくので、啓悟は音のする方角を見上げた。

 すると、青空の中の豆粒よりも小さい点がみるみる膨らんでいき、耳障りな音を伴ってジェット戦闘機に変化して行く。

 速度を落として低空飛行で飛んでいるそれは、明らかに爆撃態勢を取っていた。


「不味い! 伏せろ‼」


 啓悟は声を掛けてその場に伏せる。


 ドッゴオォォォォォンンン――――


 火山の噴火音のような音が響き渡ったかと思うと、伏せている啓悟達の背中に瓦礫が降り注ぐ。だが幸いにも大きな瓦礫が頭に命中する事は無かった。


 瓦礫に埋もれた体を起こしながら、相賀に声を掛ける。


「お、相賀~、生きてるか~?」


「わ、私なら…生きてます……」


 相賀もまた身を起こしながら無事を伝える。

 啓悟は瓦礫の埃を払いながら立ち上がり、米軍への愚痴をこぼす。


「連中、大雑把な爆撃しやがって……市民巻込んだら話が抉れるだろうが……」


 爆撃された建物も、ついこの間まではテロリストのアジトだった。しかし政府軍への反抗作戦に伴い、ここの人員は全て他の場所に移されていた為に現在は無人だ。

 この情報を知らない米海軍辺りが爆撃に来たのだろうけど、爆撃の精度がイマイチのせいでが道路の近くに炸裂してしまった。

 道端を歩いていた市民は、各々が瓦礫の中から起き上がり無事を確認し合っている。しかしその中で、一組の母娘連れがまだ瓦礫から立ち上がっていない。

 啓悟はその母娘に近づいて息をのむ。母親が倒れ、娘は瓦礫に足を挟まれて身動きが取れなくなっていた。


 相賀が母親に近づいて、首に手を当てて脈を取る。


「大丈夫です三佐。気を失っているだけです」


 相賀の一言に安堵すると、彼に声を掛ける。


「じゃあ、彼女は一先ず置いといて、この娘助け出すのに手を貸してくれ」


 相賀は啓悟の言わんとする所を理解して子供の足元に回り、足の挟まった瓦礫に手を掛けてゆっくりと持ち上げる。啓悟は、これ以上彼女の足を傷つけないように、持ち上がった瓦礫から慎重に引き出した。


