開かれた匣 -5-

ハサミが胴を掠め、カッターが喉元で空を切り、ボールペンが眼球を狙い顔を横切る。

待ったなく襲い掛かられる蓮太郎は、多勢に無勢で一瞬が命取りになるそれを必要最小限の動きで躱していた。


(動き自体は単調だけど、やっぱりフィジカルが異様だ……これじゃまともに接近戦も出来やしない)


相手には作戦らしい連動は見られないが、ただ純粋に粛々と敵を葬ることを遂行しようとするその動きは、攻撃に間を作ることなく蓮太郎に襲い掛かり続ける。

極力被害を抑えようと模索するが、さっきのような相手を封殺する手を一人に使えば確実に残りが襲う。ジリ貧の状態に蓮太郎は苦心をしていた。


(多勢に無勢だなクソっ。なんとか囲まれないようにしてはいるけど、この異常な動きを4人にされていたらもう時間の問題だな。……形振り構ってられないか)


蓮太郎は一つ大きく息を吐くと、4人の位置を見ながら後退していく。

よくよく辺りを見ると今いる部屋は備品室だったようで、棚やラックに物や箱がそこかしこに置かれている。

蓮太郎は後退を続けながらタイミングを見計らい、4人の攻撃のほんの一瞬のインターバルを狙って横のラックを思いっ切り引っ張る。ラックはそのまま4人目がけて倒れるが、反応速度も常人ではない4人は前方後方それぞれに分断して瞬時にそれを回避した。


「悪く思わんでくれな」


ラック前方に避けた内の一人にすかさず蓮太郎は間合いを詰めると、狂いなく掌底で相手のみぞおちを打ち抜く。衝撃に呼吸もままならなくなった相手がするりと得物を落とすと、そのまま懐へ入り込み壁へ向けて背負い投げる。

一人を戦闘不能にすると蓮太郎はすぐさま振り返り、距離を詰めてハサミを突き出す相手のその持ち手ごと回し蹴りで薙ぎ払う。そのまま回転の勢いを利用してピンポイントでこめかみに裏拳を叩きこむと相手はその場に崩れ落ちた。


「あとは」


気配を感じ目線を向けると、残りの2人が倒れたラックを回り込んで左右から攻めて込んで来る。

蓮太郎は散乱した備品から介護用で使われる杖を取ると、右から来る男の顔面目がけて槍投げのようにそれを放つ。男は反応しそれを避けるが、間髪入れずに放たれたもう一本の杖が男の下腹部に減り込み膝から崩れる。

その間に左から接近してきた女子学生が一つの躊躇もなく頸椎をボールペンで狙い刺そうとするが、蓮太郎はそれを最小限の動きで躱し容赦なく顎に平手打ちをかます。よろめいた相手をそのまま捕まえると女性という気遣いを丸ごと取っ払って、立ち上がろうとする片方の男へ向かってそのまま背負い投げ互いを衝突させた。

二人は絡まりながら動きを失くす。


「ふー」


無闇に人を傷付けないよう一挙手一投足を調整していた蓮太郎だったが、完全に腹を割ったように染み慣れた自分の動きを存分に発揮をした。

お詫びの気持ちを込めてその場で一つ合掌をし、警戒を強めながら蓮太郎はその部屋を出る。


(なんとかなったけど、ここからどうするよ)


