開かれた匣 -3-
「うん。違和感ありありだね」
立ち入り禁止と封鎖されていた体育館。事故が起きたその場所をまじまじと見つめる二千花の後ろで、制止叶わず自らも無断侵入に至っている事に思い悩む蓮太郎が頭を押さえていた。
「もうある意味天才だわ……」
「急に褒めないでよー。照れちゃう」
「褒めてねぇよ!皮肉だ皮肉!」
「えーなんで?」
「ここまでのを思い出せよ!?封鎖やら立ち入り禁止になってる場所全部、一切なんの躊躇もなしにズケズケと入っていくヤツはいないんだよ普通!」
「何言ってるのレンくん。入らなきゃ見れないじゃん」
「……開き直りじゃなくマジで言ってるその目に驚きを隠せないわ」
「全然気にする必要ないのに」
「いや気にしろよ。巻き込まれて共犯にされている俺を特に」
反論に響かない二千花を、蓮太郎は不満と不機嫌がこもった目で睨む。それでも二千花は気に留める素振りも無く立ち上がり蓮太郎の方へ振り向く。
「さてレンくん。事故と処理されているここのおかしな点はどこでしょう?」
「分かる訳ないだろそんなの」
「その切り返しは助手としてダメだよ~。ほらもっと考えて考えて」
「そもそも助手じゃねぇって言ってんだろ」
「じゃあヒントね」
「聞けよ!」
「ここには部活動で使う予定だったバドミントンコートの鉄柱が立て掛けられていました。何かの拍子で倒れて来たそこに運悪く学生がいて、それを真正面から受けてそのまま下敷きになってしまいました。はいレンくん!想像してみて!」
「想像させるなよ!不謹慎だろ!」
「は~や~く~」
「拒否権すらないのかよ俺には……。あぁ……でもちょっと変だな」
「おっ?どの辺が?」
「真正面から受けてるのはおかしいだろ。それって鉄柱が倒れて来てるのが見えてるはずだよな?だとしたらそのまま下敷きになるのは変だ。避け切れなかったにしても頭を守るなり身を翻すなり何らかの動きはする」
「ご明察♪その子は抵抗をした素振りがないんだよねー。それに。重さ数十キロはある鉄柱が何の反動もなしに倒れるなんてのも奇妙な話だよね」
「まぁ、言われてみればな」
どこかしてやったりの顔をする二千花にもどかしい心情を抱きつつも、奇妙だと語るその内容については腑に落ちる点があった。
「お前たち!そこで何してる!!」
不意に体育館に響き渡る怒号が蓮太郎の背中にぶつけられる。振り向くとそこには、短髪でがたいの良い男が顔を強張らせて入口に立っていた。
「ん?どなた?」
「物理の丸手先生だろ」
「丸手?」
「何をコソコソ言ってる!ここは立ち入り禁止だぞ!早く出ろ!!」
「やっぱりこうなったじゃねぇか。おい。早く出るぞ」
「あぁ丸手!そうだそうだ。どっかで聞いた事ある名前だと思ったら
「ちょっ……!あんた何言ってんだ!?」
場の空気など構う事ない不謹慎な発言に蓮太郎の肝は瞬時に冷やされる。横目で男を確認すると、すでに茹蛸のように顔を紅潮させて強く拳を握り締めていた。
「もう一度だけ言うぞ……。そこを離れて早くここを出ろ」
「おい出るぞ!」
「うーん。めんどくさそうだなー。ちょっと待ってね」
そう言うと二千花はスマホを取り出しどこかへ電話を掛け出した。
重なった不謹慎に我慢出来なくなり、一歩一歩踏み鳴らすような足取りで一直線に二人の元へ向かう丸手。手前数メートルまで近付き口を開こうとしたその時、掛けていたスマホを二千花が丸手に差し出した。
「なんだ?」
「お電話です」
「あ!?電話!?」
「こっちの方が手っ取り早そうなので。どぞどぞ」
「ふざけてるのか!?」
「え?大真面目ですけど?」
「チッ!」
歯ぎしりと舌打ちを鳴らして丸手はスマホを剥ぎ取る。
「もしもし!?誰だか知らないが今取り込み中……え!?はい!?あ、はい。はい。えぇ……は?いや、それはどういう……は、はい。はい。分かりました。はい。失礼します……」
「ね?もういいでしょ?」
「あ、あぁ」
「お勤めご苦労さまです~♪」
「……」
怒りが飛散したような表情で体育館を出ていく丸手。
その姿を意味不明な感情で蓮太郎は見送った。
「何したんだ、あんた……?」
「スマホを貸してあげたよ?」
「いやそういう事じゃなくて。何でスマホ貸しただけであんな何とも言えない顔で出ていくんだよ!?」
「学長の威厳ある言葉が胸に刺さったんじゃない?」
「は?学長?」
「うん。学長」
