第二章 袖振り合ったら厄介事?

第7話 街道にて

 街道から五百メートル程離れた森の茂みから三人の男女が顔を覗かせていた。各々の手には双眼鏡が握られ、それを目に当てていた。

 双眼鏡の中に映る馬車は帝都の方面から東側のベルメール方面に向かって移動している。その馬車は豪奢ごうしゃな作りで、一見しただけで、身分の高い者が乗り合わせている事が想像できた。


「あの旗は、ファビウス帝室の紋章………」


 横からイーリスが双眼鏡を覗きながら言う。

 馬車に掲げられている旗の紋章についての意見だったが、余りにも無感動に語るので、啓悟はからかい半分に聞いてみた。


「あれ、一応敵の総大将の関係者が乗っているんだろ? 何かやって見ようという気は起らないのか?」


「起こらない。この戦力で仕掛けても、馬車に近づく前に撃退される。そうなると、最悪の場合はこの旅はここで終了。仮に逃亡に成功しても、お尋ね者になって今まで以上に行動に制約が掛かるし、街などを自由に出入り出来なくなる。得られるものがリスクと徒労しか無い以上、ここで騒ぎを起こす事に意義を感じない」


 暴走の懸念を全く感じさせないイーリスの冷静な分析に感心しながら、啓悟は更にアルマに話を振る。


「若さの欠片も見せない冷静で的確な分析だな。流石、国王陛下が希望を託すだけある。で、もう一方の希望であるアルマの意見は?」


 アルマは茶化し気味の振りにも拘わらず、至って大真面目な顔で答えた。


「私もイーリスの意見に全面的に賛成です。それでも私見を述べろと言われるのでしたら、仮に襲撃の成功率が高くても、手控えた方が宜しいかと思います」


「ほう、それはどうしてかな?」


 啓悟は彼女の言わんとする所に気付いている。それでも敢えて聞こうとしたのは、アルマを試そうとしている為だ。だがアルマは、そんな事など気付く事無く更に続けた。


「それは、必ずしも敵では無いかも知れないからです」


「なるほど、それで?」


「現在の帝国は主戦派と講和派に分かれています」


「ほう、二派に分裂していて、敵の敵かも知れないと言う訳か」


 啓悟が手を顎に当て感心する様に頷くのを見て、試されている事に半ば気付いたアルマは、安堵する様に溜息を吐いて更に続けた。


「皇帝を含む第一皇子、セレーネ教会を中心とした主戦派、こちらは熱心なセレーネ教信者や皇帝のシンパの大貴族等がいて、現在の主流を形成しています。もう一つは第三、第五皇子を中心とした講和派、当然主流からは外れていて、後援している貴族も中流から下流貴族が多い」

「ただ、第三皇子は純粋な武人で、軍部からは煙たがられているため、士官学校の校長というお飾りとも言える役職に就かされているのですが、そのお陰で教え子の中に熱心な支持者が多い様です」

「第五皇子は一応、情報庁の長官という肩書が付いているのですが、情報庁の活動自体不明な点が多く、実態は上手く掴めていないのです。あくまで噂なのですが、彼の組織が大貴族や教会の醜聞をことごとく握っているために、主戦派の貴族や教会も彼には迂闊に手が出せないと言われています」


 そうしてアルマが話している内も、馬車の一団は、ゴトゴト音を立てて、ベルメール方面に向けて進んでいる。アルマは再び双眼鏡を目に当てながら続けた。


「残念ながらあの紋章だけでは、主戦派縁の者か、講和派縁の者かの区別はつかないですね。講和派は教会の影響力も弱く、種族に対する偏見を持つ者は少ない為、険悪な関係になるのは是非とも避けたいところです」


 啓悟は感心する様にアルマに尋ねた。


「そんな細かい情報までよく知ってるな? 情報関係の部署に知り合いでもいたのか?」


「いえ、一応私もイーリスも情報部を兼任していたので、情報分析の仕事も良く回ってきましたよ、最もイーリスは情報分析の仕事が回って来る度に物凄く嫌そうな顔をしていたみたいですけど………」


「そんな事無い! アルマこそ分析の最中、不満ばかり漏らしてた」


 アルマは双眼鏡から目を離すと、抗議の入ったジト目をイーリスに向けたが、イーリスは頬を膨らませて否定し、アルマの態度も問題が有った事を暴露して、プイッと顔を逸らせた。アルマは彼女の暴露に動揺しながら言い訳をする。