警戒をしながら廊下の左右を見渡すが人の気配はない。

直後、気味が悪いくらいの静寂な空間にスマホの通知音が鳴り響く。見ると、ゼミでグループ登録してあるそこから電話がかかってきた。

蓮太郎は不穏な空気を感じながらも通話ボタンをタップする。


「……なんすか?」

『なんすかはないだろうー。ただの安否確認じゃないか』

「否しかないでしょそれ」

『悲しいなー。いつからそんなに先生を邪険するようになったんだ』

「現在進行形でですよ。こんな茶番も含めて」

『悲しいなぁ。私を信頼しない生徒がいるっていうのは実に悲しい。羽柴。やはりお前も粛清しないといけない』

「信頼してないから粛清ってどんな理屈っすか。ご免こうむりますね」

『もうお前の連れはすでに捕らえているぞ?』

「は……?」

『一人で乗り込んで来たがあっけなく返り討ちだ。まだ生かしているが私の気が変わらない内にこっちに来なさい』

「……その人に人質として狼狽えるほどの情はないんだけど」

『ははっ。強がりか?』

「結構本音なんだが……まぁ後味は悪くなる、か。行くから待ってろ先生」

『無事に来ることを願っているよ』


蓮太郎は舌打ちをして電話を切る。

無事に済ます気が無い白々しさに苛立ちが収まらないも、ひとまず最初の講話室へ踵を返す。

まだ残っている刺客への対処が出来るよう神経を尖らせながら蓮太郎は廊下を駆ける。

しかし幸いにも、道すがらでは誰とも遭遇することなく蓮太郎は講話室に辿り着く。すでに相手のテリトリーと化しているそこを、完全なアウェーを覚悟で蓮太郎は自分が破壊した吹き曝しの入口をくぐった。


「なんだ。無事だったか」


横柄に腕も足も組んで椅子に座っていた花園が、下賤の者を見るような目で蓮太郎を出迎えた。


「……なんて言い草だよ。で、あの人は?」

「ん?そこにいるだろ?」


指された方を見ると、教壇の上でうつ伏せになって二千花が倒れていた。


「心配するな。まだ生きてると思うぞ。まだな」

「まだ?」

「そいつには呼吸を止める命令を下してやったんだ。講習の救護訓練で習っただろ?人間は心肺停止5分で限りなく生存率が0になる。心肺停止からお前が来てまだ2分ってところだから今際の際ってとこじゃないか?」


嬉々の表情を浮かべながら語る花園を見て、畏怖と嫌悪が混ざり合ったようなけたたましい感覚が蓮太郎の中を満たしていた。

それでも自我が危うくなるような思考の乱れは蓮太郎には無かったが、もうすでにカウントダウンが始まっている事実を理解しつつもその場から次の行動を選択できないでいた。


「どうした?何もしないのか?」


皮肉しかない言葉を投げる花園。

正確な情報が何もない中で、人を操る力を持つ相手に迂闊に飛び掛かるリスクが蓮太郎の行動を制限していた。


(分かってるはずなのにあの人は馬鹿みたいに近付いてあーなったんだろ絶対。なんでこんな面倒ごとしか起こせないだよ……!とは言えホントにもう時間がねぇ。どうする?)

「あー、不快な目だな。なんでお前たちはそんなに苛立たしい目を私に向けてくるんだ」

「あ?お前たち?」

「あいつらもそうだったよ。少し遊んでやっただけなのに真に受けやがって。挙げ句誠意を見せないとヤったことをバラすとか言い出す愚か者さ。男と女。教師と生徒。上下も主従も本来はハッキリしているのに」

「あんたそれ、今回の事故に遭った奴らの事言ってんのか?」

「身の程も弁えない輩はそれだけで害!そしてそれを裁くためにこの力を授かったんだ。言い寄る女に触れた時に私の望む行動をそいつが目の前で実行した。その瞬間からだ!体以外に関係を求めて来る女も、人をいびってくる筋肉しか能のない教師紛いも、価値の欠片も無い人種はこの手で使役してやるしかないと気付いたのは!」

「……クズだな」


人が変わったかのように堂々と悪態を晒す花園に、蓮太郎は軽蔑の念を抱かずにはいられなかった。


「だからそんな目を私に向けるんじゃあない!」


気付くと蓮太郎の眼前に、掴みかかろうとする花園の手のひらが迫る。

蓮太郎は咄嗟に体を反らせ、無理な体勢になりつつもスウェーでそれを避けた。


「避けるんじゃない!」

「避けるだろっ!!!」


操られた学生らとは比にならない速さと反応で蓮太郎の首から上を狙う花園。

蓮太郎は染み付いた体捌きでそれを躱していくが、予想以上の動きの速さに必死さは隠せないでいた。


「生意気なほど躱すなぁ。首から上に触れられれば手っ取り早いのに」

「知るかそんなの」

「多少手間だが惜しまず行こう」

「っ!」


花園の手腕が蓮太郎の体に軌道を変える。

それもすんでのところで避けるが、狙い目が増えた攻撃が蓮太郎に襲い掛かり始める。的を絞られていた方が読み易かった蓮太郎にとって、手当たり次第のその猛攻は避けるだけでも熾烈を極めていた。


(くそっ……!動き自体は素人だからなんとかなるが、触れられたらヤバいっていう縛りが厄介過ぎるぞ!?)


