第1話 みょうりん

 握った手をゆっくりと開いた僕は、そこにひとつの鉛弾を見た。未だ回転を続けるそれは、ひとしきり熱を放ったのち静止した。人の多い通りで特定のひとりを狙うのは容易でない。だからこそ僕は、それが誰によるものかわかったのだ。

「なるみ、出てきたらどう」

 その呼びかけに応える声は、何もない虚空から響いた。人ごみをまるでいないかのようにして彼女、七条愛未はそこに現れた。低めの背丈は人ごみによく紛れる。つややかな見た目よりよほど軽い髪を揺らして、彼女は笑みを作ってみせた。

「また外しちゃった。つまんないな」

「当たったら死ぬから」

「いーじゃん。死のうよ、正親おーぎくん。そして私に命輪みょーりんをちょうだい」

「嫌だよ」

「ふーん、そー。じゃー仕方ないね」

 彼女の考えは全くもってよくわからない。わかることは彼女と同じ学校に今日も通うということだけだ。それも今日でひと月が経つ。こうして隣を歩きながらも、その右手はいつもブレザーの懐の中だ。どうやら彼女は、本気で僕を殺す気らしい。

今日きょーはいつもより混んでるね」

 満員電車の中ではさすがに仕掛けてこないだろうと思っていた。だがどうも彼女が持っている銃はよくできているらしい。彼女曰く、人が多すぎると逆にやりやすいそうだ。

「右手を出しなさい」

「このまま出したらみんなに見えちゃうよ。それでもいーの?」

「何も持たずに出しなさい」

「やだ、そんなことしたらあなたが逃げちゃうじゃん」

「だいたいなぜ僕を殺して奪おうとする。君なら、誰もいないうちに忍び込むことくらいわけないだろう」

 いきなり距離を詰め、固く握った右手を引き抜こうとする。

「それはあなたには関係かんけーない」

 僕は必死でそれを止める。こんな場所で抜かれたら最期だ。彼女の前では、逃げも隠れもできはしない。だからこそ一瞬たりとも気を抜くことはできなかった。

 学校のある朝霜台のホームに降りると、同じ服を着た人が同じ方向へ進んでいく。僕は彼女の右側をキープし、その腕に自らの肘をあてがう。歩幅も小さくしてすぐに動けるようにする。周りから見れば余程珍妙に映っただろうし、あらぬ噂も立ちかねない。だがその苦労も、もう少しだった。学校に着きさえすれば。

 だいたいなぜ、彼女の奇行は学校に見つからないのだろう。口径が小さいといっても女子生徒の小さなブレザーに収まるとは到底思えない。これまでの経験なのかは分からないが、彼女は僕の感情の機微のうち知られたくない部分を正確に見抜くことが出来るようだ。僕のプライベートなど、既に存在していなかった。

 日が傾き空の色が変わる。それは僕にとって安息の終わりを意味していた。これで駅前で別れるまでずっと気を張っていなければならない。実を言うと、彼女は授業中僕を威嚇するふりをして少し眠っていた。気づかなかった僕も情けないのだが、ともあれ体力全快の彼女は、いつ仕掛けてくるか分からないのだ。

「帰るよ」

 自分から誘うようになった。近くにいてくれるのが一番好ましいということに気が付いたのだ。遠くから狙われていると考えるととてもじゃないがやっていられない。

 無事に電車に乗り終える。帰りは空いているが、だからといって油断できるわけではない。近くに寄っていてはあまりに不自然なのだ。残念ながらこの女、美人で人当たりがいいのだ。同性に対しても異性に対しても、無用に敵を作ることは避けなければならない。それはもはや学校生活に関わってくる。

 僕がまだ気を抜いていないぞと手を振ると、そこにひとつの鉛弾が収まる。それは彼女からのメッセージだろう。

 内容は、明日こそは殺す、と言ったところか。

 何にせよ僕は、昨夜自室の窓から感じた視線を気のせいだと断定するために帰宅した。

 夜半。僕は目を覚ました。別段体調が悪いわけでもなく、悪夢を見たわけでもない。この目覚め方には、心当たりがあった。僕は跳ね起きて窓を開ける。開けなければ窓が割れるからだ。掌に残る重さがいつもと同じであるという確信。気のせいではないという落胆を抱えたのち、僕は眠りにつくことにした。寝る前に僕はいつもひとつの弾を手にする。彼女が「命輪」と呼ぶものはおそらくこれだろう。三十八口径の銃弾で、ひとつの円形の刻印がなされている。それは家族のいない僕にとってお守りだった。そのお守りのせいで何やら狙われているから困りものではあるが。

 明日は何をされるのか。闇の中の僕はそんな不安を抱くことさえも面倒になってきていた。

 愛未と接するも大分慣れてきた。といっても不意に見せる強烈な殺気はいかんともしがたい。この日は彼女がせめて見せてほしいというから、鞄の一番奥に命輪を埋め込んである。

