パンドラ・ギフテッド

結城あずる

開かれた匣 -1-

「んー!話が長かったなあの講師」


ドアが閉まると同時に鉄也が溜め息混じりに大きく伸びをした。鉄也はそのまま窮屈さを解すように肩甲骨まわりのストレッチに移行する。

蓮太郎はそれに耳を傾けながらも筆記用具を淡々と片付ける。


「小難しい上になんであんな余談が多いんだよ。ノートをまとめるこっちの身にもなってほしいわ」

「いや、お前はノート取ってないだろ」

「何を言う。これから俺の元に来る蓮太郎のノートの為に代弁してるのだよ」

「清々しいなオイ。毎度のことだが、そんな決まりも約束も一切ないからな?」

「もう、いけずだな。ちゃんと何か奢らせて頂いてるだろ?」

「割に合ってない気がするけどな」

「学生の懐事情で食費が浮くのはそりゃ大層なことなんだぞ蓮太郎くん。そんなわけで、はい」


卑しく口元を上げながら両方の手の平を蓮太郎に向け差し出す。蓮太郎は軽く鼻で溜め息をして諦めたように意中のノートをそこに置いた。


「ごちです♪」

「いや、ごちになるのは俺だからな?」

「分かってるよ。どうする?このまま行く?」

「あーすまん。俺、一つ空けて次の選択取る予定」

「マジか。よくHP残ってんな」

「HPも何も取れる内に取っておかなきゃだろ」

「まぁ今はそうだねぇ。ほんじゃ夜に再集結って事にするか」

「おう。終わったら連絡する」

「あいよー」


ひらひらと手を振る鉄也の背中を見送って蓮太郎も席を立つ。

すでに閑散とした講堂を出ると両手に荷物を抱えたゼミの先生と出くわした。


「ん?おー羽柴。丁度良かった」

「なんですか?」

「見ての通り手が離せなくてな。悪いんだがこの名簿を私の机に上げといてくれないか?」

「あぁ、丁度レポート提出しに教員室行く気だったんで構わないですよ」

「おーすまんな。頼むよ」

「はい。じゃあ」

「あ。あと最近のこともあるから気を付けて行けよ」

「そんなに心配はいらないと思いますけど、一応肝に銘じておきます」


先生に軽く会釈をして別れ、そのまま東棟の階段を下る。教員室は西棟の2階にあり、今の所からは一度1階まで降りてからじゃないと教員室へは移動できない。

分かっているつもりでも若干の面倒くささを感じつつ、蓮太郎は1階まで降りて行く。


「きゃっ」


階段の出入り口を曲がったところで女性とぶつかりそうになり、蓮太郎は瞬時に一歩足を引いてそれを回避した。


「すいませ……ひっ!?」

「あっと」

「す、すいませんでした!!!」


放り投げるように声を上げ、女性は一目散に階段をかけ上がって行った。蓮太郎は階段を見上げながら少しバツが悪そうに頭を掻く。


「おいおい。怖がって逃げるなんてあの子に何かしたのかい?」

「いや俺は特に何も……って、山城さん?え?なんでここに?」


不意に後ろから声をかけられ振り向くと、そこにはくたびれたグレーのスーツを着た白髪混じりの老年な男が両手をポケットに突っ込んで立っていた。


「そりゃお前、今みたいなのを取り締まりに来たのよ」

「いやだから俺は何もしてないですよ」

「洒落に真面目に返すなよ。肩透かしじゃねぇか」

「洒落が分かり辛い仕事なんじゃないですか」

「お前と俺の仲だろうに。それにしても相変わらず苦労してそうだな」

「まぁおかげ様で。山城さんはこんなとこで何してんですか?」

「そりゃあ仕事だよ」

「え?俺なんかしましたっけ?」

「ん?あぁ違う違う。お前さんに会ったのはホントにたまたまだ。ここには別件だ別件」


砕けた様子の男。それに相反して訝し気に構える蓮太郎の視界に、こっちへ向かって走って来る男の姿が映った。


「警部~!置いてかないでくださいよ~!」

「あぁすまんすまん。知ってる顔が見えたからついな」

「えっと、こちらの方は?」

「コイツのこの目を見て分からんのか?堅気じゃないヤツだよ」

「紹介から何から全部間違ってる」

「た、確かに凄い鋭い眼光ですね……」

「……山城さん」

