第3話 深く静かに潜行せよ

 早朝の暗闇に紛れて王都を脱出した啓悟達は陽動部隊と共に、ファヴィウス帝国とエルダード連合を結ぶ街道に架かる橋の周辺に築かれた包囲網を突破し、その橋を落とした後で更に下流を目指した。上陸に適した河原まで辿り着くと、それまで乗ってきたボートを処分して、偽装目的で王女の扮装をさせた木偶人形を川に流す。

 それからはこれまで行動を共にしていた陽動部隊と別れて、三人だけで森に侵入して、森を東へ進むこと約六時間が経過した。


 そして啓悟は現在、海より深く反省していた。


 理由は、地面に座り込んでるイーリスとアルマだった。二人とも顔を白くして、グッタリと大きな木の太い幹に体を預けていた。

 もともと彼女達は森の民の系譜だけあって、研究漬けのインドア派だとは思えない程山歩きは達者だったが、ここ迄で踏破出来た距離は十キロにも満たなかった。

 それと言うのも緑色をした森の住民との戦闘が頻発したため、遅々として進まなかった為だ。啓悟は日中の踏破距離を二十五キロ程度と見積もっていたが、随分と見積もりが甘かったようだ。仕方なく歩行の負担を減らすために、森の深い所を避け、なるべく外縁部付近を通ってみたが、それも裏目に出た。緑色の住人の巣に行き当たったのだった。

 緑色の住人達の事を彼女達はゴブリンと呼び、害獣扱いになっていると説明した。貪欲で凶暴な上に知恵もまわる為、彼らの巣の近くを通りかかった旅人がよく襲われるという話だ。更に繁殖力が異様に強いため定期的に駆除しないと、近隣の町や村が大規模な群れに襲われる事例も発生している。ただ、ゴブリンにも天敵が存在し、その天敵が適度にゴブリンを間引くため、爆発的に数が増える事は稀だという。


 しかし………、だからと言って数が少ないと言う訳では無かった。


 啓悟が彼女たちに向けていた顔を上げ、改めて辺りに視線を巡らせた。

 かつてゴブリンだった緑色の物体が、辺り一面に散らばっている。中には真っ黒に焦げた物も点在していた。周囲は焦土と化していて、所々で焦げた木や葉っぱなどが燻って煙を上げている。

 そう、彼らは知らず知らずの内にゴブリンの巣に突入していたのだった。

 そして今やその辺りは周囲に散らばるゴブリン死骸と体液から発する、何とも言えない強烈な臭気に支配されていた。

 しかし、その様な食欲を削ぐ臭気でも、これが好みの捕食者は居るとの事だ。その捕食者がこれに釣られて殺到するのも十分に予測できる為、一刻も早くこの場を立ち去る必要があった。


 その必要があるのだが………。


 啓悟は視線を再び、座り込んでる二人に移す。イーリスは魔力を使い果たして気を失っていた。慣れない戦闘で多数の敵に囲まれてパニックを起こし、魔術素人の啓悟の目から見ても無駄遣いと思うような大魔術を連発して、辺り一面を焦土と化した。

 一方アルマは呻きながら荒い息を吐いていた。イーリスの火炎系の大魔術による火災を防ぐ為、水系の大魔術を連発して魔力を枯渇寸前まで使い、その上にイーリスへの直接攻撃を庇い続けたせいで、彼女の手足は手酷くやられていた。

 動脈を損傷していなかったのは幸いだが、緩やかな出血が徐々に彼女の体力を奪っているので、直ちに応急処置が必要だった。


 一先ずアルマの出血を抑えなければならないので、啓悟は手のひらを見ながら止血テープをイメージした。しかし、手のひらに現れたのは一枚の木の葉だった。

 啓悟は現れた木の葉を摘み上げて穴が開くかと思うほど観察したが、楓の葉に似ているだけの何の変哲もない木の葉にしか見えない。もう一度気を取り直して、今度は傷薬をイメージした。だが、次に現れたのも先程の木の葉と全く同じものだった。

 三度目の正直と、今度は栄養剤をイメージしたが、やはり手に現れたのはさっきと同じ木の葉だった。仕方が無いので取り敢えず包帯をイメージすると、今度はきちんと包帯が現れた。啓悟は訳が分からなかったが、取り敢えず、アルマの傷に先ほど出てきた木の葉を当てて包帯を巻いていった。傷の手当てが済むと、先程まで苦痛に歪んでいた彼女の顔が少し穏やかになった。


「おや? この葉っぱ、効果あるのか?」


 啓悟は彼女の顔と残りの木の葉を交互に見ながら呟いた。

 彼はイーリスの前にしゃがみ込むと、手にあった残りの木の葉を握りつぶして出た滴を彼女の口の中に落とした。すると、血の気を失って白かった彼女の顔に色が戻り、やがて眩しそうにゆっくり瞼を開いた。


「イーリス、気分はどうかな?」


 啓悟が彼女に優しく声を掛けると、「ケイゴ………」と言って手を差し出してきたので、啓悟はその手をしっかり握って、彼女を引き起こした。


「身も心もすっきりして、魔力も体から溢れそうなくらいみなぎっている。一体どんな魔術を使ったの?」


「魔術は使えないって………」


 肩を竦めてそう答えながら立ち上がり先程出した木の葉を再び出して、アルマの前に回り膝をついて屈み込むと、木の葉を握りつぶして出てきた滴を彼女に飲ませながらイーリスに言った。


「この葉っぱの絞汁を飲んで貰っただけだよ」


 滴を飲んだアルマの顔色が、瞬く間に戻って行くのを見たイーリスは、驚愕の表情で固まっていた。


 啓悟は固まっているイーリスから、アルマに視線を移して声を掛けた。


「大丈夫か? 動けそうか?」


 啓悟がそう言いながら彼女に手を差し出すと、彼女は彼の手を握って立ち上がって礼を言う。


「すまない、ケイゴ殿。腕の傷も足の傷ももう痛まない、大丈夫だ」


 そう言って、放置していた剣を拾い上げると鞘に納めた。


「まあそれでも、あまり無理はするな」


 啓悟はその様子を見て一安心して彼女に声を掛けると、イーリスの方を振り返ってみる。彼女はまだ固まってブツブツ言っていたが、啓悟も出来る限り早くこの場を離れたかったので、少し声を大きくして彼女が気付きやすいように声を掛ける。


「イーリス、そろそろ出発するよ」


 すると、物静かな彼女が普段見せた事のない表情で迫って来て彼に懇願した。


「ケイゴ! さっきの木の葉、もう一度出して」


 啓悟はイーリスの迫力に押されながらも、宥めるように言い聞かせる。


「後で幾らでも出してあげるから、取り敢えず直ぐにここを離れよう、ダイアウルフと鬼ごっこをしたくは無いだろ?」


 啓悟はこの辺りに生息する強力でしつこい捕食者の名を出して彼女の説得を試みた。


「分かった、その代わりに実験用にたくさん提供して………」


「ハイハイ、分かりましたよ」


 流石の彼女も魔力が回復したとは言え、この場でもう一戦交える気にはならないのか、後で木の葉の提要を啓悟に約束させると、ここを直ぐに離れる事に同意した。


「それじゃ、そろそろ行こうか」


 啓悟は二人に声を掛けて再び東へと足を進めた。



  ***



「ケイゴ、やる事無い………」


 背後からイーリスの不満げな声が聞こえる。

 啓悟達は先程の教訓を生かし、巣の多い開けた所を避けてなるべく植生の濃く深い所を進むようにした。結局の所、遭遇する魔獣も強力な物が多い反面、こちらの方が遭遇率もグンと下がった。ダイアウルフは心配だったが、個体のサイズが大きくなると大きな群れを作らなくなるようだ。

 なるべく強力な魔獣との戦闘を避ける為、啓悟達は音を立てずに静かに移動して敵と遭遇してもなるべくやり過ごす、やむを得ず戦闘に入る場合も静かに仕留める事を心掛けて戦闘の連鎖が起こらないよう心掛けた。それ故イーリスやアルマには派手な魔術を固く禁じていたのだが、研究成果を披露する絶好のチャンスを奪われたイーリスは、先程から幾度となく同じ言葉を繰り返して啓悟に不満を漏らしていた。


「また派手な魔術で大量の魔獣を招待して、ド派手なパーティーでも開くのか?」


 啓悟がウンザリした調子で彼女を窘めるが、彼女は納得できないのか更に続けた。


「音を出さずに倒す方法、まだある………」


 食い下がる彼女に啓悟は、先程しでかした失敗を皮肉る。


「確かにさっきのあれは、なかなか秀逸だったぞ。危うく俺達が、派手な呼び鈴で集まったお客さんの、午餐ごさんになる所だったけどな」


 そう、何回か前の戦闘で彼女は大失敗したのだ。彼女が音を立てずに倒せると言って来たので、試しにさせてみた。方法は至って単純で、水の魔術で作った水の球を魔獣の頭にかぶせて窒息死させるものだったが、魔獣は死ぬまでの間中暴れ続けた。結果的に出た派手な音が魔獣を引き寄せて、大量の魔獣に包囲される所だった。


「成果を確認したいのはわかるが、今は余裕がない。一つのしくじりが即全員の死に直結する状況なんだ。悪いが今は我慢してくれ」


 彼の言う事に、返す言葉が無い彼女は押し黙るしか無かった。

 しかし、啓悟はすっかりしょげ返っている様子のイーリスを見て付け加える。


「まあそれでも、戦術が充実するのは悪い事じゃ無い。もうじき日も暮れる、キャンプを張った時にでもアイデアを聞こう。明日の戦闘時に役立ちそうだったら試してみようか」


 その啓悟の言葉にイーリスは、曇らせていた表情を一気に晴らし「ケイゴを絶対に失望させないから!」と返事をして、上機嫌な様子で啓悟の後ろに続いた。




 しばらく遭遇らしい遭遇も無く順調に歩みを進めていたが、イーリスが道のはずれにある大きな足跡を見つけた。

 その足跡は熊の足跡の様に見受けたが、彼が知っている足跡の大きさをかなり大きく上回っていて、その大きさは優に三十センチは超えていた。

 啓悟はイシュタルにある程度の情報を貰っていたが、それでもこの世界の常識には疎かった為、一応この中で一番物知りのイーリスに尋ねてみる。


「なあ、イーリス。これって、でっかいヒグマの足跡に見えるんだけど違うのか?」


「これはキンググリズリーと言って、グリズリーが大きく成長したものの足跡。通常のグリズリーの体長は二メートルから二・五メートルだけど、キンググリズリーは三メートルを優に超える」


 啓悟はヒグマでこそ無かったが、ヒグマの亜種に当たる熊の名を彼女の口から聞いて、背筋に冷たいものが走った。あの図体で俊敏だと聞いているだけに小銃が使い難そうで、インファイトに持ち込まれると今の手持ちのナイフ程度では心許無い。勿論、拳銃でインファイトは可能だが、その普通の熊よりも遥かに分厚い毛皮と肉を、手持ちの40口径の拳銃で抜けるかどうかは怪しかった。

 心の中の警報が鳴りっぱなしになっている啓悟は、早急に立ち去る事を提案する。


「君子危うきに近寄らず。速やかにこの辺りから退…散……し………」


 イーリスとアルマが血の気を失った顔で啓悟の後ろを指すので、彼は話し掛けるのを中断して後ろを振り返る。


 すると、そこには噂の君がいた。


 そのキンググリズリーは先程まで大木の幹の陰に隠れていたのか、その横に佇んでいた。そして気のせいだろうか、啓悟は大木とキンググリズリーとのスケールが合っていない様な気がした。

 しかしそれは、キンググリズリーが立ち上がる事によって気のせいでも何でもない事が判明する。

 そう、立ち上がったそのキンググリズリーは三メートルどころか、優に啓悟の身長の二倍を超えていた。


「嘘だろ? いくらなんでもでか過ぎる!」


 するとイーリスは首を横に振って、啓悟の認識が甘い事を指摘する。


「この程度なら、割とよく見かけられる。本当に大きいのになると五メートルを超える個体もいる」


「おいおい………」


 啓悟は冷や汗が止まらず寒気すらしてきた。一方、立ち上がって威嚇していたキンググリズリーは、威嚇が効いていないと思ったのか、とうとう実力行使に出てきた。

 一度四つん這いに戻って啓悟に駆け寄り、再び彼の前で立ち上がると丸太の様にでかい腕を振り上げて、啓悟の頭を砕くべく振り下ろす。

 啓悟はとっさに手にしていた《M4》自動小銃を盾にして、その一撃を防ごうとしたが、その重く鋭い一撃を受けて腕からは、何かがひび割れる音が聞こえて激痛が走り、盾にした小銃もへし曲がってしまった。

 小銃を手放し、大きくバックステップをしてその一撃を躱すと、その大きな腕は風切り音と風圧を啓悟に当てて目の前を通り過ぎる。そして手放した小銃は、光の粒子に変化して辺りに霧散していった。

 啓悟は距離を取りながら腰に差してあった拳銃を抜くと、キンググリズリーの胸板と頭目掛けて数発の銃弾を叩きこむ。しかし、咆哮は上げるも倒れる様子はなく、致命傷を与えるには至らなかった。

 銃を持ちながら腕を押さえる啓悟は、その熊の余りの頑丈さに毒づく。


「クソ! 40口径の銃弾を物ともしないなんて、どんだけ頑丈なんだよ!」


 どうやら啓悟の方は最初の一撃で、左腕の骨にヒビが入った様だ。添えていただけの左腕だったが、発砲の反動だけで激痛が走っていた。

 しかし、キンググリズリー方はもう何ともないのか、止めとばかりに啓悟目掛けて腕を振り上げて振り下ろす。

 啓悟はもう一度後ろに飛び退って躱すが、その際に背中から後ろにあった木に衝突し、ヒビの入った腕にしこたまダメージを与えて彼を呻かせる。


「くっ!」


 木にもたれ掛かりながらも、あれに当たる訳にはいかないと啓悟は思う。

 最初に受けた一撃も普通の人間なら、簡単に腕ごと頭を持って行かれる所だが、啓悟は腕のヒビ一つで済ませられた。この世界の標準の人族から見ると恐ろしく頑丈な彼だったが、それでもあの一撃をまともに頭に食らえば、熟れたザクロの様になるだろう。

 しかしキンググリズリーは容赦しない。逃げ場を失った様に見える啓悟に、今度こそ止めをとばかりに腕を振り上げる。腕の激痛に気を取られた啓悟は反応が遅れて、下ろされる腕をスローモーションで見ながら覚悟を決めた。しかし、下ろされる筈の腕が途中で止まった。よく見るとキンググリズリーの肩口に氷の槍が突き刺さり、腕まで一気に霜が張って凍り付いている様子が見て取れる。


 突然の横槍にキンググリズリーはゆっくりと、それを放った相手に顔を向けようとした。しかし、今度はキンググリズリーの左足に同じ物が刺さる。その向こうではそれを放ったと思われる、イーリスが腕を構えたまま立っていた。

 その氷の槍は、キンググリズリーの左足を容赦なく凍らせると、左足は自身の巨大な重量を支え切れずに砕けて、その巨体を倒れさせた。

 啓悟は倒れるキンググリズリーに巻込まれまいと、倒れる反対方向に身を投げ出して転がるように避け、イーリスに指示を飛ばす。


「イーリス、頭を狙え! 脳に直撃しなくても頭を丸ごと凍らせれば、声を上げるどころか何も出来なくなる!」


 その言葉に反応したイーリスが起動詠唱を行い、やがて現れた氷の槍をキンググリズリーの頭目掛けて放つと、氷の槍は誘導ミサイルの様に軌道を微調整して寸分違わず頭に突き刺さる。すると見る見るうちに頭が凍り始めて、立ち上がろうともがいていた体はやがて動かなくなり、辺りに静寂が訪れる。


「助かったよイーリス。それにしても魔術を禁じておいて結局使わせるなんて、俺も焼きが回ったようだな。イーリス………本当にすまなかった」


「………気にしてない、それより啓悟……怪我は無い?」


「………ああ、少し腕をやられたが大丈夫だ」


 啓悟は立ち上がりながらイーリスに答える。腕もヒビが入っていた筈なのに、先程までの激しい痛みは少し収まりつつあった。


「それにしてもその氷の槍は便利だな、自動追尾機能でも付いているのか?」


「ううん。自動追尾だと起動詠唱に時間が掛かり過ぎるから、今回は目標を目で追い続けて追尾させた」


「ほう、セミアクティブ方式なら起動詠唱も短いのか。これなら大物相手に使えそうだな。ところでアルマも同じ魔術を使えるのか?」


「私はイーリスと違って風系が得意では無いので、土系の槍なら打ち出せますが氷は無理ですね。追尾についてはどちらも使えます」


「それなら大物が出た時、イーリスは氷の槍限定で攻撃と止め役を、アルマは魔術を使っての足止めを中心に頼む。そして俺は出来るだけ敵を引き付けよう」


 啓悟はそれぞれの役割を決めると、出発するために二人に声を掛ける。


「それじゃあ、そろそろ出発しよう。こんな所に長居は無用だ」


 二人は無言で頷き、啓悟の後に続いた。




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