「いや、真面目に答えろよ」
「もうレンくんまで。至って大真面目だよー」
ケラケラと笑う二千花。本気かも冗談かも取れないその態度に、蓮太郎は怪訝な目で二千花を見ながらも胸が靄つくの感じる。
そこへ再び入口のドアが開く音が聞こえた。
「お。ここにいたか」
「あれ?山城さん?」
「羽柴ぁ。お前、俺の用事も部下も放っておいてどこほっつき歩いてんだよ。おかげで仕事増えたじゃねぇか」
「放っておいたって……いや、元々山城さん達の方が仕事で来てんすから俺のせいにしないでくださいよ。こっちはこっちでイレギュラーに悩まされてるんすから」
蓮太郎はぼやく山城に不服な顔を惜しみなく向ける。
「おいおい。オヤジの小言にそんな目くじら立てんなって。この歳になると愚痴も増えるんだよ」
「年上の愚痴はもうハラスメントっすよ」
「だいぶ溜まってんなー。それで?何でお前が神楽木といるんだ?」
「色々あったんですよ。というか、山城さん達が探した人ってやっぱりこの人ですか」
「この人なんて他人行儀だなー。わたしとレンくんの仲なのに」
「1時間足らずの仲なら文句なしに他人だろ」
「えー。レンくん冷たい~」
「まぁこの際お前たちのいきさつは別にいいんだが、とりあえずウチの若いのを手にかけるのはやめろよ。おかげで俺がお前を探さなきゃいけない羽目になったじゃねぇか」
山城が壁に背中を預けながら気怠そうに話す。胸ポケットからタバコを取り出すが、横に貼ってある禁煙の紙に気付き一つ溜め息をついてそれを元に戻す。
「一服してぇから文句より本題に入るか。詰まるとこ、お前の見解はどうなんだ神楽木?」
「2ヵ所とも見てきたけど、"パンドラ・ケース"で間違いないと思うよ」
「やっぱりそうか」
「でもこれ、開いてから日が浅いんじゃないかな~。力に奢ってるせいか詰めが甘いよね」
呆れたように首を横に振りながら、まるで評論家のように二千花が語る。
「日が浅いんならそれに越したことはねぇな。それで、どんなギフテッドかは見当ついてんのか?」
「んーん。まだそこまでは。それを今助手のレンくんと現場検証してるとこだよ」
「何さらっと言ってくれてんだ。助手の覚えもないし、不法侵入の片棒を担がされてる被害者だ俺は」
「レンくんずっと不法侵入って言ってるけど、学校関係者だから不法じゃないよ~」
「いや、いち学生が関係者もクソもあるかよ」
「ん?関係者って私のことだけど?」
「は?」
眉を互い違いにして蓮太郎が疑問の張り付いた顔を二千花に向ける。
「いや、あんたは部外者だろ」
「違うよー。ほらー」
「……は!?」
徐にジャージのポケットから出した身分証を、二千花が蓮太郎の眼前に突き出す。
そこには本人で間違いない顔写真と名前、そしてありありと「助教」という肩書が記されていた。
「……偽装か?」
「レンくんはもう少し信じる心を養った方がいいと思う」
「信じるも何も、俺はこの学校であんたなんか見た事ないし、職員室の先生らも名前すら知らなかったんだぞ?」
「そりゃそうだよ。今日から着任だもの」
「今日着任って、こんな何でもない時期にか?」
「思い立ったのが一昨日だったからね~。学長さんに頑張ってもらって最短で手続きと手配してもらったの」
「は!?学長!?一昨日!?」
「話が散らかる前に口を挟むが、こいつの言ってる事は浮世離れだが概ね事実だからな」
「いや嘘でしょ」
「いや本当だ」
「……なんでわざわざこんな事を?」
「ん?やだなーレンくん。関係者になった方が調べやすいじゃん」
「マジか……」
あっけらかんと話す二千花を見ながら蓮太郎は小さく絶句する。
「これくらいは平然とやるんだこいつは。どこでどんなパイプ持ってんのか未だに俺も釈然としないがな」
「それでも一昨日連絡して今日この形って、無茶聞き過ぎてないっすか?」
「その無茶も大体どこもだな」
「無茶じゃないよ~。みんなご厚意だよ♪」
ニコリと笑う二千花。
蓮太郎はほんの一瞬、纏わりつくような気味悪さを実感した。
「まぁとにかく。これがパンドラ・ケースなら早速捜査をそっちに切り替えるか。ただ、まだどんな"パンドラ・ギフテッド"か予測が出来ねぇからまずはそこから詰める必要があるな」
「……」
「ん?どうした羽柴?親の仇みたいな顔しやがって」
「……そんな顔してませんよ。ただ話についてけないだけで」
「そりゃそうだわな。
バキキッ!!!
