第2話 スクールストライク

「じゃあ練習問題二を解いてきてもらったと思うが、七条。どうなった」

「はい、練習の二ですね。 ……えっと、えー、どこでしたっけ」

「五十三ページだ。お前ならできてるかと思ったが」

 後ろの席のやつを狙ってばかりいるから授業に集中できないんだ。僕はそう心中でひとりごちた。

 教室でさえこのような感じなのである。彼女に対して気を抜いていい時間など、学校ではほとんど存在しなかった。銃口の影はいつでも存在する。彼女の場合僕を狙っている時は命輪が強く光るから、それでもわかる。だが恐ろしいのに変わりはない。命を狙われているのだから。

 それでも人知れず狙われているだけだったら、あるいは平穏だったのかもしれない。

 というのは、直後に彼女が放った言葉である。

「すいません、ノートを忘れてしまいました。提案なのですが、代わりのだれかに答えてもらいましょう。例えば、えっと」

 うーん。彼女は見え透いた思案顔を作りながら、視線をくるくるさせる。

「じゃあ、正親くん」

 僕は背筋が凍った。

「お、そうか。それなら正親、よかったな。七条からの指名だぞ」

 僕からしてみれば、冗談ではなかった。ふたりを除くクラスの全てから、突き刺さるような視線を浴びる。このようなことは瞬時に想像できたが、まさかこれほどまで鋭利だとは思わなかった。

「はい、練習二は式三の三を用いるとこのようになります」

「皆、合っているな。では今日の範囲に入っていく」

 白羽の矢は消えたが、それでもいくつもの場所で小声の会話が聞こえてくる。何で正親のやつが七条さんと。内容までは僕の耳に届かなかったが、おおむねこのようなことだとはわかっていた。

 だが授業後に問いただしでもしたら、それこそ全くの逆効果だ。僕はこれからの学校生活にただならぬ不安を感じざるを得なくなっていた。

 果たして、授業後である。不幸にも、この休みは昼休憩も含まれており、長い。

「なあ正親、話があるんだが」

「ちょっと面貸せよ」

 そう言って強引に手を引かれ、空き教室の中に連れ込まれる。うろたえる様子を見せつつも、本心ではため息をつきたい気分だった。

「な、なんだい」

「なんだい、じゃねえんだよ。お前、七条さんに名前呼ばれるような奴なのかよ」

「なるみとは、そんなんじゃないよ」

「な、なるみ。今七条さんのこと、なるみって言ったのか。お前が」

 うろたえているのか怒り狂っているのか。そのクラスメイトは傍の机に拳をひとつ振り下ろした。

「七条さんはな、クラスのアイドルなんだ。お前みたいな地味なやつが抜け駆けしようなんざ、百年早いんだよ」

「そうだそうだ、お前なんか振られちまえ」

 そう言ってまくし立てるふたりに合わせながらも、命輪使いではないことを確認して僕はひとまず安心した。命輪使いであれば、命輪に対して殺意を隠すことができないらしい。だから命輪使いの場所というのはすぐわかるそうだ。そしてそれは、ひとつの嫌な予感とともに僕の背中を通過した。

「あ、正親くん。こんなところにいたんだ。購買の約束、忘れたとは言わせないからね」

 そう言ったのち男ふたりに柔らかな微笑を見せるこの女が、クラスのアイドルということらしい。

「ああ、仕方ない。一緒に行こうか」

「そーね。ではおふたり、正親くんちょっと借りるね」

 彼らは激昂したい気持ちを懸命に抑えていただろう。僕がどんな気持ちかも知らずに、だ。愛未に手を引かれて廊下を歩く。これはおそらくこの学校の男子生徒にとって、彼女が思っているよりもずっと大変な事件なのだ。

 購買へ向け歩いているときも、周囲からは奇異の視線を感じる。これは慣れるべきなのか、そうでなければこの先やっていけないだろう。

「あ、そーいえばさ、今日から新しーパンが出るらしーね」

「へえ、そうなんだ。じゃあそれでいい?」

「いーよ。お腹すいた」

 そう言ってふっと右手が懐に滑りこむから始末に負えない。僕はとっさに左肩を彼女の右肩に寄せて自衛をする。抜かれてはたまったものではないからだ。

「そ、そうだね」

「正親くん、暑苦しーんだけど」

「我慢してくれ、僕のためだ」

「ふーん、そんなに私にくっつきたいの?」

「変な事を言うんじゃない」

 購買は体育館へ続く渡り廊下にある。僕の足は校舎からでて二歩進んだのち、ぴたりと止まった。愛未はちょこちょこと軽快に歩いていくが、そんなに無用心でいいものなのか。僕はどうしても一歩を踏み出すことができない。