反撃に出るタイミング。しかし、一度でも触れられれば状況が一変する事が分かっていた蓮太郎にとって、攻めに転じるという選択肢は必然と封じられてしまっていた。


「どうした?本当に避けてばかりじゃないか。このままじゃ時間の問題だぞ?」

「あそこで倒れてる人の二の舞はご免なんで。早々とやられてたまるか」

「往生際が悪いな。ただ、どちらにしてもだ」

「なにを、っ!?」


花園の不敵な笑みを垣間見た瞬間、頭への衝撃と共に蓮太郎の視界が激しく揺れる。何が起きたか分からない中で蓮太郎は体をその場に擲った。

右の側頭にハッキリと分かる熱を感じ、顔を沿うように赤い液体が伝う。少し朦朧としながらも自分が流血している事実に蓮太郎は気付く。


「あ……?」


視界の傍らに何かがバラけた欠片が映る。それは花園の部屋に置いてあった飛行機の模型であった。


「あーっははーーーーー!!!かかった!まんまとかかりやがった!!!」

「っ……」

「タイミングが来たら飛ばせるようにしておいたんだよ。人以外にも使える事を忘れたか?」

「くそっ……」


まるで鈍器で殴られたかのような予想以上のダメージで、上体を起こすのがやっとの蓮太郎。

それを花園は大人げなく嘲笑いながら見下ろす。


「分かったろ羽柴?力がある者が正しくて力のない者が無価値であると。な?なぁ?なぁぁぁ!!!」

「……狂ってんな……」

「あぁ、まだ生意気な目だ……分を弁えてない愚か者の目だ。あー耐えられない。もうとっとと終わりにしよう」


まだ上手く体が動かせない蓮太郎に歩み寄る花園。侮蔑に満ちた目で蓮太郎の首に狙いを定め手を伸ばす。

蓮太郎は体の制御を試みながら、迫り来る手をどうにかすべく思考回路をフル稼働させていた。


「……生意気な目ね」

「んん?」

「それってこんな感じですかね?」

「は?なっ!?」


蓮太郎と目が合った花園が不意にたじろぐ。

破れかぶれ。蓮太郎の目はまるでカメレオンかのように左右外側を向いていた。


「らぁ!!!」

「ぐふっ!?!?」


驚いて動きが止まったその一瞬を見逃さず、蓮太郎は腕の力だけで跳ね上がるとそのまま花園の顔面へ頭突きを食わらせた。

花園は受け身も何も無くそのまま後方へ倒れ込む。


「はぁはぁ。ふぅーーー。お前みたいなやつに首根っこ掴まれるぐらいなら、潔く頭差し出してやるよ。いてぇけど」

「~~~~~~っ!!!」


流血する鼻を押さえながらのた打ち回る花園を、力がまだ上手く入らない蓮太郎は両膝に手を付くように体を支えながらその様子を窺う。


「眼球動かすだけとか正直クソみたいに思ってたけど、まさかこんなんで役に立つとは思いもしなかったな」

「~~~~~~~っ!~~~~~~~っ!!~~~~~~~くそっ!!!」

「あっ」


花園がみっともなく四つん這いの姿を晒しながら倒れる二千花の元へ向かうと、そのまま乱暴に体を起こし後ろ手に二千花の首を鷲掴む。


「低俗が低俗が低俗が低俗が低俗が低俗が低俗があぁぁぁぁぁ!!!」


目が血走り、狂気に満ちた形相で蓮太郎へ激高する花園。頭突きを食らったその鼻は無残にもへし曲がっていた。


「動くなよ!?動けば殺すぞ!!!」

「ハァ。そうくるのかよ」

「お前が悪い!いやお前らが悪い!思い通りにならないのが悪いんだよ!!!」

「なんだその理屈。ただの八つ当たりじゃねぇか」

「違う!これは権利だ!義務だ!思い通りにすることを許された私の特権なのだ!!だからそれでお前を裁いてやる!!出向かせた駒を全部こっちに戻してお前を八つ裂きにしてやるっ!!!」

