第2話
翌日には、私の代理を紹介された。気のよさそうな人で『安心して患者を任せられる』と思った。だからこそ帰った際『この人のままでいい』と言われるのではと、不安がよぎった。それならそれで仕方ない、よね。気の合う人に治療してもらったほうがいい。治療にもいい働きがあるだろうし、私もそれを喜ぶべきだよ。
私は『任務に向けての準備のために、少し治療から離れる』と患者に説明した。ひきとめる言葉は、誰からもなかった。自警団という場所の関係上、こんなことはたまにある。それでもなかった言葉に、若干の落胆が包んだ。一部の患者から激励の言葉をもらえたのが、唯一の支えになった。
資料を熟読してコンディションを整えてる間に、あっという間に依頼遂行日になった。
依頼に参加する人が揃った決起集会を終えて、それぞれが自らの持ち場に散っていく。
ついに本番。
私のチームがやるのは『巨獣の捕食対象を散らせる』こと。餌を奪って巨獣を確実に遠ざけようという、かげながらも重要なポジション。
高まる緊張を胸に、前方を見る。
トライツさん。
すらりと高くて細い体は、人の多いこの場所でもよく目立つ。双剣使いなのか、腰には2本の剣がある。腰のポーチ以外は黒に包まれてて、夜を切り抜いたかのように感じる。
この人が、私とチームを組む人。
絶対に足をひっぱらないようにしないと。迷惑をかけないようにしないと。
消しきれない恐怖と不安を抱えつつ、トライツさんに駆け寄って声をかけた。
「あの……チームを組むことになりました、リリィです。よろしくお願いします」
さげた頭を戻したら、振り返ったトライツさんと視線が重なる。
風に揺れる細かい束のつややかな黒髪。切れ長のまぶたの奥にある瞳はやわらかな紫色なのに、鋭さがある。一目だけで、とっつきにくい印象を感じた。
「持て」
短い単語だけで、大きな布袋を手渡される。
受け取ったら、ずしりとした重さに肩が沈みかけた。任された仕事だから、しっかりしないと。両手で抱え直す。
カチャリと鳴った高音で、中身は瓶かと推測できた。捕食対象と当たるのだから、回復薬は持ってきて当然と思える。だけどこの中すべて回復薬なのだとしたら、量が多すぎる。心配性なだけ?
考えてる間に歩き出してたトライツさんのあとを、急いで追った。
私はなにもできなかった。
なにも。
到着した最初の目的地。私に確認することもなく始められて、目の前で捕食対象の魔獣との戦闘がくり広げられた。
邪魔にならないように動きつつ、トライツさんが傷を負ったら回復魔法を使おうと思ったのに。
草地に散らばる空き瓶。
トライツさんは、腰のポーチから手早く回復薬を出して使った。終始、トライツさんの身を私の回復魔法が包むことはなかった。
生い茂った木々が落とす影は、私の心を体現してるように思える。
「お疲れ様でした。おケガ――」
おケガはありませんか?
聞こうと思った瞬間、回復薬を使われて、それ以上なにも言えなかった。
戦闘中だけでなく、それが終わったあとすら回復魔法を使わせてもらえないなんて。
トライツさんも、回復魔法が苦手なタイプなのかな。でも薬ばかりに頼るなんて。
私はかすり傷1つ負わなかったから、迷惑はかけずに済んだとも思える。腰に準備してきたナイフを使う瞬間は、一切なかった。
けど回復のために来たのに、一切できなかった事実がのしかかった。
患者さんだけでなく、トライツさんにすらなにもできない。私にある『回復科』の肩書は、なんの意味があるの?