 これを手放すことで当面の危険から解放されるのならよいのではないかとも思ったが、やはり渡す気はない。そこに刻まれた刻印は父親の形見だからだ。父は結局、競技射撃の技術以外何も教えてはくれなかった。そして僕は中学で射撃をやめた。流れ弾に当たることが不自然なほど多く、危険を感じたからだ。それは生まれながらの不運なのだと思うことにしている。それでも、僕の弾はよく当たった。大会などに出ても流れ弾はよく当たるが、的にも高い精度で当たった。だから注目もされたけど、その頃からうっすらと銃口の気配を常に感じていた。

 手を握る。開いたらそこにひとつの鉛弾がある。今日はこの方向からか。僕はいつも通り振り向いて読んだ。

「なるみ、おいで」

「あれ、今日はなんだか優しーね」

「疲れてるの」

「そっか。じゃあ、今日こそ死んでくれる?」

「嫌だよ」

 そう言ったいつも通りの言葉を交わす中で、彼女がかばんの方を見ていることに気がついた。

「おやおや? 今日は命輪がふたつあるぞ」

「ふたつ?」

「そ。しかしこれは相当そーとーな力を持ってるね。あなたより大きいんじゃない?」

 まさか。僕はいきなり現れた思考に蓋をした。そんなわけはない。僕はいつも銃弾をもっていないし、そもそも自分の銃弾なんてない。

 ひとまず駅に入ろうとする。すると初めて両手を空白にした彼女が手を引いてきた。

「今日は歩いていこ」

 確かに今日は少し早いが、それでも歩くとかなり時間がかかる。だが、間に合わないというわけでもない。それよりも、今日は彼女の目当てのものを持っている。誘いに乗らなければ何をされるのかわかったものではなかった。

 都会の人波を横に爆弾を抱えながら、僕は歩く。最近やっとわかったことで、ごく初歩的なことなのだが、左手で彼女の右手を握っている間はどうもおとなしい。どころか左手を大きくふり、鼻歌交じりにスキップまで始めるのだ。

「今日は元気だな」

「そーかな」

「それで、なんで今日は歩きなんだ?」

「あ、そーだ。なんで今日は命輪がふたつなの?」

 なあ、それなんだが。僕は今更このようなことを聞いてみることにした。

「命輪って、なんだ」

 彼女は左手を自らの口にあてがい、驚いたような顔をした。

「え、ええっ。あなたがそれを聞くの。だって、そんなきらきらした命輪持ってる人見たことないのに」

「僕は命輪というものについて、本当に何も知らないんだ」

 彼女はやれやれとひとつため息をしたのち、いつもより低い声で話し始めた。

じゅーにはライフリングってあるでしょ。製造せーぞー工程こーてーで必ず誤差が出ちゃうから、全ての銃は見分けることが可能になる。命輪という名はそれから来てるの。ひと言で言っちゃえば、銃に関する才能さいのーみたいなものよ。当てやすくなるとか、当たりにくくなるとか。あなたが苦もなく飛んでる銃弾を掴めるのはその命輪の才能のためよ。そしてそれは、ひとつの銃弾に埋め込むことが可能かのーなの。それはたくさん集めると人の願いを叶えると言われている」

 だから、あなたを狙うの。そうまっすぐに見つめられても、僕は聞き返さねばならなかった。

「待ってくれ、理解が追いつかない。つまり君がいう命輪ってのは人間にとってのライフリングで、銃撃の才能まで左右するわけだ。そして銃弾に宿ったとき、それは願いを叶えるアイテムになりうる、ということだな」

「そのとーりよ」

「君の話によれば、確かに今日は僕ともうひとつ命輪を持っている。だがなぜ、君にはそれがわかる」

「簡単よ。命輪の力を使えば、優れた命輪はそれ自体が光って見えるもの。あなたにもできるはずよ」

「でも、そんなの見えたことないよ」

「あら、でも毎晩私の気配感じるでしょ?」

「あれだけあつい視線よこせば、誰だって気配感じる」

 そう言うと彼女はぷいと顔を背ける。

「そ、それは悪かったわね。とにかく、強い命輪を持つ人は限られるからまだ気づかないだけよ。凡庸ぼんよーなものなら銃を持っただけで顕現するから、実銃を持ったことのある人は見ただけでわかるわ」

「そんなものなのか」

 じゃあ、目を閉じてみて。五秒間耳を塞いで。言われた僕は、恐る恐るその通りにした。

「はい、じゃあ私はどこにいる?」

「えっと、左後ろだね」

 そう言うや否や、背中に金属の冷たさを感じた。

「せーかい。やればできるじゃん。それを研ぎ澄ますと、人ごみを見ただけでわかるようになるんだよ」

「わかった、わかったからその銃をどけてくれ」

 僕は必死に手をあげる。人通りが少ない場所を狙ってこういうことを仕掛けてくるのだ。それに通りから見れば背中から抱きつかれているようにしか見えないだろう。彼女はそういうとこばかり巧かった。