「あ?」
「なっ」
「お~」
山城の言葉を遮るように衝撃音が体育館に鳴り響く。
三人が視線を向けた先には、真っ二つに破壊されたドアと、そこで脱力して立つ丸手がいた。
「なんだなんだ!?」
「あ?そこに突っ立ってんのは、事情聴取にも来てもらった先生じゃねぇかオイ?」
二人の声に反応するように丸手が顔を上げる。
一目ではっきりと分かる浮き出た血管。絶え絶えに漏れ出る息。血走って真っ赤になった目。
先程とは打って変わって別人かと見間違うような風貌であった。
「確かに丸手先生だけど、様子がおかし過ぎないっすか?」
「まぁ、だな」
「え?さっきもあんなんじゃなかった?」
「絶対違うだろ!?あんたはどういう目で人を見てんだ?って、オイ!!!」
無残になったドアの片割れを鷲掴みにすると、丸手がそれを二千花目がけて躊躇も一切なく投げつける。
その動作に反応していた蓮太郎が咄嗟に山城を突き飛ばし、危機感がまるで皆無の二千花を無理矢理引き込んでギリギリそれを回避する。
「おーレンくん。ナイス」
「いててっ。もう少し年配に気を遣えよ」
「なんでそんな軽口を叩けるんだよあんたらは!今かなりヤバかったぞ!?」
「軽口じゃなく落ち着きと言えよ。まぁ向こうから出向いてくれるとは思わなかったが」
「何が起きてんだよ……」
自分達がいた場所に突き立ったドアを凝視しながら蓮太郎は息を飲む。
「鉄製のドアだぞあれ?それを片手でぶん投げるって、完全に人間業じゃないだろ!?」
「確かに常人の域じゃないな。神楽木、こいつがホシか?」
「違うと思うよー。たぶん媒体にされてるんじゃないかな」
「媒体だと?」
会話など待たずして、残りのドアの片割れを丸手が鷲掴む。まるで発泡スチロールかのように悠々とそれを持ち上げると再びターゲットに狙いを絞る。
「あ。待ってはくれないみたいだね」
「あーさすがにヤバイな。今日はなんの装備もないぞ?」
「そこは大丈夫!こっちにはレンくんがいるし」
「は!?何言ってんだ!?」
「さぁレンくん。助手の力を見せつけようー!」
「馬鹿言うな!あんなの俺がどうにか出来る訳ないだろ!」
「大・丈・夫っ」
「ちょっ!?」
華奢な体からは想像できない力で二千花は蓮太郎の背中を押し出す。急なそれに抗えず、踏ん張りも利かないまま蓮太郎は丸手の間合いに入ってしまった。
二千花に狙いを定めていた戦意をそのまま蓮太郎に移行して、丸手がノーモーションで鉄の塊を振り下ろし叩き付ける。およそ人とは思えないその力で床板は砕かれ辺り一面に飛散した。
「フーッ!フーッ!」
すでに理性の欠片など無く、人を手にかけるのに一切の躊躇をしていない丸手は再び標的を定め直すと、猛り狂いながら二千花目がけて突進をする。
「ガアァァァァァ!!!」
「あぶねぇな!この!!!」
「グフッ!?」
後方からジャンプ一番、蓮太郎が丸手の頭頂部目がけてかかと落としを食らわせる。
不意な一撃に丸手の体はグラつきその場に片膝をつく。
「窮地を颯爽と救うなんてときめいちゃうよレンくん~」
「違うわ!あんたの窮地じゃなくて俺の窮地に対する一発だ!」
「グッ、グウゥ……グラアァァァ!!!」
丸手は怒りを露わに、振り向きざまに逆水平で腕を振るう。
直撃すればひとたまりもないそれを蓮太郎は狂いの無いタイミングでスウェーをし、そのまま体の流れに合わせて丸手の顎を蹴り上げる。
「ッッッ!?」
上体が仰け反る丸手。
そこに間髪入れず、蓮太郎が蹴り上げた足をそのまま丸手の金的へ振り下ろす。
「!!??」
衝撃で血の気が引き顔面蒼白になりながら丸手がその場に蹲る。
痛み以外の感覚がないせいか、断続的な痙攣を起こしながら丸手はすでに行動不能となっていた。
「おいおい……同じ男なのに容赦ないなお前は」
「必死だったんすよ」
「お前の得意なエスプレッソだったか?素人相手にここまで食らわせるのは酷だな」
「いやエスプレッソじゃなくて”エスクリマ”です。それただのコーヒーじゃないっすか」
「いや横文字覚えられねぇんだよ。お前のそれ全然馴染みのない格闘技だしな」
「いや絶対覚える気のない間違え方だ」
「それにしても、羽柴のあの動きはお前の仕業か神楽木?」
「仕業なんてヒドイなぁ。おかげって言ってほしい」
山城の言葉で蓮太郎も自分を思い返す。
あの動きというのは常人の域を逸した丸手の動きについていっていた事。むしろ相手を凌ぎ圧倒していたそれは、蓮太郎も常人ではない事を物語っていた。
「今レンくんは"開放状態"だからね。あれくらいはやってのけれるよ」
「おい待て。あんた何企んでんだ?」
「ふふふ。今度はこっちが仕掛ける番。いくよレンくん!」
「は!?おい!」
蓮太郎の投げ掛けには気を留めず、ドアの無くなった出入り口から二千花が意気揚々と出て行った。
蓮太郎は、もう何度目かの呆気をその顔に張り付けて立ち尽くしていた。
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