開かれた匣 -2-
息が詰まる。
蓮太郎は自分の置かれている状況を出来得る限りに咀嚼しようとしながらもそんな感覚に陥っていた。
未曽有の空間。得体の知れない相手。不可解な現状。そのどれもが蓮太郎の意識を鋭敏に逆撫でする。
「どうしたの?ずっと怖い顔して」
「……元々こんな顔だ」
「そう言われれば最初と大して変わってないっか」
カチューシャのように頭に乗っけていたべっ甲色の眼鏡をかけ直して、女はまじまじと蓮太郎の顔を覗き込む。つい手で払い除けたくなる近さであったが、さっきの事もあって蓮太郎は迂闊に触れないようにしていた。
そんな身動きの取れない現状がさらに蓮太郎のフラストレーションを溜める。
「んー。顔は変わらないにしても、なんか言いた気だね?」
「……」
「我慢は体に良くないと思うよ?」
「……あぁ。限界だ」
意を決して蓮太郎が立ち上がる。
「もう我慢ならん……片付けさせろ!」
目を見開き、語気を強めて言い放つ。女は辺りをくるりと見渡してから蓮太郎と目を合わせる。
「え?どこを?」
「正気か……?どこなんて指せないぐらい所狭しだろうが!」
蓮太郎の喝が部屋全体に響く。
テーブルを埋める空のカップ麺。何着も脱ぎ捨てられた上着だけしかないジャージ。スペースを無駄に消費している乱雑な段ボールの山々。その他私物であろう物があちらこちらに転がっている。
整理整頓へのアンチテーゼのような散らかり具合に、今の現状を把握したい気持ちを差し置いてしまうほど、蓮太郎は居ても立っても居られなくなってしまった。
「君の図体がデカいからそう感じるんじゃない?」
「人を巨人みたく言うな。あんたよりはデカいかもしれんがどう見積もっても一般の範疇だろ」
「でもわたしは全然悠々自適だよ?ならやっぱり君側に問題があるんだよ」
「……話にならねぇ。っていうかこれじゃ話も出来ない」
「えー。なんか君ってめんどくさいねー」
「理不尽だなオイ。もうどこに文句つけていいか分からねぇけど、話するんだったらここを片付けさせろ。もしくは俺を解放して帰らせてくれ」
「じゃあ片付けで」
「即答かよ……。解放する気はさらさら無いんだな」
「当たり前じゃん」
「……」
入り混じる感情を抑えながら蓮太郎は黙々と片付けに着手する。
隙を突いて脱出を試みる事も一瞬考えたが、理屈関係なく直感でそれは出来ないだろうと蓮太郎は悟り、とにかく現状を少しでも進めたいと一切の無駄なく作業を行う。あれよあれよという間に物が一掃され、ものの数十分で部屋は部屋としての本来の姿を取り戻した。
「おぉー。これはこれは」
「やっとこれで落ち着いて腰を下ろせる」
「いいねー。うん。いいねー」
蓮太郎が作業を終え改めて椅子に座ると、女は嘗め回すように蓮太郎を凝視しながら不敵な笑みを覗かせている。
「……なんだよ?」
「きみ、名前は?」
「は?」
「だから。名前」
「羽柴」
「下は?」
「……蓮太郎」
「蓮太郎……うん、レンくんね。じゃあ早速なんだけど助手として色々と仕事をしてもらいたいんだけどー」
「……は?なんつった?」
「だから助手としてバシバシ仕事をさ」
「いや待て。全く意味が分からん。助手ってなんだ?」
「助手:仕事の手助けをする人。だよ?」
「誰がこのタイミングで辞書的な意味を教えろって言ったよ。あんたが俺を指して助手って言ってる意味と理由の方を聞いてんだよ」
「そんなの気にしたら負けだよ」
「そんな負けあってたまるか。そこをスルーする選択肢なんかないからな?」
あっけらかんとする相手を主張強い三白眼で牽制するように睨む。普段はその目付きとは違って本心は至ってフラットな蓮太郎だが、不躾に困惑を投げ付けて来る目の前の相手には数割増しの鋭い目付きに自然となっていた。
「説明とかめんど……得意じゃないんだけどなー」
「今めんどいって言いかけたろ?おい。目を合わせろ。おい」