「マジかよ……もう余力残ってねぇぞ……?」

「来い来い来い来い来い来い来い来い来い来い来い来い来ぉぉぉぉぉっぉぉい!!!」

「うわぁ。その必死さがイタイね。てか、何もかも?」

「は?」

「イタイしサムイからもう終了ね。勘違い野郎さん」

「へ?あ?あぁ???」


体を支える力が一切無くなったかのように花園がその場に崩れ落ちる。

それを背にして、ワンピースの裾に付いた埃を払いながら二千花は何事もなかったように立ち上がった。


「レンくんお疲れ様ー♪」

「いや、お疲れ様ーじゃねぇよ!あんた心肺停止にされてたんじゃないのか!?」

「そうみたいだね」

「そうみたいだねって、どういうことだよ?」

「どうって、そもそもこの人の力なんてわたしに効かないよー。わたしの力は正確に言うとだからね。力流されても閉めちゃえばノープログレムだよ」

「……つまり?」

「やられた体でいけば手っ取り早く近付けるかなと思って。ほらレンくんにやった通り開閉には胸に触れれないとダメだからさー。もうご覧の通りだよ。作戦A大成功だね」

「作戦A……囮じゃねぇか!!!!!いや最初からずっと囮じゃねぇか!!!!!刃物とかで襲われてるだけどっ!?操り人形にされそうになったんだけどっ!?頭から流血してんだけどっ!!??」

「うん。もう迫真だよね」

「演技じゃねぇよ!何そのグッジョブって顔!?被害にしか遭ってねぇって言ってんだよ!」

「おーい。終わったかー?」


吹き曝しのドアから覗き込むように山城が二人に呼びかける。


「おーおー。派手にいったな羽柴」

「いや、好きでこんなんになってるわけじゃないっすよ。てか、終わったかってこの騒動知ってるんすか?」

「知ってたって言うか、神楽木こいつは場を荒らすのに躊躇しないからな。それ見越して被害広がらんよう他の学生とかを避難誘導してたんだよ」

「俺の被害は……?」

「んー、まぁー、なんだ、スマン」


諦めたかのように目を細めながら山城が蓮太郎の肩を叩く。


「負担はデカかったとはいえ、これで止めてやったのは花園コイツとっても最低限の救いだ。見てみろ」

「え?」


指を指された方を見ると、崩れ落ちたままの花園が顔面蒼白になって歯をカチカチ鳴らすほどに小刻みに震えていた。


「な、なんだ急に?」

「怖いでしょ?怖いよね。だってあなたは人を殺してるんだもん。パンドラは強い負の感情に呼応して開くからね。開けば理性を追いやって欲望が止めどなく溢れ出す。それはまるで災厄を振り撒くみたいにね。だから『パンドラ』って言うんだよ。理性が戻ったあなたはその災厄に呪われることになる。だってあの欲望も間違いなくあなたのものだから。何も消える事はないから、開けてしまったあなたのこれからの咎として死ぬまで背負ってね」


震える花園の目の前にしゃがみ込み、今までにない静かなトーンで言葉を投げる二千花。今までとは違う情が無いその姿に蓮太郎は少し身震いをした。


「じゃあコイツはこっちで引き取る。あと、あの下の階で死屍累々みたいになってる学生達はお前の仕業か?」

「仕業なんてまたヒドイな~。被害出さないようにちゃんと全員閉めただけだよ?」

「それで卒倒しちまうんだから十分被害ちゃ被害なんだが。まぁ総括して良しとしてやる」

「もっと褒めてくれてもいいのにぃ~」

「機会があったらな。んじゃご苦労さん」

「まったね~」


震える花園を抱え立たせ山城は部屋を後にした。

不意にその場で呆ける蓮太郎。

自分の日常の枠から外れた事の連続で、蓮太郎は思考も感情も整理がままならないまま、言いようのない疲れに身も心ものしかかられていた。


「これで一件落着だし、このまま打ち上げ行っちゃう?」

「いや行かねぇよ」

「えー行こうよー。祝勝会と歓迎会を兼ねてさ」

「あ?歓迎会?」

「これから助手としてやってもらうんだからもっともっと仲を深めないと」

「……言ってることの意味が分からない」

「あ。パートナーの方が良かった?レンくんが望むなら密な仲になるでもやぶさかじゃないよ?」

「どれもこれも違うんだよ!俺は今回ただ巻き込まれただけ。これで全部終わり。あとはご自由にやってくれ」

「そうだね。せっかく籍を置いたし、しばらくはここを拠点でやっていくから一緒に頑張っていこうねレンくん」

「だからっ、話を聞けぇ!!!」


木霊する蓮太郎の渾身の叫び。ただ、そんなのは他所に二千花は満更じゃない笑みを浮かべていた。

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パンドラ・ギフテッド 結城あずる @simple777

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