「あ、あれは、こっちの都合も考えず短期間で分析を纏めろとか、無茶な事ばかり言ってきていたから………」


 啓悟は二人の言葉の応酬を横眼で眺めながら、ふとイーリスの短くなった髪を見て思い出したように尋ねた。


「イーリス、本当に良かったのか?」


 啓悟は彼女の頭を指して言うと、アルマも彼に続いた。


「そうですよ、綺麗な御髪でしたのに切ってしまわれるなんて………」


 そういいながら、イーリスの後ろに回って短くなった髪を触る。


「全く気にならない、髪は放って置いても勝手に伸びる」


 イーリスはアルマの言う事を、全く意に介そうとせずに言い切った。

 戦闘の邪魔になるという理由で、腰まで伸ばしていた髪をバッサリと切ってしまった。それどころか、髪を切った時に『私がアシュテナの王女と分かる要素は出来る限り排除すべき』と言って、藍の様な植物で自分の髪を染めようとした。

 啓悟に『エルト族と言う事は隠せないさ、何れ正体を悟られて余計な勘繰りを受けるだけだよ。それなら逸れエルト族として堂々として居れば、誰も王女だなんて疑わないさ』と指摘されて彼女は納得した。


「元に戻るのに時間もかかるのに………」


 アルマはまだブツブツ言っていたが、啓悟は彼女を宥めるように言った。


「まあまあアルマ。イーリスは髪を短くしても良く似合ってるさ。だから髪の短い彼女の姿を見るのも、貴重な体験だと思えば、ね!」


 そう言われて彼女も納得したのか、櫛を取り出してイーリスの髪を梳かし始めた。


「まあ兎に角だ、話を戻すと二人の意見から鑑みても、この段階であれに関わるのは宜しくないようだ」


 そう言って、啓悟は馬車の一団に指を指して更に続けた。


「少し時間を空けて………、ここは昼過ぎに発つ事にしよう」


「うん、それがいい」


「ええ、それが一番無難ですね」


 二人は、口々に啓悟の意見に同意した。


「それじゃ時間もある事だし、森に戻って訓練でもするかな」


 啓悟のその一言で三人は街道に背を向けて森の中に消えた。



 ***



 ガラガラガラガラ―――――

 木でできた車輪が回転しながら地面とこすれる音が延々と続いている。

 ホロの無い馬車に揺られながら、アルマとイーリスは膝を抱えて荷台に座っていた。彼女達の周囲には、帝都から仕入れて来たであろう鉄でできた鋤や鍬の先に鎌や斧などの農具、貯水用の瓶に桶などが並んでいた。

 啓悟はこの馬車の持ち主の老人と共に御者台に座っていた。今、彼はサスペンションシステムの有り難さを、身に染みて痛感しているところだった。地面に落ちている小石と車輪が接触する度に衝撃が尻にダイレクトに伝わって来る為、小一時間しか乗っていないのに、尻が痛くて仕方無かったのだ。


 妙に落ち着きの無い様子の啓悟に、老人が声を掛けて来た。


「若いの………、馬車は初めてかね?」


 若いのと言われて啓悟は少し戸惑ったが、自分よりはるかに長い人生を過ごしている老人から見れば、自分などほんの若造なんだと思い直して老人に答える。


「いや、そう言う訳じゃ無いんだが、貧乏旅ばかりで馬車に乗れる機会が中々無くてね。お陰様で何時まで経っても慣れなくて困ってるんだ。今回は爺さんに拾って貰えて本当に助かってるよ、連れの足がもう限界だったんでね」


 啓悟はその老人の質問に、適当に合わせて返事をした。老人は少し考えるそぶりを見せて啓悟に質問を浴びせた。


「ところでお前さん軍人じゃろう?」


 荷台に座っていたイーリスとアルマのギョッとした様子が、背中越しにも伝わって来た。

 啓悟は後ろの様子など委細構わずに、老人の鋭い質問をはぐらかした。


「どうして軍人だなんて思ったんだい?」


「お前さんの所作でバレバレじゃ。気付かんのは軍人の経験が無い奴だけじゃよ」


 どうやら軍人の癖は、万国どころか異世界でも共通らしい。

 余計な疑念を生まない様に、啓悟は半分事実を交えて答えを返した。


「まあ軍人だった事はあったなあ、ゴタゴタがあって結局辞めちまったがな」


「そうかい………、お前さんは運がよかったな………」


 啓悟のその返答を聞いた老人は、心なしか寂しそうな声で呟き、更に続けた。


「わしの息子は戦争にかりだされてのう、未だに返ってこん。風の便りでは、儂の村のもん達が招集された部隊は全滅との事じゃ」


 この老人の言葉に後ろの二人は息をのむ。その気配が伝わったのか、老人は後ろの二人を気遣うように話を続けた。


「お嬢さん方、警戒する必要などないぞい。儂らは昔、エルト族とも取引があってのう、色々と良い道具を融通して貰ったもんじゃよ」


 老人は昔を懐かしむような遠い目で語っていたが、突然怒気のこもった瞳に変わり更に続けた。


「ところがじゃ! セレーネ教会の連中が押しかけて来て、『エルト族はマナを無駄遣いして世界を破綻に導く魔族だ! 連中と付き合いをした者は全て異端と見做す』などと言い出すもんじゃから、それ以来エルト族とは疎遠になってしもうたんじゃ」