「レンくん~。カリカリし過ぎだよ~。煮干し食べる?」
「カルシウムのせいじゃねぇよ……」
「そんなに睨まないでよー。これから仲良くやってくんだしさ」
「だから!さっきからその意味が分からないんだって!」
「意味も何もわたしが君を助手にするって決めたから、それ以上もそれ以下も言葉はないよ」
真っ直ぐに蓮太郎を見つめて屈託なく女が微笑む。女の真意も本意も測れない蓮太郎は益々眉間にシワガ寄っていく。
「……じゃあ聞くが、あんたは俺に何を手伝わそうとしてんだ?」
「表に出ない仕事」
「拒否する」
「あ。合法だよ合法。うら若き乙女がそんな汚れることするはずないじゃ~ん」
「男二人を襲撃しておいてよく言うな」
「あれは乙女に詰め寄る二人が悪い。大きな括りで正当防衛だよ」
「絶対違うと思うけどそれは今いいわ。それで?表に出ない仕事ってなんだよ?」
「表に出ないって言うか表ではどうしようも出来ないって意味かな」
「どういう事だ?」
「レンくん。世の中には常識なんて意味を成さない出来ないことがゴロゴロしてるんだよ」
「あ?急になんだ」
「さて問題です。気を失ったレンくんはどうやってこの部屋まで来たんでしょう?はい、321」
「ちょっ」
「はい時間切れ~。正解は私が直接運んだでした」
「いや……無理だろ」
蓮太郎は懐疑的に言葉を返す。身長180の筋肉量のある男を、外見からだらしなさが滲み出る細身の女が運べるはずがないと蓮太郎は若干呆れた顔も見せる。
「常識で判断しちゃダメだよ。百聞は一見に如かず。実際こうやって……」
「な、何する……ってうおぉい!?」
目の前に立ち女が蓮太郎の懐に頭を入れると、まるで米袋でも担ぐかのようにいとも軽々と蓮太郎を持ち上げた。
「ほらね」
「いや……!ちょ、ちょっと!?いや、一回下ろせ!」
あまりの事態に蓮太郎は慌てふためく。足が床に付くと反射的に距離を取って女を凝視する。
「ホントは男なのか……?」
「レンくんひどい!れっきとした美女だよ?」
「……自分で言うな」
「あ。ちゃんと返せるぐらいには冷静だね」
「ギリギリだ」
「ふふふ。でも、ね?証明できたでしょ?」
「……どんなタネだよ」
「はは!タネも仕掛けもございません♪あるのはギフテッドだけでございます」
「ギフテッド?」
楽し気にターンを決めながら喋る女に対して、蓮太郎は体が力むほどの緊張感を感じつつ凝視するのを続ける。
「ではでは続きましてお次は」
「な、何する気だ……?」
明らかに企みを持った笑みで蓮太郎に歩み寄る女。そのまま蓮太郎の前にしゃがみ込むと、人差し指だけを立ててそれを蓮太郎の左胸に当てる。
「何して……」
「オ~プン~」
それをそのまま反時計回りに捻ったと同時に、殺人的な頭痛が蓮太郎を襲い始めた。
「ぐっ、ぐおぉぉぉ……」
両手足を床に付いて歯を食いしばる。どこかに力を入れてないとそのまま気が持ってかれそうに蓮太郎はなっていた。
容赦ない鈍痛が脳すらも響かせているそんな感覚であった。
「やっぱりマグレじゃなかったね。レンくん合格」
「う、うるせぇ……あ、んた、何しやがった……?」
「体験その2だよ」
「あ……?」
「体感して納得。これが一番効率的で楽でしょ?」
「なん、の体感だよこれ、は……」
「口よりも体でね。今なら軽くジャンプするぐらいで効果が分かると思うよ」
「軽くジャンプ……?この、状態でか?」
「オフコース♪それにほら。やらないと苦しみ損だよ?」
「……覚えてろよ」
動く振動で割り増す頭痛に耐えながら、蓮太郎は普段の倍は力を入れて立ち上がる。
痛みの合間を探りながら言われた通り蓮太郎はその場でジャンプする。
「あぶねっ!?」
飛んだ瞬間の感覚の違いに気付いたと同時に、蓮太郎の頭は天井にぶつかる寸前の位置にあった。間一髪手が出て激突は免れる。
「な、なんだ今の?」
「レンくん運動神経いいんだね。てっきりぶつかると思ってた」