 なぜならそこには、五つも命輪があるのだ。

「おーい、早く早く」

 そう呼ばれたところで、足が動くわけではない。彼女はなぜか、両手を広げているのだ。それでは万が一狙われたとき、どうしようもないではないか。

 そうこうしているうちに、向こうから近寄ってきた。ややご立腹の様子だ。

「学校にはいっぱいいるって言ったでしょ。今さらそんなことで驚かないで」

「で、でもみんな銃持ってるんでしょ」

「そうね。最初は持ってないのもいたけど、命輪使いばかり死ぬもんだから自衛で持ってる子も多いわ。無論攻撃的なやつもいるけど、その方が少数派よ」

「いるにはいるんでしょ、今朝襲ってきたやつみたいなのが」

「まあ、いるわね。でもそんなやつは見ればわかるし、だいいち購買には来ないわ。だって命輪を受け継ぐやつなんて、大半はいいところの子だもん」

 そんなものなのか。僕は自分を納得させながら、みょうりんの渦巻く購買へ歩を進めることにしたのだ。

「ごめんねえ、売り切れちゃったの。また明日きてね」

「え、さっきまであんなにあったのに」

 見ると山のようにパンが積まれていたトレイには、見渡す限りの無が横たわっている。いつのまにかおばちゃんも生徒も消え去っていた。パンが売り切れたというだけなのに、異様な静寂が広がっている。

 新作の桜もちパンを楽しみにしていただけに非常に残念だ、などと言っている場合ではない。

 昼食が、ないのだ。

「すまねえなあ、一足先に俺が買っちまったよ」

 そういって話しかけてくる男は、持参した段ボールにありったけのパンを詰め込んで笑っている。そして見まごうはずもない、彼は命輪使いだった。それも黒く濁った色をしている。

「だが少しくらいなら売ってやってもいいぜ。ただし、三倍の値でな」

 僕らの空腹を分かっているのか、男は指を三本立ててこちらに近づける。品のない口元は下劣に歪んでいた。

「あなた、その金はどこからきたの」

「どこから? おや、随分おかしなことを聞くじゃねえか。俺の金に決まってんだろ」

「ふん、そのきたない制服を見ればわかるわ。あなたは数千円という金がぽんと出せるようなやつじゃない」

「制服? ちょっと転んじまっただけさ。それともなんだ、てめえはそんな金も払えねえのか? もう少し俺の機嫌をよくしてくれりゃあ、めぐんでやったのになあ」

「あなたが手に取ったパンなんか、手垢臭くて食べれやしないわ」

 正親くん、帰るよ。食欲失せちゃった。愛未がそう言って校舎側に踏み出したとき、僕は脳が揺れるような感覚に襲われた。それはまるで、嫌な予感自体が質量を持ってのしかかってくるようだった。

「なるみ、危ない」

 直後、発射された二発の弾丸は愛未の頭部と心臓を狙った。新型であろうサイレンサーは異常なまでの消音性能を発揮し、これでは誰も騒ぎに気づかないだろう。銃口から三メートルの距離。もし愛未が予期していなければ、どちらも回避するのは不可能だった。

 だから僕が、この男に対し正対する。どうせ僕のもとに、全て集まってくるのだから。

「てめえ、全部掴みやがったのか」

「そういうことになるね」

「ああ? てめえもあの女と同じで、俺に逆らうのか。どうだ、てめえにも売ってやるぞ。無論、三倍でだがな」

 僕は周囲を再度確認した。さすがに校内で事を構えるのは、慎重になるべきだった。

「はあっ!」

 一気に距離を詰める。この間合いであれば敵が発射できる弾は一発が限界だろう。それであれば、問題はなかった。

「甘えなあ、甘えよ」

 奴は腕を目一杯伸ばして、二発目を構えてきた。その先には僕の心臓がある。とっさに両手を胸に寄せ、後退した。

「なんだ、てめえは銃を持ってねえのか。弾をつかんで止めるようなばかげた偶然も、何度もはつづかねえ。てめえはここで死ぬんだよ」

 奴はおそらく命輪使いを狙って金を巻き上げているのだろう。これほどの殺気が放てるものばかりではない。命の危険を察して大人しく金を渡すものもいたはずだ。

「おい」

「なんだ」

「お前はなぜ、命輪を欲しがる」

「ああ? んなもん決まってんだろうよ。これさえあれば何でも思い通りにできんだぜ。特に弱っちい命輪使いなら何もしなくてもいいなりにできる。そして命輪を奪えば、そいつの才能の一部を手に入れることができる。わかるか? 勝てば勝つほど強くなる。より多くの人間を思い通りに使えるんだよ」