空き瓶の回収を終えたトライツさんが、私の前に来た。私の持つ布袋の口を広げたトライツさんは、その中に空き瓶を落とす。『多少の回復薬は使うだろう』と思って持ってきた、空き瓶回収用の袋。初日にして、予想以上の空き瓶の重みを感じる。私の無力をそのまま数にしてる気がして、黙って見おろした。
私が布袋の口を閉める間も、トライツさんは私の前から動こうとしない。
理由はわかってる。でも素直に応じたくない思いがあった。
回復魔法を使わせてくれないだけでなく、まともに会話を交わせてないから怖い。鋭い瞳と全身をまとうオーラが、余計に近寄りがたさを演出して。
それでも言わないと。
トライツさんにも、つらい思いはしてほしくないから。私も、これ以上あんな人を見たくないから。
決意を胸に、トライツさんの顔を見る。
「……回復薬、使いすぎではないですか?」
私の前を離れない理由は、私がトライツさんに渡された布袋を持ってるから。この中にある回復薬を、腰のポーチに補充したいんだ。
「いつもと変わらない」
必死な私の訴えを前にしても、眉すら動かさないトライツさん。
薬中毒になる量は、個人差がある。トライツさんは、本当にこの量なら平気なのかもしれない。
でももし、自覚できない状態にまでなってたとしたら。
ちらつく病床の姿。
「少し控えてください。私も回復魔法で補助するので」
伝えて、布袋から回復薬を数個出して渡した。
声が届いてないかのように、ポーチに薬をしまうトライツさん。ポーチ内には、まだ数個の回復薬があった。あれだけ使っても、まだ残ってるなんて。ポーチにそれだけ多くの回復薬を準備してきたんだ。
実戦に無知な私だから、回復魔法を待ってたら間にあわないと思わせてしまったのかもしれない。次は臆せずに回復魔法を使おう。
トライツさんを守るためにも。戦闘だけでなく、薬中毒からも守るためにも。
「不要だ。襲われない場所に隠れてろ」
私の存在を完全に否定する言葉に、胸が痛んだ。
足をひっぱらないように、迷惑をかけないように心力つくしてたのに。
『私がいる』ということ自体が、迷惑だったんだ。
戦闘中に私が視界にかすめるだけで、集中を散らせてしまうのかな。戦闘時の動きがわからない私は、その気はなくてもトライツさんの迷惑になる動きになってたのかもしれない。
だったら言われるまま隠れてるほうが……待って、それでいいの?
私がいないと、回復薬以外の回復手段はなくなる。このまま回復薬を使い続けたら、いつトライツさんが中毒に倒れるかわからない。
「迷惑にならないようにしますので」
懇願しても、トライツさんの瞳は変わらなかった。どれだけ言っても、私はトライツさんにとっての邪魔にしかなれないの?
さざめく木々が、私の心の不安をあおる。魔獣の血と回復薬のまじった匂いが鼻孔をついて、私の無力を強めた。
「不備があったのなら、仰ってください。直せるように、努力しますから」
初めての実戦で、わからないことだらけの私。資料で勉強こそしたけど、実戦経験がない事実には変わらない。
トライツさんに『邪魔』と思われるだけの動きをしてしまったのなら、言ってくれれば直すきっかけにできる。次こそは邪魔にならないように修正できる。本番で修正するなんて、勉強するなんて、遅いのはわかってる。それでもチャンスがほしい。
「そんな意味ではない。動きはよかった」
変わらない表情、変わらない口調のまま発せられた言葉は、今までと違うあたたかさがあった。長いまつげが包むラベンダーの瞳がかすめるのは、どんな思いなのかな。
「ただ俺は、守れるだけの力がない。だから隠れてるほうが安全だ」
風に乗った黒髪が、トライツさんの言の葉を揺らす。切れ長の瞳からは、前に感じた鋭さが弱まってるように感じられた。
「襲われないように気を張ってます。距離もとって、狙われないように配慮してるので大丈夫です」
捕食対象の魔獣は『目の前の敵に集中するタイプ』と資料に書かれてた。つまりトライツさんに攻撃が集中することになってしまうけど。私は最低限の警戒で、回復魔法に集中できる。そう考えて、恐怖にとらわれずに詠唱すればいい。
「……巨獣にも言えるか?」
瞬間、トライツさんの声音がかすかに変わった気がした。
他のチームが、巨獣を遠ざけるための策を講じてる。とはいえ、なにかしらのトラブルで私たちの近くに来る……可能性も捨てきれない。
「気配を感じたとしても、自分の身は自分で守ります」
巨獣に立ち向かえる強さはない。でも逃げることならできる。
それしかできない自分がもどかしい。でもトライツさんに手を貸してもらわないと逃げられない、なんて事態にならないようにしないといけないから。
トライツさんにも『私は1人で逃げられる』としっかり伝える。私を気にしてトライツさんが逃げ遅れたら、後悔しかないから。1人で逃げるなんて、冷たいのかもしれない。それでも初対面の私たちが、協力して逃げられるとは思えない。個々で逃げるほうがいいはず。
「巨獣に気配があったら、できるのかもしれないけどな」
ぽつりと続けられた言葉に、資料の文が蘇った。
資料では、巨獣は人間よりずっと大きいとされてた。気配だけでなく、足音とかでも近くにいるのは察知できるはず。討伐依頼になれた人なら、そんな感覚に優れてると思う。
なのに巨獣に襲われた人は『気づいたら近くにいた』と話す人が多かった。