「聞き捨てならないぞオイ。あんな勢いでぶつかったら事故だぞ」
「比例して丈夫にもなってるから大事にはならないよ~」
「……あんたと俺の温度差に違う意味でも頭がいてぇ」
「おー。座布団はないけどクッションあげちゃう」
「いらんわ!イテテ……。で?今のといい、このバカみたいな頭痛といい。俺に何が起きてんだ?」
「そうだねー。平たく言うと潜在能力が覚醒中だね」
「潜在能力?」
「人間の脳は普段10パーセントの力も使えないなんて聞いたことない?」
「聞いた事ぐらいは」
「それはそうしないと体も心も耐えられないからなんだけど、今のレンくんは無理矢理10%から30%くらいまで解放してるから単純に普段の3倍の力が出るようになってるってわけ」
「……突飛過ぎて頭いてぇ」
「薬飲む?正露丸しかないけど」
「頭がいてぇって言ったんだよ。気休めにもならねぇじゃねぇか」
「プラシーボ効果でいけば大丈夫だよ」
「それ知ってたら意味ねぇだろ!はぁ……でもまぁ、実際自分の体で感じてることだから頭ごなしに否定は出来ねぇけど……」
「じゃあ作戦成功だね」
してやったりの顔を披露する女を見て、蓮太郎は至極シンプルな苛立ちを覚える。
「いや!こんなに体張らされたけど結局これは何なんだ!?」
「言ったでしょ?表ではどうしようもない仕事って。レンくんのは言わば"体験版"みたいなもんだけど、そうじゃない常軌を逸した力があるんだよ。それが『ギフテッド』だね」
「結局、それなに?」
「誰もが羨む生まれ持っての才能や力!天才やスターの領域!なんて美化される言葉だよねぇ。そんなのばっかじゃないのにさぁ」
「どういう事だ?」
「羨ましがられるギフテッドもあればそうじゃないギフテッドもあるって話だよ。人に夢と希望と感動を与える力でもあれば、まるで災厄かのように人を堕とし奪う力がある。それこそ取り返しがつかなくなるような結構最悪なものもしばしばね」
「取り返しがつかないってなんだよ」
「ここでももう起きてるでしょ?」
「この頭痛の事か?」
「違う違う。この学校でだよ」
「は?この学校で?それってもしかして事故の事言ってんのか?」
「"事故"ねー。そう処理しないと理屈に合わないからしょうがないよねぇ~。でもそれ。ギフテッド絡みの"事件"だよ」
「事件ってそんなこと」
「あるんだよ~。誰かが開けちゃったんだろうね。『パンドラの匣』をさ」
一瞬、今までとは違う何か含みを持った笑みを浮かべる女。その一瞬に蓮太郎はなぜか不安を煽られた。
「わたしの仕事はそういった事件や事案を調べて対応すること。ホント人手が欲しかったからナイスタイミングだったよ♪」
「待て。強引に話を進めているけど、俺はやるなんて言ってないぞ!?」
「ふふふ。なに言ってんのレンくーん。手伝ってもらわないと
「あ?」
「それの原因はわたし。でも、それの解決もわ・た・し♡」
「嵌めやがったな!!!」
「違うよ~。文字通りのヘッドハンティングだよ♪」
「座布団でもクッションでもいいから投げつけてぇ……!!」
「そういうわけで初仕事に行ってみよー!」
怒りと悔しさで小刻みに震える蓮太郎を余所に、女は唯一ハンガーラックに掛けてある腕にラインの入った赤いジャージの上着をストライプのワンピースの上に着て支度を整える。
「ファッションとか全く知らんけど、なんか……だせぇ」
「失礼な!この神楽木 二千花先生のナチュラルコーディネートは実用性と快適性を追及したハイクオリティモデルなのに!」
「いや単にズボラなだけ……って、"神楽木"?」
「んん?なになに?」
その名前に顔が一瞬引きつる蓮太郎。
奇しくも合ったその歯車が言いようのない嫌な予感になって、蓮太郎の頭の痛さに拍車をかけていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます