第2話 逃避行の始まり

 再び瞼の裏に明るさを感じた啓悟は、明るさに慣れるように瞼を徐々に開く。

 最初に彼の目が映し出したのは、玉座を思わせる豪奢な椅子に座る男女だった。

 立って彼らを見上げている自身の姿に、啓悟はいつの間に直立していたのかと思った。しかし、ここに来るまでの非常識さを鑑みて、この程度の事など些末な事と思い直すと、冷静に周囲に視線を巡らせて状況を把握しようとした。


 彼が立っている場所は大広間の様に広かった。

 全体的に石造りのこの部屋には、横幅十メートル以上ある長い絨毯が、玉座と思える場所から出入口であろう大きな扉まで敷かれていた。

 そしてその絨毯に沿って、豪奢な衣装を着た男女が整列している。どうやらこの大広間は、ゲームやアニメに出てくる王城の謁見の間の様だった。


 啓悟はまた正面に向き直り二人の男女を見上げる。二人の席はこの広間の中でも一段高い所にあり、差し詰めこの二人はこの王城の主なのだろうと彼は考えた。

 お互いの間でしばらくの沈黙が続いたが、彼の正面に座っていた壮年の男性が、ゆっくりと腰を上げて啓悟に近づくと、彼に向かって話しかけた。


「そなたは勇者殿か?」


「いえ、違います。私はただの公僕です。名前は日下部啓悟、呼び方はケイゴでもクサカベでも自由にお呼び下さい」


 啓悟は誤解の余地が無い様に、キッパリと否定と訂正をして自己紹介した。

 彼の自己紹介を聞いて、その男は自己紹介をしていなかった事を思い出して、彼に一言詫びの言葉を入れると、自身と隣に立つ女性を紹介した。


「余の名はゲオルグ・フォン・クラウゼヴィッツ、この国の王をしている。そして隣は王妃のディアナじゃ。貴公には随分と非礼を働いたことを詫びよう」


 一国の主が、自己紹介や非礼を詫びるのはかなり異例だ。それが証拠に、居並ぶ家来と思われる者達は一様に渋い表情をしていた。しかし当のゲオルグは家来達とは違い、啓悟の事を自身よりも数段格上の存在と認識していた。


「先程貴公は公僕と言っておったが、一体誰が為のじゃ?」


「誰のとははっきりと答えられません。唯一つ言える事は、私が管理者イシュタルの管理の下にあるという事だけです」


 強いて答えるなら世界全体のと言うべきなのだろうが、正直に答えても戯言としか捉えて貰えないだろう。最悪狂人扱いされる可能性もあったので、正直、答えられなかった。だが、彼を使役している人物は知っていたので、下手に伏せるよりマシだと思ってその名を口にした。


「何じゃと! おぬし、女神イシュタル様が遣わせた使徒様なのか?」


 目の前の男は震えながら啓悟を指さす言葉を絞り出す。イシュタルが女神扱いされているのは啓悟も予想していたが、自身が使徒扱いされているのには少し驚く。しかし啓悟は、そのような事などおくびにも出さず、あくまでも事務的に言葉を返した。


「使徒がどういった者かは分かりかねますが、彼女から派遣されてここに来ました」


 流石の啓悟も神の使徒がどういった者かは知っていたが、ここで迂闊に肯定でもしようものなら、無駄に騒ぎが広がるのは火を見るよりも明らかだった。


「ミネルバ様ではなくイシュタル様とはな………」


「残念ながらイシュタルです。私は彼女にあなた達を手伝えと指示されています」


 ナチュラルに彼女をディスりながら男の呟きに答えて、ここに来た用件を伝えた。


「おお、すまない! 我が国が奉ずるミネルバ様かと思ったんじゃが、余りにも意外だったものでのう」


「あなた達の今の窮状は、私の上司に取っても都合が悪いみたいですよ」


「そうであったか……それでは余の話を聞いてもらえるか?」


「どうぞお話しください。拝聴させていただきます」


 そう返答する啓悟を見て、ゲオルクはゆっくり頷くと静かに語り始めた。


 アシュテナ王国とファヴィウス帝国。


 大陸の中央を東西に走るアストラ山系と、その西端にそびえ立つグレイブ山より南側を二分している、この大陸屈指の二大国家である。もともとこの大陸の南側は、ハーフエルフから派生したエルト族の勢力範囲だった。しかし、彼らの主な活動範囲は森の中であるため、南東側の平原は空白地帯になっていた。

 そこへ人族が流れ着いて集落を作り、二百年近くの歳月と人族同士の争いを経て、現在のファヴィウス帝国が成立した。

 そうして成立したファヴィウス帝国は、建国直後から空いていた肥沃な大地を次々と自国の領土に組み入れて拡張して行った。だが、拡張を続けるうちに帝国はアシュテナ王国の領域に踏み込んでしまい、そこでお互い初めての遭遇を果たして小競り合いが起こる。しかし王国で開発された魔術と異なり帝国の法術は様々な面で劣る為に、その小競り合いで王国軍にコテンパンにされた。