「はいはい、じゃ、今日の購買こーばいおごりね」

「はあ、勘弁してくれよ」

 ふたりの通学路はそろそろ終わる。この細道を抜ければ、そこは高校の裏手になるのだ。

「はあ、今日は学校つく前から疲れたよ」

 そう言っても、彼女は応えない。ふと見るとしきりに辺りに気を配っていた。

「どうしたの」

「命輪が、来る。それもとても大きなやつ」

 ふと感覚を集中してみる。すると彼女のものとは別の強い光が見えた。それは見るからに邪悪な赤い色をしている。

「ああ、あれだな」

「わかった? じゃあ、行くよ」

「行くって、どうやって」

 そういうと彼女は銃を細かい動作で抜き、三発撃った。光の周囲三点を狙ったもので、こうすることにより回避は困難になる。

 直後、僕の周囲の空気が震えた。無心で手を動かすと、四十口径はあろうかという大きな弾がおさまっている。顔を上げると、路地の先から低い声が聞こえてきた。

「今日は大量だと思ったら、二人か。一年一組の正親に七条。相当なサイズだな。では、もうひとつは何だ」

「あんたに言うことじゃないわ」

「そうか、ならば死ね。そして命輪を置いていけ!」

「まずい。この距離では、よけられな……」

 彼女は両手で心臓を隠す。命輪は心臓に組み込まれており、死んだら銃弾に移さなければ一時間くらいで消えるらしい。

 そしておそらく、この銃撃は全て彼女を狙ったものだろう。だがそれは一発も当たらない。ばかりか全て僕の方に飛んで来るのだ。

「あら?」

「ふむ、悪運だけは強いようだな。だがこれが見切れるかな?」

 男は左手もポケットから抜き去り、二丁で攻め立ててきた。僕はできるだけ彼女が入らない射線にたち、ひたすら弾を避けた。彼女は右へ左へ動きながら応戦する。男もだんだん距離を詰めてきており、射線をずらしきれなくなった。

「そこだ!」

 男の放った銃弾が彼女の脇腹を撫でる。制服には摩擦で一本の線が引かれていた。無論肉に食い込めば無事では済まないだろう。男はいったん引き金を引くのをやめ、とどめの狙いを定めた。

「こうなったら、やるしかない」

 僕は彼女の手を引き後ろに回すと、男との距離を詰めた。

「銃を持たない、足手まといのお前に何ができる」

「できるさ」

 二発放たれた弾はどちらも過たず僕の胸めがけつきすすむ。であれば、どうとでもなる。その手を開き、そして、閉じさえすれば。

「な、まさか、そんなことが」

「せあっ!」

 かけ声とともに、握った手に力を込める。そのまま光に向かって右の肘を叩き込んだ。男が虚を突かれうずくまるのを、彼女は決して見逃さない。銃声は一回、それだけで十分だった。

 暗い路地に静寂が戻る。僕は男のそばに寄って、思わず声を漏らした。

「これ、うちの制服じゃないか」

 彼女は後ずさる僕を尻目にポケットから銃弾を取り出す。それには穴が開いており、死者にかざすと命輪が刻まれるようになっている。彼女がたまに首から提げているのはこれなのかと、ひとり納得する。

「そうよ。この学校がっこー結構けっこーいるのよ。多くは命輪を狙ってる」

「でもそんな気配無かったじゃないか」

「そりゃあ人の目は怖いしね。だけど学校は法の目の行き届きづらい場所。何が起こっても不思議じゃない」

「そんなものか」

「あとあなたの光が強すぎて近寄りづらかったのもあるのよ」

「君は狙ってくるじゃないか」

「あなたの近くにいると、狙われにくいのよ。一石二鳥ってやつね」

「そうかいそうかい」

 僕は手首を見てはっとする。もうこんな時間になっていたのか。

「おい、急ぐぞ」

「はいはーい」

 遠くからかすかな命輪を感じる。おそらくは一般の警官だろう。男がマグナムを使ったため、急がなければ見つかる危険もある。ふたりは大急ぎでこの場を離れることにした。

「なあ、一応聞いておく」

「なーに?」

「僕を殺して叶えたい願いって何だよ」

 彼女はそれを聞くとすこし目をそらし、かすかに口を開いた。

「あなたには、関係かんけーない」

「そうか、ならいい。それを聞くまでは、絶対に死んでやらないからな」

 ふふっ。彼女の頬が緩む。それは今までの表情とは全く違う、透明度の高い笑顔だった。

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