「それだけか」

「馬鹿な事を聞くな。それだけに決まってんだろ? 他に何があるんだ」

「それなら、こちらにも手はあるわ」

 僕の背後から来た一発の弾丸は男の左心室に向けて直進した。男は回避せざるを得ない。僕はそのタイミングで動いた。敵もさすがに一発撃ってきたが、僕の心臓には届かない。

 懐に潜り込んで肘打ちを食らわせ、左膝、右腕の順で叩き込み、そして銃を持った右腕を取る。そのまま左手で右手首を捉えたまま背後に組み付く。

「殺したらだめ。こいつは小物。校内でまだしてもらうことがあるわ」

「わかった」

「おい、ちょっと待て、待てって」

 くっと右手を引き、敵が回転して向かい合う。反射で前に出てくるその首筋に右手首を叩きつけ、宙に浮く敵をそのまま地面にねじ込む。本来であれば十分ダメージを負わせた後にするものだが、この程度の相手ならこれくらいで問題はなかった。

 出血まではいかないが、ひとまず意識を失っていた。

「あなた、見かけによらずやるのね」

「見かけによらずってなんだよ」

「その細い体でよく言うわ」

「パン、どうする?」

「いくつか持っていってもばれないわよね」

「そうだね」

 僕は箱の中から、カツサンドやチーズケーキなど普段は買えないようなものを手に取った。愛未は菓子パンを数種類。桜もちパンは、さすがに人気のようで一個しか入ってなかった。

「お昼にしましょー」

「そうだね」

 男を購買のカウンターに寄せてやり、残ったパンも回収してふたりは教室に戻った。僕はひとまずの安堵によって、その先で待っている問題を忘れていたのだ。

「ねえ、これあげる」

「いいの? ありがとう」

「あ、おーい、これ、どうぞ」

「僕にまでいいのかい。じゃあ遠慮なくもらっておくよ」

 片っ端から命輪使いを捕まえてパンをあげる。多くは初対面だが、あの男に苦しめられていたものも多いだろう。また実力あるやつに対しては、宣伝の意図もある。ふたりぶんの生きた命輪が並んで歩いていれば、手出しもしづらいだろう。だがそのような問題は、教室に戻ることに比べれば些細なものだった。

「じゃあ、いただきまーす」

「お、おい、本当にこうして食べるのか」

 教室の真ん中にある僕の机にその前の愛未の机をくっつけて、一緒に食べる。それはある種事件だった。男生徒だけでなく女生徒までも、その奇異な光景を憚らずにじっと見ていた。

「ふーん、正親くんは私に遠くから見られててもいーんだね」

「いや、それはやめてくれ」

「じゃ、一緒に食べよ」

「わかったよ」

 そうは言うものの、彼女があいつに手を焼いていたことは見て取れた。少しだけ何かを言いづらそうにしていることからも、僕といることに対する利益を感じざるを得ない。僕とすれば、たまったものではないのだが。

「あ、そーだ」

「なに」

「これ、あと一個しかなかったね。あげる」

「いいよ、君が食べたかったんだろ」

「いーの、口開けて」

 そういって愛未はふわふわのパン生地をひとかけらちぎると、その左手を僕の方に向けてくるではないか。

「待て、それはまずい」

「そんなことないよ、おいしーよ」

 そうではない。さっきのふたりなんかはもう命輪使い顔負けの殺意を背中に突き刺しはじめているし、女生徒なんかはひそひそ話しながらこちらを見ているではないか。

 パンが近づくにつれ、僕の体が遠ざかる。下がる距離には限界があり、僕は彼女の左手を右へ左へかわした。

 その応酬にも飽きてきたようで、愛未は右手をブレザーの襟の中に突っ込んだ。それは卑怯な奥の手だ。その瞬間に、僕の負けが決定した。

 桜もちパンは優しく口の中に入れられる。僕が口を閉じると、つんと唇に指が触れる。この美形でやられるとさすがにどぎまぎしてしまうが、僕は神妙な面持ちでパンを咀嚼した。

 結論から言えば、とてもおいしかった。桜の香りというのはよくわからないが、蒸しパンのような生地と塩漬けの花弁によく合っていたと思う。だが、僕が何に対しておいしいと感じたかは、もはや察するべきであろう。