 虎の尾を踏んだ帝国は現状で王国には敵わないと判断して、一先ずアシュテナの領域を境に国境を設けて王国に休戦を求めた。王国側も帝国の身勝手な振る舞いに開いた口が塞がらなかったが、元々好戦的では無い彼らはその休戦の申し入れを受けた。

 それから数十年後、帝国内で勢力を広げていたセレーネ教会が最初の勇者召喚に成功する。帝国はその勇者を擁して再戦を挑み、もう少しで王国の防衛線を突破する所まで追いつめるが、結局、戦力不足が響いて敗退を喫することになる。


 その頃、帝国内で最大勢力にまで上り詰めていたセレーネ教会は、侵略に失敗した帝国軍の尻拭いをして恩を売るために、多くの帝国人を殺した魔術を奨励し、神から下賜された法術を蔑ろにするミネルバ教は邪教だと弾劾して、民衆の怒りの矛先をミネルバ教徒の多いエルト族に向ける。

 教会の策謀にまんまと乗せられた帝国の民衆は、ミネルバ教徒とエルト族を次第に憎むようになる。四十年と言う歳月を掛けて、偏った情報を刷り込み続けたお陰で、世相が思惑通りになったセレーネ教会は、次に邪教を擁するアシュテナ王国に正義の鉄槌を下すための聖戦を声高に叫び始めた。

 そして、帝国は教会が行った民衆への扇動に乗っかるように、エルト族を魔族にたとえて聖魔戦争を標榜すると、四十年ぶりに挙兵して侵略を再開した。

 今回は前回と違い、多数の勇者を召喚して戦力の充実を図り、満を持して戦いに挑んで快勝を続けた。

 そして、今まさにアシュテナ王国の息の根を止めようと王都まで迫っていた。


 そこまで語り終えたゲオルグは、一息つくと啓悟に話し掛ける。


「この国の命運は尽き掛けておる。かくなる上は、魔術の申し子たる我が娘と教育係をこの国から逃して、我が国の研究成果とエルト族の種子を後世に残そうと思う。その為にも貴公には、娘達が無事に逃げ果せる為のエスコートをして欲しいんじゃ」


 国王はそう言って居並ぶ家臣の列の中で、最も玉座に近い所に立っている少女と女性を示して再び口を開いた。


「余の娘イーリスと教育係のアルマじゃ。一先ずは娘達を王城から逃がして、学術都市エアハルトに留学しているマルチナも併せて保護して頂けると助かるのじゃ。あと、出来れば行方不明になっている先妻とその子も見つけて保護して欲しいのじゃ。図々しい願いかも知れんが、今の余では探す事も儘ならないのでな」


 イーリスと紹介されたゲオルグの娘は、年の頃は十四、五歳ぐらいで身の丈は年の割にはやや低く、髪は青み掛かった銀髪で、幼いながらも美しい容姿を持っていた。恐らく後四、五年もすれば誰もが振り向く美女に育つだろう。

 しかし啓悟は別の感情で彼女を見ていた。八年前に亡くした娘が生きていれば、丁度彼女と同じ年頃だった筈だからだ。思わず死んだ子の年を数えてしまった啓悟は、がぶりを振ってその思考を頭の隅に飛ばして忘れようとした。

 一方アルマは彼女よりも年上で、二十四、五ぐらいだ。身の丈は啓悟と同じぐらいで、怜悧な印象を持つその美貌は正にクールビューティーと言う表現が当て嵌まる。

 少し取っ付き難そうに見える彼女に対して啓悟は、この先一緒に行動するに当たって、うまく折り合う事が出来るのかが心配の種だった。

 啓悟は捜索に対する返答のついでに、どこまで面倒を見れば良いのか尋ねた。


「捜索の方は片手間でさせて頂きますが、彼女達の保護の期限は?」


「誠に申し訳ないが、娘達が日々を安寧に過ごせる場所を見つける迄になる。条件によってはかなり長くなるかも知れんが、それでも頼めるか?」


 これを聞いた啓悟はようやく、自分が安請け合いしていた事に気付く。どこをどう押しても行き掛けの駄賃で済ませられる内容では無い為だ。取りようによっては永遠とも取れてしまう内容に啓悟は頭を抱えて、イシュタルが自分なんかよりも一枚も二枚も上手だという事を思い知らされた。