「はっは。悪いな。コイツは新人なんだがどうにも愚直でな。イマイチ洒落が通じなくて困ってる」

「困ってるようには見えないっすけど」

「え?え?どういうことですか?」


呆れたようにぼやく蓮太郎と老練な表情を浮かべる男を、ベージュのスーツを着た眼鏡の優男が交互に見返す。


「コイツは羽柴って言ってこの目付きと体格でよく輩に絡まれていてな。それでしょっちゅう補導に行ってて顔馴染みなんだ」

「なるほど。それで今は更生を」

「違う違う。絡まれて制圧したのをコイツが通報してそれを俺がしょっ引いてたんだ。コイツは余罪ゼロだゼロ」

「え!?そうだったんですか!?なんかすいません!」

「あーいや分かってくれれば。まぁ慣れてるんで」


綺麗な90°で頭を下げられ、その勢いに蓮太郎は若干たじろんでしまう。少し取り繕うように蓮太郎は話を続ける。


「それで結局何しに来たんですか?」

「あー、人に会いにな。丁度いい。神楽木はどこにいるか分かるか?」

「神楽木?」

「ん?知らねぇか?ここの先生って聞いてたんだが」

「いや。聞いたことない名前だけど。外部の講師とか?」

「講師にはいるのか?」

「俺は聞いたことはないけど」

「おいおい。分からねぇってことかよ」

「生憎だけど」

「じゃあ他の教員の方とかに聞いてみますか警部?」

「あー……そうだな。じゃあ聞いて来てくれ」

「はい!」

「山城さんは行かないんで?」

「部下に仕事を与えるのが上司の役目なんだよ。ついでに羽柴、先生方がいるとこにそいつ案内してやってくれ」

「いや、ただのやっつけと巻き込みじゃないっすか」

「そんなの分かり切った付き合いだろ?」

「はぁ。まぁ、そこに行く用事あるんでいいっすけど」

「期待を裏切らんね蓮太郎くんは」

「裏切る期待もしてないくせによく言うよ」

「ではすいません!お願いします!」

「あーはい。じゃあ、行きますか」


してやったりの顔をしながらベンチに腰掛ける山城を横目に、腑に落ちない表情を浮かべつつ蓮太郎は教員室へ向け歩き出す。


「案内ありがとうございます」

「いや、もうついでですから」

「そういえば自己紹介がまだでしたね。僕は山城警部の部下の田部と申します」

「どうもです」

「先ほどは色々変な勘繰りをしてしまって失礼しました」

「いいですよ。初見の人は大体そんな反応っすから」

「それにしても立派な体格ですね。なんかやってたりするんですか?」

「まぁそれなりに」

「へー羨ましいです。ほら僕ってこんな見かけでしょ?ホントこのまんまで格闘術とかからっきしなんですよ」

「そうですか」

「この前も危うく犯人を取り逃がしそうになりまして。まだまだ捜査に至る諸々が足りないと痛感したばかりなんです」

「……そうですか」

「今回は気を引き締めて、警部指導の下結果に結び付けていきたいと強く胸に秘めてるんです!」

「そうですか……」


浴びせられる熱に、蓮太郎は早くも請け負った事を後悔し始めていた。

教員室までのほんの数分間の距離が余計に長く感じる。自然に必然に、蓮太郎の足が尻上がって早足になる。

正面玄関を通り過ぎ、西棟のホールを抜けそそくさと2階へ上がる。歩幅が合わせられなくなったせいか、少し息を乱しながら田部が遅れて階段を上がって来る。


「は、羽柴君。歩くの早いね……」

「すんません。つい」

「いや全然いいんだよ」

「えっと、そこのホール抜けてすぐの所が教員室ですんで」

「うん。ありがとう。って羽柴君もここに用事があったんじゃなかったっけ?」

「俺はその前にゼミの部屋行って、この名簿置いてくるんで遠慮なくどうぞ」

「そうなんだ。うん。ここまでありがとね」

「いえいえ」


乱れた息を整えて田部は教員室へ入っていく。蓮太郎はそれを見送ると教員室の反対側にある『花園ゼミ』とプレートに書かれた部屋に入る。

蓮太郎の大学では教授から助教まで各職員が一つのゼミを持っていて、それぞれに部屋が割り振られている。ゼミには幾つか希望で入られるようになっていて、蓮太郎も3つほどかけ持っている。『花園ゼミ』はその一つであった。


「相変わらず乱雑な机周りだな」


資料や厚手の本が積み上げられ、教材が所狭しと置かれており、完全に私物に見える飛行機の模型なんかまで机の上には転がっていた。

見かねた蓮太郎は机の整理をし始める。根が几帳面の蓮太郎には雑多な景色が幾分気持ち悪く、半ば衝動的に体が動いてしまっていた。

無駄なく手を動かし、2分とかからず机の整理整頓を終えた。

ほんの少しの充足感を得つつ、蓮太郎は頼まれた名簿を綺麗にスペースの空いた机に置いて部屋を出た。


「ご協力ありがとうございました」


蓮太郎が部屋を出たと同時に、田部も用件を終えて丁度教員室を出て来たところであった。

それを見て蓮太郎は無意識に忍び足になる。


「あっ!羽柴君!」

「……用件済んだんですか?」

「うーん。済んだというか、教員室にいた人達に尋ねたんだけど誰からも知らないって言われてしまってね」

「そうですか」

「ううーん……おかしいな」

「聞き間違いとかないんですか?」

「うーん、この地域に同じ名前の大学はないし、それにここの事件の事を話題に持ち出していたって聞いてるから間違ってるってことはないと思うんだよ」

「お手上げですね」

「うん。僕は顔も知らないから尚更お手上げだよ」

「は?顔も知らないって、会ったことないんすか?」

「そうなんだよ。僕は配属されてからまだ日が浅いから顔を会わせるのは今回が初めてなんだ。警部はもう顔馴染みみたいだけどね」


ここまでの一連がよもやの見切り発車であった事に蓮太郎は一瞬頭が痛くなりそうになる。年上だが一言物申したくなる気持ちをぐっと抑えて、感情が反射的にならないよう蓮太郎は自分の中で間を作った。


「とりあえず、そんな不確定要素しかないんだったら一旦山城さんに確認してきた方がいいんじゃないですか?」

「だよね。ちょっと警部に指示を仰いでくるよ」

「そうした方がいいと思います」

「すぐさま行ってくるよ!」


なぜか意気揚々と小走りで田部が去って行く。

蓮太郎は得も言えぬ徒労感に襲われてそのままホールのベンチに腰掛けた。


「山城さんとあの人のコンビって、なんかこう……もたれるな」


ぽつりと呟く。今日何度目かも分からない溜め息をゆっくりと吐きながら蓮太郎は壁にもたれた。そのままふと何の気なしに、封鎖されている2階の渡り廊下に蓮太郎は目線を向ける。

そこには形許りで置かれたパイロンとバーが、渡り廊下の両端それぞれに設置されていた。丁度廊下の真ん中辺りにある目張りのされた窓の下には、いくつもの花束が添えられていた。

そこは田部が口にもしていた大学構内で起きた事故。その現場であった。

しかもこの半年の間で大学では2件の事故が発生していて、そのどれもが死亡事故。いずれも事件性は無いと処理されたが世間からの風当たりは当然強く、尤もなバッシングを今も尚受けている。

それもあって、大学側は危機管理と安全対策の名目を外に発信出来るよう、今のような封鎖の体裁を保っている。

蓮太郎が遠回りをしなければいけない理由がこれであり、同じ境遇の他の学生らからは不満の声もちらほら出始めている状況でもあった。


「ん?」


呆け気味にそこを見ていた蓮太郎の視界に、どこからともなく人の姿が映った。

立ち入り禁止で置かれているパイロンなどお構いなしにスルーをして、その人は渡り廊下を堂々と闊歩している。


(なにやってんだ?あんなとこで)