 すると再び甲高い音を響かせて戦闘機が舞い戻ってくる。

 今度は機首を心持地面に向けていた。


「相賀!」


 啓悟は短く叫ぶと、相賀は女性を啓悟は子供を抱きかかえて建物の陰に飛び込む。


 すると轟音と共に啓悟達の直ぐ後ろの道路が、機銃によってミシン目を穿たれて土煙が舞い上がった。


「機銃掃射のオマケ付きかい、盗人に追い銭のつもりか!」


「三佐。私ら的にはどちらかと言うと、泣きっ面に蜂ですよ」


 相賀から細かい突込みが入る。


「一々細かい奴だな」


 啓悟は相賀の一言に毒づきながらも、少女の足の具合を確認した。


「足は……折れて無いか……」


 ただの捻挫に安堵して、啓悟は下げていたポーチから応急セットを取り出すと、手早く応急措置をする。


 彼らのもとに地元の老人が近付いて声を掛けてきた。


「あんたはワシらのヒーローじゃ。何とお礼を言って良いやら……」


 老人がアラビア語で話し掛けて来た。

 この程度でヒーロー扱いされた啓悟は、少し照れながらアラビア語で答える。


「礼など不要ですよ。それより、彼女たちを無事に家に帰してくれないかな」


「ああ、良いじゃろう。それぐらいはお安い御用じゃ」


「じゃあ爺さん頼んだよ」


 啓悟はそう言って老人と話を終えると、相賀に目配せをする。

 二人は母娘と老人を残してその場を離れ、偵察用の建物の物色を再開した。

 しばらく歩き回って適当な建物を見つけると、目標の建物を観察する。

 見張りの有無と人数、見回りの有無と間隔、侵入経路に脱出経路などを確認して、作戦を練り上げると、自分たちのアジトに戻って行った。


 そしてその夜、その目標の建物内に拉致されている要人と一緒に拉致されていたジャーナリストの救出に成功し、予定通り米軍の特殊部隊と無事合流を果たした。

 後は、この危険地帯から一刻も早く離れる事だ。

 救出した要人は特殊部隊と共に米軍のクーガーに乗車し、啓悟達は現地調達したトヨタに乗り込む。その際に一緒に助けたジャーナリストも啓悟の車に乗せた。


 ジャーナリストは偶然にも日本人だったのだが、紛争地帯には珍しい女性のジャーナリストで、名前を千堂千百合せんどうちゆりと名乗った。

 彼女は格好の獲物を見つけたとばかりに啓悟へ質問を浴びせたが、啓悟は名前以外は一切口にしなかった。彼女の質問に辟易し始めた頃に、後続の車から無線が入る。


 啓悟が回線を開くと、無線から声が流れてきた。


『ケイゴ! 今回もご苦労さんだな。お陰で大助かりだ』


 声の主は米軍特殊部隊に所属しているジャサイモンサイモン少佐、アフリカ系アメリカ人で啓悟の友人だ。


「ジャス、今回も貸しひとつな」


 啓悟は賭けの勝ちの時の様な気軽さで話すと、ジャスパーは愉快そうに笑い声をあげながら啓悟に答える。


『ハハハ、どれだけ貸しが溜まったんだい?』


「聞きたいか?」


『いーや止めとこう、聞いたらとんでもない物を要求されそうだ。それより貸しの埋め合わせとしては細やかだが、本国に帰ったら家に招待しよう。俺と嫁さんがよりを掛けてお前さんをもてなすぞ』


「そいつは楽しみ、お前さんの取って置きを飲みつくしてやろう」


『おいおい、少しは手加減してくれよ』


 手加減するまでも無く啓悟は酒には弱かったが、その事は口にしなかった。


 タイヤが土をかむ音に交じって、不快な高音が聞こえてきた。

 ハンドルを握っていた相賀はその音を聞いて呟く。


「この辺りで空爆の予定なんてありましたかね?」


「俺も知らんな。ちょっと後ろの奴に聞いてみる」


 啓悟は手に持ったままの通信マイクに話し掛ける。


「ジャス! この辺りで空爆の計画があるのか?」


『いや、俺も聞いてな――――』


 戦闘機のフライパスの音の為に、無線が聴き取り難かったので、身を乗り出して耳を澄まそうとしたその瞬間、昼間体験した火山の噴火音の様な轟音が辺りを支配した。


 ドッゴオォォォォォンンン――――


 突き飛ばされるような感覚を覚えたかと思うと、車ごと前方に飛ばされる。

 乗っていた車が木の葉の様に振り回されている間に、啓悟は外に投げ出されて地面に叩きつけられた。

 全身をしたたか打ち付けた衝撃で、体の自由を奪われた啓悟は、それでも何とか顔を上げて吹き飛ばされたトヨタの方を見ると、相賀が千百合を車から引きずり出している所が見えた。

 しばらくの間、千百合は動かなかったが、相賀に頬を打たれて気が付いたようで、身じろぎしながら辺りを確認していた。

 二人が生きている事を確認してホッとした啓悟だが、ジャスパーと要人が乗っていたクーガーを見て固まる。

 対戦車地雷にも耐える米軍自慢のクーガー装甲車は、爆弾の直撃でも受けたのか、無残にも車体が四散して煙を噴き上げていた。


「ジャス………」


 啓悟は薄れゆく意識の中で、取り留めの無い思考を巡らせて友人の名前を呟き、気を失うその瞬間まで燃え盛る装甲車をその目に映していた。



 ***



「……ゴ、…ケ…ゴ、ケイゴ!」


 啓悟は再び意識を取り戻す。

 再び開かれた彼の瞳に映った風景は、先程のような乾いた砂だらけの風景では無く、瑞々しい木々溢れた森の中の風景だった。

 啓悟は思い出す。この風景が啓悟にとっての現実だった事に、そして先ほどの風景が夢だった事に。


 彼の顔を青みがかった銀髪の少女が彼の顔を覗き込んでくる。それで初めて啓悟は自分自身が横たえられている事に気付く。

 啓悟は心配そうに顔を覗き込む少女に向かって声を掛ける。


「……イーリス。俺はどうしたんだ?」


 イーリスは黙って啓悟の横を指差すと、彼は首を巡らせて彼女の指差す方を見る。

 すると彼の横には巨大な毛むくじゃらの物体が転がっている。

 それをよく観察してみると、巨大なキンググリズリーの骸である事に気付いた。

 街道で皇妃皇女の刺客として送り込まれた傭兵に絡まれたので、森深くまで逃亡して傭兵を撒いたのだが、その代わりにこの巨大熊と鉢合わせしたのだ。

 次々と状況を思い出していく啓悟に、イーリスは弱々しい声で説明する。


「ケイゴは私を庇ったせいで、それの爪を食らって瀕死の重傷を負った」


 それを聞いた啓悟はその瞬間を思い出した。彼は何とか動きを止めようと足を切り飛ばしたが、動けなくなったそれに不用意に近付いたイーリスが、爪の餌食になりかけたのを啓悟が庇って負傷した。

 啓悟は爪で切り裂かれた部分を触り回って異常が無いか確認する。

 その様子を横で見ていたアルマが口を挟む。


「最初にケイゴ殿の怪我の具合を見た時は、正直言って助からないと思いました。あの巨大な爪で上半身はズタズタに切り裂かれて、心臓や肺も最早手の尽くしようが無かった。それでもイーリス様は諦めずに蘇生魔術を使ったので、私も細やかながら彼女に力添えしました」