 だが、今更後悔しても遅い。女性に弱い自分を呪いながらも、その事はおくびにも出さずに済ました顔でゲオルグに返答した。


「かなり厄介な依頼ですが、上司の願いでもありますので、出来る限り何とかしますが、力の及ばない事もありますのでその時は了承願います」


 あくまで事務的に受け答えする事で、今の感情を抑える。


「余も無理を言っていることは自覚しておる。そなたの力を以ってしても及ばないのなら、その時は諦めよう。兎に角、娘達を頼むのじゃ」


 ゲオルグは苦渋の表情ではあったが、決意をにじませる声色で啓悟に宣言した。

 啓悟の方も、そこまで覚悟しているのならと言う事で了承するが、もう一つ気になる事があったので、ついでに尋ねた。


「そこまで覚悟をされて居られるのであれば、私としてはこれ以上言う事はありません。だが、その前に一つ確認させてください。あなた方はこの後どうなされるのですか?」


「余達はここに残って最後の悪あがきをしようと思う。そうで無いと死んでいった者達に申し開きが立たぬのでな」


「………父上が残ると仰るのであれば……、私も残る……」


「陛下! 私もです! 殿下に身命を捧げると誓った以上殿下と運命を共にします」


「お前達が残った所で戦況は覆らん。頼むから大人しく脱出してくれ」


 そう言ってゲオルグは王城からの脱出を拒む彼女達を宥めようとする。その後も彼は粘り強く説得を試みていたが、押し問答が続いて埒が明かない。

 啓悟はしばらく静観していたが、ここでの更なる時間の浪費は致命的だと考え、彼らの間に割って入ると一つ提案をした。


「私に一日時間を下さい。それまでに双方が納得できる提案を考えますので」


 啓悟の一言でその場は解散となった。


 その後、啓悟は精力的に情報を集めた、先ずは帝国の政情に関する情報の精査に始まって、帝国軍の兵力とその足跡をたどって到達予想日数を割り出し、自軍の兵力から部隊毎の練度に兵糧の残数などの確認。更に細かい所だと、季節ごとの風向きや雨量の多寡に川の水量の増減、周囲の森に潜む脅威まで調べ上げ、夜を徹して書類を纏め上げた。

 翌日、場所を移して会議室で、王国図書院の協力で複写された啓悟の書類を全員に配ると、その表紙に書かれたタイトルが全員を驚かす。

 その名も『一日遷都作戦』、事前に相談を受けていたゲオルグとディアナ以外は、この場に居た全員が一様に驚いていた。

 啓悟は説明する、そもそも現段階で王女の脱出を秘匿するのは難しいと考えた啓悟は、王都に居る者全員が脱出して陽動を掛け、重要人物が何処に逃げたかを分かり難くして、戦力を分散させる。エルト族が得意とし、戦力の展開をしがたい森の奥まで、敵の捜索部隊を引きずり込み、ゲリラ戦を仕掛けて各個撃破する。

 脱出したゲオルグとディアナは、グレイブ大樹海にある同胞の疎開先に都を移し、新たな本拠地を築く。そしてそこを中心に、長期に渡るゲリラ戦を展開して、帝国を疲弊させる。

 以上のこれらの作戦は既に、王であるゲオルグの裁可を済ませていた。


 『一日遷都作戦』発令以降、急ピッチで作戦の下準備を始めた。王都に残っていた民間人の疎開を帝国に気取られぬように行い、王都周辺の入念な偵察に一般兵の錬成と戦術の最適化、作戦の実行には欠かす事の出来ない特殊部隊の新設と錬成、各部隊を指揮する将軍達の打ち合わせ、そして作戦に必要な物資の調達を、僅か五日の間で完了しなければならなかった。


 啓悟は更に別の準備にも追われていた。彼はイシュタルから異能を授けられていた。彼が構造を完全に把握している物なら、それをイメージしただけで作り出すことが出来る能力だった。ただし、ちょっと見掛けただけの物や、構造は把握しているが見た事の無い物は不完全だったり、作り出す事その物が出来なかったりした。しかし、日常的に使っていた物は、ほぼ完全な状態で作り出す事が出来たので、啓悟はその能力を利用して無線機やゴムボート等この世界では揃えられない物を揃えた。


 そして五日が経ち、啓悟の不眠不休の成果と大勢の王国の人々の努力のお陰で、全ての準備が完了すると、日も昇らぬ早朝に早速作戦を実行に移した。


 啓悟は、王城の川際に面した船着き場の突堤に立っていた。その横にはイーリスとアルマも立っている。ややあって啓悟は自らが用意したゴムボートに乗り込むと、彼に続いて二人がボートに乗り込むのを確認して声を掛けた。


「さあて、これから地獄の門を開くぞぉ。二人とも覚悟は出来てるか?」


 アルマは今まで聞かなかった彼の口調に驚いて啓悟に尋ねる。


「ケイゴ殿! 如何されたのですか? 今までと口調が全然違いますよ」


「猫でも被っていないと、誰も言う事を聞いてくれ無いでしょ。でも、これからしばらくの間寝食を共にする者にまで、猫なんて被ってたら息が詰まってしまうだろ?」


 イーリスの方は彼の言葉に軽く笑みをこぼすと、既に突堤から離れて先行している陽動部隊のボートを指差して啓悟に催促する。


「覚悟は出来てる……。それより早く出さないと遅れる」


 イーリスの指摘に、啓悟は急いでボートのエンジンを掛けて突堤から離れると、三人の乗るボートは暗闇の中に姿を消した。

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