四方を見回すようにキョロキョロ頭を動かしながら渡り廊下を行ったり来たりしている。

基本、人並み程度の正義感の蓮太郎は、波風は立てぬよう不審ではあるその人物と行動をとりあえず遠巻きのままで様子窺う。


「何してるんですかあの人?」

「!?」


不意な声に顔を向けると、さっき意気揚々と立ち去ったはずの田部が蓮太郎の視線を追いながら立っていた。


「……田部さん。なんでいるんすか?」

「え?羽柴君にお礼言ってなかったなって思って戻って来たんだけど、それよりあの女性は一体?」

「お礼とか別に……俺も今目に入った感じなんでよく分からんです」

「そっか。でもあそこは入っちゃダメなとこでしょ?僕ちょっと注意してくるね」


足早にその女の方へ向かう田部。警察という肩書があるのであれば自分より適任と思い、蓮太郎は何も言わずそのまま送り出した。

件の相手は周りなど一切気にする素振りもなく、下に添えてある花束に足を突っ込みながら躊躇もせず、窓の目張りを少し剥がしてなぜかそこを凝視している。

そこに田部が近寄る。距離的に声も音も聞こえないが、身振り手振りする後ろ姿で注意をしているのはありありと分かった。

ただ、そんな田部には見向きもせず女は剥がした部分を見続けている。それと対照に身振りが大きくなる田部。なんとか振り向かせようと必死に声を掛け続けている様子であった。


(あそこまで盛大に無視するヤツも相当だけど、それに挑み続けるヤツも大概だな)


そんなことを蓮太郎が思いつつ、当の本人は尻上りに動きの熱が帯びていく。

さすがに業を煮やしたのか、田部が相手の肩を掴んで振り向かせるかのように引っ張った。


「おっ、実力行使……って、は……?」


突如として、田部が力なく膝から崩れ落ちその場に倒れた。

思いもよらぬ出来事に蓮太郎は一瞬面食らいながらも、ほとんど反射的に動いて田部の元へ駆け寄っていた。


「おい!どうした!?何があった!?」


目の前の女への警戒をしつつ田部の体を揺する。しかし田部に反応は無い。


「あちゃー。やっちゃったなー」


頭を掻きつつもあっけらかんとした態度で女が田部を見つめる。何かを考えている様子を見せつつ、視線をズラして蓮太郎と目を合わせた。


「……あんた、この人に何した?」


目が合ったと同時に蓮太郎は一歩半後ろに下がった。

嫌な予感。状況を飲み込めない中で、その感覚を頼りに蓮太郎は相手への警戒を強める。


「なにって、ほら。なにも?」


顔の横で両手をヒラヒラさせながら首を傾げる。赤いボサボサの髪が目に付くが、武器になるような一切のものは何も持っていなく手ぶらではあった。


「じゃあ、なんでその人は急に倒れたんだ?」

「ん?なんでだろうね?貧血?」

「貧血であんな倒れ方しねーよ」

「寝不足とか?」

「どんな睡魔の襲い方だ」

「瞑想してるんじゃない?」

「……もう確認済みだけど気絶してるからなその人」


赤髪の女は真面目な要素など微塵もなく素っ頓狂に返答を繰り返す。

蓮太郎は姿勢も意識も崩さず相手の一挙手一投足に集中する。


「まぁまぁそんなに気を張らずにさ」

「な!?」


瞬きのほんの一瞬で女の姿を見失う。そして、自分の懐で声が聞こえたと同時に蓮太郎は何の理解も及ばずにその場に倒れた。


「1回やっちゃったら2回もそう変わらないしね。うん。しゃーないしゃーない。ご冥福をお祈りするよ」


赤髪の女は何の悪気も無く、地に伏す二人へ合掌を捧げる。


「ぐっ……!ぬ、おぉぉ……」

「ん?」


女が顔を上げると、苦悶の表情を浮かべながら体を起こす蓮太郎と目が合った。

蓮太郎はどうにか体勢を戻そうとするも、頭蓋骨を鈍器で殴られ続けているような極度の頭痛に襲われ、片腕をついて上半身を起こすので精一杯であった。

赤髪の女は特に動くことはなくそんな蓮太郎を穴が開くように見ている。


「へー!へー!!へー!!!」

「!?」


目を爛々とさせながら昂ったように赤髪の女が声を上げる。響く声で痛みが増す状態の蓮太郎はそれに反応は出来ずにいた。


「これはこれは。ふふ。私は君を歓迎するよ」

「…………あ?」


痛みに意識が持ってかれそうな蓮太郎の前にしゃがみ込み、パーソナルスペースなどお構いなしで顔を近づける赤髪の女は、微笑みか不敵か分からない表情で蓮太郎に声をかける。

蓮太郎には思考する暇は無かった。

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