「近くにいながら、俺はあいつを守れずに……あいつに大ケガを負わせた。『後衛の魔法士だから狙われにくいだろう』と、俺は油断してた」
攻撃魔法を使う人も、回復魔法を使う人も、敵との距離感は大差ない。戦況を見て、射程を考慮して、詠唱する。それが魔法を使う人の基本的な戦い。
「同じ目にはあいたくないだろ?」
トライツさんの口元がゆるんだ。でもその瞳には、隠しきれない悲しさをたたえてた。ちぐはぐな表情が物語る感情。
かすめとれた事情に、胸が痛くなる。
きっと大切な仲間を巨獣に襲われて、心を痛めてるんだ。
なにもできなかった自分を責めて、だけど巨獣になにもできなくて、つらくて苦しくて。
『私にも同じ目にあわせるかも』と感じてたんだ。冷たいだけの人ではなかったんだ。
私の存在が心労になるのなら、離れたほうがいい。
……そう、思えるわけがない。
「私の思いは変わりません」
変えられない意思を宿して、トライツさんを見つめる。ほのかに瞠目を見せたけど、その表情は大きくは変わらなかった。
邪魔にならないように努力する。回復魔法で補助できるように励む。回復薬での回復を、最低限で終わらせられるように。
考えるのは、それだけ。
「俺の話を聞いてたのか?」
呆れも怒りもない、抑揚のない口調。
トライツさんの意見を聞き入れない姿勢を続けたのに、怒る感情はない様子で安心する。近寄りがたくはあったけど、私に敵意は見せなかったトライツさん。
「聞いたからこそ、です」
こんな私でも、回復科の1人だから。見すごすなんて、できないよ。
「お仲間の件は、トライツさんのせいではありません。実戦経験もない回復役の私が無傷で依頼を終えることで、それを証明しますから」
体の傷だけでなく、心の傷も癒したい。
私なんかの言葉が、トライツさんに届くかわからない。それでもできることはやりたいから。
巨獣に襲われた魔法士。実戦経験のない、回復魔法が使える私。
比べられるものではないのかもしれない。それでもトライツさんの心の重荷を、少しでも軽くできるかもしれない。そう思ったから。
「……本気か?」
ほのかに動いた表情の意味を、私はまだかすめとれなかった。それでも否定されなかったからには、悪い感情ではないと信じたい。
「冗談なんて、言えません」
おかしいことが言えたら、私でも患者さんを楽しませてあげられたのかな。そんな話術なかった。『おもしろくない』とわかってても、本気のことしか話せないから。
今頃患者さんは、代理の人相手に楽しい時間をすごせてるのかな。私より満たされる時間を楽しめてるのかな。
帰った私を待ち受けるのは、どんな現実なの? その不安も消えない。
「……わかった。でも回復魔法は使うな」
『認められた』と安堵しかけた言葉は、最後で裏切られた。
最初に見た際と同じような、冷たい表情に戻ってた。私をまっすぐ見つめたまま、トライツさんは言葉を続ける。
「詠唱中は隙になる。襲われないこと、逃げることだけ考えてればいい」
思いもしない言葉だった。
詠唱中は集中するから、周囲への警戒もゆるむだろうし、動きもできなくなる。だけどちゃんと戦況を見て、実戦経験ないなりに安全と思える瞬間に使ってる。
結果、今回は私はケガしなかったし、危険すら感じなかった。トライツさんの立ち回りのおかげでもあるだろうけど。
でも今回の結果は『私でもケガなく終わらせられる』と思える心をくれた。
「それだけはできません。回復するのは、私のつとめです」
もしかしたら私の安全を思って、回復薬を使い続けてたのかもしれない。そうは思ったけど、その行為を認めるわけにはいかなかった。
私を守るためにトライツさんまで薬中毒になったら、私は私を許せなくなる。トライツさんにあわせる顔がなくなる。
「自身の安全により気を払うので、回復魔法を使わせてください」
薬中毒患者を、これ以上増やしたくない。その感情に任せて、頭をさげる。
トライツさんが、今どんな表情をしてるかわからない。どう思ったかわからない。それでもこれだけは曲げられなかった。
回復科の私が同行してしまったがためにトライツさんが薬中毒になるなんて、あってはいけない。そんなトライツさんを治療なんてしたくない。
「……頭をあげろ」
長く感じた沈黙を遮った言葉に、恐々と顔をあげる。
変わらない、だけどどこか物憂げに見えるトライツさんがいた。
「さっき話した通りだ」
さざめく風に乗って、続けられた言葉。
私は邪魔で、隠れててほしい。回復魔法なんか使うなという意味?
ふわりと揺れる風に、私の思いがすべて流されてしまった気がして。まだ漂う薬の匂いが、現実を突きつけてる気がして。
胸が締めつけられる。
「俺は守れない。隠れてるほうが安全だ。同じ目にあいたくないなら、そうしろ」
くるりと背を向けて歩き出したトライツさんを前に、立ちつくす。
守れない。隠れてるほうが安全。
気づかうような言葉の最後に続けられたのは。
同じ目にあいたくないなら、そうしろ。
『隠れてろ』という命令ではなく、まるで私の意見を尊重していいかのような言葉。
これは……納得はしてくれたと考えても、いいの?
無言の背中を前に、少しでもなにかを変えられたかのような高揚感をかすかに感じた。
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