 具体的な傷の具合を知らされた啓悟はゾッとするが、二人のお陰で命が繋がった事に感謝する。


「そうか……、ありがとう。二人は命の恩人だな」


 啓悟が二人に感謝の意を伝えるが、イーリスは首を横に振って話の続きをする。


「でも大量失血に、修復不可能なまでの、心臓と肺の損傷のせいで、私たちの力では、ケイゴの命を繋げるのが精一杯だった。だから体の修復はケイゴ自身の力だと思う」


 イーリスの言葉にアルマが続く。


「正直私も驚きましたよ、私たちが生命維持で悪戦苦闘していたのを尻目に、ケイゴ殿の体は勝手に修復されて行ったんです。いつの間にか、ボロボロだった心臓や肺が元の形に戻されて、その上を筋肉と皮膚が覆って行く様子は、まるで時間を巻き戻す様でした。更に驚く事にあなたの来ていた服も、その後続いて修復されましたよ」


 彼女の口から出た荒唐無稽な話に、一瞬呆気に取られた啓悟だったが、冷静に考えると別段不思議な事では無いかと思えてきた。そもそも知っている物の創造が出来るのだ。当然いつも身についている自分の体を元に戻すなど造作も無い事だろう。

 だがそれでも一つだけ言える事がある。死んでしまえば修復は出来ない。それだけは確かな事だった。

 今回はイーリスとアルマが即死を避けてくれたお陰で、修復が間に合った。勿論、彼女達が居なければ、確実にこの場で骸を晒す事になっていた筈だ。


「やはり二人は命の恩人だな。………ありがとう」


「そんな事…無い。私…が…軽率だったせい…で…啓悟は……死にかけた」


 イーリスが表情を曇らせながら訥々と語ると、啓悟は先ほど口にした感謝の意味を彼女に聞かせた。


「そうは言うけどな、今こうして話を出来るのも、イーリスが生きていたからこそなんだよ。イーリス達が頑張って生かし続けてくれたお陰で、俺は命を繋ぐ事が出来た。もしあの時イーリスを見殺しにしてしまえば、何れはキンググリズリーの爪で体を抉られて死ぬ事になるんだ」


 イーリスが生きていたからこそ、今があるのだと彼女を諭して更に付け加えた。


「それに見殺しにして運良く生き残ったとしても、悪夢のバリエーションが一つ追加される事にもなるしな」


 夢と言う言葉に反応して、イーリスは思い出した様に啓悟に尋ねる。


「そう言えばケイゴ。気が付く前に随分うなされてたけど、悪い夢でも見た?」


 イーリスにそう尋ねられて、さっきまで見ていた夢を思い出す。

 結局、あの時にジャスパーは亡くなり、要人を死なせてしまった事で作戦は完全に失敗した。しかも、自分自身も深手を負って一週間も意識を失くしていたらしい。

 原因はやはり味方機の誤爆だったが、今思い出しただけでも口惜しさがこみあげてくる。敵の手で倒れるのなら兎も角、味方のミスで全てを台無しにされたからだ。


「ケイゴ?」


 いつまでも黙っている啓悟を見て、余計な質問をしたかを心配したイーリスが、彼の顔を覗き込んで声を掛けてくると、啓悟は慌てて答えを返した。


「えっ、ああ……確かに良い夢じゃなかったな。友人亡くして自分も死にかけた夢だったからな。――――それにしても嫌な夢まで元の世界から持ち込んでいるとはね」


 啓悟はそう言いながらもふと思い当たる。今回死にかけた件とさっき見た夢は、味方のミスで死にかけたという点で共通していたのだ。

 あの夢を見たのは偶然だと思うが、もしかしたら格好の良い事を言いながらも、心の奥底でイーリスの事を責めているからこそ見たのでは無いかとも疑えるからだ。

 兎に角この思考に陥ってしまう事自体が、精進の足りない証拠だと思って思考を切り替える事にした。


 まだ傷が痛む体を何とか起こして、啓悟は改めて視線を巡らせる。

 どうやら、そこで息絶えているキンググリズリーの縄張りなのか、ほかに魔獣などの姿は見られなかった。

 しかし、やがてはこの死体の匂いを嗅ぎつけて、多くの魔獣が群がって来るだろう。そう考えると速やかにこの場から離れなければならない。

 未だ傷は完全に癒えてはいないが、そんな事を言っている場合ではなかった。


 啓悟は立ち上がって軽く体を動かしながら、痛む体を徐々に慣らしていく。

 イーリスとアルマは何か言いたそうな顔で啓悟を見ていたが、長い森の生活を通して、今の状況が如何に危険かを身をもって知っていたので、啓悟のする事を黙って見守りながら出立の準備を始める。


 やがて準備体操の終わった啓悟は、二人に向かって声を掛ける。


「それじゃあ行こうか! ベルメール目指して」


 

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