八月十五日 ~運命の瞬間~

國永航

第1話 ポツダム宣言

 ポツダム宣言が瀕死の日本に対して、最後のとどめとばかりに放たれたのは昭和二十年七月二十七日の朝だった。その日から、日本の命の終わりを告げるカウントダウンの響きがより鮮明となって、日本首脳陣の心に重くのしかかったのである。

 その時の日本の首相は鈴木貫太郎という老練な海軍大将だった。

彼は首相就任時に、今日、私に大命が降下いたしました以上、私は最後の御奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って、死に花を咲かす。国民諸君は、私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進されることを確信いたしまして、謹んで拝受いたしたのであります。

 と声明を発表した。

 その時の彼の頭にあったのは、いかに日本を存続させるかということであった。

 最期まで徹底抗戦を敢行しようが、はたまた受け入れがたい無条件降伏を、日本の民間人をしきりに殺傷する憎き米英敵国に対して行おうが、彼にとって大事なのはあくまで天皇とともに歩んできた日本の長い長い歴史を絶やさないことであり、大日本帝国としての面子を保つことではなかったのである。

 ポツダム宣言の一報を受けた鈴木首相は、これは日本にとって受け入れざる内容であろうという思いを抱くと同時に、やはり来るべきものが来たといったんは割り切った。だがそこから始まる日本の崩壊劇――抗戦派によるクーデターのことが脳内を駆け巡り、自分の責務の重大さに、改めて感慨深くため息をついた。

 更に問題であるのはいまだ軍部が戦意を全く失わない状態である今、連合国が出したポツダム宣言を首相として、日本政府としてどのように対応するかということであった。

 政府として強い態度で対応せねば、軍部が黙っていないであろう。しかし頑なに拒絶すれば今後日本を講和、または降伏という戦争終結に導くときに、連合国との交渉が困難となる。そして日本政府として一度断固拒絶した相手に、果たして今後軍部がまともに応じるかという三点が心配であった。

 しかるに鈴木は当初、政府としてはポツダム宣言は受諾せず、拒絶もせずに静観すべきだと考えていたし、それを実行するべきだと考えた。

 その日、内閣の定例閣議が開かれたとき、時の外相であった東郷茂徳は政府としてこれを静観すべきという、鈴木と同じ意見を言った。閣議の結果、翌二十八日にポツダム宣言のあったことを国内に向けて公表することが決まった。

 ちょうど偶然に、ポツダム宣言が国内に発表されることが決まった翌日に首相の記者会見が予定されていたものだから、鈴木はこれ幸いと直ちに自分の考えを記者に対して述べようと決心した。

 記者の連合国のポツダム宣言について首相としてどう思うかとの問いに対して鈴木は、私はポツダム宣言についてカイロ宣言(昭和十八年に連合国から発表された宣言。当時は日本軍が未だ戦力の大半を保持していたのでさしたる態度はとられなかった)の焼き直しだと考えているから何ら重大なる価値があるとは思わない。ただ黙殺するのみと言った。 

 この鈴木の口から飛び出した「黙殺」という言葉は鈴木の意から鑑みて決してポツダム宣言の拒絶や否定というものではなく、一番近いのは静観の意であった。

 しかしながらここで一つ目の不運が鈴木を襲った。

 海外の報道機関では翻訳の難しさにより、無視、拒絶として受け取られた。

 すぐに各国新聞では、スズキ首相はポツダム宣言に対して拒絶の意を示したと報道された。

 しかし、当時鈴木はそのことを知る由もなかった。

 ただ自らの果たした責務に満足するとともに、これから巻き起こるであろう終戦工作の騒動について想像し、その困難さを鑑みて胸を痛めていた。

 だがそれ以降政府として、ポツダム宣言に対応する、政府の公式閣議も開かれず、日本国民、及び軍隊に対するポツダム宣言を伝える報道もないまま貴重なる一日が刻一刻と過ぎようとしていた。

 鈴木は、かかる事態をどうにかしなけらばならないと腹をくくった。

 そうこうしているうちに、二度目の不運が鈴木を襲った。

 陸軍軍部から、首相は直ちにポツダム宣言については日本政府として断固反対するというふうに発言を訂正していただきたいと要請が来たのである。

 なんでも、ポツダム宣言の電波を傍受した海外の日本軍が、なぜ政府はポツダム宣言についてさしたる言及をしないのかとの問い合わせをよこしてきたそうである。陸軍軍部は、これは軍の士気にかかわるから直ちに連合国に対し強硬的な意見を述べるべきであるとの結論に至ったのだった。結果的に鈴木の発言が陸軍や本土決戦断行を唱える陸海の軍人たちを硬化させるに至った。

 鈴木首相は本土決戦を遂行するのに本当にふさわしい首相であろうか、なぜ黙殺というあいまいな表現を使うのだろうか、果たして本土決戦は敢行され国体の護持をなすことができるのだろうか、という幾つもの疑問が、軍の士官たち、特に本土決戦を肯定する将校たちの間に暗雲のように立ち込めることとなった。

 悲しいことに、鈴木の発言は、国外ではポツダム宣言の受諾否定、国内、国外に展開する日本軍の一部では同宣言の無視、静観として捉えられたのである。

 問題は国内外の日本軍の中に、首相不信の意識という薄い膜が覆っていき、反体制の意識が知らず知らずのうちに刷り込まれたことであった。

 今や戦争終結に当たって何よりも恐ろしいのは、物量に任せて日本本土に襲い来る連合国ではなく、身内であるはずの日本軍へと変わったのである。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

八月十五日 ~運命の瞬間~ 國永航 @tokuniwataru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る