 逆に言えば、僕はその点で非常にまずかった。

「それでさ、正親くん。真面目な話なんだけど」

「……なに」

 満身創痍の僕に対して、彼女がしそうな真面目な話など山ほどあった。僕は正直何も聞きたくなかったが、致し方なし。促すことにした。

「さっき廊下で見た命輪使い、十三人いたと思うけどどう思った?」

「どうって言われてもな。そんなに強い光じゃなかったから」

「そうなの。あれは自覚なく命輪を得てしまったかわいそうな子たち。もしかしたら、標的にされるかもしれない。なぜかつあげを受けてるのか、わからない子もいるでしょうね」

「そんな、彼らは助けてあげられないのか」

「本来であれば、よわい命輪なんかいくつあったって仕方ないの。多分あの子達のを五十個集めたってあなたのものひとつに届かないわ。でも危険はあるから、転校なら何人かには勧めたわ。でもね、その先に平穏があるなんてわからないのよ。ひとりの命輪使いに全部殺されちゃった学校もあるんだから」

 それはおかしな話だった。高校生が大量に死んでいるのに、ニュースにもならないなんて。その家族は、友人は、何を思っているのだろうか。

「だがそんな話僕は聞いたことない」

「なんででしょうね。外には広まらないのよ。学校という狭い世界だからじゃない。命輪使いが街からひとり消えたって、多分変わらず世界は進んでく」

 それがどれだけ重要な人でも。僕はこの小さくて豪気な少女が見せた表情が、やけに印象に残った。

「じゃーね」

「はあ、はあ、じゃあな」

 駅で彼女と離れる時、僕はもう死に体だった。男からの暴言、暴力。女からの質問攻め。愛未のクラスでの地位がどこから出ているのかは依然不明のままだが、それを得てもおかしくない容姿と立ち居振る舞いはしている。僕はどうしてもそれに納得がいかなかった。

 夜になっても、彼女の殺気くらいならぐっすり眠れるようになっている。窓の前に立たなければ銃弾は来ないし、教訓を生かして防弾ガラスに替えてあるため拳銃弾程度ではヒビも入らない。

 だが、僕はこの夜に目を覚ました。これは大変なことだ。なぜならそれは愛未ではないからだ。この曜日は彼女が来ないというのもあるが、そもそもの気配が違った。明らかに色の異なる殺気をまといながら、こちらに狙いを定めている何かがいた。

 窓辺に向かうわけにはいかなかった。もしその命輪の力というものが、銃の威力を高めるものだったら。僕の命輪の力だって、そもそもこれが銃の才能なのかは疑問符がつく。銃弾が自分に向け飛んでくるとか弾を手で止められるだなんて、強力ではあるが非常識すぎやしないか。

 僕はこのまま奴のせいで眠れないのが、全くもって気に入らなかった。だから危険を承知で見ることにしたのだ。

 一発の銃弾はガラスに円形の跡を残して突き抜け、僕の手に収まった。やはり敵の命輪は威力強化だったのだ。そう思った僕はなんとか止められたことにほっと胸をなでおろし、その手を開いた。

 激痛は、その時から始まった。無数の針が勢いよく神経に突き刺さるような、感じたことのない痛みだった。銃弾に触れた部分が赤く爛れ、血が出ている。つんとする臭いで僕はすぐにわかった。

 酸だ。敵の命輪は威力強化などではない。酸をまとい腐食させる効果を持っている。しかも溶かしたのはガラスだ。無機有機問わず、多くの物質に対し効果を及ぼすことができるらしい。今正気を保っているのも、僕の命輪の力がてのひらを守ったからだろう。

 ともかくそれが敵の命輪の性質であるとすれば、僕の技が一切通用しないということになる。おそらく次右手でこの弾を受けようものなら、肉まで溶けるだろう。僕では、それ以上太刀打ちできなかった。

 不意に殺気が消える。僕の胸に去来したのは安堵か、あるいは恐怖か。

 いずれにしても、このことは愛未に伝える必要があった。学校の生徒である可能性は大いにあるし、彼女ひとりではもしかしたらということもある。

 だが僕の体はなによりこの異常なまでの疲れから解放されたがっていた。死ぬ思いで消毒し、ガーゼをあてがう。あとは忘れて寝るだけだ。それでもう一発止められるほど回復していることを祈る。明日平穏であるとはとても言い切れないからだ。あともうひとつ、すべきことを思い出した自分を褒めてやりたかった。

 七条愛未と出会ってから、薄々感じていたことが現実になりかけている。

 何事もない日常というのは、やはり訪れないらしい。


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