「成程ね……教会が適当な事吹聴して、エルト族への敵意を増幅している訳か」


「全くじゃ。適当な事言って煽った挙句に、戦争など起こしよって。アシュテナの土地手に入れる為に、教会の扇動に乗って皇帝と貴族共が戦争を正当化する。じゃが、それで苦しむのは何時も民ばかり、これが今の帝国の偽らざる姿じゃ!」


 吐き捨てるように話す老人を宥めながら、啓悟は彼の不用意な発言を窘める。


「爺さんの怒りは尤もだが、あんまり不用意な発言を口にすると不味いんじゃないのか?」


「ふん、出世と袖の下の事しか考えていない佞臣ねいしんどもばかりじゃ。私腹を肥やす事に忙しくて、儂らみたいな辺境の小者なんぞ相手にしとる暇なぞ無いじゃろうな」


 その話を聞いて、啓悟はもう少し情報を引き出そうと更に話を振った。


「爺さん。そうは言うが、帝国とて腐った者だけじゃ無いだろう? そうで無ければ帝国といえども、とうの昔に今の体制を破綻させているんじゃないか?」


「そこがまた質の悪い所なんじゃ。真面まともな者が心血注いで内政の安定を図るせいで、佞臣共も安心して私欲を満たしているんじゃ。しかも真面な者ほど、その功績に見合った待遇を受けていないんじゃよ」


「成程ね、何とも皮肉な話だな。これじゃ真面な連中は佞臣共の奴隷じゃないか」


「全くその通りじゃな。しかしのう、最近はそのバランスが崩れ始めているんじゃ。佞臣共が自分達の身内にも地位を回す為に、真面な者達を排除し始めよった。お陰で内政に支障をきたし始めておるんじゃよ」


「爺さんよ。そんな事、流れ者にぺらぺらと話して良いのか?」


「何言っとる。その程度の事など、帝都の中じゃ平民ですら噂しあっとるぞ」


「公然の秘密かよ………。それにしてもその連中、自分の足を食っている事に気付かない程の、間抜け揃いなのか?」


 啓悟が呆れ口調で尋ねると、老人は諦めた様に小さく溜息を吐いて答える。


「残念ながら間抜け揃いじゃな。何せ、貴族共が聖魔戦争を支持した理由の一つが、役職からあぶれた自分達の子弟に地位を与える為なんじゃから、開いた口が塞がらんわい」


 帝国内部の腐り具合は、啓悟の想像の遥か彼方までぶっ飛んでいた。


「それも公然の秘密かい? それにしても貴族も役人もそこまで腐ってるせいで、民衆は教会にでも縋るしかないのかね」


「何言っとる! 教会の連中も似たようなもんじゃ。しかも、神の名を借りて民衆をまやかし、弱みに付け込んどる! 連中の方が余程性質が悪いわい」


 老人の辛辣な批判を聞いた啓悟は彼に質問する。


「爺さんはセレーネの信者じゃないのか?」


「セレーネ? とんでも無い! わしは先祖代々イシュタル様の信者じゃよ! 儂らの村も、ほぼ全員が代々イシュタル様を信仰しておる」


 あの彼女にも一応熱心な信者がいる事に、啓悟は感心する。


「へえー、そうなんだ。でも、ほぼ全員と言う事は、一応はセレーネの信者もいるんだ………」


「ああ、居るともさ。教会関係者だけじゃがのう」


「なるほどね………」


 啓悟は納得して深くうなずくと、一度後ろを振り向いて、気掛かりな事を尋ねた。

「爺さん。後ろの二人、爺さんの村に入って大丈夫かい?」


「エルトの嬢ちゃん達の事かい? ふむ、じゃあこのお守りに触れてみるんじゃ」


 老人の胸元で淡い光を放っていたペンダント状のお守りを、首から外し後ろの二人に差し出す。イーリスとアルマは御者台に近づき、恐る恐る順番に触れて見た。すると、二人がそれぞれ触れると、強く輝きだした。

 老人がそれを見ると「おお!」と感嘆の声を漏らし、二人に話し掛けた。


「嬢ちゃん方は、余程イシュタル様のお気に入りと見える。こんなに強く輝くのは初めて見た。これならセレーネ教会の異端審問を切り抜けるの簡単じゃろう」


 啓悟はガストンの言う意味が理解できなかったので思わず尋ねた。


「何故イシュタルの加護で、セレーネの異端審問を切り抜けられるんだ?」


「おお、言っておらんかったか、イシュタル教はセレーネの異端審問の対象外じゃ。この大陸の六割以上がイシュタル様を信奉しておるんじゃよ。まあ連中も、大陸の最大勢力に喧嘩を売るほど馬鹿じゃ無いという事じゃな。まあそう言う訳で嬢ちゃん二人は全く問題ないんじゃ。寧ろ利用したがる者に注意が必要じゃな」


 老人のお墨付きを貰って、二人とも安堵の溜息を吐いた。



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